©Tadayuki Minamoto
「泣かそうとする作品では絶対ない」(片桐)
片桐はいりと安藤玉恵の一人芝居『スプーンフェイス・スタインバーグ』
片桐はいり・安藤玉恵のWキャストで届ける一人芝居『スプーンフェイス・スタインバーグ』が2024年2月に神奈川・KAAT神奈川芸術劇場<大スタジオ>にて上演される。
本作は、ミュージカル『ビリー・エリオット~リトル・ダンサー~』の脚本で知られる劇作家リー・ホールによってラジオドラマとして書かれたもので、顔がスプーンのように丸いため“スプーンフェイス”と名付けられた自閉症の少女が7 歳で癌に侵され――という物語。イギリスのほか世界各国で上演され、日本でも2010年に長塚圭史がリーディング公演として上演した。本公演では演出を小山ゆうなが手がける。
Wキャストで出演する片桐はいりと安藤玉恵に話を聞いた。
A面・B面にはならない2人
――一人芝居で7歳の病気の少女を演じる、という作品ですが、オファーを受けてどのようなことを考えられましたか?
片桐 本当に最もやりたくない……。
安藤 (笑)。
片桐 病気で苦しい、台詞を多く喋る、っていうのは最もやりたくない役ですから。これはないだろうなと思いました。でも脚本を声に出して読んでみたら、安藤さんがさっき(別の場で)「これはやるやつだという直感があった」とおっしゃっていたんですけど……先に言っちゃった、ごめんなさい。
安藤 いえいえ、どうぞ。
片桐 私も私で今は膝が悪いので(動きづらくて)大人数の舞台をできないとかいろんな条件が重なって、「これはやらなければいけない」と思いました。なんか「乗る船が来た」って感じがしましたね。どこへ行くかもわからないけど、みたいな。それに船には安藤さんが先に乗ってらっしゃったので、それも大きかった。
――安藤さんが先に出演が決まっていたんですね
片桐 そうなんです。そこはだいぶ違いました。「人がいる」ってこともだし、そこに「安藤さん」がいらっしゃるっていうのはかなり大きかった。一人でこれに挑めといわれるとちょっとビビるかな、私なら。
安藤 そうですね。
――安藤さんがいらっしゃるというのは、どう大きかったのですか?
片桐 Wキャストでも「A面・B面」みたいなキャスティングだったらちょっと嫌だなと思ったんですよ。でも安藤さんと私はどっちが標準(A面)みたいなことにならない感じがしたので、これはおもしろいねと感じました。私も安藤さんが演じているのを観たいと思いますし。そういう方であったことは大きかったかと思います。
安藤 私は実家のとんかつ屋で一人芝居をやっていたのですが(2020年より不定期開催の「安藤玉恵による“とんかつ”と“語り”の夕べ」)、一人ってなんか、寂しいんです。だから一人芝居はあんまりやりたくないなというのはあったんです。でも脚本を読んで、「これはやらなきゃいけないやつだな」と、直感ですけど思いました。
――「やならきゃいけない」っていうのはどういうことなのでしょうか?
安藤 フラットに読み始めるんですけど、感情がすごく動くんですよ。戦争のこともそうだし、彼女自身の特性も含めて、いま私がやったらいいんじゃないかなといいますか、やることは自分にとってもよさそう、というような気持ちです。
――ちなみに、船に片桐さんが乗ってこられたことはどう感じられましたか?
片桐 一応、安藤さんに「片桐がやるって言ってますけど大丈夫ですか」と聞いてくださいねって話はしましたよ。だって先にいる人は後から来る人を選べないもんね。
安藤 (笑)。豪華客船になりましたよ。すごいことです、本当に。だって私は、大学1年生のときに観た(片桐出演作の)『マシーン日記』初演(’96年)が初めてのおもしろかった演劇ですから。
片桐 ひー!
安藤 それまでも演劇は観ていましたけど、生まれて初めて衝撃を受けたのが『マシーン日記』@ザ・スズナリでした。だから(片桐は)違う存在なんです。
片桐 それはそれは。私にとっての緑魔子さんみたいなものかな。本多劇場のこけら落としで上演された『秘密の花園』(‘82年)で観た緑魔子!(笑)。
安藤 だから友達がもし「1回しか観られない」と言ったら「はいりさん」って言いそうです、私。自分も観てほしいけど、はいりさんのほうも絶対おもしろいから。どっちでもいいなって。
片桐 そういう話で言うと、うちの近所のなにも文化的な匂いのないごはん屋で…
安藤 (笑)。
片桐 みんなで「いま観たい女優」みたいな話をしているときに「安藤玉恵」と盛り上がったことがあったんですよ。
安藤 大変だ。
片桐 私は「ふ~ん。(この場に)私がいるのに安藤玉恵……」と思いましたけど(笑)。でも今みんなが観たい人なんだというのは、納得でしたね。
観に来た人たちが「やってみよう」と思ったり演劇が好きになるものに
――物語そのものにはどんな印象をお持ちですか?
安藤 悲しいなとは思いましたね。幼い子が癌になっちゃう話なので。作家の方はどうしてこういう主人公にして、こういう話をつくったのかな、と考えました。ただ語り口が大人びているというか、たまにクスッと笑ったりしちゃうんですよ。7歳の少女が考える「生死」に私が影響をうけて、台詞を体で表現してみる、彼女との対話というか。演劇が与える影響はそこかなと、感覚的に。そんな感じでした。
片桐 もともとはラジオドラマとして書かれているもので、いま私たちはいきなりその翻訳を読んでいるわけだけど、なんて言うんでしょうね、読んでるときは、うわ、まだ来るんだ、まだこの子は辛いことが、え、もっと!?みたいな印象で、「重ねてくる」って感じだったんですよ。最初から割ととばしてるしね。
安藤 ほんとですよね。悲しい戦争の話の後に、癌になって、薬も効かなくて。
片桐 そもそも自閉症でとか、頭打ってとか、お父さんはとんでもないし、お母さんはアル中になってとか、こんなてんこ盛りある?って状態なんだけど、この読後感の悪くなさはなんだろうっていう。それと、声に出してみたときに、「そうじゃなく聞けるようにできる可能性はある」と自分が思えたっていうのもあります。実際にやると思って読んでみるとまた違うことも出てきているんですけどね。でもそれは別にいい悪いの話じゃなくて、いつまでもパタンパタンと転がっていくことなんだと思います。ただいわゆる泣かそうとする難病ものとかっていうことでは絶対ないので。
安藤 そうですね。
片桐 かといって生(せい)の歓びを声高らかに歌い上げる、とかいうのでもない。イギリス独特という言い方をしていいのかわからないけど、シニカルさがあるんですよ。それが私には一番刺さっているんだろうなと思います。ちょっとした諦めの中のしあわせ、みたいな、平和、みたいな。なんかそのテイストが好きなんだろうなと思います。あらすじだけ読んだら観に行かない、まったく興味ありませんって種類のものなんだけど(笑)、なんか違うんだよねっていう。さらにそこに安藤玉恵という名前もあったので、「これは全然違うよね、きっと」となったんだと思います。
安藤 「一人芝居をやりませんか?」と、提案いただくこと自体が特別ですから、それも含めて考えました。この作品をやることの意味みたいなことを。なにかできることがあるんじゃないかっていう。驕りじゃなくてね。今できることがあるのかなっていうのは考えました。
――それは社会に対して、みたいなことなんですか?
安藤 そうです。偽善は嫌ですが、目をそむけられない事もありますから。
片桐 うん。ね。
安藤 これはKAAT神奈川芸術劇場プロデュース作品なんですけど、KAATのみなさんの「公共劇場としてなにをするか」という思いも受け取って、やる意味があるなということを思ったんです。演劇自体の多様性というか、舞台表現のひとつとしてこういう作品があってもいいんじゃないかとか、それを任せてもらえるということに対する喜びもありましたから。プレッシャーも同じくらいありますけど。
片桐 地方公演をやるとしても、神奈川のいろんなところでやるって話だって聞いたから、それはおもしろいねと思いました(※本作はKAATのみでの上演)。「今日、野毛で大道芸やるから行ってきて」みたいな話になるんだったらちょっと楽しそうだなと思って。
安藤 特に演劇をすることが期待されてない場所でね。
片桐 ああ、それはいいね!
安藤 私は「市民と一緒」っていうのがすごくいいなと思っているんです。KAATの在り方もそういうところがいいなと思う。そんなふうに演劇がいつもあったらいいなって。私も市民だけど、少しだけ目立つし声も出るからっていう理由でちょっとやってる、くらいの感覚でできたらいいなって。
片桐 なるほどね。
安藤 だから、「素晴らしい芸術作品をつくろう!」というふうな気持ちじゃないんです。もう少し地べたというかね。キラキラしていない。
片桐 素晴らしい芸術作品ではないという話、すごく賛成と思いました。かといって『土佐源氏』(俳優の坂本長利が50年以上、1200回を超えて上演してきた一人芝居)みたいなことでもないし(笑)。
安藤 そうですね。『土佐源氏』みたいに人生が乗ってるわけじゃない。(たくさんの作品の中の)ひと作品として上演するってものではあります。『土佐源氏』もおもしろいですけどね。
片桐 私も好きなんだけどね。私はこういう(『スプーンフェイス・スタインバーグ』のような)作品をやっていくのがいいかもしれない、みたいな気持ちがちょっとあるんですよ。「いろんな人といろんな芝居をしたい」「この人の作品に出たい」みたいなことでやる演劇ももちろん大事だし好きなんだけれども、割と常に人前にいてなにかやっていたいようなタイプの人間にとっては、一人芝居は稼働しやすいっていうのもあるし。私は去年やれたお芝居が一本きりで、小野寺修二さんの『嵐が丘』っていう野外劇だったんですけど、それで一番楽しかったのが、「客入れでなにかしていいですか。歌っていいですか」と言って、池袋の駅前に勝手に出て行って、お客さんを呼ぶためにワーッて歌ってたの。それがほんとに自分の中で楽しくて。「これだ、私の生きる道は」って思っちゃったんですよ。だからなんて言うんだろう、一番原始的な欲求ですよね。
安藤 ああ、わかります。
片桐 人前でなんか馬鹿なことやって、みんなをびっくりさせたいっていうだけのことなんです、私の人生なんて(笑)。だからこの話がどういう話かってことももちろん重要なんだけど、なんかここに、演劇のおもしろさっていうか自分のやりたいことをうまいこと乗せられたらなっていう。
安藤 それがうまくいくと、観に来ている人たちも演劇を「やってみよう」と思ったり、多分好きになる気がするんですよね。キラキラした、自分とはかけ離れた人を観るんじゃなくて、同じ目の高さでおもしろいことをするから、「なんだそれ!?」みたいな。
片桐 「俺にもできるじゃん」みたいなね。
安藤 そうそう。「できるかも」とか「おもしろいな!」ってことになったらいいなって。
片桐 もちろんスターが出る煌びやかな舞台もやるけれども、私は自分の中には多分もうこれしかないな、私が楽しいと思うことはこれしかないってなんとなく最近わかってきたので。やりたいことやらせていただきますっていう気持ちです。年齢重ねるとね。
より楽しみたいからどうするよ、早めにやろうよ
――開幕は来年2月ですが、今年の7月から稽古をされているそうですね
安藤 読み合わせをもう2回していますね。
片桐 うん。(演出の)小山ゆうなさんと翻訳の常田景子さんと一緒に。「この『パパ、ママ』は『お父さん、お母さん』と読んでみていいですか?」とかいろんなことを言いながらね。
安藤 だから演出プランと言うよりは、翻訳劇だから言葉をどうしようかっていう話とか、衣裳とか美術の話をしている感じです。
片桐 一人芝居だし、設定がそもそも無理な話じゃないですか。7歳の丸顔の少女とか言われてもできないことはわかっているから。そのアイデアを、お稽古の期間だけでぶつけて「間に合わないよ」とか「そんなセット考えてなかったよ」とかいろんなことになってしまうのはもったいない。だから「少しずつやりませんか」って。
安藤 はいりさんに言っていただいて。それで7月末からちょっとずつやろうって。ありがたいです。
片桐 そこはね、安藤さんとそんなにお話ししたことがあるわけではないから、「めんどくさいやつ呼んじゃったな」となったら困るなと思ってたんですよ。でも「楽しいですね!」と言ってくださったから。ああよかったと思いました。でもこれ、真面目とかいう話ではなくて、楽しみたいっていうだけですよね。
安藤 そうそう、楽しみたいんです。
片桐 より楽しみたいからどうするよ、早めにやろうよ、みたいな。
安藤 準備が楽しいじゃないですか、ね。
片桐 でもこうやって何か月前から準備してるとか言うと、「すごいねえ」みたいな。
安藤 (笑)。
片桐 あなたじゃあ好きな人にサプライズするとき、早めに準備したいと思わないの!?っていう話ですよ。早く始めたほうが楽しいからやってんじゃんよって気持ちなんだけど、「はあ~そんな早くから準備されてるんですね」「もう台詞を。はあ!」みたいな。
安藤 (笑)。
片桐 そんなことじゃない話ですよね。
――早くから準備を始めることで、片桐さんと安藤さんでより違うものができることになりそうですね
安藤 本当に違う可能性があります。例えばはいりさんは100個の小道具を使う、私はゼロ、とか。
片桐 その可能性はあるね。
安藤 曲以外は全部違う可能性があって、それはそれでスーパーおもしろいですよね。
――現時点ではどんなことが楽しみですか
安藤 はいりさんの稽古着。稽古着のことをこないだ話されていたと思うんですけど。
片桐 稽古着をどうしましょうかってことから相談してるの。どういう稽古着でやるかにもよりますよって。
安藤 はい、そこは楽しみです。
片桐 私が今の「どうなるのかわからない」っていう状況が楽しいです。まず(台詞を)覚えられるどうかわからない状況から始まって、それを「言う」にはまた別の回路がいりますしね。できるのかっていうことも全くわからない船に乗っているのが楽しいなっていう今なんですよ。ただ一人芝居をして、みんなに「よく台詞覚えましたね!」って褒められるのは一番いやですから。そうならないためにはどうしたらいいんだろうってことは考えています。そこでいろんなことを思いつくんだけど、それがどこまでできて、やらなくなるんだろうってことも楽しみですね。
安藤 ああ、そうですね。自分が出したアイデアを演出の小山さんが「違います」って言ってくださるんだろうなっていうのは楽しみ。おそらく私もはいりさんも、すごく早い電車でバーッと単独でいけちゃうんです。一人でバーッて、すごいスピードで走る。それを小山さんがどうされるのかなって。
片桐 なるほどね。
安藤 いっぱいアイデアが出るじゃないですか。すでに出てるし。ちょっと困ってるかもしれないくらい(笑)。
片桐 (笑)。これは単純な話で、自分で脚本を書かれる演出家に対してはそんなに球を投げられないじゃない?普段はどちらかというとそういう仕事のほうが多いわけだから、これは貴重なチャンスなんですよね。
安藤 そうですね。
片桐 だから逆にバーッて球を投げてる。
安藤 猛スピードで(笑)。
片桐 すごく大変だろうなって思うけど、でもそういうふうにつくることがもしできたらおもしろいし、それをすごくちゃんと捌いてくださりそうな小山さんだよね。
安藤 はい。
片桐 「冗談じゃないっすよ」っていうような拒絶もなければ、「いいですね、いいですね!」みたいな、そうこられるとこっちも投げたくなくなってきちゃうようなこともないから。
安藤 わかります(笑)。
片桐 しっかり取捨選択していただける方だっていう印象があります。
安藤 ドイツで勉強してる方ですもんね。だからすごく市民と近いんじゃないですかね。
片桐 ドイツはそうなんですか?
安藤 おそらくですけど。私がドイツで観たいくつかの演劇は比較的近かったです。市民が、私が、そこにいるのかなっていうような。みんなお芝居はうまいんですけど。
片桐 選ばれた人がいい声でやってるってわけじゃなくて。
安藤 はい。すごく身近だけど面白い。最近読んだ新聞の舞台化ですか?みたいな。そのくらいの距離感な気がしたんですよ。小山さんがドイツでどういう勉強をしてこられたかはわからないけど、実はそこは期待しています。
インタビュー・文/中川實穂