舞台「世界は笑う」│瀬戸康史、千葉雄大、ケラリーノ・サンドロヴィッチ インタビュー

劇作家・演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)による新作舞台「世界は笑う」が、8月7日から東京・Bunkamuraシアターコクーンにて、9月3日からは京都・京都劇場にて上演される。昭和30年代初頭の東京・新宿で、笑いに魅せられ、笑いに生きた人々の人間ドラマを描いていくという本作。キャストにはKERA作品には3度目の出演となる瀬戸康史、2度目となる松雪泰子をはじめ、千葉雄大、勝地涼、伊藤沙莉、ラサール石井、銀粉蝶ら個性豊かな面々が揃った。

昭和の喜劇人たちの群像劇をどのように描いていくのか、瀬戸康史、千葉雄大、KERAの3人に話を聞いた。

――KERAさんは、以前から日本の喜劇人を描きたいとおっしゃっていたかと思いますが、なぜこのタイミングでの上演にされたんでしょうか

KERA すべての作品に言える事なんだけど、今だからとかの必然性ってあんまりない。ただ、今との関わりって、書いてると自然に生まれてきちゃうものですからね。書き上げた後には「今でしか書けなかった作品」になってるんです。ですから、今のところは、ずっとやりたかったんで、そろそろかな、ってことくらいですね。そもそも何でやりたかったかって聞かれたら、やっぱり喜劇人たちへの興味。笑いが好きだし、笑いにたくさん救われてきたので。笑いがなければ、たぶん演劇もここまで続けてこられなかったと思う。父の関係で、喜劇人が周りにいたということも大きいですね。

あと、Bunkamuraシアターコクーンの芸術監督の松尾さんに頷いてもらおうと、後半にはいろんな奇想天外なことが起きる予定、とプロデューサーにプレゼンしたりしたんですが(笑)。イメージで言うと、『ドクター・ホフマンのサナトリウム 〜カフカ第4の長編〜』みたいな、理屈が通らないような不条理な、不思議な出来事が次々と起こるみたいなふうに考えていました。前半で喜劇人たちの人間ドラマを描いて、後半で思いもよらない展開をする、ってね。でも、なんかちょっと欲張りすぎかな、と思って。だって、十数人を着地させるようなものをつくろうとしたら、5時間半はかかる(笑)。それに、人間を描くっていうところにとどまっても、十分に書くことがあると思い直しました。

――瀬戸さんはKERAさんとご一緒するのは3度目ですね。KERAさんとのモノづくりの面白さを、どういうところに感じていらっしゃいますか

瀬戸 “一緒にやっている”感じを、ほかの現場よりも強く感じます。今も千葉くんや伊藤沙莉ちゃん、勝地涼さんとKERAさんとで集まって、ワークショップをやっているんですけど、コロナ禍になってからそういう機会って無くなっていたんです。いろいろ配慮しながらも、こういう機会を作ってくださって、一緒に昭和30年代の資料を見たり、本を読んでみたりとかする時間がとっても楽しくて、そこからさらに稽古に入るのが楽しみ。すごくワクワクした気持ちになっています。

――千葉さんはKERAさんとは初めてですね

千葉 この中に入れていただけるのは、本当に嬉しかったです。ただ昭和30年代っていうのは知らない世界で、その時代の経験があるわけではないので、いろいろなことを知れるとてもいい機会をいただけました。本当にありがたいです。KERAさんのお芝居は、KERAさんの頭の中がどうなってんのかな?って気になる感じがすごくしているので、稽古が始まって自分がどうなっていくのかも楽しみにしています。

――ワークショップをやろうと言ったのもKERAさんなんですか?

KERA そうですね。まぁ、ワークショップっていうか、言いようがないからワークショップって言ってるだけなんですけどね。自分が生まれる30年前と40年前の差なんて、よくわからないでしょ?そのあたりを勉強するためにも、とりあえず集まることが大切かなって思ったんです。その時代について話したりするだけでも違うと思うし、みんなで動画を見たり、岸田國士の『かんしゃく玉』って戯曲を読んでみたりしています。ヨーイドンでその時代の人になってもらわないといけないので、稽古が始まった時に昭和を知っている人たちと比べてスタートが遅れてしまうという焦りを、なるべく少なくしてあげたかったというのが主眼です。少しでも心に余裕を持てないかな、と思ってね。

――ワークショップをされてみて、何か見えてきたものなどはありますか?

瀬戸 ワークショップの中でKERAさんもおっしゃっていたことなんですけど、お笑いって進化しているよな、って。僕は生まれてからのことしか知らないので、昭和30年とかのものに触れていくと、やっぱり全然違うんだなと感じました。例えば海外のジョークとかって、聞いてもよくわからなかったりするじゃないですか。ここが笑うところ、っていうのはわかるけど…。でも同じ日本人なんでそこは分かるんですけど、全然違っていたというか。レパートリーが増えているというか。うまく言えないんですけど、表現の仕方がすごく広がっているんだなと感じました。

千葉 今のところ2回ワークショップがあったんですけど、いろいろな映像を見させていただきまた。その中でも、今見ても面白いと思える普遍的なものと、その時代ならではのものがありましたね。その上で、喜劇人の人たちの人生の背景のようなもの…こんなに面白いことをやっているけれど、裏ではこんなことがあったんだ、みたいな差がある。その差があるからこそ、という部分があって、そこは一筋縄ではいかない感じがしました。すごく意識しなきゃいけないところだと思っています。

――コメディは最も難しいジャンルのひとつとも言われますが、喜劇人を演じる心境は?

瀬戸 人を笑わせるのはすごく難しいことだとは思っています。でも、あんまり難しいと思いたくないという自分もいるんです。今回は、喜劇人が出てくる笑いの物語ではあるんですけど、それだけじゃない部分もあるんです。笑いだけに全力投球という感じではないのかな、と思っているので、今はそこまで笑いに対してのプレッシャーは感じていないです。

千葉 結構同じです(笑)。役割として喜劇人をやるかはまだわからないんですけど、悲しい時に笑わなきゃいけないみたいな時もあって、そういうのが結構人間臭い。そういうのができたらいいんじゃないかな、と思っていて、そこはお笑いだけっていうものとは少し違う気がしています。

――瀬戸さん、千葉さんはそれぞれお互いの印象をどのように思っていらっしゃいますか?

瀬戸 同い年で顔も似てるって言われてるんです。だから10年くらい前かな、初めて会う前から千葉くんのことは知っていました。最初はキャピキャピした印象だったんですけど、数年前に映画で久しぶりに会ったときは、ちょっと男らしくなったというか、線が太くなった印象でしたね。がっつり一緒にお芝居したことはまだないので、なにを隠し持っているのかな?っていうワクワク感があります。

千葉 何か隠しているわけじゃないので、新しいイメージを与えられるかどうかわからないですけど(笑)。瀬戸さんは、同い年だけで先輩みたいな気持ちです。先輩感は抜けないんですけど、タメ口も混ぜられるくらいになってきたので、いい感じの関係の進み具合かなって思っています。お芝居に関しては、がっつりご一緒したことがないので、一番楽しみなところ。いろいろと見て、学びたいと思います。

瀬戸 まぁ千葉くんに限らず、俳優っていうものをやっている上では仲間でもあり、ライバル的な気持ちもある。せっかく出会った仲なので、一緒に作品を作っていけたらとても嬉しいです。

千葉 一緒にモノを作るからこそ、思っていらっしゃることとか、いろいろなことをお話したいですね。飲みにいけるような関係を作っていけたらって思います。

――いろいろな笑いの時代がある中で昭和30年代をセレクトした理由はなんだったんでしょうか?

KERA 戦前に喜劇王と呼ばれていたエノケンとロッパが衰退した時期だというのが大きいかな。そこにドラマを感じたんです。喜劇人と言えばこの2人という時代が長く続いていたところに戦争が起こりました。2人は戦時中に検閲などを受けて、思い通りの笑いが作れなかった。やがて、心待ちにしていた終戦を迎え、これで存分に、何の束縛もなくお笑いができると思ったら、そうはいかなかったんです。後進に追い抜かれていく中、それでも自分は喜劇王だと信じたかったに違いない。戦後10年くらいでテレビが台頭して、舞台の喜劇人の青田買いみたいなことが行われていった時代です。戦時中のことは三谷幸喜さんの『笑の大学』とか、すでにいろいろやられていますし、もう少し後の時代が面白いかなと思ったんですよ。

逆に自分がリアルタイムで経験している昭和50年代とか漫才ブームとかは、どう描いていいかわからない感じがあります。当事者もみなさんお元気ですし、北野たけしさんの「浅草キッド」とかで割と生々しく描かれていますから、そうじゃないところに切り込んでいきたかったっていうのが大きいです。

――今回は笑いに向き合う作品になりそうですが、それぞれ笑いに救われたようなエピソードはありますか?

千葉 僕はコントが好きで、「ココリコミラクルタイプ」っていう番組が今でも大好き。DVDを繰り返し見て、救われています。仕事でちょっと辛いなと思ったときは、DVDを持って行っていました(笑)。中でも、松下由樹さんが好きで、焼肉奉行のコントがすごく最高なんです。

瀬戸 僕はKERAさんと最初にご一緒した『陥没』という作品で、ちょっとトリッキーな役だったんです。すごい方々と一緒ですし、すごく緊張していて…。いざ自分の出番ってなった時に、共演していた山西惇さんが僕のシーンでいつも笑ってくれていたんです。それがすごく嬉しくて。笑ってくれることで、うまくハマってイケている感じがして、気分もめちゃくちゃ上がるんです。大先輩なんですけど、いつも心遣いや気遣いをしてくださる方で、その時は本当に助けられました。

KERA 僕はもう、救われっぱなしですよ。子どものころは学校で嫌なことがあると、植木等の歌にすごく助けられましたね。そもそも、自分の創作活動っていうのは現実からの逃避なわけで、今でもずっと僕は創作に逃げているんですよ。現実が嫌だから。そういう意味で、僕の作品にコメディが多いのは、ずっと笑いに救われてるってことなのかな。でもある意味、苦しんで笑いを作り出しているところもあるんで、妙な感覚なんですけど。なんとなく、恩返しのような。何に恩返しなのかわからないけど、自分が救われた分、自分もしっかりと作らなきゃみたいな気持ちでやっています。

――激動の時代の喜劇人をどのように描いていくのか、楽しみにしています! 本日はありがとうございました


インタビュー・文/宮崎新之