KAAT 神奈川芸術劇場プロデュース『掃除機』|本谷有希子 インタビュー

「引き裂かれています」本谷有希子が臨む『掃除機』

ドイツで2019年に初演され、現地で“注目すべき10作品”にも選出された岡田利規の戯曲を本谷有希子が演出する『掃除機(原作:The Vacuum Cleaner)』が3月4日(土)に開幕する。

日本のみならず世界的な社会問題として露わになってきた「8050問題」を扱い、引きこもりの40代の娘、無職の30代の息子、80代の父親が暮らす家の情景を「掃除機」の目線から描く本作は、これが日本初演(日本語版は初上演)となる。出演者は家納ジュンコ、栗原類、山中崇、環 ROY、俵木藤汰、猪股俊明、モロ師岡。
稽古がスタートしての感想を、本谷に聞いた。

成功ってなんだろう?失敗ってなんだろう?

――お稽古が始まっていかがですか?

やる前からわかっていたことですが、改めて難しい台本だなと思っています。台本自体が難解という意味とは少し違って、岡田利規さんの戯曲の持つ力というか、磁場みたいなものがすごい力で発生しているので、どうしてもそっちに引っ張られちゃうんです。3行台詞を言っただけでもう、立ち上がる空気感からして“岡田さんの芝居のようなもの”になる。それはつまり、岡田さんがとても純度高く自分の世界観をつくられているからなんだなと思いつつ、どうやって岡田さんの呪縛から解かれようかと、試行錯誤しています(笑)。


――本谷さんとしてはどんな風につくりたいと思われていますか?

正直、ふたつの思いに引き裂かれている自分がいて。ひとつはシンプルに、この台本の良さが伝わるようにつくっていきたい、あまり余計なことをしたくないという思い。もうひとつは、でもやっぱり私がやるのだから、私の唾をまぶしていかなければいけないよねという思いです。でも後者って岡田さんの戯曲にとって余計なことじゃん?と思う……その堂々巡りです。


――KAATプロデュース作品ですが、そういう部分でKAATからオーダーが出されたのでしょうか?

いえ、オーダーは出ていないです。私自身が、この作品をつくりながら『今回の成功と失敗ってなんなんだろう』とふと考える時があって。“成功”っていう言葉も違うかもしれないですけど、でもそういう定義があるとしたら、『必ずしもこの戯曲をきちんと、いい戯曲なのだと伝えることが本当に成功なのだろうか、この場合』っていう。一般的には失敗と言われるような、リスクを取った挑戦が実は、成功なんじゃないかと考えたり。本当はもっとシンプルで、おもしろいかつまらないかだけなんですけどね。今は失敗と成功の定義や価値が自分の中でこんがらがっていますね(笑)。初めてなので、人の戯曲を演出するのが。やっぱり岡田さんの台本にもリスペクトがあるし。引き裂かれちゃいますね。


――稽古が始まって光が見えたりということはありますか?

私は(岡田による演出では用いられる)“身体表現”というものをまったく使わないでやってきた人間で、今作もそういう方法論を取らずにつくっていくつもりですが、それで光が見えたり闇が見えたり……悩むこともあります。この戯曲はそもそもストレートプレイをするように書かれていないので、こうつくっておもしろくなる可能性ってどれくらいあるんだろうとか考えたりもして。だからいわゆる写実的に芝居をするのとは違うやり方を模索しています。


――お稽古が始まる前にはこの戯曲に対してどう思われていましたか?

登場人物が数ページに渡る独白を一人でずっと吐き続けるというシーンがいくつもあるので、『それを身体表現なしに見せていくには』ということばかり考えていました。内容としては、『8050問題』という現代社会の問題を扱っていて、そこから社会的要素を抜いて、あくまで個人的な“あの人の話”“この人の話”にした戯曲だなと思うのですが、ドラマチックには描かれていないんですね。いや、岡田さんの書く戯曲の中ではドラマ要素をはらんでいる作品に分類されると思いますが、それでも今まで私がやってきたものに比べたらドラマ的要素が極力排除されているように思える。しかも唯一あったちょっとドラマチックな部分も、岡田さんの修正で取られちゃって、ええ!?って(笑)。


――岡田さんが手を加えられたのですね

そうですね、一度だけ。小さな修正なんですけど、そこでちょっとだけあった起伏が取られてしまいました。私は、若い頃は特に、“ドラマ”で見せてきたので、今は自分が持っている数少ない武器を取り上げられている気分ですね(笑)


――改めて、岡田さんとは異色のタッグなのですね

でもちゃんと岡田戯曲の良さは引き出したいと思っています。日本語の使い方も純粋におもしろいし、劇的要素をはらんでいないというのも、頭ではもちろんわかってたけど、私からすると『こんなふうに戯曲を仕上げていいんだ』というカルチャーショックのようなものを受けました。今回のお話を引き受けたのにはいろんな要因がありますが、そのひとつに『自分の生理にない戯曲と向き合ったらどうなるんだろう』という好奇心があったんです。自分の『ドラマがないと演劇って仕上がらないよね』というしぶとい固定観念を壊したいという欲求は年々高まっていたので、『演劇ってこうだよね』がオセロのようにひっくり返っていく感じは、しんどいけどおもしろいです。

音楽の環ROYがつくりだすもの

――今作には、本谷さんならではのアプローチとしてラッパーの環ROYさんの参加が挙げられますが、環さんの音楽は、岡田さん演出における身体表現のような役割になるのでしょうか?

いえ、そこは対にはならないですが、環さんは『掃除機』における役割としては大きな存在になっていますね。環さんが舞台上にどう居るかで、見え方や視点がガラッと変わったりするんですよ。演じている役者に向けるまなざしが、芝居としての表現の一部になったりするので。環さんとの創作はすごくおもしろいです。


――環さんはラップをやられるのですか?

はじめは『岡田さんの戯曲は長い言葉で書かれているので、もしかしたらラップと相性いいかもね』というような安直な連想から始まったのですが、稽古が始まる前に仮で、ある台詞をラップにしてみてもらって、ふたりですぐ『この可能性はないね』って潰しました(笑)。環さんには音楽監督的な関わり方でいてもらっています。私がいま環さんにお願いしているのは、舞台上では基本的にこの芝居に対して無関心でいてください、ということです。つまり彼は決して役者を助けるような役割として舞台上にはいない。私はこの作品は、“視点”をいくつ創出していくかが肝だなと思っていて。人が5人いれば、5人それぞれの視点を持っているし、さらに言うとお客さんもそれぞれ別の視点で同じ物事を観ているしっていう。そういう『フレームがいくつもある』『全部見え方が異なっている』というのも戯曲に書かれていることだと思うので、環さんはそういう意味で、舞台上で役者とは違う視点を創出してくれています。

今作では自分の方法論のなさを強みにしたい

――気になっているのは、父親ハノ・チョウホウ役が3人いる(モロ師岡、俵木藤汰、猪股俊明)ということです。ドイツで上演されたときは1人の俳優が演じていたのですよね?

そうです。2人追加されちゃってます(笑)。これは、私が’19年に上演した、夏の日の本谷有希子『本当の旅』で可能性を感じた表現なんですけど、そのときは主人公一人を、複数の俳優がなんの説明もなく入れ替わってやっていくという芝居をしました。


――なぜ今回、その手法を取り入れたのですか?

今回、自分なりに(岡田ならではの)身体表現を使わずに『掃除機』を見せられる要素を考えたときに、ストレートプレイとも少し違う手法を入れてみたらどうだろうかと考えました。それがこの表現です。実際に稽古でやってみて、全然考えた感じにはなりませんでしたけど(笑)、俵木さんも猪股さんもモロさんも魅力的な俳優さんで、最初のイメージにとどまらない存在になりつつあります。今回の芝居における大事な要素になってほしいですね。


――想像がつかないので楽しみです

でも改めて、『戯曲から自由になる』って本当に難しいことなんだなと思いますね。


――出演者の皆さんの印象もうかがいたいです


私は出演者の皆さんは全員初対面です。全員が演劇観も違うし演技体も違うので、今それぞれの役者さんにちょっとずつ違う方法でアプローチしていっています。というのも、なるべくバラエティに富んでいたいというか。私は恥ずかしながら自分の演劇に方法論がないんですよ。逆に岡田さんは、今現在がどうかはわからないですが、方法論を確立されている方という印象がある。だから今回は、自分の方法論のなさを強みにしたいと思い、その人がなるべくそれぞれそのままの居方でいられるような場所をつくろうとしています。


――最後に、本谷さんが今どんなことをおもしろいと思ってお芝居をつくられているのかうかがいたいです

最初は、この台本を読み込んで、いろいろ考察して演出していこうと思っていたのですが、うすうすこれは柄じゃないなと思い始めていて(笑)。私は常にインスピレーションを求めている、少し感覚的なつくり方をしたい演出家なんだと改めて実感しています。だから今は、まず“見えた画”を具現化して、その後に、じゃあなんでそうしたいと思ったんだろうってことを論理的に考える、そんなつくり方をしています。日々の生活の中で、私はどちらかというと頭で先に考えてしまう癖があるので、いま稽古場に来て、こうやって感覚を優先していることが自分はすごく楽しいです。それともうひとつ、私が稽古中によく見ているのは、今この場で行われていることでどんな空気ができあがっているかということです。それだけじゃないけど、そこがほとんどかもしれない(笑)。演技をもっと深めていくという作業ももちろん必要ですが、今出来上がっていく空気を観るのがおもしろいですね。

取材・文/中川實穗