「言葉には限界があるから」(串田)│『博士の愛した数式』串田和美×加藤拓也 インタビュー

写真左から)串田和美、加藤拓也

長野県の松本と東京で、舞台『博士の愛した数式』が上演される。本作は、欠落や喪失をテーマとした作品を描き続けている芥川賞作家で、紫綬褒章も受章している小川洋子が’03年に発表した小説で、交通事故による脳の損傷をきっかけに、記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者“博士”と、彼の新しい家政婦である“私”と、その息子の日々を美しい数式と共に描いた悲しくも温かな奇跡の愛の物語。脚本・演出は加藤拓也(劇団た組)、出演は串田和美、安藤聖、井上小百合、近藤隼、草光純太、増子倭文江。演奏は谷川正憲。

“博士”を演じる串田と、脚本・演出の加藤に話を聞いた。

「博士の愛した数式」が好きなことが最初の共通点

串田 不思議だねえ。

加藤 そうですね、不思議ですね。

串田 こうやって並んで取材を受けているのがね。

加藤 実は初めてです。

――今回、加藤さんから串田さんにオファーをされたとうかがいました

加藤 舞台でご一緒させていただいたとき(劇団た組 『今日もわからないうちに』/’19年)に……いや、それより前ですね。以前、お会いしたときに、僕が『博士の愛した数式』をやったことがあるんだという話をして(劇団た組 第7回目公演『博士の愛した数式』/’15年)。お互い、「博士の愛した数式」(小川洋子・新潮文庫刊)という小説が好きなんだと知りました。

串田 「あ、これが好きなのか」っていうのがまずね、最初の共通点でした。そのあと、『今日もわからないうちに』をやって、そのときはいろいろ、自分もかなり緊張したんですよね。新しい感覚や新しい世代の人に触れ、自分がそこに関わるにはどんな方法があるのかって。まるで留学生とか転校生みたいだった。いつもとは違うよな、みたいな。ただ緊張したけど、楽しかったんですけどね。

――あのときの串田さんのお芝居、とても素敵でした

串田 どうなるのかな、とか、どうするのかな、とか、どうしたらいいのかな、とか、もう頭がてんやわんやになって(笑)。うん。でも楽しかった。そりゃ楽しいですよね。いつもは、演出しながら「ああして、こうして」ってやってるから。

――加藤さんは、串田さんにどんな印象がありますか?

加藤 まったく固定概念にしばられないという印象があります。どこか「こうだよね」と思ってしまっているものを串田さんはその角度から見ないし、見ていないことをおもしろがれるんです。その中では、僕がそう見ていないのはアイデアではなく気付いてないからだってこともあるんですけど、そういうことも含めておもしろがって、また新しい道をひらいていくというようなイメージがあります。

「怖いけど、できないかもしれないけど、そうじゃなきゃ意味がない」(串田)

――今作は’15年に加藤さんが演出を手掛けた公演とはまた違うバージョンとして上演されるそうですね。再びこの作品をやりたいと思われていたのでしょうか?

加藤 ずっとやりたいと思っていました。それにはいくつか理由があって、初めて上演したときから7年以上経って、いま改めて取り組んだらもっといい作品になるんじゃないかと思っている、というのがひとつと、やさしいけどどこか鋭さのある、あのニュアンスを串田さんから感じたこともあり、すごくピッタリだなと思ったことです。

――脚本はどう変わったのですか?

加藤 ちょっとだけニュアンスを触ったりしました。でも基本的にやっぱり大事にしたいのは、原作の小川洋子さんが持っている言葉のニュアンスです。それはもちろん台詞として出てくる音によって変わってきますが、空間に、小説の匂いみたいなものが残るようなカタチにしたいなと思って、改めて手直ししたという感じです。

――串田さんは読まれていかがでしたか?

串田 けっこう長い小説を脚本にしているから、また新しいものとして生まれるわけで。例えば、“りんご”が原作だとすれば、それを見て絵を描く人が「りんごの奥の方まで描きたいな」とか「芯は見えないけれどそこまで描きたいな」と思って描くことが作品なんだとすれば、当然、違うものになる。原作を具現化するだけの仕事じゃないから。彼のことは一回やって少しはわかっているし楽しみです。楽しみだけど、それに応えられるかなっていうのが(笑)。(加藤に)想いがいっぱいあるからね。なきゃ困るんだけど(笑)。

――加藤さんは今作でどういうところを大事にしたいと思われていますか?

加藤 空間の匂いみたいなものを一番大事にしたいなと思っています。僕が書いた本じゃない以上、小川さんの不思議な言葉のリズムとか持つ匂いが空間を立ち上がらせるようにしたいです。

――串田さんとは、どんなふうにつくりたいと思われていますか?

加藤 今までにやっていないことをやっていただきたいなと思っています。串田さんのお芝居の“そうじゃない”チョイスを稽古場で提案していこうかなと思います。

串田 それがすごく楽しみ。怖いけど、できないかもしれないけど、そうじゃなきゃ意味ないし。前回もそういうところがあって、そこに戸惑いもあったんですけど、長くやっていると、なかなかそうやって言ってくれる人がいなくなってくるんですよ。孤独になってくる。だから「よろしく」って言いたいです。

「意図を汲み取ろうとすることに重きを置かないでほしい」(加藤)

串田 前に、なにかのインタビューで「解釈しないでください」って言ってたでしょ?

加藤 そうですね。

串田 全くそう思う。すぐ「テーマはなんなの?」とかね。この間ね、子供も観られる芝居をつくったの、敢えて。それは子供のためだけではなくて、子供が観ている状態を大人も観てください、教わることがありますよって気持ちでやった。最初に子供をのびのびさせようと思って、紙とクレヨンをバーッと置いておいたら、子供たちは着いたとたんに勝手に描きだしてね。その上に描いちゃう子がいたりもして。そうやって子供はのびのびしていて。すると、こっちが声を出したら聞くしね、笑ったりもするし。(劇中には)ちょっと死の匂いがするところとかもいくつかあったから退屈するかなと思ったけど、全然。言い方をただ楽しんでいたりして。それに気付いた大人も確かにいました。松本で観て、東京に帰って、やっぱりもう一回観たいって次の日も来てすぐ帰った方がいて。それは、自分らがつくったことだけを観ているんじゃないよね。その時間、そのとき起きていることが芝居で、そのことのために稽古したり、準備をしたりしているっていうようなスタンス。「あそこでなにしたのか」とか「なぜ子供を」とかそういうことじゃないんです。だからインタビューで(「解釈しないで」という言葉を)読んで、「そうそう!そうだよ!」って(笑)。

加藤 作者の意図を汲み取ることが鑑賞だと思っている人は多いなと思っています。でも別に、観劇も映画鑑賞もそうですが、体験であって解釈ではないと思う。その意図を汲み取ろうとすることに重きを置かないでほしいなと思います。その点では小川洋子さんの小説も、誤解を恐れずに言うと、意味とか意図に価値を見出していないと思います。作品の中でも書かれていますが、花や星は美しいけれども、彼らは美しいと思われたくて咲いているわけじゃないし、輝いているわけじゃない。ただ花は花として、星は星として存在しているだけ。そこで“存在”というところから肯定してもらっているような気持ちになるんです。今作の“博士”は特にそうです。僕から見ると、そういった価値観が串田さんと重なるところがあるなと思います。

串田 “数”というものは人類が生まれる前からあるっていうことが小説にも書いてあるけど、それに人間が名前をつけて、でもそこで失っているものがあるんだよね。言葉は便利で、それがあったことで進化したんだろうけど、同時に失っていることもある。それを“数”にして言ってるのはすごいなと思います。人間は数を発明したんだって高慢に思っているけど、宇宙というものがずっと前からあるように、もともとあるものだから。やっぱり言葉には限界があるということを知りつつ言葉を使わないと、傲慢になってしまうしね。

松本という場所だから生まれるもの

――本作の音楽・演奏の谷川正憲(UNCHAIN)さんを加藤さんは「小川洋子さんの⾔葉に寄り添える人はこの人しか居ないと思った」とおっしゃっていました。谷川さんは加藤さんの演出作品に度々参加されていますが、どうしてそう思われるのでしょうか?

加藤 谷川さんは非常に空気に敏感なアーティストです。谷川さんと演劇を一緒にやる中で、俳優の空気を見ながら音楽を自分の中に立ち込めていくっていうことをやっていらっしゃると感じます。今回はそれを、稽古から取り入れてみたいなと思っています。

――稽古から取り入れるというのは?

加藤 お芝居をつくるときにも影響を与え合う、みたいなことです。今までは俳優と物語が音楽に影響を与えていたのですが、今回はその逆の進行方向もつくりたいなと思っています。

――串田さんは音楽劇もつくられていますが、演劇での音楽のことをどんなふうに思っていらっしゃいますか?

串田 それは芝居によって違うんだけど、でもシアターコクーン(串田は1985年~96年まで東京のBunkamuraシアターコクーン初代芸術監督を務めた)のキャッチフレーズに「演劇は限りなく音楽のように、音楽は限りなく演劇的に」と掲げたんです。これはさっきの解釈の話にも繋がっていることで。だってベートーヴェンを「あそこであの楽章がこうでああで」なんて言って聴かないじゃないですか。日によって違っていいんだよって感覚の音楽、例えばミスタッチもミスだと思うのは自分だけである、というような感覚で音楽があるっていいなと僕は思います。

――今回、松本で稽古をされるということで、串田さんは「まつもと市民芸術館」の総監督を長くつとめてこられましたが、松本にはどんな良さがありますか?

串田 東京から見ると田舎ではありますが、いろんな人が入ってくるし、人に好奇心みたいなものが強いんですよ。(目があったときに)「ん?」「なに?」って、見ようとするとか、知ろうとする感じがあるなと思います。移住してくる人が増えているのも、理由がないものに惹かれているんでしょうね。

――加藤さんはそこでつくることにはどう思われていますか?

加藤 すごくいいと思っています。松本って空気が違うんですよ。なんて空気ってきれいなんだろうって。いま移住の話がありましたが、東京や、他の県で違う仕事をしていたけどここで新しい仕事を始めました、みたいな人が多い。だからいろんな文化が集まっていて、すごく不思議なんです。あの空気の中で、この空気を大事にしている作品を立ち上げるって非常に大事なことだと思っています。人間がやるものなので、心の状態はすごく出ますから。良い環境でやれるっていうこと自体がすごくいいです。

インタビュー・文/中川實穗
写真/ローソンチケット