「できれば生で届けたい」小沢道成×中村 中が語るEPOCH MAN『オーレリアンの兄妹』

俳優・小沢道成が演劇をゼロからつくる企画「EPOCH MAN」による新作公演『オーレリアンの兄妹』が2021年8月13日(金)から22日(日)まで、東京の下北沢・駅前劇場にて上演される。

およそ2年ぶりの新作となる本作は、ミュージシャンでありながら俳優として映画や舞台でも活躍中の中村 中との二人芝居。小沢の作・演出・美術×中村の音楽によって、“現代に生きる『ヘンゼルとグレーテル』の物語”が生み出される。

果たしてどのような作品となるのか、今回は、型破りの「プレイガイド横断企画」として、3つの記事が続きものとして配信中。そのラストとなるローチケ編のテーマは、「ふたりだからできるもの」。もともと友人同士という小沢と中村だからこその言葉を聞いた。

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自分の物語と作品は離さないと演じられない

 

――EPOCH MANの前回公演『夢ぞろぞろ2021』のパンフレットに、本作のために滋賀に行ったということを書かれていましたね。

小沢 はい。滋賀県に「オーレリアンの庭」という場所があって、そこに行きたかったんですよ。タイトルにもなっている「オーレリアン」という言葉を知ったのもこの庭なんです。

 

――チラシには「オーレリアンとは“蝶を愛する人”のこと、または“金色の蛹(さなぎ)”」という言葉がありますね。

小沢 台本を書こう、さあどうするってことを考えているときに、たまたま姉から「オーレリアンの庭」という場所があるよと聞いて。調べてみたら「この場所には行きたい!」と思うような場所で。すぐに連絡をして、普段は見学できない場所なのですが取材をさせてもらうことができました。それでこの作品のヒントにした、という感じです。

 

――この作品は家庭内暴力などもテーマのひとつとして描かれていますが、そこと庭が関係あるのですか?

小沢 いえ、決して暴力に関連する場所ではないです。「オーレリアンの庭」は蝶や昆虫が集まるような美しい庭なんですけど。関係しているとすれば、そこで生きる蝶の生態です。この庭を作られた今森光彦さんの写真集「オーレリアンの庭」には「蝶がたくさん棲んでくれる庭は、植物が豊かな証、つまり多様な生きものが暮らせる環境にも恵まれている」と書かれています。僕はその言葉に感動をしました。その環境があるから生きている蝶や昆虫もいるわけですね。僕たちも同じだなと思いました。整えられた環境がないと、集まることも生きることもできないわけです。

中村 家もそうだし、家族もそうだよね。

小沢 そう。そして蝶と蛾の違いもこの物語にとても関係しています。それが暴力ともつながってくる話だと思っているんですけど。

 

――そこはこの作品の中でも描かれますよね。そこに『ヘンゼルとグレーテル』が重なってきて。

小沢 そうですね。この物語は、『ヘンゼルとグレーテル』でいうところの“おかしの家”に辿り着いたところから始まるんですけど、そこにさあ美味しいものがいっぱいあるぞ!となって、魔女みたいななにかが出てきて、その魔女みたいなものをどう退治するかっていう構成はそのまま残しています。魔女をどうかまどに押し込むか、みたいなことも、観る人にとってはあまり大事ではないんですけど、僕にとってはガイドラインになりました。

 

――さらにベースには中村さんの思いも存在するわけで。

小沢 中ちゃんが実際に話してくれたことで響いたものを、僕がこの登場人物に置き換えて書いたりもしているので。これはおそらく中ちゃんへの当て書きという意味合いになるのかなと思います。

 

――改めて、ものすごい脚本だなと思います。そうやってできたものを中村さんは「見事」「救いがある本」とおっしゃっていましたが、演じ手としてはどう感じていますか?

中村 さっき二度目の本読みをしたばかりなのですが、実は先月やった一度目の本読みは全然うまくいかなかったんですよ。その理由がさっきわかって。この作品をみっちー(小沢)が書くにあたって自分の子どもの頃の話とかもけっこう詳しく話したこともあり、つい自分に当てはめてしまっていたんですよね。あまりにも「自分だったらどう思うか」みたいなことを考えすぎて、前回は全然作品の中に入れていなかったんです。

小沢 ああ、そうだったんだ。なるほど。

中村 今みっちーは「当て書き」と言ってくれたのですが、私はこの本、もうそれを超えている感じがしています。だから、自分の子どもの頃のしこりみたいなものから離れて、演劇として挑めそうです、今は。

小沢 そっか!

中村 うん。さっきの本読みで、自分の記憶からは離れた感じがしました。

小沢 素敵っ! いいと思う!

中村 いいですか(笑)。

小沢 うん。やっぱりそこは離さないと難しいんですよ。それに中ちゃんにとって、それは得意なことなはずなの。だって自分のエピソードをもとにつくった歌でそれができている人だから。僕自身はその「離す」ってことが難しいタイプなんですけど。ひとつ入っちゃうとそれしか思えなくなっちゃうから。でもそれじゃいけないので。

中村 そうなんだよね。人に見せるものにしなきゃいけないから。

小沢 でも本当に、離すのが難しいんだよね。逆に言えば、自分の感情をそのまま言えるんだったら簡単なんですけどね。吐き出すだけなので。

 

とにかく生で、この痛み、喜び、希望を感じてほしい

 

――この作品で見たいお互いの姿ってありますか?

小沢 (ソッコーで)はい!

 

――小沢さんどうぞ(笑)。

小沢 今年の2月に中ちゃんの『LIVE2021僕らは半人前・改』という生配信ライブを観たのですが、すごかったんです。その中で「予動」という曲を聴いた時の、あの衝撃は忘れられない。中ちゃん自身が常に考えていて身体に沁みこんでいるものがステージで表現されていたから。中ちゃんの身体からしか絶対に出てこないよねってものを観られたからだと思う。だから画面越しで「うおー、すげー!」って涙を流しながら震えたんですけど。今回、そういうことを演劇を通してできれば超いいんだろうなって。さっきと逆のことを言うようですが、いい意味で役とかどうでもいいというか……僕たちが感じるままにやってみようというか。その人が感じているものがそのまま出たほうが、ライブに近いので。「中村 中がライブでやっていることの演劇バージョン」みたいな、ズシンと突き刺さるものができる可能性のある台本になったんじゃないかなとちょっと思っています。

中村 うん、うん。

小沢 だから、「人生が見たい」って感じ。

中村 私はなんだろうな。「見たい姿」って難しいな。みっちーは、トータルコーディネートしているものがいいなと思うから、言ってしまえば全部気になるんですよ。さっきも舞台の模型を見せてもらったんですけど、自分の手で作っているんです。それで「壁の色どう思う?」なんて話をされて。私は嬉しかったです。そういうのが毎日楽しいので、見たいことと言えば、そういうのが全部見たい。見たいというか、今既に見ていて楽しいです。

小沢 さっきも、「劇場をサラウンドみたいにしよう」っていう話をしてたんだよね。

中村 (立体的な音が聞こえる)5.1chみたいにね。

小沢 映画館で後ろから音が鳴ったりするじゃないですか。そういうことを劇場でできたらいいなと思っていて。今回の音響の鏑木知宏さんも、そういうのは楽しんでやってくれる方だと思うので、お客さんがびっくりするようなことをしたいです。劇場まるごと劇世界に取り込むようなことができれば、目も耳も五感全部を使えるようなものになるんじゃないかなと。

中村 みっちーは、このコロナ禍でも劇場に足を運んでくれる人のために、この場所だからこそ感じられるものをつくりたいと思っているから、そういうアイデアが出てくるよね。

小沢 そうだね。僕は正直、今回はできれば劇場で観てほしいと思っているんです。万が一、この公演の時期に無観客上演しかできません、ということになったら、今回は中止、もしくは延期にするかもしれません。いや、そんなことを言ってはいけないのですが、そういう作品です。前回上演した『夢ぞろぞろ』とかならやると思うんですよ。生配信というカタチで楽しめる方法を模索すると思うんですけど、『オーレリアンの兄妹』に関しては、どうしても生で感じてほしい。僕たちも生でぶつかっていくので。だからこの初演は、生で観てほしいのが正直なところです。とにかく生で、この痛みだったり、喜びだったり、希望みたいなものを感じてほしいなというのがあります。

中村 わかるよ。

小沢 今回の家庭内暴力もそうですし、僕、こういう世界で溢れている問題を、テレビ越しで見ている感覚しか知らないというのがちょっと嫌なんですよ。THE BLUE HEARTSの「青空」じゃないけれども、“ブラウン管の向こう側”で起きていることじゃなく、今、目の前で起こっている出来事を生で感じ合ってみたいなと。それは僕のわがままで理想ですけどね。

中村 うん。私もそう思う。

 

――劇場で観劇することを楽しみにしています。今日はありがとうございました。

 

取材・文=中川實穗
撮影=石阪大輔