向田邦子の傑作をふたり芝居で90分ノンストップ
継母と息子、なさぬ仲がはらむ熱、禁断の“ミゾミゾ舞台”
向田邦子の晩年の名作『家族熱』が40年ぶりに“ふたり芝居”になってよみがえる。1978年の連続ドラマを原作にしつつ、そこから3年後の設定に翻案して新たな息吹を加え、登場人物はたった二人に絞られた。美しい継母・朋子役にミムラ、歳の近い息子・杉男役に溝端淳平。後妻として嫁いで13年目、夫が元妻とヨリを戻したことで家族の平穏が崩れる。朋子は家を出、杉男は父を憎みながら実母と継母の間で揺れ、それから3年後。母でなくなった朋子、息子でなくなった杉男は再会し、それまでひた隠しにしていたお互いの本心を知ることに……。と、ざっくりすぎるあらすじだが、これを聞くだけで禁断の香りにゾクゾクしてならない。脚色・演出は合津直枝。物語と俳優の力さえあれば豊かな世界が構築できると、2016年から“ふたり芝居シリーズ”を進めている。徹底した役づくりで過去に2度向田邦子役を好演し、いまや“向田邦子の伝道師”と呼ばれるミムラだが、最初のきっかけを作ったのは合津だったそう。ポスター撮影のために台本を読み合わせるなど、舞台製作の通例を逸脱する世界観づくりは、すでに始まっている。3人に話を聞いた。
――出演が決まった気持ちを聞かせてください。“向田邦子の伝道師”と呼ばれるミムラさんには強く思うことがあるのではと。
ミムラ「そんな風におっしゃっていただき恐縮ですが、最初の向田邦子役をくださったのが合津さんで(『おまえなしでは生きていけない〜猫を愛した芸術家の物語〜 向田邦子 ボクだけが見た彼女の涙』11年、NHK BSプレミアム)、そのときの好評を憶えてくださっていた方が『トットてれび』(16年、NHK)に呼んでくださった。なので、合津さんが産みの親といって過言ではないと思います。そして、いよいよ、向田作品に出られるので、“やったー!”しかなかったです。大ファンとして、作品世界にも入りたいとずっと思っていましたから」
溝端「向田作品というジャンルからオファーがいただけるとは思ってなくて、いつか触れられる機会が来ればがんばりたいと思っていましたが、この作品で、しかもミムラさんと二人芝居というのが有難くて。合津さんが素晴らしいとも風のウワサで聞いていましたし」
合津「えー、なにそれ(笑)。初めて聞いた!」
溝端「ほかの俳優さんや、事務所から聞いたんですよ。本当です!」
――二人芝居は?
溝端「初めてです」
ミムラ「わたしも初めて」
――二人は……、逃げ場がないですよね。
ミムラ「正直にお話すると、観客として二人芝居に集中しきれたことがないんです。どうしても中だるみがくるので、つまり、演じる身としては非常に怖いジャンルです。下手をしたら、一人芝居より難しいとも思う。怖いけれど、それが楽しみでもあるんです」
溝端「少人数の、たとえば3人芝居でも、関係性がハッキリしなくて物語を進めるのが難しい。それが、今回は二人ですから。長いセリフを二人で分けて言っているようになってはいけないので、感情も、ディティールも、そうとう細かく作ってメリハリをつけていかないと。でも、二人芝居は、僕もチャンスだと思います」
――合津さんは2016年から“ふたり芝居シリーズ”を続けられていますが、その理由はなんでしょう?
合津「長く映像をやってきましたが、もっと大仕掛けに、もっと派手に、もっと展開速くなど、テレビではもっともっととプラスすることが求められました。だけど、ちょっと真面目に言いますと、東日本大震災で流されてゆく家や車を見たとき、私たちはプラスすることで果たして本質を伝えることができていたのか、余計なものを省いて削いだほうが、本質が届くんじゃないだろうかと思ったんです。これから先はキャメラの故障にもお天気にも左右されず本物をつくっていきたい、と。どんどん省いて削いで断捨離して、すぐれた物語とそれを演じる俳優の心だけで創造したい。今回で言えば、朋子と杉男の感情だけあれば90分間じゅうぶんお客様を楽しませることができるんじゃないか。一人じゃ物語は起こせないけど、二人になれば物語は起こる。最小限のもので最高のものを作りたい、というのがわたしの野望です。(笑)ほんと(ミムラと溝端に)逃げ場はないわよ(笑)!」
ミムラ「われわれ、だんだん酸素が薄くなってきました(笑)」
合津「こういうのもたまにはあっていいんじゃない。タマネギみたいにぜんぶ剥いて最後になにを残せるのか、この3人でとことん体験したいと思います。向田作品をオンタイムで見ていた最後の世代なんで、向田世界の本質を装飾なしで見せたい。同じ仕事をしている者として、語り継いでいかなきゃ、演じ残していかなきゃという義務感もあります。いい本には役者も演出家も鍛えられますからね。向田さんがご存命なら、もっと生々しくお書きになったんじゃないかしら、という思いがあって、舞台ではドラマから3年後の設定で二人を再会させました。それで、それまで言えなかったことを打ち明け、互いに感じ合い、思い出のやり直しをさせたい、二人のリスタートをやってみたい、と思いました。向田さん、上(天)からご覧になられて、違うわよ、とはおっしゃらないのでは、と思っています」
――伺ったところ、ポスター撮りのために読み合わせをしたそうですね。だから、チラシのこの雰囲気が出せたと。
溝端「正直、一回の読み合わせでミムラさんを感じる余裕はありませんでした。でも、僕が感動したのは、ポスター撮りのために台本を読もう、という合津さんの心意気が素晴らしい。これまでやったことがありません。で、出来上がりを見ると、ああ、やっぱり、読み合わせでこの空気感、世界観を作って撮ると、こんなにいいものができるのか、と。どの現場でも基本にすればいいのになって思いました」
ミムラ「舞台のポスター撮りって、タイミングがすごく早いですもんね。わたしも初舞台時は驚きました。先行したビジュアルイメージと、まだ完成していない台本の中身が、離れてしまわないのかと不安もあって」
合津「舞台のポスター撮りに演出家はいないものなの?」
溝端「いるときもありますけど、通常は宣伝美術のディレクターの仕切りですね」
ミムラ「どちらかというと、アート、なんですよね。だから、今回のように物語の中身でみせようというのは珍しい」
――お顔が違いますね。
ミムラ「自分でも思います。いつもはこんな顔していない(笑)。」
合津「わたしがずっと映像をやってきたからでしょうね。映画のチラシと同様に、物語の一瞬を切り取る撮影をしたかったんです。最初にお客さんに届くチラシやポスターで世界観を伝えないでどうすんだって、デザイナーさんの前でもうるさく言う演出家なので(笑)」
溝端「やっぱり目を惹きますよ。今回のも、『悪人』(3/29~4/8@シアタートラム 本作『家族熱』の前に上演される合津の“ふたり芝居シリーズ”)も」
ミムラ「役者は、役のまま撮ってもらうほうが安心するんですよね。本読みのとき、発散するエネルギー必要量の多さに慄きました。二人きりの閉鎖的な空間では、こんなに濃いエネルギーの交換になるのかと。でもそのおかげで、朋子の顔が見えたんです。」
――ポスターやチラシの完成度は、役者としてうれしいところなんですね。
ミムラ「ですね。ただ、この完成度で、周囲にもいいねと言っていただくことが多く、そうすると、これを越えていかなきゃいけないぞ、と(笑)」
溝端「でも、チラシが第一歩、ですから。キャストや演出家にひかれても、チラシで行く気がなくなること、僕でもよくあります」
ミムラ「最初の意気込み宣言、ですもんね」
合津「タイトルの“熱”の字だけ赤くしたとき、わたし狂喜したもの!」
溝端「おおー、いいですよね、すごく目立っています。唯一のカタカナ、ミムラも目立ってる」
ミムラ「隙間の多い名前ですみません(笑)」
溝端「逆に、僕はまったく隙間が無くてすみません(笑)」
――チラシでもう一つ気づいたのが、キャッチコピー(『もう母とは呼ばない・・・/ぼくの美しいひと。』)が男性目線であること。女性作家の、女性目線・女性感情の強い作品かと勝手に想像しましたが、コピーは男性なので、両性双方の視点を感じました。
合津「妹の和子さんが向田さんの著作権を管理されているんですが、チラシ案をお見せしたら、コピーをご覧になって、うまいこと言ったわね、と。わーい!(笑)」
ミムラ「やったー!ですね。もう一つ、二人の構図もすごいんですよ。溝端さんのこの部分の“みぞ”(あごの下から胸にかけて)にわたしをどうハメるか、試行錯誤しました。撮影に熱中し、いいのが撮れた、良かった良かったと終わってから、ふと、年上の女優、つまりわたしが光源の影にいることに気づいたんです。普通は女優に光を当てます。でも、これは逆。溝端さんに光が当たることで、このコピーの意味もぐっと前に出てくる!」
溝端「はあー!改めて……、すごい」
――では、中身について教えてください。台本を読んでの意気込みは。
ミムラ「二人芝居で一番怖いのは、トーンが一定化してしまい、固着すること。合津さんは、ダイナミズムを持ちたい、二人ならでは自由度をうまく使って、とおっしゃいます。うれしかったのが、二人の会話に別の人が登場するとき、思い切りその人になってしまっていい、と言われたことでした。朋子と杉男さんの会話には、ほかの家族も出てきます。ポスター撮影前の読み合わせでは、微妙に中庸な読み方をしてしまったんですが、本当にその人になり切っていいんだと言われ、一つ、ブレイクポイントができました。わたしが演じる継母の朋子とはまた違う危うさを持った杉男さんの実母は、ヒリヒリするトーンになる。その瞬間は実母になり切り、ショックを受けた朋子がいて、また語り部の朋子にキューッと戻る。難しいですが、うまーく気持ち悪くやりたいなと。見慣れない演技の一つになると思うので、みなさんにもドキッとしていただけるかも」
合津「実母になってみる、あのシーンは、とっても大事なところだから。イキきったほうがいい。あそこは完全にイッちゃったほうが、朋子にも杉男にも絶対いいと思います」
溝端「イキきるんですね。わかりました。僕も、自分が思ったことをハッキリ言うタイプなので、杉男もっと行け!と思うところが多々あって。抑制するのがカッコよくて、それが美学なのかとも思いましたが、ダイナミックに、もっとやっていいんですね。向田作品だからと硬くならず思い切り行きます。僕も、父親になったりしますし」
――杉男行け!というのは?
溝端「自分に似た継母に想いを寄せているけど、自分を抑えて……、うーん!」
合津「杉男はとても抑制力が強い。でも、そういう子どもだったから、朋子もかわいかったんじゃないかな。子どもなりに家族のことを懸命に考えている姿は、すごくいじらしいし…」
溝端「ただ、杉男の抑制は、必ずしもいいことばかりじゃないというか、自分の首も、人の首も絞めている感じがあります。……で、早く抱いちゃえばいいのに!と思ったんです」
ミムラ「それ! 実は、合津さんが汲んで台本に加筆しているんですよね」
合津「杉男を見てて、ちょっと足踏みしすぎかなと。だから、一回、杉男行け!と」
ミムラ「台本を読んだ段階ではフィフティ・フィフティに見えたのに、読み合わせると、結構朋子の支配している時間が長いんですよね。だから、杉男、行け!」
――役づくりで考えていることは? ミムラさんの役づくりはいつも徹底的だそうですが。
ミムラ「この人(朋子)には自覚的な頭の良さがあり、一人で生きていけるほど強くないとわかっている。強い人の傘の下に入って安心して暮らしたいと思い、打算的に家に入ったと告白しますが、これって、野生動物、例えば猿の雌でもよくやることらしいんですよ。ですが、この人は徹しきれなかった。で、それこそ向田作品のおもしろさで、日々の凡下な、雑事の中に真相が埋まっている。家族の汚れた洗濯物の中に真実がある、みたいな感じ。なので、この作品中は、家事を意識的にやろうと思います。家のことをやりながらでしか感じられない生臭さ、それは、朋子がずっと嗅いでいたもの。嫌にもなったし、忘れられないものもあると思う。洗濯物、お料理、食器のこと。家の中に入っている女性にしか感じられないものが、朋子のパーソナリティと深くくっついているので、わたし自身も家事をやりながら考えたいと思います。煮立つ鍋や、焦げ付いた魚。いやがおうにも家事の中に心象風景を見てしまう。その辺りをちゃんとやりたいです」
溝端「杉男は、朋子さんに会ったことで、母を女として見る。それで、親父を男として見始めるんですが、男はだれでも、親父を男として見る時期があると思うんです。それが来たら、一つ成長するのかなと。朋子さんが家を出てから会っていなかった期間の杉男の成長や、青年になりたての、もどかしいぐちゃぐちゃも、いっぱい出せればいいと思うし、それが美しさにもつながるかなと。僕自身はまだ超えていないかもしれないですが(苦笑)」
合津「この作品で一段と大人になります(笑)」
溝端「合津さんがおっしゃってくださるなら……、がんばります!」
――禁断のなにかを感じてそそられる作品です。禁断を見たい!と。
合津「子どもにとって異性の親って最初の恋の相手なんですよね。継母と息子というなさぬ仲の親子関係は、実に危険をはらんでいる。危険で甘い匂いがぷんぷんする。家族という抑制が効いているから行きたいけど行けない、そういう何とも“ミゾミゾ”の感じが、ドラマチックだとわたしは思ってて。大事件は起きないけれど、息子じゃなく男になりたい、母じゃなく女になりたい、という心の中の大ドラマ。それを90分ノンストップで、杉男は行くのか行かないのか!?どうすんのよって、この“ミゾミゾ”を一緒に楽しんでもらえたら、と。しかも、スクリーン越しでなく、生身の人間が向き合って、ツンデレもあって押し引きしてグラッときたり。また、朋子がいじめるのよね、わたしが書いたんだけど(笑)。息子であることと男であること、どちらが勝つか、母であることと女であること、どちらが勝つか。行ったり来たりの90分を作りたいと思います」
ミムラ「母親然として振る舞うことで、逆に女が匂い立つこともありますよね」
合津「杉男さん子どもだったもの、とか言われると、杉男としてはムラっとするわけよね」
溝端「そういうことか……(汗)!」
合津「朋子は年上だけに裏があるし奥が深い。しかも、美しい人には毒がなければいけない。だから、結構プレイなところもあるでしょうね」
――客席の息遣いも激しく起きそう。
ミムラ「うわ気まずいーって、客席で悶えていただきたい(笑)」
溝端「危うい二人……」
ミムラ「朋子も杉男も、ほかの家族に比べてがんばりすぎで、抑制しすぎで、静態しすぎた。その行き過ぎた禁欲性が、観ている人にはスリリングに映ればいいし、そこを越えたときのカタルシスまでお客様をお連れしたいですね」
合津「ミゾミゾしてほしいですね」
――……ちなみに、先ほどから頻発の、ミゾミゾ、とは?
ミムラ「合津さんがよくおっしゃってますね。ポスタービジュアルの、わたしがハマっている溝端さんの“みぞ”、ここのところのミゾミゾ、かな?(笑)」
溝端「僕、でしたか(苦笑)」
インタビュー・文/丸古玲子
【プロフィール】
ミムラ
■ミムラ 埼玉県出身。03年、ヒロイン公募オーディション1万人から選ばれドラマ『ビギナー』で女優デビュー。テレビ、映画、舞台と幅広く活躍。無類の読書家でも知られ、エッセイ集『文集』、『ミムラの絵本日和』など執筆も行う。近年の出演に舞台『人間風車』、映画『彼らが本気で編むときは、』ほか、NHK大河『西郷どん』出演。
溝端淳平
■ミゾバタ ジュンペイ 和歌山県出身。06年「第19回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを受賞。NHK BS時代劇『立花登青春手控え』シリーズ主演、舞台『管理人』主演ほか、蜷川幸雄三回忌追悼公演『ムサシ』出演など、実力・人気共に飛躍を続けている。
合津直枝
■ゴウヅ ナオエ 長野県出身。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。映画『幻の光』(95)の企画・プロデュース。同作でベネチア映画祭 金のオゼッラ賞、藤本賞ほか多数受賞。映画『落下する夕方』(98)で監督デビュー。ベルリン映画祭招待、新藤兼人賞 銀賞 受賞。NHK連続ドラマ「書店員ミチルの身の上話」(13)全10話脚本・演出・プロデュース。最近の舞台演出は、「乳房」「檀」。3月には吉田修一原作「悪人」。