根本宗子 インタビュー|別冊「根本宗子」第8号 THE MODERN PLAY FOR GIRLS 女の子のための現代演劇

根本宗子が主宰する劇団、月刊「根本宗子」の派生ユニット別冊「根本宗子」の公演が、横浜・KAAT神奈川芸術劇場にて上演される。今回は纏纏夢兎の東佳苗による同じ舞台装飾で別の2作品を上演するという試みで、前半の日程では人気公演「バー公演じゃないです。」を全編英語にした「Whose playing that “ballerina” ?」、後半の日程では、音楽ユニットのチャラン・ポ・ランタンとタッグを組み「超、Maria」を上演する。この2作品をどのような想いで根本宗子は世に放つのか。話を聞いた。


――今回の試みについて、どのような発想で進んでいったものなのでしょうか。

旧作と新作の2本を上演するんですけど、旧作を作った時にすごく女の子ウケが良かったんです。作り方もすごく特殊だった芝居で、台本もシーンごとに抜粋で書いていて、つなぎの部分は口立てで作ったり、稽古場で出たものをそのまま採用したりしてできた芝居だったんです。なので、当時一緒に作っていた女の子たちと作り上げた感じが強かったんですね。劇団としてもすごく人気な作品になったので、また何かの機会にやりたいとは考えていました。あと、この作品を最初にやったときに縷縷夢兎の東佳苗さんに舞台の装飾をしてもらいたいというところから企画が始まっているんですね。佳苗ちゃんがすごく現代女子のカリスマ的な人なので、組んでできるってなった時に、旧作と同じような美術の中で、今の私がつくる新作をもう1本やっても面白いんじゃないかと思って、女の子のためのという括りで2作品にしました。やっぱり、若い女の子に劇場に来てほしいっていう気持ちですね。


――若い女の子に向けた思いというのは、いつごろから生まれた?

“女の子のリアルを切り取っている”みたいなことを劇評とかで書いていただくことが多かったんですけど、自分としてはあまり女子のリアルだけを切り取っている意識はないんだけどな、って感じていたんです。その肩書に反発している時期もありました。でも劇団の立ち上げから10年経ってみると、若い時は、この作品はこう受け取って欲しいみたいな気持ちがあったんですけど、今は観た人が感じたことがすべてだと思うようになりました。今回は女子しか出ないですし、私も女子なので、女子による女子のための演劇なんですよね。
あと女子が一人でも来やすい空間づくりをしてみようというのもあります。


――いつごろから変わったんでしょうか?

特にきっかけがあったわけじゃないんですよね。何かの事件があってそうなったとかじゃなくて、作っていく中で自然と意識が変わっていったものだとは思います。あと、いろいろな人と組んでやっていく中で、やっぱり自分の芝居の男女比でいうと女子が多いんですね。私は、作品に出ていただくにあたってその人自身に興味がある人をキャスティングすることが多いんです。もちろん、お芝居が素敵だなという部分は前提としてあるんですけど、その人自身に興味が無いと役が書けない。基本的に当て書きなので。そう考えると、私自身は圧倒的に女子の方が気になっているんだな、って思いますね。冷静に分析した結果、私は女子のことを書きたいんだな、ということになりました。


――女子の気になるところってどういうところでしょうか。

男性を魅力的に演出する人はいっぱいいるんですけど、演劇において割と女の子の役割みたいなものは決まってないか?
というのが自分より上の世代に対して思うことなんですね。女優さんがそうじゃない使われ方をしているのを観ると、私はとても魅力的に感じるんです。私は大人計画が好きで演劇を始めたんですけど、松尾スズキさんの芝居って女優さんの立ち位置や存在が他の演劇とは私の中で違うんですよ。そういうのが好きだったので、他の人では引き出せない要素っていうのを、女優さんと一緒にやるときは考えることが多いかもしれないです。


――今回、同一セットで2作品を上演します。この試みのねらいについてお聞かせください。

東佳苗ちゃんの作ってくれた空間の中でやることを前提にどちらの作品も作っているので、なのであまり同一セットかどうかという部分については、そこまで意識していないですね。同じセットで2作品上演するという試みは以前もしたことがあるんですけど、その時は完全に具象のセットだったので、セットありき作っていったんですけど、今回は抽象の空間なので、何でもありと言えば何でもあり。なので、セットに縛られる部分はあまりないんです。
どちらの作品も空間への信頼が物凄くあります。


――東佳苗さんの舞台美術の魅力はどういうところにある?

佳苗ちゃんの美術って、佳苗ちゃんにしかできないんですよ。前回も前々回もそんなに美術の打ち合せをしなかったんです。白が基調で、コンセプトは女の子の部屋。くるみ割り人形の世界観が芝居に入っている、くらいを伝えて、佳苗ちゃんが考えて飾り付けてくれたんですけど。前回、ぬいぐるみが壁に何個かくっついていたんですけど、そのぬいぐるみが全員裏向きでくっついていたんですね。すごく細かい部分で、佳苗ちゃんもものすごく意図をもってそうしているわけでもないと思うんですけど、それを観た人が何か思ってしまう、何か感じてしまうんですね。そして、それを感じる力は女の子の方が圧倒的に強いんはず。男性は「なんか後ろ向いてた」「かわいそう」「こわい」くらいか、まったく気にしない感じなんですが、女性は何か登場人物とリンクさせて「こういう意図で後ろを向いていたのでは?」と考えたり、「後ろを向いていたものが前を向いている瞬間があったように見えた」など、舞台美術に関する感想をいただくことも圧倒的に女の子が多かったんです。なので、勝手にそう思っています。

 

――物語や人物に結び付けられるような感性が動いてしまうような魅力が東さんの美術にはあるということですね。

佳苗ちゃんが飾ると、劇場空間がひとつの空間になるっていうのはすごくありますね。部屋みたいに、とてもパーソナルな空間に見えるっていう強みはあると思います。そこはすごくこの演目が助けられている部分かもしれませんね。


――再演される1本目の「Whose playing that “ballerina” ?」は、「バー公演じゃないです。」の再演となりますが、全編英語上演になるそうですね。

初演の時から、なんとなく英語でやったら面白いだろうな、ぐらいの発想はあって。台詞量も尋常じゃないし、スピードもすごく早くて、英語にしたら日本語の字幕がお客さんに追いつかないんじゃないかな、とか(笑)。物語はクラスで余った4人が、修学旅行でワケあって一緒にされて、そこから長年一緒に過ごすという話で、主人公の語りで進んでいくお芝居なんですけど、彼女らの分かり合えなさみたいなものが英語にすることでより表現されたりするんじゃないかとは思っています。今回演じてくれる4人も生まれもバラバラだったりするんですが、そのバラバラさが出ればいいですね。初演の4人は、何作も一緒にやってきたメンバーでとても息の合っているメンバーだったんですけど、そうじゃないメンバーで演じることでまた熱量が生まれるんじゃないかと思っています。あともちろん、英語で1回作っておけば海外にも持っていけるんじゃないかという発想もあります。基本的に、やれるならやっておくタイプなので。

 

――キャスティングについては何か意識されたことはある?

英語ができなければならなかったので、全員オーディションで選びました。バラバラの4人にしたかったのでまずビジュアルが被っていないこと。バレエを踊るシーンがあるので、1人はすごくバレエが上手なこと、という兼ね合いの中で選んだんですが、全員にポップな要素があることが私としては好きだった部分ですね。内容がポジティブな話ではないんですけど、演出と台詞でそれをポップに表現していくという方向性なので、そういう明るさ、かわいらしさ、ポップさなんかをすべて持っていて、なおかつ英語がしゃべれて、バレエが踊れた、っていうことで選ばれた人たちです。4人ともすごくかわいらしいんですよ。佳苗ちゃんのセットに入ってかわいらしい4人、というのも私の中で大事なポイントでした。


――英語で再演することで、また新しいものになりそうですが、初演で初めてこの作品を書いていたときの手ごたえを思い返してみると、どんな感じでしたか?

結構、本当にふざけている間に出来上がったみたいな感じで(笑)。ディズニーランドが出てくるのは、本当にディズニーランドが好きな人ばっかりが出てたから、みたいな感じなんですよ。確か、この作品って劇団員をひとりも持たないと決めてから作った1本目なんですよ。劇団員とやらないというのはすごく久しぶりで、特定の人とずっと作り続ける訳じゃなくしていこうという気持ちが書いている時もやっている時もありましたね。だから、初日の幕が開くまでは、どう受け入れられるのか分からなかったです。くるみ割り人形の曲に合わせて進んでいくので、このタイミングで次に行かないと、みたいなのが全部決まっている70分だったので、異常に集中力をもってやったという記憶しかないですね、当時は(笑)。英語にするにあたってそこがひとつの課題かもしれません。今となっては…もはや、もう一度日本人でやるなら大関れいかちゃんみたいな子がやってくれないと面白くないだろうから、そういう子をキャスティングできるならまた日本語でやってみてもいいかもしれないですね。


――2本目は新作で、チャラン・ポ・ランタンのももさんとの2人芝居で、音楽をチャラン・ポ・ランタンの小春さんが手掛けられます。こちらの現在のイメージはどのようなものになっていますか?

音楽のライブを見ていると、バラードの後にものすごいテンションの高い曲がかかったりするじゃないですか。それが良いところではあるんですけど、曲が順番に流れていくときに、バラードで泣いた後にイエーイ!みたいなのが来ると気持ちが追い付かないことがあったんです。それで「間に芝居はいってくれないかな?」って思うことがけっこうある。お芝居なのか、演出なのか…もちろん、音楽ライブにも演出家はいるんですけど、気持ちを繋ぐもっと細かい何かが欲しい気持ちがあったんです。でも、音楽ライブってお芝居に比べて稽古の時間も短いし、限界はあると思うんですけど、ライブに演出家として入るみたいなことをやってみたい気持ちが近年ですごくあったんですね。これは演劇なんですけど、そういう要素が強い作品ではあります。今回の企画は、演奏も小春ちゃんとカンカンバルカン楽団という、チャラン・ポ・ランタンのいつものメンバーに私が入る形なんですね。私の企画ではあるんですけど。劇団ごと来てもらっているようなもの。そんなことは今まで演劇で観たこともないしやったこともないので、そこが一番の面白いポイントですね。なので、私自身が本番をやっているときに「どこにいるんだろう?」ってなりそうな気がします(笑)


――曲と曲を繋いでいくようなお芝居になるんですね。

2人芝居だけど、主人公はももさんにしようと思っていて、主人公の役に沿ったオリジナルの音楽を小春ちゃんが作ってくれています。なので、いろいろな曲を繋いでいくというイメージよりは、ひとりの人の人生のお話といった感じにはなるかと思います。演劇要素は強いと思うんですが、曲調はさまざま。お芝居が入ることで一つに繋がっていけばいいなという気持ちはあります。チャラン・ポ・ランタンのアルバムってストーリーがあって、絵本を読んでいるような感覚になることが私はあるんですけど、この間ライブを観たときにすごく良かったんですね。演劇を観たときと同じような満足感があって、これは2人とやったら楽しいな、という感じでやっています。

 

――楽曲の魅力についてはいかがでしょうか。

小春ちゃんに曲を書いてもらうのは4回目で、いつも音楽メモを小春ちゃんに渡しているだけで、歌詞も小春ちゃんに書いてもらってるんですね。うちの芝居を観た小春ちゃんが「根本さんの芝居は台詞量が多いから、少し歌にした方がいいんじゃない?」って言ってくれたことが、小春ちゃんに頼むようになったきかっけなんですけど、その発想が私には無かったんですね。「曲だともっと言えるよ」って小春ちゃんが言ってくれたんです。小春ちゃんは作家が書くより、音楽家が歌詞を書いた方がいいと思っている人だし、実際に小春ちゃんが書くとすごくいいんです。私が書くと全部説明しちゃうところを、余白を持たせて同じことが伝わるように書いてくれるんですね。音楽でいろいろなことができるっていうのが、小春ちゃんとやるようになって気付いたことですね。けっこう稽古場で作る部分もあるので、今回がどんなふうになるのはこれからではありますが…。

 

――今回の2作品は「女の子のための現代演劇」というテーマをもって上演されますが、そもそも女の子ってどういう生き物だと思いますか?

難しい質問ですね。私としては、女も男も変わらないな、と思うことが多いんですけど…一概には言えないですけど、話をするのは女の子の方が好きじゃないですか。でも近年そういう境目ってなくなってきていますよね。男の子だけでパンケーキ食べに行っておしゃべりしている人もいますし、それがいいなって思っているんですね。女の子だけがやるはずのことが、男の子の当たり前になってきていて、その逆もあって。だから今回のお芝居も、もしかしたら女子よりもオジサンの共感度が高いかもしれない(笑)。それはそれでアリな結末かもしれないですけどね、女子が笑って、オジサンが泣いている、みたいな。私のお芝居のよくある現象で、女子が泣いて、男子が笑っているんですね。今回、さすがに逆にはならないと思うんですけど(笑)、いつか逆になったら面白いですね。


――男女で受け止め方の差が出がちなんですね。

さっき、オジサンっていう例を出したのも、その世代の男性にしたらすごく非現実的なんですね。「若い女の子ってこうなんだ」っていう自分の世界とは別の世界を観ているから笑えるんです。でも、当事者である女の子たちは笑えない。現実を突きつけられてるような感覚になる。それは客席を見ていて感じるところですね。


――根本さんご自身は、自分に女の子を感じる部分はどこでしょうか。

なんだろ…。朝、起きてむくんでいたら嫌だな、っていう気持ちですかね(笑)。そういうビジュアルのことのような気がします。かわいくなりたい、みたいな気持ちって女の子にはみんなあると思うんですよね。仕事する面では男性的だ、と言われることが多くて、仕事が忙しくなると普段は気にしているはずのビジュアルもどうでもよくなるので(笑)、女子として気を付けようと思っていることはけっこうあるんですけどね。きっと人から見たほうがあるんだと思います。自分ではなかなか思いつかないけれど。


――物語で描かれる、女の子の女の子たる部分は、当事者として感じていたこと? それとも客観的に見てきたことでしょうか。

客観的ですね。女子校しか行ったことなくて、すごく客観的に人を見ていたと思います。そういう子たちを見ていて、そういう女の子たちの中に入ってしまえば生きやすいだろうな、楽だろうな、とかは感じていました。客観的に見ているほうが生きづらい。今、思うとですけど。でも私の場合は車椅子だったっていう特殊な要素も入っているんで、あんまり参考になるような話じゃないと思いますね。


――上演に寄せて「全女の子の心が少しでも軽くなりますように」とコメントをされていましたが、これはどのようなお気持ちからでしょうか

自分が女なので、社会的に女として生きづらいことというのは一般的な女子と共有している部分だとは思っています。作品的に軽くなるでもいいし、観た女の子が救いになる台詞があった、でもいい。佳苗ちゃんの美術をみて豊かな気持ちになったり、軽くなり方っていうのは人ぞれぞれだと思うんですけど、楽しい時間だったと女の子が思ってくれればいい。それがめぐりめぐって演劇を観るということに繋がるといいなと思います。普段とちょっと違う自分になって帰るみたいな、ひとつの役割を演劇が担うことができたらと思いますね。音楽はスマホとかに入れて聴いて、普段の生活の中に寄り添えるじゃないですか。演劇は観に行かなきゃいけなくて、すごく腰が重いひともいる。でも一度見に行っちゃえば、フットワークが軽くなったりもするので。女の子の生活の一部に演劇がなるといいな、という気持ちはけっこうありますね。


――最後に公演を楽しみにしている方にメッセージをお願いします

2本上演していますが、2本とも観なきゃいけないワケじゃない。もちろん2本観てくださる方も嬉しいですが、繋がっているわけじゃないのでどちらかだけでも楽しい作品になっています。ハッピーな気持ちになって劇場から帰って欲しいという作品であることは両方とも変わらない。固いことをやっているわけでもないし、演劇なのか、佳苗ちゃんの個展なのか、チャラン・ポ・ランタンのライブなのか、その全部の要素が入っているので、普段は演劇には来ないという人にも楽しんで頂きたいです。約70分と気軽な長さなので、お茶に行くような感覚で来ていただけると嬉しいです。KAATは中華街も近いですしね(笑)。観た後にしゃべりたくなる芝居を書いているので、誰かと観に来て、中華を食べながら、ああだったこうだった、とおしゃべりしてくれると嬉しいです。

 

インタビュー・文/宮崎新之