PLAY/GROUND Creation #5『Spring Grieving』│池田努&三津谷亮&井上裕朗(演出) インタビュー

左から)池田努、三津谷亮、井上裕朗(演出)

俳優・井上裕朗が2015年に俳優たちを集めて実施した「actors’ playground(俳優たちの遊び場)」という勉強会から生まれたユニット、PLAY/GROUND Creation。俳優は誰にも従属せず、遊び心を大事にする、がルール。そのコンセプトを掲げて『BETRAYAL背信』『Navy Pier 埠頭にて』『The Pride』『CLOSER』と翻訳劇にこだわって公演を積み重ねてきた。スタイリッシュな空間の中に、ヒリヒリするような心のやりとりと、相反する安らぎが混在する世界を立ち上げてきたことで注目を集めている。しかし第5弾『Spring Grieving』はユニット始まって以来の書き下ろし。母親が亡くなり家と桜をどうするかを話すために集まった4人兄弟を描いたside-A『桜川家の四兄弟』、弟の死をきっかけに大学の准教授だった父と証券マンの兄の関係の様相が浮き彫りになるside-B『春を送る』の2本立てだ。代表で演出の井上裕朗、それぞれの作品で奥谷基次郎というキーマンを演じる池田努と三津谷亮に聞いた。

――PLAY/GROUND Creationはこれまで、海外戯曲にこだわってきましたが、今回はなんと初の書き下ろし、しかも新作2本立てというチャレンジングな企画です

井上裕朗(演出)

井上 コロナ禍の上演が続く中で、これまでも公演の「配信」を行いたかったのですが、海外戯曲だと権利関係でほとんど配信の許可が下りないんです。今年の公演を企画するにあたってなんとか配信をやりたいと思い、選択肢として日本の戯曲の上演を考え始めました。いろいろと作品を探し、このユニットの世界観や僕のやりたいものと照らし合わせたときになかなか「これ!」というものが見つからない。そんなときにふと「もしかして新作の上演もありなのか」と思い始めました。それまで一度も考えたことはなかったのですが……。そして新作を書いてもらうならぜひ、箱庭円舞曲で一緒に俳優として活動した須貝英くんに書いてもらえないだろうかと思ったんです。そしてすぐにお願いをしたら、快く引き受けてくれて。

――須貝さんはどんな劇作家さんなのですか?

井上 彼は俳優でもあるのですが、当時から劇作に興味があって、自らmonophonic orchestra、Mo’xtraというユニットも主宰しています。僕が参加したmonophonic orchestraの『花と土』という作品は子どもができない夫婦の物語で、ぽつりぽつりお互いを察し合いながら、言葉を選ぶようになされる会話の中に感じられる孤独の香りが印象的でした。それが日本の現代劇とはちょっと違う感じがして。またPLAY/GROUND Creationは俳優主体でというコンセプトがあって、音楽のオレノグラフィティくんや宣伝美術の藤尾勘太郎くんも俳優なんです。劇作家も俳優だというのは非常にコンセプトにフィットする。

――劇作にあたり、井上さんからはどんな提案をされたんですか?

井上 まず今までのPLAY/GROUND Creationの流れを踏襲したいと。都会、孤独、近しい間柄の登場人物、そして社会的な物語よりはごくごく個人的な物語にしたいとお願いしました。そして具体的にどういう作品にするか話したときに、僕と須貝さんがちょうど同じ時期に母を亡くしていて、強烈な経験として残っていたので、それを描こうということになりました。そこから『桜川家の四兄弟』が生まれたんです。しかし僕は欲張りで、これまでも一つの作品をダブルキャストでやってきましたし、2本立てにしたいとお願いし、『春を送る』も書いていただきました。

――池田さんはPLAY/GROUND Creationの常連ですが、新作と聞いたときはどんな思いを抱かれましたか?

池田努

池田 ものすごい新鮮で楽しみでした。死をテーマにした戯曲は、海外でもたくさんあるでしょうけど、やっぱり日本の作品の方がやる方もお客様もより身近に感じられると思うんです。いつものPLAY/GROUND Creationでこだわる役と自分、近しい人との結びつきなどの要素に、より深くアクセスできるんじゃないかと思いました。

――三津谷さんは井上さんとも共演されているんですよね?

三津谷 2014年にDULL-COLORED POPの『河童』で共演させていただきました。僕は当時、初めてのストレートプレイへの挑戦に不安がありました。よく覚えているのは、稽古場にいくと、裕朗さんがいつも笑顔で迎えてくれるんです。それが安心につながって、心を開いて参加することができました。

井上 『河童』は芥川龍之介の小説をベースにした作品で、三津谷くんが演じた役は、心をまったく持っていない河童が初めて人の心を知ったことで悩み苦しみ、河童史上初めて自殺してしまうんです。僕は三津谷くん演じる自殺した河童の姿を見ていろいろなことを考え始め、精神病院に送られる河童の役でした。エチュードをやったとき、みっちゃんと二人で号泣したのを今でも覚えています。

――PLAY/GROUND Creationに参加する俳優さんは泣き虫が多いですね

池田 泣き虫ばかりです!

井上 そう言う池ちゃんも相当泣き虫だよね。直接知らなかった俳優さんも含めていろいろな人をキャスティングするわけですけど、3・4日か稽古してみると何となくみんな雰囲気が似ていて不思議です。

――三津谷さんはPLAY/GROUND Creationをご覧になったことありますか?

三津谷亮

三津谷 最初の『BETRAYAL 背信』を拝見しました。その後はすべて本番とかぶってしまって、観たいのにいかれないという。

井上 みっちゃんのことはこれまでもずっと出演してほしいと願っていました。

三津谷 そうなんですか!ありがとうございます。『BETRAYAL 背信』は内容的にはヘビーだし大変なはずですけど、役者として見ていると、楽しそうだし、デトックスになりそうで本当に出演したくなるんです。

池田 デトックス効果、ありますね。PLAY/GROUND Creationは俳優が喜ぶ現場です。

――『桜川家の四兄弟』と『春を送る』について教えてください

三津谷 すごくシンパシーを感じてしまいます。それは僕の実家が同じような状態だったから。古い家には姉夫婦が住んでいたのですが、家を壊すと幼いころからの思い出も一緒に壊れてしまいそうで僕が渋っていたんです。でも姉夫婦からしたら、修繕しながら住んでいるけれど、お金がいくらあっても足りないから建て直したい。そんなやり取りの間にもどんどん家が難しい状態になり、直したところもダメになるという悪循環が起きて。それで思い出を残したいというのはエゴだと気づいたんです。思い出は自分の中に残せばいいわけじゃないですか。建て直してからは、姉夫婦は本当に幸せに生きているんです。

池田 リアルタイムに経験しているんだね。僕の両親はおかけ様で元気ですが、親戚、恩師、友達と身近な人が結構亡くなっている。でも「死」をどのように受け止めて、寄り添ったり、行動していくべきか、なかなか僕自身は答えが出ていない。亡くなった人のことを思うたびに、「あのときこうすれば良かった」といろいろ消化できないことがあるんです。「死」は誰にとっても身近なもので、いずれ訪れる。非常に大きなものなのに触れられない、語られない、語ろうとすると言葉が出てこない。まさに演劇の描くべきテーマだと思います。『桜川家の四兄弟』は家や桜をどうするかという設定があることで語られない何かをお客様も感じることができるし、語るべき言葉が見つけられるような気がします。また稽古で「死」について話し合う時間があって。そのときに語られていない言葉を自分の中から発していくと、何か感情や理解と結びついたりして、いろいろ発見がありました。

三津谷 『春を送る』も実はすごくタイムリーな作品です。僕自身、おばあちゃんが今ツアーしている作品(取材時はプリエールプロデュース『マミィ!』でツアー中だった)の稽古中に亡くなったんです。デビューして15年、初めて青森への凱旋公演があって、それを楽しみにしてくれていたんですけど、先にお葬式で帰ることになった。『春を送る』の基次郎は弟の死に対する理解が本当に遅いんですけど、僕もおばあちゃんが亡くなったときに全然感情が追いつかなくて、おばあちゃんが元気だったころのイメージしか浮かばなかった。凱旋公演がちょうど四十九日だったんですけど、そこでやっと感情が追いついてきた、理解できたんです。その感覚が基次郎と似ているなと。傍から見たら「なんだこいつ」と見えるかもしれないけど、僕は逆に自分でも気づかない死に対しての理解を大事にしたいからこその遅さなんじゃないかなって。すごく素敵だと思います。

――『桜川家の四兄弟』『春を送る』には奥谷基次郎というキャラクターが登場します。池田さん三津谷はそれぞれの作品で奥谷基次郎を演じますね

井上 まず2本立てという案を出したときに、それぞれの作品は独立した、別プロダクションではあるのですが、せっかく同時上演するのだから、家族の死という共通テーマ以外にも面白い仕掛けを入れたいと考えたのが奥谷基次郎でした。両作品を見ていただくと、これは奥谷基次郎物語として見えてくると思います。

池田 『春を送る』では弟の死をきっかけに、奥谷基次郎が「死」についていろいろと感じたり考えたりします。二つの作品の10年の間にもどういう人生哲学や死生観を持っていて、どう変わっていったのかを想像できる。それをどう丁寧に追体験するか、僕の身体と人生を通して探っていくことがやらなきゃいけないことだと思っています。

――三津谷さんは池田さんとも共演されているんですよね。同じ役を演じるのはどんなお気持ちですか?

池田 うれしいです。

三津谷 いや、もう本当に池さんにはお世話になっています。僕はやらかし系なんですけど、いつも優しく見守ってくださるんですよ。

池田 いやいや。なんかお互い似ているところがあると思うんだ。

三津谷 ええ、本当ですか?

池田 外見じゃなくて、心の何かがね。

井上 僕も二人はすごく似ていると思う。褒め言葉ですけど、とにかく繊細で、屈折していて、複雑。基次郎がそういう人で、なかなかやれる役者さんはいないと思っていて、とにかく軸になる役なので二人にお願いしたわけです。

三津谷 僕もなんでもかんでも露わにするのではなく、池さんのようにちゃんと隠して、余裕を持った大人の男になれたらいいなとは思います。

池田 あはは!ただ中年なだけだけどね。

――三津谷さん、東京に戻ってきたら池田さんと役について話し合ったりしますか?

三津谷 そうですね、相談という名の飲み会をしたい!

一同 はははは!

井上 みっちゃんは若い基次郎だから、その後の基次郎を知っている必要はないけれど、池ちゃんは年を重ねた基次郎だから、若い基次郎もきちんと知っておかなければならないから『春を送る』の稽古にも最初の何回かは参加してもらおうと思ってます。

三津谷 だったらなおのこと相談しに行きます。今回は1作品だけでも十分楽しめるのですが、両方を見て完成になると思うので、いろいろなことを感じていただけたらうれしいです。

池田 この2作品は大事件も何も起きません。でも刺激的なことがあふれたエンタメに比べると、非常につくるのが難しいし、手間がかかる。お客様にはこういう作品の素晴らしさを知ってほしいですね。演劇やすべての芸術って世界をより良いものにするためのものですから、多くの皆さんに見ていただきたい。

井上 これまでは、海外戯曲をどうしたら現代日本に生きる我々の物語にできるかを考えてきました。今回はそもそもが現代日本に生きる我々の物語です。これを立ち上げるにあたって、物語と近くなりすぎて平面的な世界になることをどうにかして避けたいなと考えています。海外の演出家がこの戯曲を演出するとしたらどうするだろう、みたいな感じで、少し距離を置いてこの物語やキャラクターを見つめてみたいと思っています。

そんな中で、敢えてストレートに「桜」というモチーフを前面に出して作品を立ち上げています。桜にはもちろん美しい華やかな世界もあるけれど、散った後には寂しさ、死の匂いも感じられる。たとえば3月11日以降、春になると日本全国が「死」を感じる季節になっています。またコロナにも死の香りがつきまとう。この10年、言葉にしないまでも日本全体がずっと死の匂いが漂っている、特に春はそんな気がするんです。父親や母親が亡くなったとき、一人が亡くなっただけでこんなに悲しいのに、3月11日には大切な人、家や土地を失ったりした悲しみが何千、何万、何十万も生まれた。その総量は計り知れない。2作品で描いているのは個人の死や小さな家族の物語ですけど、春、桜というモチーフから、何かそういうことにも思いをはせる、ふっと世界が広がっていくような作品になるといいなと思っています。

インタビュー・文/今井浩一