箱田暁史インタビュー|新国立劇場『イロアセル』

 

「痛快なエンターテインメントとして表現できれば」

2011年、劇作家・演出家の倉持裕が新国立劇場に書き下ろした『イロアセル』(演出・鵜山仁)。出演者全員をオーディションで決定するフルオーディション企画の第4弾として、約10年振りに、今度は倉持裕の新演出で上演されます。物語の舞台は、言葉に固有の色がついていて「すべての発言が可視化されてしまう」島民たちが暮らす小さな孤島。この島に変革をもたらす囚人役を演じるのが、劇団「てがみ座」の俳優・箱田暁史さんです。自ら「この人物を演じてみたい」と志願し、オーディションに臨んだ箱田さん。今作に寄せる想い、そして、公演に向けた意気込みなどを語って頂きました。

 

ずっと主役をやる機会を窺っていた

 

――まず始めに、箱田さんがキャストオーディションを受けた経緯について聞かせて下さい。

上演台本に魅力を感じたことが大きいのですが、実はもうひとつ理由があります。自分が劇団で主役をやった(※てがみ座 第10回公演『汽水域』2014年)のが7年前になるので、ずっと主役を演じられる機会がないか、と窺っていたんです。長田(育恵/てがみ座主宰)さんに「そろそろ劇団員のみの公演とかどうですか?」なんてほのめかしたり(笑)。この公演はフルオーディションだし、大きなチャンスだと思い、エントリーシートも「主人公がやりたい」という気持ちをしっかり込めて提出しました。

 

――オーディションの合格は、どこで、どのように知りましたか?

電話がかかってきた時は、焼肉屋さんで食事をしていました。慌てて外へ出て、電話を受けて、帰り道は飛び跳ねながら帰宅しました。(※ここでスタッフより「電話口の受け答えは冷静そのものだった」と指摘され……)。えっ! そうでしたか!? いや〜、焼肉屋の階段の隅で換気扇がゴウゴウ鳴っている状況で電話に出ちゃったもので……。そんな事情でした、スミマセン。でもホント、嬉しくて飛び跳ねていましたよ(笑)。

 

てがみ座入団のきっかけは「土っぽい俳優」

 

――箱田さんは「てがみ座」という劇団に所属しています。てがみ座はご自身にとってどんな劇団ですか?

てがみ座は、長田さんが自分の戯曲を上演するために作った劇団で、彼女が見知った俳優たちを招き入れ、徐々に膨らんでいった団体なんです。元々は大学の同級生だったとか、そういう繋がりもないので、演劇をやる時のみ集まる感覚ですね。長田さんはいつも締切に追われていますし、俳優たちも各々バラバラに活動していて、公演がある時だけパッと集まる。そういう緩めの繋がり、風通しの良さは、僕にとって居心地が良いです。

 

――長田さんとの出会いはどのように?

長田さんが「土っぽい俳優」を探している時に、共通の知人を介して知り合いました。五反田のカフェで「初めまして」みたいな。その時は客演として公演に参加して、後に劇団へ誘ってもらいました。

 

――「土っぽさ」を求められての入団?

どうですかねぇ?(笑)。最初はアーシー(earthy)な役でしたが、その後はお坊ちゃんとかエリート青年役もやったので、アーシーさのみを求められた訳じゃないのかも。主役をやらせてもらった『汽水域』では、ややアーシー感があったかな(笑)。

 

あの役は自分でもずっと観ていられる

 

――てがみ座といえば評伝劇に定評のある団体です。てがみ座で演じられた役の中で、印象的なものを教えて下さい。

先日もリーディング公演をやったのですが(※交響朗読劇『空のハモニカ ~私がみすゞだった頃のこと』2021年)、金子みすゞの弟役は印象的です。劇団公演のDVDで唯一まともに観られる。自分が役を演じている姿って、何となく気恥ずかしくてあまり直視できないんですよ。でもあの役はずっと観ていられる。それから、『汽水域』も印象的です。日本人とフィリピン人のミックスの男性役でした。

 

――その「気恥ずかしく感じる/感じない」の差はどこにあると思います?

いや〜、何でしょうね? 特に昔の映像は「コイツ、さっきから何やってるの?」と感じちゃう。

 

――ご自身に厳しい?

いやいや、そんなことないです。でも……「何を考えてこんな動きをするのだろう?」みたいな。とはいえ、最近は段々と観られるようになってきました。

 

準備したものを早くみんなの前で試したい

 

――『イロアセル』のお話に入ります。脚本は倉持裕さんが2011年に執筆。読まれた感想を聞かせて下さい。

囚人は檻の中から島のみんなと接触するので、つまり「境界が引かれている」状態ですよね。そこで行われる情報のやりとり、探りを入れたり、入れられたり、そういうスリリングな展開を味わう作品なのでは? と感じました。もちろん「SNS時代の弊害」というテーマも感じ取れますが、僕個人は、その「境界線」で起こる攻防・せめぎ合いに関心があります。演劇も、これと似た構造を持っていて、舞台上と客席に分けられて、直接触れたり、呼びかけ合うことはできない。それをどうやって乗り越えるか? という所で勝負していく。そういう意味で、脚本そのものに疑似演劇的な魅力を感じています。とても面白い台本です。

 

――箱田さん演じる「囚人」は物語の中核を担います。現在の心境として、期待のワクワクと緊張のドキドキでは、どちらがより濃いですか?

ワクワクが大きいです。エントリーシートの志望動機を読んでもらい、その解釈に沿った芝居を心掛け、その上でオーディションに合格している。この事実が、ほんの少しだけ安心材料になっています。この方向性である程度正しいはずだから、今はこのまま掘ってみよう、深めてみよう、そんな心境です。自分が準備したものを早くみんなの前で試したい。

 

――ドキドキはいかがです?

それは勿論(笑)。オーディションでお見かけしたり、本読みをご一緒したりはありますが、とはいえ皆さん初めましてなので。そのドキドキはありますね。

 

囚人の内面は虎視眈々と逆転を狙っている

 

――現時点で「囚人役に向けて意識したいこと」があれば教えて下さい。

……改めて質問されると考えちゃいますね。あまり整理できている訳でもなく、今は風呂敷を広げて準備している感覚なのですが、ええと……。個人的に、一発逆転の話、ビジネスチャンスっぽい話だと捉えています。

 

――興味深い切り口ですね。是非続きを。

自分と異なる文化が支配している場所にいて、その文化に根を張っていない人間だからこそ、それらを客観的に見ることができる。そういう差異にビジネスチャンスがある……らしいです。囚人はそういう目線で、この世界を見ている。何の犯罪で捕まったのか分かりませんが、おそらく詐欺とか、そういう犯罪だと想像していて。

 

――なるほど。言われてみれば、確かに知能犯っぽいかも。

おそらく最初から、一発逆転してやろう、ギャップに飛び込んでひっくり返してやろう、そういうチャンスを欲していた。外見は礼儀正しく、でも内面は虎視眈々と逆転を狙っている。

 

――成り上がりの物語という解釈。

一発逆転を狙う人々が出てくる映画って沢山あるじゃないですか。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013年)とか。囚人役について考えると、そういう話にも受け取れるなぁ、と。

 

本を読んだ時、「これは僕だ。この役をやりたい!」と思った

 

――今作の「囚人」と、箱田さんご自身について、似ている点、あまり似ていない点を教えて下さい。

似ている点は結構あると思います。「このオーディションに受かれば主役ができるかも!? 一発これに賭けてみよう!」みたいな。……いま気づいたけれど、このインタビューの文面だけ読むと、僕がめちゃめちゃ主役をやりたい人だと思われちゃう(笑)。必ずしもそういうわけではないですけど、せっかくのチャンスなので!

 

――類似点のひとつとして「一発逆転を狙う人」。

本を読んだ時に「これは僕だ。この役をやりたい!」と思いました。

 

――「野心家」という解釈もできますね。

野心家と言っても、僕自身は絶えず努力をしているとか、自己研鑽を積むタイプではなく、割とのんびりした人間ですが(笑)、囚人役にコミットするのなら、そういう面かもしれません。

 

――似ていない点はどうでしょう?

あまり似ていないのは……、内心を明かさない感じかな? 劇中に「囚人の化けの皮が剥がされる」というシーンはないけれど、誰に対してもきめ細やかに接して、重要な話を引き出せる。そこは尊敬できるし、単純にすごいと感じています。

 

囚人は最初から自由なのでは?

 

――囚人役として「共演が楽しみな役」は?

囚人は全ての役柄と絡むので、全員楽しみですが……、バイツさん(西ノ園達大)とのシーンかなぁ。囚人は誰に対してもにこやかで、オープンに接しているけれど、バイツさんのみ、看守さん(伊藤正之)と一緒に少しからかうようなシーンがあるんです。そこはちょっと楽しみですね。どうやって盛ろう? みたいな。あくまで台本上の印象ですが、この本は登場人物の心情を吐露する機会は少なめで、てがみ座の台本は逆に心情を吐露する台詞が多い。

 

――長田さんは「登場人物の心の叫びを台詞にしたい」と仰いますね。その意味で、劇団員の箱田さんが異なるアプローチに挑むことが『イロアセル』の見所のひとつと言えます。

そうかもしれません。今はとにかく、風呂敷の上に材料を並べて、どれでも選べるようにしている状態。最終オーディションの時、アズル(永田凜)というキャラクターに対して囚人が長めのモノローグ(独白)を喋るシーンがあり、その時に少しだけ挑発するニュアンスを含めたんです。そうしたら倉持さんから「もっと誠実に、心からそう思っているよう演じて欲しい」と言われて、なるほどと思いました。例え囚人が一発逆転を狙っていたとしても、それは腹に抱えた感情であり、表現して外へ出すものではないのかも。それを「腹に抱えている状態」が大切なのだと感じました。囚人は、収監された後、看守さんから「自由にしていい」と言われます。もしかしてこの役は最初から自由なのでは? 伸び代に溢れている? と思えて、その見解で読み直すと、いくつもの発見がある。今はそういうモノを沢山集めている段階です。稽古で困った時に、パッと別の表現を見せられるように。

 

スリリングなエンターテインメント性に期待

 

――今作は箱田さんにとって、初の新国立劇場出演作であり、中心人物を担うことになります。

先程の「ドキドキ」の話で言えば、これが一番緊張するかも。僕が文学座の養成所にいた頃、同時期に新国立劇場の俳優研修所がオープンしました。同期が入所したものの、やや遠い存在というか、遠目に見ていた気がします。もちろんお芝居を観に来たことはありますが、ふとした瞬間に「俺、新国立劇場に立つんだなぁ」みたいな、グッと引き締まる気持ちになりますね。国立の劇場として、公演の企画も、俳優の養成も行っている劇場ですし。

 

――いまお話を聞いて思ったことですが、芸術監督の小川絵梨子さん、作・演出の倉持裕さん、このお二人が中心となる企画に箱田さんが参加されることに、大きな価値があるのかも。「俳優・箱田暁史はどのように新国立劇場の舞台に立つのだろう?」という興味があります。

ありがとうございます。僕もすごく楽しみです。

 

――最後に。上演を楽しみにしている方々に向けて、メッセージをお願いします。

SNSの弊害というテーマもありますが、個人的には、一発逆転を狙った男が、突然ガーッと浮き上がり、ドンッと落ちる、スリリングなエンターテインメント性に期待しています。「……この先どうなるの!?」という、普遍的なエンターテインメントになるといいですね。

 

――展開の読めなさ、予測不能の面白さは、確実にあると思います。

水面下で色々動くけれど、表立った大きなアクションは少ない。囚人は檻から出られないのに、周りの環境はどんどん変わっていき、状況がおかしな方向へ転がって行く。そのハラハラ感と、でも囚人は割と普通に存在している、その不気味さ。それらを痛快なエンターテインメントとして表現できれば、と思っています。

 

取材・文/園田喬し