田中泯『村のドン・キホーテ』12月に東京芸術劇場プレイハウスで上演。メッセージ到着!

2020.11.19

地を這う前衛・田中泯が満を持して挑むのは“ドン・キホーテ”。身体、そして知のフィールドで冒険を共にしてきた盟友・松岡正剛と再びタッグを組み、目指すは“宿命の荒野”。トポスに踊る田中泯、ロゴスに遊ぶ松岡正剛。ダンサーと編集工学者、“意身伝心(※1)”の二人によるコラボレーションは、どんな「見果てぬ夢」を描くのか。『村のドン・キホーテ』――コロナ禍を凌駕する企みに満ちた企画に期待!

「我は求める。死の中に生を
労(いたつき)の中に健やかさを
獄(ひとや)の中に身の自由を
幽閉の身に舞い上がる翼を」
~ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』前編より

人間はなぜ、古代より踊りを踊ってきたのか?田中泯の活動の根底にある、一貫した「踊りの起源」へのあこがれとこだわりはとどまることを知らず、身体の「生きる場所」そのものにも疑いを持ち、踊り続けてきた。その時々に執着した「形」は、ダンスといわれる枠をはるかに超え、世界中で披露されてきた……。

そんな田中泯が、2006年以降の劇場公演からの離脱に終止符を打ち、2018年11月東京芸術劇場の舞台へ「形の冒険」として戻ってきた。さらに、2020年1月『形の冒険II – ムカムカ版』を上演、オーディションで集まった若者たちと協働するという舞台づくりにも果敢に挑戦。

しかし、その後に全世界を瞬く間に覆った新型コロナウイルス感染拡大。ニューオーリンズ、ニューヨーク、パリ、そして日本各地で予定されていた踊るべき場を奪われた田中泯は、住まいのある山梨で田畑を耕し、作物の種を蒔き、茶を摘みながら、静かに自らと向き合う時間を過ごしていたという。

劇場で踊ることは、どんなダンスでもスタッフが関わる、踊りを共にする者もいる、そうした関係者や観客の安全を考えると、公演をすることに逡巡する思いもあったという田中泯だが、それでも「世界はこれでいいのか、人類はこれでいいのだろうか」という、沸々とたぎる思いを抑えきれず、敢えて再び舞台に立つという決意に至った。

そんな時、長きにわたって知と身体を巡り、様々な表現、文化、アートの場面で交流を続けてきた盟友・松岡正剛が自著新刊『千夜千冊エディション 物語の函』の口絵撮影を田中泯に持ち掛けた。その『物語の函』の内容は、オデュッセイアー、神曲、リア王、ドン・キホーテ、カラマーゾフの兄弟―― ギリシア古典からロシア文学まで、まさに松岡の世界読書術の極みというべき知のタペストリー。松岡はその口絵で田中泯をドン・キホーテとして登場させた。セルバンテスの創造したドン・キホーテの世界、それは単なる奇矯な人物の冒険譚ではなく、尊厳ある人間の観念を通して見た社会の矛盾や不合理への批判にこそあり、まさに田中泯がその“オドリ”を通して希求してきたものでもあった。

『意身伝心 コトバとカラダのお作法』という濃密な対談本を出している松岡正剛と田中泯、2015年にはパルコ劇場で『影向 yowgow』という舞台を共にしていた二人にとって、まさにこの瞬間、運命の羅針盤は「ドン・キホーテ」を示していた。再び始動した奇縁の二人のコラボレーションは「見果てぬ夢」か「運命の書」か、『村のドン・キホーテ』、その行く末は、是非舞台でお確かめください。

「では、耳をすまして聞きたまえ
美しき調べをなさぬ騒音を
苦渋に満ちたこの胸の奥より
僕を癒し君を苦しめんとして
狂おしく迸(ほとばし)り出る騒音を」
~ミゲル・デ・セルバンテス『ドン・キホーテ』前編より

田中泯 メッセージ

©Rin Ishihara

コロナ禍の中で活動停止を余儀なくされた時、「何故、踊りなんだろう」とか「何故、僕は踊りを始めたんだろう」とかそういうことばかり考えていました。その時、自分の中で何か突起してくる感覚があって、ふと「ドン・キホーテ」を踊ってみたいと思ったんです。そして400年も前から不思議な愛され方をしてきた「ドン・キホーテ」を演るにあたって、親友の松岡正剛に言語演出を依頼しました。言語の達人である松岡の言葉は実に刺激的ながら、一方で踊りが言葉として解釈されたり、伝わるものではないという確信も自分なりに深めています。

僕の踊りは常識破りの踊りで、言ってみれば技術に頼らない踊りです。それは踊りというものが、本来、心から始まっていると思っているからです。ひょっとしたら、人類が言葉を必要とするきっかけになったのが、踊りではないかと思ったりもしているんです。このコロナ禍の中でも、何かを探したり、これから生きるきっかけを見つけたり、僕らは自由に考え、自分の感覚を開放していくこともできる。ライブでご覧に入れる踊りには、そういう要素がいっぱいあると思っています。

松岡正剛 メッセージ

©Tomakazu Sasaki

西方の思想を集約したのは、ダンテ、ボッカチオ、セルバンテスである。壮絶なキャラクターを表出してみせたのは、ラブレーのガルガンチュア、シェイクスピアのリア王、セルバンテスのドン・キホーテだ。これですべてだ。田中泯には、いつかこの西方の途方もない格義を日本に引っぱってくる骨舞を踊ってほしいと思っていた。ドン・キホーテでいくと言う。快哉だ。かくて赤土の関東平野の背後に迫る村々に、ミン・キホーテが出現することになった。少々、言葉のほうでお手伝いをした。石原淋にも託した。たのしみだ。

途中、田中泯が長い棒で踊る場面がある。体と棒とが一緒くたになって空中に文字を綴る。ひそかに三文字の漢字をあてがった。想像してほしい。

 
 

(※1)‥田中泯・松岡正剛「意身伝心 コトバとカラダのお作法」(春秋社・2013 年)より

©宣伝美術:町口覚+浅田農(MATCH and Company Co., Ltd.)/宣伝写真:平間至

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