『ケンジトシ』 中村倫也インタビュー

中村倫也が宮沢賢治を、そして黒木華が賢治の妹であるトシを演じることだけでなく、詩的でどこか摩訶不思議な世界を紡ぐ劇作家・北村想が脚本を書き下ろし、それを現代日本演劇界の第一人者でもある演出家・栗山民也が演出するという初顔合わせでも注目を集めていた舞台『ケンジトシ』。2020年に上演する予定だったところがコロナ禍の影響を受けて公演が延期となってしまい、残念に思っていた観客は多かったはずだ。その話題の舞台が2023年2月、満を持して上演が叶うこととなった。まだ稽古に入る前の準備段階である中村倫也に、作品への想いやいよいよリスタートする今の気持ちなどを語ってもらった。

 

――2020年に上演するはずだった公演が、延期することになった時のお気持ちを振り返ると。

延期が決定した当時は、そのほうがいい、と思っていました。2020年の6月でしたから、まだ新型コロナウィルスに対して何もわからない最中のことだったので。震災の時もそうでしたけど、僕らの仕事、特に演劇とか音楽というライブのものはある程度の安心感がないと成立しないものだと思うんです。だけどこうして、2年半経ちましたが今度は上演することができそうなので、良かったなと思っています。

 

――北村さんの戯曲を読んでの感想は。どの部分に一番魅力を感じましたか。

最初に読んだ時は、今までの人生で読んだものの中で一番わけがわからなかったです(笑)。専門的な言葉もいっぱい出てきますしね。だけど、これが作品として立ち上がってきて、お客さんに観ていただいた時にはきっとそれぞれの心に何か残るものがありそうな予感がすごくするんです。でも、その心に残るものがどんなことかは言葉にすることが難しいし、稽古に入ってみないとわからないことも多い作品でもあって。お芝居も長いことやっていると一回二回台本を読んだら、こういうことかなとなんとなく予想ができるようになってくるものですが、でもこの作品はあまりにもわからなかったし、どうなるのかが見えなかった。この、見えないという部分がまた面白いし魅力を感じましたね。たとえば、たまごかけごはんを食べたいな、と思って自分で作ろうとしたら、たまごかけごはんの完成図と作り方は頭に浮かぶじゃないですか。この作品の場合は、それがないので。それって面白いことですよね。

――2年半前に読んでいた台本を、今回また時間が経ってから読み直されたわけですが。そこでまた新たな面白みを発見した、なんてこともありましたか。

宮沢賢治というのは今も教科書に載っているくらいの人で、ある意味、時を経ても色褪せない普遍的なものをいろいろ残してきた人ですからね。この脚本自体が書かれた時点よりも、むしろ、より説得力を増しているようなところも感じられて。さらに、もしこれが何年か先になったとしても、きっと観てくれる人に真に迫るような瞬間が訪れるであろう台本だなということを、久しぶりに読んで改めて思いました。

 

――宮沢賢治という人物に対して、中村さんは今までどういうイメージをお持ちでしたか。

正直、あまり知らなかったんです。でもこの作品をやるとなって、まだコロナ禍になる前でしたけど、賢治の故郷である岩手県の花巻にひとりで行って、賢治にまつわる場所や記念館を巡ってきました。二泊くらいし、レンタカーで見てまわって。その土地に行ってみて感じた部分というと、たとえば人間の脳細胞と、宇宙の銀河系あたりを望遠鏡で撮った写真が似ているって言われているじゃないですか。宇宙、広大なものと、脳みその中のものが似ているって、なんかあるんだと思うんです。ある人に言わせればそれは全部神様が作ったからだと言うかもしれないけれど、賢治にはそういう、両方の視点、観点がある人だったんだという印象がありますね。小さい頃も、石を割ってその断面を顕微鏡で覗いていると、夜空の星を眺めているような感覚になる人だったんじゃないかな。それに、詩など、自然現象をモチーフにしている作品も多いですしね。そうやって自然とも同じ目線で対話していた人なんだろうなという印象があります。

 

――その、宮沢賢治を知る旅では、たとえばどういう気持ちになられたんでしょうか。

現地の記念館などに行けば、残した作品であったり、こういう人でしたよという記録や、こうだったんじゃないかという考えに関していろいろなデータが残っているんですけど。それも大事ではあるんですが、自分としてはそこにはそんなに重きを置いていなくて。それでも、その土地に行った理由というのは、時間が経つとさまざまなことが変わっていくじゃないですか。でも、たとえ100年近い年月が経っていたとしても、賢治が生きていた頃と一番変わらないものが地形だと思うんです。川とか山とか、開発されたり建造物が建ったりして整備されたりもしているけれど、地形自体はそうそう変わらない。だから、本当に賢治が川で石を拾って集めていたとされている場所にも行ったんですけど、きっとそこから見える山や、感じる風は100年くらいではそう変わらないと思うんです。そういうことに、自分も想いを馳せながら旅をしていたという感じです。

――その旅をしたことで、理解が深まったと。

というより、自分にとって一番大きいことは「そういうこともちゃんとしましたよ!」という免罪符ですね(笑)。それこそ偉大な人なので、ファンも多いですし、いろいろな見方、やり方がある中で自分なりにやれることはやったというか。行ったのは確か9月か10月だったんですけど、あの場所であの土地でああいう気候の中で、賢治は農作というものをやっていたりもしたので、どういう感覚だったのか、どんな風に吹かれたのかと考えながらその場に立てた。それだけのことでも、僕にとっては何か資料を読んだりするよりも大事だったんです。今は指先ひとつで、いくらでも知識や情報は得られますけど、やっぱり肌で感じたかった。そこで感じとったものは今も自分の中になんとなくありますが言語化はできないので、それは舞台の上で体現するしかないニュアンスなのかなと思っています。

 

――トシ、という妹との関係については、現時点ではどんな風に捉えていらっしゃいますか。

今は何も、捉えていないです。そういうところこそ、稽古をやってみないと何もわからないので。演出の栗山さんと一緒に稽古をやっていく中で、生まれてくるものもあるでしょうし。賢治の研究者によると、いろいろな見方や説があるようですが、僕自身はまだ今は何も考えていないです。

 

――トシを演じる黒木華さんとは、既にドラマ『凪のお暇』(2019年)で共演されていますが。役者としてどんな魅力を持つ方だと思われていますか。

初めて、黒木華さんの芝居を観たのは『飛龍伝』(2013年)だったんですけど「すげえなあ」と思った記憶がありますね(笑)。そのあと、映像で共演することになって。本人は人見知りでシャイなところもあるんですが、やはり女優さんですからね。言い方が難しいんですけど、俳優というものはみんな、人非ざるものを心の中に飼っている気がするんですよ。特に舞台でご一緒するとなると、華の、ふだんの生活からは見られないものが出て来るようにも思うので、その点はすごく楽しみにしています。

 

――このカンパニーの中で、他にも気になっている人はいらっしゃいますか。

山崎一さんです。一さんが覚えていらっしゃるかはわからないですけど、実は僕のデビュー作となる『七人の弔い』(2005年)という映画でご一緒させてもらっているんです。だから、とてもうれしい再会でもあって。でも今回、一さんの役は結構セリフ量が多いな、大変そうだなあ……とも思っています(笑)。

――栗山さんの演出を受けることに関しては、いかがですか。

栗山さんとは僕、今回が初対面なんです。これまで一度も面識がなくて。もちろん作品は何本も拝見していますけど、稽古の仕方にしてもまったく知らないんです。だけどこの企画自体が、栗山さんが宮沢賢治にまつわる作品をやりたいというところからスタートしているそうなので、きっと強い想いがあるんだろうなとは思っています。あと、稽古時間がそんなに長くないという噂を聞いているので、それが一番楽しみです(笑)。

 

――これまでに読まれた賢治作品の中で、心に残っているものというと。

もともと知っていた作品といえば『銀河鉄道の夜』とか『注文の多い料理店』、あと『雨ニモマケズ』の詩とか。だけど以前、シス・カンパニーが朗読を上演した時に堤真一さんが『春と修羅』を読まれていたんですよね。僕はそれが宮沢賢治の詩だということは、当時は知らなかったんですけど。あの時、堤さんが「おれはひとりの修羅なのだ」と言っていたのを覚えていて。すごくカッコイイと思って、楽屋でシス・カンパニーのプロデューサーさんと会った時に「修羅なのだ!」って堤さんのマネして言っていたら「あなたの言い方では全然説得力がない」って言われました(笑)。その説得力のない僕が、何年か経って、それを書いた人を演じるわけです。不思議な巡り合わせですね(笑)。

 

――宮沢賢治のことをあまり知らずに観に来る方もいらっしゃるかと思います。お客様に、ぜひこういう風に観てほしいということなどあれば教えてください。

基本的には、ないです。お金を払って観に来てくださるということは、好きに解釈して好きに自分の人生と結び付けて感じていただければ良くて、その権利だと思っているので。ただこの作品については、仏教的な専門用語が出てきたりもするし、鍵となる登場人物の存在が賢治にとってどういう関係の人なのかわからないまま、物語が進むことになるのかもしれないし。それでも、「これってどういう状況?」と思いながら観ていたとしても、何かが心に残ると思うんです。ちょっとした心の、自分でも気づいていなかったひび割れみたいなものに水が沁み込んできて、下に溜まっていくような。きっとこれは、そういう作品になるような気がしています。……今の、すっごい、いいたとえでしたね!(笑)

 

取材・文/田中里津子

写真/山口真由子

 

ヘアメイク:Emiy

スタイリング:北澤”momo“寿志