ケムリ研究室 no.1『ベイジルタウンの女神』 ケラリーノ・サンドロヴィッチ インタビュー

ナイロン100℃を主宰し、演劇界を牽引する劇作家・演出家ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)と女優・緒川たまきが立ち上げたユニット「ケムリ研究室」。その旗揚げ第一回公演となる新作『ベイジルタウンの女神』が9月13日(日)に東京・世田谷パブリックシアターにて開幕する。「ケムリ研究室」はどのようなユニットなのか、そして『ベイジルタウンの女神』はどのような作品になるのか、KERAに話を聞いた。
また、インタビュー後半には、6月に発売されたKERA初の自選戯曲集『ケラリーノ・サンドロヴィッチ自選戯曲集』(全2巻)についてもコメントをもらった。

 

――KERAさんと緒川たまきさんの新ユニット・ケムリ研究室は、いつ頃から結成を考えていらっしゃったのですか?

「最初に考えたのは8~9年前なんですよ。当初、『キネマと恋人』の初演(’16年)をこのユニットの1本目に考えていたのですが、様々な事情により“今ではない”ということになり、今回ようやくって感じです」


――緒川さんはずっとKERAさんのブレーン的なところがありましたが。

「作品によっては、ほぼ共同脚本です。にも拘らずこれまでスタッフとしてはノンクレジットでした。“共作してる”ということを堂々と打ち出せる場があってもいいんじゃないかということと、ふたりでやるユニットということになれば彼女を中心にしたキャスティングができるということですかね、大きいのは」


――どんなものをやっていこうとされているのですか?

「“手作りのもの”をやっていこうというような志があります。でも今回は一本目なので派手にぶち上げようと。旗揚げは幅広い人に受け止めてもらえるものを、という気持ちで。でも二本目以降はわからない、“野外劇”とか“二人芝居”という案も出てます(笑)」


――野外劇とか二人芝居はKERAさんがやってこられなかったことですよね。

「僕はあまり自信ないんですけど(笑)。すごく大変そうじゃないですか。でも生涯で一回そういうことをやるとしたら、緒川さんとなら気楽かなという気もします。なにかが背中を押してくれないとやらないですからね。7月にやったリーディングアクト『プラン変更 ~名探偵アラータ探偵、最後から7、8番目の冒険~』もそうですし。わざわざリーディングをやろうなんて思わないじゃないですか。役者さんはみんな「全然リーディングじゃない!」と言ってましたけどね。メタリーディング(笑)」


――映像作品『PRE AFTER CORONA SHOW The Movie』もそうですね。

「そうでしたね。コロナがなかったらああいうものを「作ってくれ」と言ってくる人もいなかっただろうし」


――緒川さんはこれまでどのように作品に関わられてきたのですか?

「脚本執筆時の助言ですね。『百年の秘密』とか『祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~』とか、ああいうちょっとヘヴィー目な人間ドラマは、彼女の力が非常に大きい。」


――緒川さんが考えられている部分もあるんですか?

「ストーリーについて「ちょっとこのままの流れでいくとまずい」とかね。「このままいくとここが膨らみすぎて終わらなくなる」とか(笑)。「終わらなくなる」はよく言われますね。「あっちを着地させなきゃいけないんだから、こんなシーンを膨らませてたら絶対4時間になる」と言われて切ったりして」


――コントロールしてくれる。

「そうですね。逆にナンセンスものや不条理劇はほぼノータッチ。台本も読まない。そんな感じなんですよ」


――そこをこれから表立って一緒にやっていく。

「今回は本も最初から相談に乗ってもらいながら書くことになるでしょうね」


――ちなみにスタッフの中に緒川さんの名前はないんですね。

「“ケムリ研究室”が緒川さんと僕なので。」


――現時点で『ベイジルタウンの女神』はどの辺りまで進んでいますか?

「大枠はなんとなくできてます、珍しく。ただ、コロナ情勢が刻一刻と変化してますからね。きっと全ての状況が、嫌でもなんらかのカタチで作品に反映されてしまうでしょう。具体的に揶揄することはないと思うのですが、置かれた状況から沸き立つ感情というのは、どうしても作品に反映される。冷静でさえあれば、そうなってしまうことは良しとしています。あと、緒川さんにはそろそろ苦手な役柄というか、ガラでない役を当ててみたいな、と。劇団でも、何回か当て書きをしたら、それぞれに当て書きしたものをシャッフルして敢えて違う人にやってもらうようなことが必要になってくるんですよ。じゃないと本人もお客さんも飽きちゃうし。だから緒川さんも、本人は若干やりにくいような領域に踏み込んでいってもらったほうが、やり甲斐もあるのかなと思います」


――コメディですか?

「シチュエーションコメディです。ロマンティック・コメディとも言える。ブラックさはほとんどないから、毒っぽいものが好きなひとは若干物足りないかもしれないですけど。僕はクスクス笑うものも好きなので。でも演劇の世界では“クスクス”はコメディとしては失敗とされちゃうんですよね。映画と違って、演劇ってゲラゲラ以外は不合格になるんです。でもニヤニヤとかクスクスって、ゲラゲラとは違う良さがありますよね」


――今回はニヤニヤクスクス系。

「ニヤニヤクスクス、たまにゲラゲラ、というところを狙っています。って、これ、割といつもそうなんですけどね。」


――演出面は。

「まだあまり考えてません。制約もあるかもしれないし。そもそも稽古ができるのかが気になっています」


――そういう「できるのか」って気持ちは影響を及ぼしますか。

「どうしても及ぼしてしまいますねぇ。『桜の園』(4月に上演予定であったが、コロナウイルスの影響で全公演中止となった)は、チェーホフの原作をもとに年末から正月で上演台本にして、稽古して、劇場に入って、場当たりして、ゲネができず、そのまま解散、みたいな感じだったんですけど。もしあれが台本をフルで書き下ろした作品だったら、ちょっと立ち直れなかったんじゃないかって気がする。『欲望のみ』(6~7月に上演予定だった新作公演。全公演中止になり、前出のリーディングと映像作品の配信が行われた)は、稽古開始前に中止が決まったんですよ。でも今回の『ベイジルタウンの女神』は、現状ではどうなるかがまったくわからないでしょう? わからないけど“必ずできる”と思い込まないと、こんな大仕事、成し遂げられないですからね。自己暗示にかけてでも、できるんだと思ってやっていかないと。こんなことは初めてなので、非常に不安定な状態の中でスタートを切るような感じです」


――そうですね。

「今(7月15日)って完全に股裂き状態ですからね。感染を抑えたいと言いながら、広がるほうにどんどん進んでいる。まさに“不条理の極み”みたいな状態になってるから。経済が大切なのはわかるけど、このままいったら結局経済含めてまたもう一度すべてが止まらざるを得なくなりそうで、これ、どうするんだろうって思うんですけどね。でもやるならもうリーディングみたいなやり方はしたくない。仕切り板とかない状態でやりたい。客席は安全第一として、舞台上の制約をあまりつくると演劇にならないなって思いはあるので。そういうものが遂行できたらいいなと思いますけど、こればかりは祈るしかないです」

――先日、初の自選戯曲集『ケラリーノ・サンドロヴィッチ自選戯曲集』(全2巻)が早川書房から発売されました。2008~2018年にナイロン100℃で上演した5作品(「シャープさんフラットさん 」「2番目、或いは3番目 」「社長吸血記」「ちょっと、まってください」「睾丸」)と、2009~2017年にシアターコクーンで上演した3作品(昭和三部作/「東京月光魔曲」「黴菌」「陥没」)を、加筆修正のうえ収録ということですが。

「僕の家の本棚には80年代に出た戯曲集がたくさん並んでて。北村想さんとか野田(秀樹)さんとかね。一番多いのは岩松(了)さんと別役(実)さんかな。あの頃はよかったなと思うんですけど(笑)。今は戯曲集は商売にならない。そんなご時世に、よくぞ旧作をまとめた戯曲集を出してくださったなと、早川書房さんにはとても感謝しています。戯曲って、本当はその公演の初日に並ぶのが一番売れるんでしょうけど、僕の場合は台本を書くのが遅いからそれがなかなかままならなくて」


――演劇が好きでも戯曲を読んだことない方も多いのではないでしょうか。

「戯曲って慣れないと読み難いのかもしれませんけど、生で見たり映像で観るのとはまた違う楽しみがあると思います。そこにはビジュアルもなければ音もないわけですからね。読者それぞれが脳内で再現する。文字から汲み取る楽しさがある。あるいはそれを知ってしまっている人は、文字で読んだときとの差異を楽しめると思います」


――ご自身の戯曲が文字で残るというのはどうですか?

「そうしたくない作品もありますけど(笑)、でもやっぱり文字で、というか紙で残したいんですよ。印刷物フェチとしては。何十年か後の人に読んでもらいたいからという理由ではなく、自分のした仕事を紙で残したいんです。だから旧作の戯曲集を出してもらえるのはとても嬉しい。」


――デザインも素晴らしいですね。

「この“コデックス装”はずっとやりたかったんですけど、ある程度分厚くないと効果が薄いので、これまでできてなかった。この表紙の写真も、途中までは2冊ともカメラ目線の、もうちょっとカッコつけたやつだったんですけど。緒川さんがひっくり返したんですよ。こんな写真を選ぶと思わなかった(笑)」

――久しぶりに読まれたものもありますか?

「それぞれの中で一番古い作品はすっかり忘れてましたね。『シャープさんフラットさん』とかはもう単純に「どうなるんだろう、この後」とか思いながら読み返せたので面白かったです(笑)。読んでいると、今の自分にこれは書けないんじゃないかなとか思ったり、一方でここ下手くそだなと思ったりもあって」


――そういうところは、手は加えずに?

「うん。きっとその時の自分も、ある程度自覚しながらも、やりたくてやったことだったかもしれないしね。冗長さが必要だと思ったのかもしれない、とか、敢えて鮮明にしなかったのかもしれない、とか、考えてあげながら(笑)、当時の自分を尊重してあげたい気持ちがありましたね。でも本当に、よくこんなに書いたなと思いますよ。量もそうだけど、そこにある世界が全部違う。よくひとりの人間からこんなに出てきたものだと感心します。僕は1日に数ページかしか書けないので、“積み重ね”というものをすごく感じます。振り返ると、これ以外にも百数十本の作品が残っているわけで。その中には、うまくいったものもいかなかったものもあるし、好きになれたものもそうじゃないものもある。出来が悪かったからと言って嫌いかというとそれは決してイコールではなかったりする。でも、30代前半の頃には、ある時振り返ると、そこにたくさんの作品が積み重なってるっていうことを理想としていた。その通りになりました。とはいえ20代の「劇団健康」時代のものはちょっと、あまりにも恥ずかしくて(笑)。その頃の戯曲集も3冊出ちゃってるけど、自分の中では抹消したい」


――KERAさんが趣味として戯曲を読まれるときの楽しさってどんなものですか?

「その作家によりますけどね。別役さんの戯曲は、読み出しは力がいるんだけど、あっという間に引き込まれる。『なんでこんなもの書けるんだろうな』って思う。別役さんは僕にとっては、永遠に辿り着かない先生なんですよ。自分にはできないことをやってるってわかるし。それをわかっていながら、やっぱりお手本にしちゃう。きっとこれからも、何本かに一本は「別役路線」を書くと思います。岩松さんの初期の、竹中直人さんとやってた頃の作品……特に東京乾電池の“岩松了町内劇シリーズ”3部作(「お茶と説教」「台所の灯」「恋愛御法度」)とかは、本当に面白いですよ。引っかからないように引っかからないようにして書かれている。『ここ、笑うところですよ』というふうにならないように書いているのがわかる。全部を等しい価値として書いてるのがとっても面白くて。当時観ているものもあるんですけど、もう忘れているので。若かりし日の柄本明、ベンガル、綾田俊樹の姿を浮かべたりして読んでます。北村想さんや生田萬さんの戯曲は、読んでいると、その作品自体より、当時のスズナリ(劇場)とか、80年代の、自分が劇団を立ち上げるちょっと前のスズナリの空気とかを思い起こしますね。ギャグはひどいけどね(笑)。あの頃の小劇場の人のギャグってひどかった。力技と駄ジャレばっかりで(笑)。でも生で観ると、お客は圧倒されたんですよね。」

 

インタビュー・文/中川實穗
撮影/村上宗一郎