牧島 輝 インタビュー|舞台「サロメ奇譚」

サロメがその声に魅せられ、その姿に妄想を膨らませ、その首を求めた預言者ヨカナーンを、牧島 輝が演じる。オスカー・ワイルドの不朽の名作『サロメ』を、現代に置き換えて描く『サロメ奇譚』。サロメはなぜ預言者の首を求めたのか、舞台を観終えた時、観客はその問いにどんな答えを見つけるだろう。現代版として描かれる『サロメ奇譚』だからこそ、身近に考えることもできるという、新たなサロメに挑んでいる牧島に話を聞いた。

ーー稽古の手応えはいかがですか?

演出の稲葉(賀恵)さんは初めてご一緒していますが、とても丁寧で、一緒に解釈を深めてくださいます。他の作品では、本読みが一日で終わることが多いですが、何日もかけて行いました。「これまで自分はこうやって生きてきた」など、各々、自身の話を交えながら、いろんな役の解釈を深めていただき、「この役のこのシーンってこうだよね」みたいな見解を、みんなに共有してくれたんです。出演者の人数が少ない舞台ですし、チーム感というか、この作品に対するひとつの目的みたいなものが共有できた時間で、すごく有難いと思いました。でも、手応えはまだ一切ないですね。

ーーもがいているような感覚なのでしょうか?

もがいているという程苦しんでいる感じもなく、まだわからない部分が多いです。例えば、この台本のこの役は今どんな気持ちなんだろうとか、解釈の部分でもまだわからないことが沢山あるので、これから稲葉さんや、共演者の皆さんとお芝居するなかで作っていけるものなのかなと思います。

ーー最初にこの作品に出演しようと思った時と、今稽古している段階で、作品に対する印象の変化はありますか?

このお話を頂いてから初めて原作の『サロメ』を読みましたが、ヨカナーンはとても不思議な役だなと思いました。今回は現代版ですが、現代にいる預言者ってなんだろう、神の声を聞くとはと考えんたんです。元々の世界観では、信じざるを得ない預言者というか、自分とは遠い世界の話みたいな感覚で言うと、預言者が出てきても、なんとなく信じられたのですが、仮に日常に生きていて、ある日知らない男がぬるっと現れて、預言をして帰っていっても、にわかには信じがたい。「あの人めっちゃ当たる預言者らしいよ」と言われても、僕だったら信じられないと思うんです。でも、それを信じさせなければいけない、説得力のあるお芝居をしなければいけないので、それが課題になると思っています。

ーーヨカナーンは、人々に噂されていたり、サロメにとってこう見えると表現されたり、人に形容されることが多く、能動的に表現することがないですが、そういう役はいかがですか?

それが、どうしようと思うところでもあり、手応えがない部分でもあります。立ち稽古三日目で、まだ当たれていない場面が沢山ありますが、僕を見る目線がどんな感じなんだろうとか、体感してみないとわからないことが多いなと思っています。あとは、人によって、ヨカナーンの見え方が違っていいと思っていますが、サロメと話している時は、お客さんもサロメ目線で見えた方がいいのか、それともヨカナーンとしてひとつ変わらないものをドンと構えていた方がいいのか、これから探って行こうと思っています。

ーーその部分は稲葉さんと何かお話されているんですか?

話していますが、まだ正解は見つかっていなくて、いろいろ試しているところです。

ーー共演者の方とは、ヨカナーンについて何かお話しされましたか?

奈良役の伊藤(壮太郎)君や、南部役の東谷(英人)さんと、よく話したりします。伊藤君とは同い年で、一緒に話したりするのですが、彼が演じる役は若者らしい若者なので、ヨカナーンとは遠い視点から、僕のことを客観的に見てくれるので、共演者のなかでも、「この役はこう演じたら」などと話せるのが、ありがたいです。

ーーご自身で考えていることと、稲葉さん、共演者の方々と作っていくことと、両方が合わさってヨカナーンが立体化されていくんですね。

そうですね。

ーーサロメには「不思議で魅惑的な声」と形容されますが、その声をどんな風に表現しようと思っていますか?

聞かないでください……僕が一番迷っているんですから(笑)。

ーー声の表現について試行錯誤されているところですか?

すごく無責任なことを言いますね。表現するには、みんなの力を借りなければ無理で、感じる人のリアクションに助けられるしかない部分はあると思います。正直なところ、僕が預言をしたところで、相手が馬鹿にしてきたらただの変なヤツですが、何か感じる人がいることで、その物語が大きく変わってくるというか。だから、人によっては、すごく嫌な声にも、なんでもない普通の話し声にも聞こえますが、サロメにとっては「不思議で魅惑的な声」に聞こえたと解釈したりしています。

ーー皆さんとは声についてお話しされていますか?

まだわからないのですが、音響の効果をかけたりするかもしれないそうです。今は稽古場で、地声でやっていますから、これからどうなるかですね。

ーー人の声は、聞いている側が、自分の耳を通って体の中に入ってくる感覚があり、五感を刺激するものとして、面白いと思います。牧島さんは、声について思うことや、何か体験はありますか?

耳の中に鼓膜があって、脳に近いところだからなのか、すごくダイレクトに届く感じがありますよね。昔は、自分の声がすごく嫌いだったんです。中学3年生のころは、まだ女の子に間違われるくらい、体も華奢でしたし、自分でいうのも何ですが中性的でした。でも、声がすでに低くて、そのチグハグさが嫌だったんです。最近は、周囲の方に「いい声だね」と言っていただけるので、ようやく自分の声を好きになってきました。

ーー本当にいいお声で、独特の低さと丸みがとても印象的だなと思います。

ありがとうございます……(照)。

ーーその声を、ヨカナーンにどういう風に生かすのか、とても興味があります。

これから探って行こうと思います。

ーーこれまでと違うトライになるんでしょうか?

そうですね。今までに演じてきた役とは大きく違いますし、一言何か言う時でも、一瞬姿がチラッと見える瞬間でも、全部がチャレンジになる気がしています。

ーー朝海さんのサロメは、どんな風に映っていますか?

最初のシーンを見ていると、サロメがおかしくなっていくというか、きっと最初からおかしくなっているのだろうと思いますが、自分がサロメだったらすごく嫌だろうなと思います。すごく可哀想なんです。その場にいると、悪ノリに傷ついている人がいるのに、気づかなかったりするじゃないですか。側から見ていると、その悪ノリが誰かを傷つけていることに気づけるのに、近くにいる人はこんなにも気づけないんだと。サロメはそのなかで、何十年も生きてきたと考えると、すごく可哀想だし、朝海さんもすごく複雑な顔をするから、少しでも伝わるくらいに苦しんでいたり、自分と問答している感じが、こっちまで息苦しくさせるなと。しんどいだろうなと思うんです。

ーーサロメを見て、可哀想という印象が一番にくるのが意外でした。

僕も台本を読んでいる時は、あまり思わなかったのですが、僕の親が、こんな両親じゃなくて本当に良かったなと思いました。

ーーそのご両親である、ヘロデとヘロディアはいかがですか?

めちゃくちゃ面白いです。他人事で見ると、「この父親は面白いな」みたいに思うのですが、実際にいたら、もし自分の親だったらと考えると最悪ですね。ヘロディアも同様に、自分の理想や想像を押し付けてくる、こういう母親いるよねって。誰目線で見るかによって違うかもしれませんが、この両親の子供として生まれたら、自分でも頭がおかしくなるなと思います。

ーー現代劇として描かれていることも大きいかもしれませんが、リアルに感じていらっしゃるんですね。

原作を読んだときは、描かれている時代も違いますし、かけ離れていて、身近に感じられなかったですが、現代に置き換えたら、他人事に思えたり思えなかったり、近いところで考えられるので、現代版のサロメを上演する意味が、そういうところにあるのかなと思います。

ーー朝海さんのインタビューで、「サロメがなぜヨカナーンの首を切るのか」という謎について、稲葉さんと脚本のペヤンヌマキさんと、稽古の前に何回も話したと伺いましたが、牧島さんはその答えをどう思いますか?

本当にわからないですね。原作では考えたこともあるのですが、現代に置き換えて、首を切るところまで行くというのは、相当な熱量だと思うので、その理由がどこにあるのか。きっと破裂寸前だったサロメが、どこを探してもない、これしかないピースを見つけて、パチンとハマってしまった瞬間に、その人を独占したいとか、閉じ込めておきたいみたいな気持ちが、極限まで歪んでしまったら、首を切るまでになってしまうのかなと。憎しみでなく愛で首を切るというのはすごいですよね。

ーー首を切るというのが、殺したいという感情ではないですもんね。

そうなんですよね。殺したいより、首がほしい。結果死んでしまうけれど、首がほしい。怖いですよね。憎しみと愛は表裏一体、裏返しみたいなものかもしれませんが、僕は今後そこまで何かを好きになれる、執着できる自信がないですね。

ーー普段からあまり執着はないですか?

ものに対してのこだわりや、執着はあまりないですね。

ーーものだけでなく、物事や人に対してもそうですか?

うーん……ないですね(笑)。人は好きですし、友達も少なからずいますが、執着って何でしょうね。自由じゃなくなる感じがするんです。僕は、自由でいることが一番好きですし、自分の近くにいる人には自由でいてほしいです。執着することによって、その自由さを損なうのならばと思うと、執着する気持ちはいらないのかなと思います。

ーーそういう意味でいうと、サロメとは真逆ですね。

でも、サロメはいろんなこだわりを捨てざるを得なかった人生だったと思うんです。僕は、ここまで自分の意思で選んで生きてこれましたが、サロメは意思がほとんどなくて、バレエが好きなぐらい。サロメのような人生だったら、最後にヨカナーンの首を切ってしまうところまで行ってしまうのかなと思いました。

ーー舞台を観て、それぞれに考える謎かと思います。最後に、皆さんにお伝えしたいメッセージをお願いいたします。

元々『サロメ』が好きな方も、そうではない方も、ご覧いただいたら、作品に対しての理解度というか、解釈は自由なんだと感じると思います。現代版にすることによって、今まではただ読んでいる物語だったものが、自分の実体験に近いところに考えられるようになるのは、すごく面白いです。正直、原作を読んだときは、自分はサロメだ、ヨカナーンだと、思えませんでした。でも、今、現代版の『サロメ奇譚』を演じたり、触れたりすることで、原作に戻ったときに、そういうことなのか、自分にもこういう気持ちがあるのかと、すごく身近に感じられました。130年前に書かれた本が、それだけ身近に感じられる瞬間は、素敵なことだと思うので、そういう瞬間を皆さんと共有できたら面白いと思います。

取材・文:岩村美佳