水夏希、渡部玄一 インタビュー|ストーリー・コンサート「クララ-愛の物語-」

左:渡部玄一 右:水夏希

読売交響楽団のチェリスト、渡部玄一らによる本格的なクラシック音楽の演奏と、水夏希、新納慎也による朗読劇が融合したストーリー・コンサート「クララ-愛の物語-」。昨年、長野県上田市で上演され、多くの方からの再演を望む声を受けてさらにブラッシュアップして上演することになったという本作。厳格な家に生まれたクララが、ピアニストとして才能を花開かせながらも、シューマンを妻として支え続け、ブラームスと崇高な心の繋がりを持ち続けたというその愛の生涯を、音楽と朗読劇でお届けする。クララを演じる水夏希と、本作を企画したチェリストの渡部玄一に、公演を前にした想いを聞いた。


――そもそも、ストーリー・コンサートはどのような発想から生まれたものなのでしょうか。

渡部「留学から帰ってきて、さまざまな形で演奏活動をしていたのですが、その中で病院での演奏会があったんです。ある病院の院長さんが音楽が好きで、患者さんに良かれと思ってそういう機会を設けていたのですが、患者さんはイベントがあるから聴きにきてみただけなんですね。あまり楽しんで頂けていないように感じたんです。そこで、私がちょっと次の曲の背景を話してみたところ、聴いていただける方の反応がまるで違ったんです。その頃から、演奏家が曲について話すことはありましたが、情報も物質も豊かになって心の時代と言われている中で、エンターテインメントとして芸術も学問もお互いに手を撮りあって、より多くの人に機会や刺激を設けたいというところから、ストーリー・コンサートが生まれました」


――最初にストーリー・コンサートの企画を聞いたとき、水さんはどのような印象でしたか?

「生のクラシック音楽と朗読を一緒にというのは初めてなので、凄く楽しみですね。ちょっと見たことが無くて、新しいなと思いました。ここ最近、朗読をやらせていただいていて、いろいろなスタイルをやってきたんですけど、それでも初めてのスタイルです」


――お互いの印象についてお聞かせください

「クラシックの方とはご縁が無かったので、最初は緊張していましたが、とっても気さくで面白い方。ものすごく、シューマン、ブラームス、クララのことをご存知なので、そういう意味でもっともっとお話を聞いてみたいですね。時代を繋いでいく人に興味をお持ちなんだな、という印象ですね。やはり、朗読劇を書くにあたって、人の人生ですからいろいろな出来事があって、それをすべて書いていたらキリがない。「本当に全部書きたいんだけど、時間がないんだよね」っておっしゃってました(笑)」

渡部「今回、ストーリーの部分を水さんにやっていただけるということですが、本当にプロの方という感じがしました。もともと持っていらした知識もたくさんおありだと思うんですが、たくさん勉強もしていただいていて、非常に刺激的ですね。クラシックの専門家ではないのに、本当に理解が深いんです。台本に御助言もいただいて、手直しするような機会もありましたし、本当に誠実で超一流の方だな、と思いました。すごく感謝しています」

「いえいえ…大変失礼しました。長野県で上演されたものを2人の会話劇にするにあたって、内容を長くならない程度に整えなければならなかったんですが、削られてしまった部分でどうしてもお伝えしたい想いがあったので…」

渡部「僕のようにクラシックを良く知っている人には当然のことだろうけれど、ここが抜けてしまうのは分かりにくいのではないか、という言葉を頂いて、手直しをしたんです。けっこうざっくり削っちゃってたんですよ(笑)」

「この間もプロデューサーさんから3行くらいでクララのセリフを足しましょう、と言われていた部分が、ガッツリと半ページくらいになっていたので(笑)、本当にいろいろな想いを込められて台本にしていらっしゃるんだな、と思いました。しっかり丁寧に読み込んでいきたいと思います」


――水さんはいろいろな機会でクラシック音楽に触れてこられたと思いますが、クラッシック音楽にはどのような印象をお持ちですか?

「実は小学校の時にバイオリンを習っておりまして、少年少女オーケストラに所属していたんです。でも、練習をするのが嫌だったもので(笑)、エアでやっていたんです。みんなに合わせるみたいな感じでしたが、昔からクラシック音楽とはそんなに離れていないところにはいました。クラシック音楽って、やっぱりヒーリングですね。モーツァルトで頭脳が明晰に、みたいなお話も聞いたことがありますし、そういうイメージがありますね」


――朗読劇で役を演じることは、ミュージカルなどの演技とはまた違った趣があるかと思いますがいかがでしょうか。

「一番朗読で楽しいのは、個人個人で自由に想像ができるところ。同じ歌と演奏、言葉を貰っても、最終的に持ち帰るものは全員違うと思います。そこが面白いところですよね。他の演劇でももちろんそういう面はあるんですけど、朗読劇は、よりそういった側面が強いんじゃないでしょうか」――朗読劇ならではの演じ方はどのようなものでしょうか

「その役がどういう状況であったか、どういう心情であったかをなるべく声に乗せるように、気を付けています。凄く難しいんですけれど、パフォーマンスで動きが付くと、ちょっとあいまいな言葉でも伝わるんです。もし滑舌が悪かったとしても、前後の動きや表情から想像していただける。朗読劇は、それが全くないので、言葉がきちんとお客様に届くことが大事だと考えています。以前、声優の方とご一緒させていただいた時に、感じたんですが、本当に声優の方って声だけで生きていらっしゃるから、声が多面的。今、振り返ったでしょ?っていうのが、声から聞こえてくるんです。そういう引き出しがたくさんあって、本当にびっくりしたことがあったんです。それくらい、声だけの演技って奥が深い。でも、朗読劇では体からの表現というのも自ずと出てしまうと思います。立ったり座ったりはしないですが、表情は自然に出てしまったりはするでしょうね。声だけであればラジオでいい、ということになってしまうので、生身の人間がやっている、そこから発せられるエネルギーをダイレクトに受け取っていただきたいですね」


――クララは、シューマン、ブラームスという2人の作曲家を愛し、愛される女性ですが、どのような女性だと思いますか?

「すごく生きるエネルギーの強い方ですね。逆に言えば、シューマンはか細いエネルギーなんだと思います。2人の男性に愛されるだけのエネルギーを持っている女性ですね。本当に彼女が活力になっていると思いますよ。最初の出逢いも、シューマンが彼女の家にやってきて、そこで刺激を受けて2人は愛し合うようになりますし、ブラームスもまた、彼女のもとにやってくるわけです。今、ちょうどクララとブラームスの間でやりとりされていた手紙の本を読んでいるんですけど、彼女の音楽の解釈は想像を絶するものがありますね。音楽を聴いているだけで、木陰のさわやかな風が吹いているように感じたり、そこから変イ短調になった瞬間に…みたいなことが書かれていたので。本当にそういう部分は計り知れないところがありますね」

渡部「クララは素晴らしく魅力的な女性で、恋に一途。父親と不仲になっても恋を貫くし仕事をしても超一流で、傑出した女性です。しかも自由にも生きた人だったので、とても魅力があるんですね。クラッシック音楽の中にはいろいろなエピソードがありますが、クララの物語はその中でももっとも劇的なもののひとつで、それにまつわる作品、名曲も多いんです。ずっとやりたかったんですが、たまたま2019年がクララ・シューマンが生まれて200年という年で、素晴らしい人とご一緒できるということになり、嬉しく思っています」


――水さんは、クララとご自身と重ねてみて通じる部分などはありましたか?

「7人の子供たちを育てる強さや、音楽家の旦那さんを支える強さは、宝塚で主役を務めてきた強さにつながるものはあるような気がします。責任を逃れられない、果たさねばならないという想いがあったように思いますね。シューマンのことは絶対に支えなければならないと思っていたでしょうし、子どもたちのことも幸せにしなければならない。もちろん、同時に支えたい、幸せにしたい、という“want”の気持ちもある。与えられた人生をより全うしたいという気持ちは彼女から感じますね」


――今回の企画では、朗読劇で彼女らの半生に触れつつ、その頃に作られクラシック音楽と交互に楽しめることが醍醐味となっています。水さん自身、曲の背景を知ることで音楽の楽しみ方に変化はありましたか?

「これまで、クラシック音楽というジャンルをざっくりとひとつのものとしてとらえていたように思います。それが、作曲家によってこれほど違うのか、というものに気付きましたね。もちろん、有名な作曲家たちがいて、それぞれ曲が違うことはわかっていましたけど、今回、前半がシューマン、後半がブラームスと分かれていることによって、ぜんぜん違う印象になっていることがとっても面白いんです。シューマンは繊細で優しく、弱いという印象がすごくありますし、ブラームスは力強くて明るい印象がありますね。こういうやりとりがあったから、こんな曲なんだ、という場面も出てきます。もちろん、クラシックファンの方はご存知のことかもしれないですが、朗読劇を聞いてから音楽を聴くと、こういう不安な心情がバイオリンのトレモロに入っているんだ、とか、ピアノの強い音に強い思いが込められているんだ、というのを感じていただけると思います。そうやって想像して、音楽を自由に楽しんで頂きたいですね」

渡部「ストーリー・コンサートの一番の根幹は、音楽も主役であるということ。演劇などでは、劇の内容を盛り上げるために音楽がありますが、これは音楽も劇も同等で、プロフェッショナルな方に演奏してもらい、プロフェッショナルな方に朗読をしていただくものです。今後、新しいコンサートや文化の中で、どんどん垣根が取れて行って、みなさんにどんどん感動を得る機会が増えて行ったらな、と思います。ストーリーを聴いて、そういう気持ちなんだな…と感じながら音楽に入ったり、悩んでる人が書いた曲なんだな、と思いながら聴くと、聴こえ方が変わってくるはず。今回はドイツ歌曲を歌っていただくのですが、その内容も字幕で出てきます。内容も深いものがありますから、そこも楽しんで頂きたいですね。普通の演奏会ではなかなかない、贅沢なしつらえになっていおりますので、楽しんで頂きたいですね」


――クララたちの生涯について、どのように思われますか?

「本当に知れば知るほど、本当にノンフィクションなの?って思いますね。良くできた人生ですよね。シューマンがカーニバルのような降誕祭の日に自殺を図って、漁師に救われて命拾いして精神病院に入るんですが、その間のクララをブラームスが支えて、つかず離れずの関係が続いて…クララの死後、次の年にブラームスが亡くなるなんて、本当にノンフィクションとは思えないほどのお話です。

渡部「全員がお互いに対するリスペクトがあるんですね。単なる愛憎劇ではなくて、そのリスペクトが人類の宝になるような結果を残している。そういう生き方が、人間の生き方の指針のひとつとして感動を呼ぶんだと思います」

「短い時間ですし、人生もかなり端折ってますけれど、シューマンとクララ、クララとブラームスという三角関係。シューマンが亡くなったあともクララの中にもブラームスの中にもシューマンが居て…という三角関係がずっと続いて、色の濃さがどんどん増していくようなところが表現できればいいな、と思っています」


――公演を楽しみにされている方にメッセージをお願いします!

「なかなか私の周りではクラシック音楽に触れる機会がなく、機会があってもお芝居のサポートとしての音楽だったりしますので、クラシックそのものを楽しんで頂くとてもいいきっかけになると思います。難しいかな、と思わず、構えずにお越しいただきたいですね。音楽も自由に解釈していただいて、自分なりの物語を持ち帰って頂けたらと思います」

渡部「コンサートと銘打ってますが、コンサートはコンサートとして最高のものですし、朗読劇は朗読劇として素晴らしく、音楽と劇がお互いに相乗効果になる。そういうものを心で感じていただける機会になれば。日ごろ聴いていらっしゃらない方も、クラシック音楽はちょっと…と思わずに足を運んでいただけたらと思います」


――聞いたことのある楽曲も、思いがけず大きく印象が変わってしまうかもしれないですね。楽しみにしております。本日はありがとうございました

 

インタビュー・文/宮崎新之