『恭しき娼婦』奈緒インタビュー

20世紀を代表する哲学者、ジャン=ポール・サルトルの傑作戯曲『恭しき娼婦』。1946年に発表されたこの作品には、非情な世界における人間の“権利”や“尊厳”、そして“自由”といった、これまでも、そしてこれからもずっと人類が向き合うべき問題が描かれている。
今回、演出を手がけるのは、以前からこの作品に取り組みたいと熱望していたという栗山民也。出演には、演技派として高評価の奈緒と風間俊介が顔を揃えることも大きな話題だ。
舞台はアメリカ南部のとある町。娼婦のリズィーは、冤罪を被せられ逃走中の黒人青年をかくまう。だが、その町の権力者の息子であるフレッドは、彼女に虚偽の証言をさせようと、その黒人青年と、由緒ある家系の白人の男、どちらを救うか選べと迫る。町全体が黒人青年を犯人だと決めつける中、リズィーが下した決断とは……?
人間の深層心理を炙り出すこの意欲作で、初めての、そして待望の栗山演出を受けることとなり目を輝かせる奈緒に、作品への想いを語ってもらった。

 

――今作への出演のお話が来た時、どんなお気持ちでしたか。

私はこのお話をいただいた時にこの戯曲の存在を知ったので、最初はタイトルの“恭(うやうや)しき”すら「どう読むんだろう?」というところからのスタートでした(笑)。娼婦の役もこれが初めてですので、いろいろな意味で自分にとって挑戦になるんだろうなということは、台本を開く前から感じていましたね。演出家の栗山民也さんは、自分が舞台経験を重ねていく中で「いつかご一緒したい」と思っていた方だったので、こんなに早くご一緒できるなんて光栄に思います。


――「自分には早い」と思いつつも挑戦しようと決意できたのは、どんなことに背中を押されたからなのでしょうか。

「まだ早いのではないか」と思ったのは、まず自分が未熟で、今はその未熟さと自分自身とが対面しながらお仕事を続けている感覚があったので。そんな中で、このお話で果たしてこの役をちゃんと生きれるのだろうかとか、栗山さんの演出をしっかり自分は汲み取れるのだろうかとか、舞台経験が圧倒的に浅いことなど、不安はいろいろありました。でも実際に台本を読んでみたら、そんな自分の不安や経験が浅いことを理由にして、この役を手放してしまうのは絶対にやってはいけないことだと思いましたし、そんなリズィーという役をできるチャンスを自分がいただけたんだという事実にも、すごく背中を押されました。そして未熟な自分が栗山さんとご一緒できるということすら、今の自分に必要なことなのではないかと思うようになり、たくさん稽古を重ねることで自分の中にも育つものがきっとある作品になるはずだと思ったんです。それに、この『恭しき娼婦』を読んでいると、自分自身も人間として生まれたからにはずっと向き合わなければいけない大切なことが、この作品には描かれていると感じて。それもあって、役者としてもですが、単にひとりの人間としてもこの物語の中でリズィーとして生きてみたいという気持ちになりました。


――「いつか栗山さんの舞台に立ちたい」と思われたのは、どんなきっかけがあったのですか。

私が栗山さんの演出された舞台を初めて観たのは『アンチゴーヌ』(2018年)でした。「素晴らしい舞台だから、絶対に観に行ったほうがいいよ」と人から薦められたんですが、当時はまだ生瀬(勝久)さんともお会いしたことすらない頃で、私自身もまだ舞台に立った経験もなくて。その時の舞台が私には、ものすごく衝撃的だったんです。ステージそのものの形が十字架のようで、それを囲むようにお客様が座っていらして、とてもシンプルで洗練されていて。その様子を私は二階席の上のほうから観ていたんですけどね。ここまで人の感情を激しくぶつけあい、動かしていけるものが演劇なんだということを、その場の空気で、五感で感じられた瞬間に「すごいなあ!」と、身体に何か走るものがあったんです。「なんて美しいんだろう」とも思いましたし、終演後しばらく声が出せないくらいの体験をさせていただきました。その時に、自分の中で「いつか、こんな舞台に出られたら」という気持ちが芽生えた気がします。ただ、その頃はまだ舞台の経験もなかったので、遠い世界の感覚で。それでも憧れと敬意は、抱いていましたね。その後、自分も初舞台を踏み、生瀬さんともドラマでご一緒して舞台の話などもいろいろ聞くようになって。同じ俳優のお友達の中には既に栗山さんとご一緒している人もいたので、栗山さんの演出される舞台を経験することできっと大きく成長できるということも聞いていて。それで、いつかは私もぜひご一緒したいと思っていたんです。


――風間俊介さんとは、『サバイバル・ウェディング』というドラマ以来の共演になるとのことですが。そのドラマ撮影時の印象やエピソードを教えていただけますか。

風間さんとは『サバイバル・ウェディング』の時には同じシーンがなくて、お芝居を一緒にすることがなかったんですよ。ただ、その時も風間さんのお芝居は本当に素敵だなと思っていて。優しい笑顔の時でも、すごく冷たいお顔の時でも、風間さんは瞬時にその場の空気を変える力を持っている。役者として、とても尊敬する先輩です。打ち上げの時に少しお話しする機会があり、その時はお互いの出演シーンの話をしていたんですが、風間さんから「奈緒ちゃんのシーン、面白かったよ」と言っていただけて。「いつか同じシーンでお芝居ができたらうれしいね」ともおっしゃってくださっていたので、今回こうして舞台で、長い時間をかけて稽古をし、一緒にお芝居ができるというのはすごく幸せなことだなと思っています。


――リズィーを演じるにあたって、今はご自身ではどんなことを考えていらっしゃいますか。

もちろん最初のうちは「もし、自分がリズィーだったら」ということも想像しながら、台本を読んでいたんですけど。だけど読むたびに何が正解なのかがわからなくなってきたので、今は『恭しき娼婦』の台本を読むことで答えを出そうとすることはやめようと思うようになりました。答えを出したい気持ちは、あるんですけどね。なんだかこの作品は、どこか一カ所にとどまってすべてを決めてしまわないようにしなければいけない題材だなと感じていて。人間が自由を求めるからこそ、それに縛られて苦しくなるということも起きる。「だったら自分の本質ってなんなんだろう?」ということも大切に考えながら、リズィーを演じたいと今は思っています。


――役についても、ご自身の生き方や演じること、それらの根っこの部分など、とても深いところまでお考えなんですね。もともと、さまざまなことを考えこんでしまわれるタイプですか。

そうかもしれません(笑)。お芝居を私がやりたいと思ったきっかけも、いきなりワークショップでお芝居に触れた時に、自分の中に日常では絶対起こりえない感情が芽生えたことからだったんです。すごく大きな声が出たり、ふだんはそんなに人に対して怒ることもなかったのに、なぜだかものすごく怒りの感情が湧いてきたりもして。そうやって新しい自分の感情に出会った時、自分自身のことなのに私って何も知らなかったんだなと思いましたし、そういう自分の知らない自分というものが実はまだ他にも眠っていて、それが今後出てくるかもしれないし、でも眠ったままかもしれないし。こうして役をいただいたり、新しい物語と出会う時には、自分に置き換えることもすごくしますし、役と自分の違いを見つけることも毎回します。なので、その度に毎回自分自身とも向き合わないといけなくなるわけです(笑)。


――それって、しんどいことでもありますよね。

だいたいが、そうですね。「ああ、私ってこんな冷たいところがあったんだな」ということに気づかされて、ショックを受けることもありますし。でもそういう時は、その時に演じている自分の役を見習って、自分もこうやって生きていきたいなと思ったりもして。もちろん“生身の人”との出会いの中でもそういうことを感じていますが、私は役との出会いもまさに人と人との出会いのような感覚でいるんだと思います。だから物語の人物ではありますけど、今回この作品をやることがなかったらきっと出会うこともなかったリズィーという女性と出会い、自分自身も、今後の人生にこの役を演じることで何かしらの変化が表れるくらいにまで、毎回しっかりと向き合っていけたらいいなと思っています。


――お客様には、どんなことを伝えたいですか。

これって、私が思う以上のことを受け取ってくださる方が、きっとたくさんいらっしゃるような題材だと思うんですよ。なので、お客様にはぜひ自由に、難しくは考えずに、まずは観ていただきたいです。今、人と人が争うようなことが起きてしまっている時代で、自由とか、自分の本質とか、自分はどうやってここにいたらいいんだろうということがわからなくなってしまっている方も大勢いらっしゃると思います。私自身、そういったことにもちゃんと向き合っていきたいし、さまざまなことを学んでもいきたい。『恭しき娼婦』というこの舞台を観終わったあと、この作品とお客様が対話をしたような感覚になってもらえたらいいなとも思います。それもあって、これまで以上に今回はみなさんの感想がすごく気になりますね(笑)。

 

 

取材・文/田中里津子