100人でシェイクスピア。水とエネルギーを飛ばします! パルTAMAフェスのパルテノン多摩×劇団子供鉅人『夏の夜の夢』益山兄弟インタビュー

今年のパルTAMAフェスの目玉は、演劇界の最旬集団「子供鉅人(こどもきょじん)」による野外劇。「きらめきの池」を舞台に、総勢100人のキャストで見せる『夏の夜の夢』とは? 作・演出・出演をこなす代表の益山貴司さんと、その実弟で、女形で人気の看板役者・益山寬司さんに、見どころや劇団の歩みについて聞きました。

 

■水上ステージを活かしつつ、誰が見ても楽しめる作品に。


——きらめきの池で、100人でシェイクスピアを上演。今回はどうしてこんな企画に挑戦しようと?

貴司 「去年、下北沢の本多劇場で、100人で『マクベス』を上演するという企画をやらせていただいて、また100人でシェイクスピアをやりたいなと思っていたんです。ちょうどその時に、今回のパルTAMAフェスのお話をいただいて」

寬司 「最初は『テンペスト』をやりたいって言ってたんですよ」

貴司 「100人で水を巻き上げて、嵐の場面を表現したいなと思ったんです」

寬司 「でも、話がつまらんかった?」

貴司 「だはは(笑)。『マクベス』がシリアスだったので、今回はお祭っぽいものがしたいなと思って、『夏の夜の夢』にしたんです」


——『マクベス』の時に100人公募されたそうですが、どういう方が参加を?

貴司 「北は北海道から南は九州まで」

寬司 「下は18歳から上は69歳まで(笑)」

貴司 「いろんな年齢層の人がいたことで、特に群衆シーンは見応えがあるものになったと思います。例えば、100人で旗を持って振る。それだけでも“表現”になるんですよ」


——今回も100人公募していますが、『夏の夜の夢』に、100人がどういうふうに出てくるイメージですか?

貴司 「『夏の夜の夢』には森の妖精が出てきますから、妖精が100人、とか(笑)。池の周りに木がたくさん生えてますけど、その森の奥から、妖精がたくさん出てくるイメージはあります。あとは、森そのものになるとか。『マクベス』の時も、森を人で表現するっていうシーンがあったんですけど、そんなふうに、舞台美術としての人、という考え方もあるかなと思っています」


——100人の人が池の中に立っているだけでも、絵になりそうですね。

貴司 「本当にそう。あと前回、100人で歌を歌うシーンがあったんですよ」

寬司 「あれもすごかったな」

貴司 「100人で歌うと、けっこう迫力がある。今回もぜひ100人で歌ってみたいです」

寬司 「100人で水をバシャバシャやるだけでも、音楽になるんちゃう?」

貴司 「ウォータードラムになるな」


——普段の劇場では使えない、「水」に対する期待はありますか?

寬司 「水の中でやったことは……今までないな」

貴司 「うん。初めて触る素材なので、自分がどういうふうに演出できるのか、すごく楽しみです。水って、巻き上げて刻々と変化していくしぶきが、妖精の魔法の粉に見えたりする。そんなファンタジックな素材を100人で造形していくと、見たことのない風景ができるんじゃないかな」

寬司 「そやな。僕は美術担当ですけど、今回はペットボトルで舟を作って浮かべてみたい」

貴司 「1人10個ずつペットボトルを持ってきたら、100人で1000個になるな」

寬司 「それだけでめっちゃデカい船ができる。登場シーンは、それに乗って出たい(笑)。あ、花火もしたいな」

貴司 「花火で円を描くことを100人で一斉にやると、すごいかも」

寬司 「いいかもしれへん」

貴司 「風もあって、たぶん遠くから、予期しない音や声も聞こえてくる。魔法の森を舞台にした『夏の夜の夢』は、この場所に適してると思いますね」


——シェイクスピアというとセリフが独特でカタいイメージがあります。今回は?

貴司 「『マクベス』はシリアスなので松岡和子さんの訳そのままでやったんですけど、『夏の夜の夢』はコメディ。カタいところは揉みほぐして、親子で見られるというか、誰が見ても楽しめる作品にしたいなと思います」


■大阪の益山兄弟が、演劇にハマったワケ


——そもそもなぜ、ご兄弟で劇団をすることに?

貴司 「兄貴が野球をやってたら、弟も野球をする、みたいな兄弟は多いじゃないですか。そういう感じで、僕が演劇を始めたから弟も始めた、みたいな」


——貴司さんは、もともと演劇にご興味が?

貴司 「興味はなかったんです(笑)。高校で演劇を始めたのは、演劇部に脚本を書く人がいなくて、『益山くんは映画好きだから、書いてみれば?』と声をかけられたから。で、やってみたら、すごく面白かったんです。脚本書いて演出して自分たちで美術も作るという作業が、兄弟で秘密基地を作るとか、家の中のいらないものを集めてロボットを作って遊ぶっていう作業と、とても似ていて面白かった。そこに弟たちが巻き込まれるのは時間の問題でした」

寬司 「でも、けっこう楽しく巻き込まれて、そのまま今に至るという感じですね」


——貴司さんが最初に書いた脚本は、どういうものだったんですか。

貴司 「世界の終わりに巻き込まれた家族の話……みたいな(笑)。そのあと、顧問の先生が好きだった野田秀樹さんの「夢の遊眠社」時代のビデオを見せられて、ファンタジックな世界に引きずり込まれましたね。大阪の人間なので、テンション高く、どんどん前に進んでいく疾走感やザッピング感が、本当に面白かったんです」


——寬司さんの初舞台は?

寬司 「え、いつやろ……」

貴司 「まだ劇団になる前、ライブハウスで、ドン・キホーテをモチーフにした舞台をしていて。それかな」

寬司 「何の役?」

貴司 「子供をリモコンで操る女将さんの役やったな」

寬司 「ああ、そや。割烹着着たのは覚えてる」


——その頃から、寬司さんは女形だったんですね。

貴司 「あ、そうですね、確かに」

寬司 「最初から、しっかりと女形やったんやな(笑)」

貴司 「そして女将から、マクベス夫人になっていく(笑)」


——寬司さんは、役者をやってみたいという気持ちは?

寬司 「全然なかったんですよ。でも参加してみたら、めっちゃ楽しいなって」

貴司 「ウチの劇団には『演劇をしたい!』というところから出発している人が少ないんです。私も彼も絵を描いてたし、ほかのメンバーも服を作ったり音楽をやってたり」

寬司 「演劇はダサいって、けっこうずっと思ってました(笑)」

貴司 「でもそれが、始めてみると非常に悪魔的なジャンルで、1回やるとやめられない」

 

■東京よりもまずパリ? 規格外の『子供鉅人』の歴史


——2005年の第1回公演ことは、覚えていますか?

貴司 「それが、曖昧なんですよ。もともと私は大阪で築100年の長屋に住みながら、1階で座敷バーをやってたんですよ。そこにミュージシャンや絵描きやダンサーの人たちが遊びに来て、一緒にモノを作ったりイベントしたり、家の中でお芝居をしたりしていた。そういうなかでヨーロッパのアーティストと仲良くなって、東京に行くより前にパリ公演をしたりとか(笑)。だからいわゆる小劇場のスゴロクに乗らずに、自分たちで道を開拓してきたんです。そういうスピリットは今でも残っていて、去年も古いアパートをお客さんと一緒に壊しながら公演するという、たぶん演劇史上初の『解体公演』をやりました」

寬司 「あれは楽しかったな」

貴司 「この間は、自分たちが住んでいる家でリーディング公演をしたんですよ。部屋に役者を呼んで、ふすまを外した居間にお客さんに座ってもらって。演劇というと劇場でやらなきゃいけないって思いがちですけど、それもおかしな話で。もっと身近なところで、仲間内だけでやってもいい。お祭のように、野外で自分たちの楽しみのためにやってもいい。本当は、どこでも“劇場”になるはずだと思うんです」


——一方で、本多劇場や東京芸術劇場などの劇場でも公演されています。あえて劇場でやろうというところもあるんですか?

貴司 「ありますね。自分たちの家でやるということは、お客さんと仲間になるということ。でも劇場という空間になると、俳優と、お金を出した観客にくっきり分かれて、完全に『見る』『見られる』の関係になる。それは非常にスリリングで、自分たちがやってることの質を1個上げてもらうことにも繋がる。そういう意味では、劇場公演も必要だと思っています」


■NODA MAPで得たもの、東京進出の本当の理由


——お2人は、2010年から、野田秀樹さんのNODA MAP公演に何度も出演されていますね。それはどういう経緯で?

貴司 「野田さんのワークショップが大阪であった時に、2人で参加していて。そこで拾われたという感じでした」


——野田さんの演出を受けて、いかがでしたか?

貴司 「自分にとっては高校時代からの心の師匠みたいな方。役者さんもスタッフさんも、日本一と言っていい人たち。それまでの演劇はダサいっていうイメージが、もう完全に打ち砕かれましたね」

寬司 「僕は野田さんのことをよく知らんかったんやけど(笑)、むちゃくちゃカッコ良かったです」

貴司 「2014年に僕らは大阪から東京に拠点を移したんですけど、それも野田さんとの出会いが大きかったですね。こんなにちゃんと演劇をやってる人がいるんだ、自分もがんばんなきゃなっていう気持ちにさせられました」


——ほかにも何か上京の理由が?

寬司 「それは、売れたいから(笑)」

貴司 「それもありました(笑)。仕事の幅を広げながら、自分たちが集団として生き続けるためには、やっぱり東京に出ないといけないんだろうなと。あとは、演劇も水商売みたいなところがあって、私たちが一般の人にどれだけ夢を与えられるかと考えると、みんながやらないような無茶やがんばりを見せないとダメだという気持ちがあったんです」


——ちなみに、兄弟で劇団をやる良さは?

貴司 「笑いのツボが一緒なこと。劇団員が誰も笑ってないのに、2人だけゲラゲラ笑ってることがよくあるんですよ」

寬司 「ひぃひぃ言いながら、益山兄弟だけが笑ってる!みたいな(笑)」

貴司 「ツボが一緒だから、彼がやろうとしてることが瞬時に理解できるところはありますね」


——逆に、兄弟でやる大変さは?

貴司 「一緒に住んでるので、オン・オフの付け方はちょっと難しいかもしれない」


——稽古場で険悪になると、家でも険悪に?

貴司 「引きずることはありますね」

寬司 「最近、僕は引っ越したんですけどね」

貴司 「今は、ウチのもう1個下の弟(劇団員の益山U☆G)と2人暮らしです。その弟が、稽古場で『お兄ちゃん、あのさ』みたいな感じで話しかけてくるんですよ。そういう時に、『お兄ちゃんじゃない。演出としてちゃんと立てなさい!』みたいな(笑)。そういう大変さはあるかもしれない」

 

■アトラクションみたいに、体感して楽しんでほしい


——シェイクスピアもやればチャンバラもやり、プロレスもやり、音楽劇もあって、学園ラブコメSFドラマもあるというふうに、子供鉅人は作風が幅広いです。こういう劇団です、とひと言で説明するとしたら、どう言いますか?

寬司 「ええ〜っ。よく「子供鉅人って、どんな芝居をやってるんですか?」って聞かれるんですけど、説明ができない(笑)」

貴司 「説明できないまま、10年以上やってきてますから(笑)。でも、見に来てくれたお客さんがみんな言ってくれるのは、『元気になれる』ということ。お芝居のジャンルやパターンはいろいろであっても、『何を見ても元気になれる』という言葉を頂戴しております」


——お客さんに言われて一番嬉しい言葉は?

寬司 「人の本心って、言葉じゃなく、目で分かる。終演後、客出ししてる時に、『ああ、楽しかった!』みたいな目を見ると、すごく嬉しくなります。あとは、女形をやった時に、『めっちゃきれいやった!』って言われるのはやっぱり嬉しい(笑)」

貴司 「私は、『気持ち良かった』ですかね。脚本を書いたり演出したりする時に、理屈ではなく、生理的なリズムを大事にしてるところがあるんですよ。それは私にとって非常に気持ちのいいリズム。そのリズムが伝わって、『気持ちがいい』と言ってもらえると嬉しいです」


——それこそ野田秀樹さんの舞台も、独特のリズムがありますね。

貴司 「そうですね。『気持ちいい』ということは、演劇を、音楽のように観てもらえてるのかもしれない。『体感してくれてるのかな?』って思えた時が、一番、嬉しいかもしれません」


——今回は100人で水しぶきも上がるでしょうし、体感的に楽しめそうですね。

貴司 「『マクベス』の時に、お客さんに言われたんですけど、風を感じるみたいですよ。100人がワッと動くと、空気が動くのを感じるって。肉体が折り重なって、客席側に何かがなだれ込んでくる感じになるそうです」

寬司 「アトラクションみたいなものですね。ジェットコースターみたいなもの。ぜひ、濡れてもいい格好で会場に来てほしいです」

貴司 「うん。水とエネルギーを、いっぱい飛ばしますので」

寬司 「汗も全部、飛ばしますので(笑)」

 

インタビュー・文/泊貴洋
写真/疋田千里

 

【プロフィール】

益山貴司
ますやま・たかし○1982年生まれ、大阪府出身。劇団子供鉅人代表。劇作家、演出家、俳優。2005年、大阪にて子供鉅人を旗揚げ。以降、ほぼすべての作品の作・演出を担当。14年に劇団の拠点を東京へ移し、活躍の幅を広げている。18年は5月に新作『ハミンンンンンング』を東京・大阪で公演。7月に東京、仙台、大阪、福岡にて『真夜中の虹』の再演ツアーを敢行。

 

益山寬司
ますやま・かんじ○1985年大阪府生まれ。俳優、ダンサー、モデル、画家。子供鉅人の旗揚げより参加。代表の益山貴司の実弟(三男)。野田秀樹や白井晃の舞台、CM、映画でも活躍。モデルや画家などボーダレスに活動。CoRich舞台芸術!フェスティバル2012年俳優賞受賞。柔軟な体から繰り出されるダンサブルな動きと女形を得意とする。