パルコ・プロデュース2021『ザ・ドクター』主演・大竹しのぶインタビュー

休むことなく舞台に立ち続ける大竹しのぶが、早くも今年の4作品目を数える、パルコ・プロデュース2021『ザ・ドクター』に主演決定。互いに絶大なる信頼を寄せあう栗山民也の演出により、海外新作舞台を日本で初上演する。2年前のロンドンで彼女も実際に観劇し、主演女優のエネルギーに釘付けになったそう。「まさか自分がやるなんて…!」と驚きつつ、このエリート医師の役を演じることを心待ちにしていると言う。いまどきらしくリモート取材となり、「実際にお会いしてお話したほうがお伝えできるのに」と心配げだったが、ひとこと語るたびに想いの厚みと熱量は増した。インタビューから「いまこそ上演すべき作品」であることがわかるはずだ。


――ロンドンのアルメイダ劇場でご覧になっての感動とは、どんなものだったのですか?

大竹「2年前の2019年、たまたま初演のときでした。いますごく評判の芝居があるから観ておいたほうがいいんじゃない?と友人に勧められ、急いでチケットを取って、あらすじは読んで行きました。言葉はよくわからなかったのですが、主演の女優さんだけでなく、出演俳優さんみなさんに感動して、お芝居ってすごいな!これが演劇なんだ!と思いました。帰国して俳優のお友だちにも沢山話したのを覚えています。」


――具体的にはどのような点ですか?

大竹「演出の細やかさですね。11人の会話劇ですが、その表情や、首の傾き方で、今、なにを思ってたかがわかるんです。セリフを言う人だけでなく、セリフを聞く人のリアクションで、彼らの意識や立場までわかる。それがすごくおもしろくて。言葉がわからないから、余計にそう思ったのかもしれません。みんながリアリティをもって演じていたのがショッキングでした。もちろんいい意味の衝撃ですよ。つまり全員、芝居がうまい、そして細やか。役者みんながある水準に達していて、そしてみんなで作っている感が伝わってきて、素敵でした。」


――感銘を受けた作品に出演することについては?

大竹「よく、海外のお芝居を観るときに、自分にできる作品はないかなと探したり、こういう作品や役をやりたいなと思う、という話を聞きますが、わたしはまったく思わないんです。この『ザ・ドクター』も、素敵な女優さんだな、歳も一つ違うだけか、こんな風に理知的になってみたいな、という感想は持ちましたが、それ以上のことは考えてなくて。だから、オファーされて初めて、ハッ!あれかぁ!とびっくりしました。ええ~、こんなことあるのか~、と。『ピアフ』もそうでした。お話をもらって、あ!前に観たことがある作品だ、ええ!わたし!?と。観ているときは自分ができるとかぜんぜん思わないから、出演が決まって、それから脚本を読んで、ハッ!こんなすごい話だったのか!とさらに驚いて、とてもうれしいです。」


――エリート医師の役で、アイデンティティ、信仰、階級格差、ジェンダーとさまざまな要素が混在しますが、こうした題材のおもしろさをどのように思いますか?

大竹「人間ってこんなにもいろんな問題があったのか!と。宗教、医療はもちろん、医療現場とその裏、差別。現代人が抱えるありとあらゆる問題が含まれていますよね。宗教については、日本人には理解しづらい点もありますが、そこはこれから栗山さんと創っていくことになります。わたしたち現代人のみんながわかる問題ばかりだから、人間とはこんなにも問題を抱えて生きていかなくちゃならないのか……!と思いました。作者(ロバート・アイク)は、なんでこんなにいっぺんに問題を提示するんだろう!しかも答えは出してくれない。そこが、おもしろいのですけど。」


――社会派現代劇は久しぶりと聞きましたが。

大竹「そう言われて、ああ、そうなんだ、と思いました。いつも意識していないんですよ。この間までやっていた『夜への長い旅路』は100年くらい前の作品で現代劇ではなかったし、それこそ、ギリシャ悲劇でもシェイクスピアを演じても、これは現代劇ではない、という自覚はないんです。たとえば、旦那さんが浮気して激怒した妻がその子どもまで殺してしまうギリシャ悲劇「メディア」も現代に充分あり得る話ですし。そう思うと、人間はやっぱり変わらないなあ、何千年も進歩していないんだなと思ったりして(笑)。ただ、現代劇は、よりリアリティを求められます。11人の役者同士のセリフの言い合いが本物でないとつまらない。古典だからとは逃げられない。リアリティを追求したいです。」


――この作品はディベート劇と呼べそうな会話の応酬です。ディベートはお得意ですか?

大竹「ふだんはぜんぜん無いですね。「まあいいか」が座右の銘ですし。自分と違う意見を言われても、そんな考えもあるんだな~、と思うだけで。ただ、お芝居の場合、海外作品はとくに自分の意見を言うセリフが多くて、そこは楽しいですね。日本人なら、間、とか、表情でわかってよ、が多いけれど、それが無いのもおもしろいんです。」


――ロンドンで観劇されたときに話を戻しますが、主演の女優さんにエネルギーや美しさを感じたそうですが、どんな美しさでしょうか。

大竹「強く、信念があって、必死に生きているけれど、その裏に抱える淋しさや弱さも見えてくる。そんなイメージでしょうか。強さのある美しさ、ですね。自らの信念にのっとり、人から敵意を持たれたとしても前に進む。強さをすごく感じます。」


――ご自身とは反対のイメージですか?

大竹「そんなことはないです。強いですよ、わたし(笑)。さっきは「まあ、いいか」が座右の銘だと言いましたが(笑)、いまここで自分の意思を曲げたらいけないと、ハッキリ意志表示をすることもあるんです。それが特にお仕事の場面なら、わたしのわがままとかいう問題ではすまなくて、チケットを買って舞台を観にきてくださるお客様に申し訳ないことになるかもしれない。そんなことになったらダメ、嫌です。お客様のことを思うと、がぜん力が湧いてくるんですよ。正しいと信じるものに対してはきちんと意見を言う。生きている間に何回もあることではないかもしれないけれど、そのときがきたら、絶対に言える人間でありたいとわたしは思います。自分の意見を持たず、ただ生きていく、というのには絶対になりたくない。わたしの父もそうでした。自分が守りたいもののためには、非難や中傷を受けても守りぬく人間でありたいです。」


――栗山さんの演出だからこそできるものづくりを教えてください。

大竹「すごく細やかな演出をしてくださいます。この作品、わたしがロンドンで観たときも思いましたが、舞台の作りや、役者の立ち位置とか、すごくおもしろかったんです。栗山さんならきっとフォーメーションを美しく、そして内面的な部分も細やかに作ってくださる。舞台転換もどうなるだろうって楽しみです。」


――大竹さんが栗山さんから得ているものとはなんでしょう?

大竹「栗山さんの演出の最初は『太鼓たたいて笛ふいて』で、毎日が楽しくて楽しくて、学校に通い始めた小学生みたいでした。もちろん井上ひさしさんのセリフも素晴らしいし、栗山さんのつける一つひとつの演出が、今日もまた得しちゃった!またもらえた!という感じなので、スキップしながら稽古場に通っていました。本当に出会えてよかったです。最近、細やかな動きまで演出してくれる演出家は減ってしまって(わたしが怖いのか・苦笑)、栗山さんがいてくれてうれしいです。いいお芝居をすると、栗山さん、稽古場で本当にニコニコになるんです。反対にお芝居がよくないと機嫌が悪い。栗山さんのニコニコ顔が見たいんです。」


――スキップするお稽古場でありますように。

大竹「ちゃんと幕が開けばいいですよね。」


――開きます。みんな学んできているはずだから、そろそろ、こうした中でもやっていく道を見つけていかなければと。

大竹「そうですね。みなさん、それぞれのオフィスにいるんですか?つまんないですよね、人に会いたくなりません?わたしもリモート取材が多くなりましたけど、なんか、淋しいです。」


――俳優と、客。それこそ劇場は、生身の人間同士の邂逅ですね。

大竹「映像は細かなカット割りの連続だから、表情とか場面とかも監督の決めたカットでしか見られないけれど、生の舞台は、この人はこのときなにを考えているのか、セリフを言うほうではなく言われるほうのリアクションはどうなのか、自分でチョイスして観ることができます。とくに今回のような会話劇で、そこは大きいです。それが演劇のおもしろさで、これが演劇なんだ!と、最初にお話したところにつながりましたね。」

 

インタビュー・文/丸古玲子