舞台『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』│谷原章介 インタビュー

「この不思議なタイトル、気になって仕方ない!」と巷で話題となりつつも、いまだにその多くの部分が謎のベールに包まれている舞台『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』。カナダの作家、アンドリュー・カウフマンによる同名小説を原作に、G2が脚本と演出を担当して世界初の舞台化に挑むという、とてもチャレンジングな作品だ。
とある銀行に紫色の帽子をかぶった風変わりな強盗が現れ、居合わせた人々に「最も思い入れのある物を差し出せ」と要求する。それぞれの思い出深い品々を奪った強盗は「あなたたちの魂の51%はいただいた。今から奇妙な出来事が起き、自ら魂を回復させなければ命を落とすことになるだろう」と言い、姿を消す。この奇妙な事件の被害者となった女性、ステイシーは夫と幼い我が子が待つ家に戻るがその数日後、なぜか自分の身長が縮み始めていることに気づく……。

今回、“縮んでしまう”妻・ステイシーの夫を演じるのは谷原章介。多忙な中でも定期的に舞台への出演を続けている谷原に果たしてどんな舞台になりそうか、今作への想いを語ってもらった。

――原作小説を読まれて、まずどんな感想を抱かれましたか

つかみどころがないなと思いつつ、比喩と暗喩に富んでいるお話だということもあり、読みながらもいつの間にか自分自身の経験や、過去のこと、現在のことに結びつけて自分の悩みを掘り下げる作業がすごく多い作品でした。もしかしたら作り手の意図としては、物語の中に多くの情報をあえて入れずに抽象的な事象に置き換えることで、読み手自身の人生にリンクさせるような作り方をしているのかもしれない、と考えたりしました。

――その原作を今回、舞台化することについては

「これを舞台化?できるの?」と思いました(笑)。だって、縮んでいく妻役の花總まりさんを一体どう表現するんだろう?それで台本を読んでみたら、具体的に演出の指示みたいなものが書いてあったので、でも原作では他にもライオンが追っかけてきたり、心臓が飛び出してきたりする場面もあるし……。ホント、どうやるんだろう、これ(笑)。

――脚本/演出のG2さんとは、『こどもの一生』(2012年)以来ですね。G2さんが手がけられる舞台には、どういうところに魅かれますか

G2さんって、ファンタジー作品がとても得意じゃないですか。僕、『PACO~パコと魔法の絵本~』とかも大好きなんです。僕がご一緒した『こどもの一生』もそうでしたけれども、あの作品もファンタジーでありつつも単なる夢物語ではなく、ダークなものが底に潜んでいる。そこに、とても魅力を感じます。今回の作品もおそらく、人の心のダークな面が入ってくるのではないかと思うんですよね。

――『こどもの一生』の時、G2さんの演出を受けてみて特に印象に残っていることは

台本を読んで、やはり「これってどうやるんだろう?」と思った部分が、具体化、ビジュアル化された時に「こうなるんだ!」とすごく驚いた記憶があります。『こどもの一生』は、吉田鋼太郎さんと僕が二人でヘリコプターに乗っているシーンから始まるのですが、高さ4、5メートルぐらいの四角い箱の上で芝居をするので、とても怖いんですよ。照明も僕らにしか当たっていない真っ暗な中で、床に貼られた蓄光を頼りに人がその箱を動かしていたのですが、本番中に傾いたことがあって。あれは、めちゃくちゃ怖かった!結局、最後までその演出で2ヶ月ほどやりとげましたけど。とんでもねえな、この人!って思いました(笑)。

――今回、谷原さんが演じられる夫役については、現時点ではどのように感じられていますか

ドメスティックバイオレンスってあるじゃないですか。あれは暴言や暴力だけではなくて、無視や無理解とか静かな拒絶、そういうものも僕はDVだと思うんです。ステイシーの夫であるデイビッドって、そういう人なんじゃないか…。しかも、その自覚がない。でもすること全部がDVというわけではなくて、そういう要素が彼のどこかにあるということですね。その部分を舞台上で、どう立ち上げるのか。わかりやすく暴言を吐いたり、強い態度で奥さんをぞんざいに扱ったりすれば、観る側にはわかりやすいかもしれませんが安っぽくなっちゃいますよね。この考えは今、僕が勝手に予想して話しているだけなので、演出の方向性が違えばまたニュアンスも変わって来そうですが、基本的にこの物語って、僕は夫婦のディスコミュニケーションの話だと思うんです。奥さんが縮んだ”というのは、あくまでも僕は比喩だと思っていて。このタイトルだって『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』ですから、つまり妻目線で自分が縮んでいってしまっているということかもしれない。なぜそう考えるかというと、ステイシーのセリフからも夫が「話を聞いてくれない」とか「理解しようとしてくれない」ことは伝わってくるし。だけどデイビッドは彼なりに「これが一番いいだろう」と思ってやってあげていて、自分にできる限りの協力はしているつもりなんですけれども。でもそれは彼女からしたら、もともと彼女が求めているものではないので抱えている問題を解決することには繋がらない。そうなると人は、その相手から無視されていたり軽んじられているように思えて、理解してもらえないとわかればその場に自分がいないような気持ちになることもあるじゃないですか。そういう比喩なのかな、と僕は思うんです。彼の無理解とか知ろうとしない姿勢、そして緩やかな拒絶みたいなものが、奥さんを精神的に縮ませてしまったのではないのかな、と。

――それは、夫のデイビッドに共感できる部分もあったということでしょうか

いや、共感というよりは「ああ、わかるわかる」という感覚です。彼が言っていることが、理解できる。それは決してデイビッド側に立って「そうだよそうだよ、そういうもんだよね」ってことではなくて、「こういう風にしちゃうことはわかるよ、俺もやっちゃったりしたことあるよ」とか、そういう感じですかね。

――だからこそ、自分自身の問題や経験に重ねて考えられる

物語の中に、この夫婦以外にもさまざまな人が出て来ますが、きっと誰かしらに、観てくださっている方もどこか自分とリンクしやすい人がいると思うんですよ。それに、このステイシーとデイビッドという夫婦はある意味、ちょっと前の日本の、いわゆる男が仕事をして女が家を守るみたいな古典的で典型的な夫婦像にも近いと思うんですね。ですから、年を経て子育てが終わったご夫婦にしても、自分の過去にリンクするかもしれませんし、今だって女性だけが産休を取らざるを得ない状況になったり、家に入って子供の面倒を見ざるを得なかったりするのが現状だったりしますし。そういう状況に置かれて、どこにぶつけていいかわからない鬱憤を抱えている方も実際にいるだろうけど、男のほうは「俺が働くことでそういう環境を与えてやってるんだから、何の文句があるんだ」といまだに思っている人もいるかもしれない。そういった方たちには特に、このステイシーとデイビッドという夫婦の姿を見ることで改めて今の自分が置かれている環境や関係性を見直すきっかけになってくれたらと思います。そういう悩みを掘り下げる方向に持っていけるような、そんなお芝居を積み重ねたいなとも思いますね。とはいえ、それをわかりやすくは演じたくないんですよ。いかにも「こいつ、ヒドイ旦那だな!」って見えてしまうと、あまり意味がないというか。

――そこをいい塩梅に、ちょっと匂うとか、ちょっと垣間見えるくらいに出していく

それができれば、いいですけどね。

――花總さんが、谷原さんのことを「優しそう」と評されていましたし、一般的なイメージも家事ができて忙しい合間を縫って子育てにもしっかり関わる、まさに理想の夫のように見えますが

いや、僕、自分でもデイビッド役はピッタリだなと思ったんです(笑)。ポイントは「優しそう」の「そう」です。デイビッド役のポイントも、そこにあると思います。僕自身も妻と17年近く過ごしてきた中で、自分が至らなかったなと思う点もいろいろありますし、この原作小説を読みながらも「ああ、こういうところは僕もちょっと変えなきゃいけないかもな」と思ったりしましたしね。ただ、この人と違うのはこうして自分を顧みることをやろうとしているところ、でしょうか。

――ちなみに、谷原さんにとって“最も思い入れのある、大切な物”とは。もしこの銀行にいて、強盗にそう言われたら何を渡しますか?

やはり、家族にまつわるものですね。子供が描いてくれた絵であるとか、子供がくれたメッセージとか、妻がくれたメッセージとか。または家族の写真かな。

――谷原さんは毎日のように朝の番組に出られていることもありますし、そんなお忙しいスケジュールの中でも定期的に舞台にも立たれていますよね。それは、どういう想いがあってのことなんでしょうか

映像作品の場合は瞬発力を求められていて、しかもその台本は一度撮影したらもう二度とできないじゃないですか。ちょっと、消化不良が残る時があるんですよ。しかも多大なエネルギーが必要になるので、非常に疲れる作業でもあるんです。それが舞台の場合は、稽古場で何十回、何百回と同じ芝居、セリフを繰り返すことができる。その上、本番で幕が開いても同様で、たとえば前日失敗したとしてもその芝居に次の日また挑戦できる。先ほど僕はまだ稽古にも入っていないのに、台本を読んだだけでこんな感じかなと思ったことを予想してしゃべっていましたけど、もしかしたら稽古を経て本番の舞台に上がる段階になったら全然違う解釈になっているかもしれない。そうやって、同じ芝居でも発見し続けることができるんです。この作業って、自分の中に役者としてのいろんな蓄積とか栄養をくれるものでもあるので。確かに舞台の稽古は辛いものでもありますが、そうやって自分に栄養をくれるものでもあるので、自分の軸は役者だと考えると、やはりせめて年に一回は舞台に立ちたいなと思うんですよね。

――では最後に改めて、お客様にメッセージをいただけますか

今回の物語はちょっととらえどころのないファンタジーなのですが、僕自身は読みながら自分の生活、家族の関係、夫婦の関係みたいなところにぐーっと心を持っていかれました。ぜひこの舞台を見て、ご自身の中の今抱えている問題であったり、自分の生活の中で引っかかっている部分を見つめ直してみてほしいです。それを改善するきっかけになればとも思いますし、あなたにとっての一番大事な物とは一体なんなのか、この舞台を観たことで改めて考えてみていただけたらなと思います。そして舞台というのは演者だけのものではなく、観客のみなさんと一緒に作るもの。だってその日のお客さんによって、舞台の締まり方も違ってきますから。同じ芝居をやっているのに、昨日はいい感じでコールアンドレスポンスができていたけど、今日のお客さんとは笑いの間がずれてリアクションも薄い気がする、それで俺たち大丈夫なのかな?と演者が不安になってくると、さらに芝居自体がチグハグになったりもする。ですからぜひみなさんも、一緒にこの舞台を作りに来る気分で劇場に来ていただけたらうれしいです。

インタビュー・文/田中里津子