赤堀雅秋プロデュース『ボイラーマン』│樋口日奈インタビュー

2022年10月、乃木坂46を卒業。以降、着々と役者の道を歩む樋口日奈。その道のりにおいてターニングポイントと言えそうな分岐点を、今、彼女は迎えている。
それが、赤堀雅秋プロデュース『ボイラーマン』だ。名だたる役者たちが出たいと懇願する赤堀作品への出演を掴み取った樋口は、この舞台を通じて、どう進化を遂げるのだろうか。

赤堀さんは、上澄みではなく沈殿物を描いている

――これまでの出演作とはまったく毛色の違う赤堀作品。ご自身は、本作への出演をどう受け止めていらっしゃるのでしょうか

以前、赤堀さんの『ケダモノ』という舞台を拝見したときに、見てはいけないものを見てしまったというか。舞台上の役者さんの佇まいがリアルで、舞台と客席が地続きのような、誰かの日常を覗き見しているような気持ちになったんですね。自分がこれまで観てきた作品や出させていただいた作品とはまったく違う世界観で衝撃を受けました。
そこからずっと私もいつかこの世界に飛び込みたいと思っていたので、今回のお話をいただいたときは、どんなお話とか、どんな役とか、まったくわからない状態だったんですけど、やりたいですと二つ返事でした。

――あの凄惨な『ケダモノ』を観て、自分もこの世界に飛び込みたいと思うのがすごいです

たとえば水の入ってるペットボトルの中に砂とかゴミを入れて振ったら、上澄みは綺麗な水だけど、底の方には不純物が沈澱するじゃないですか。これまで私がふれてきたエンタメはこの上澄みの部分だった気がするんですね。でも、赤堀さんは沈殿物のほうを描こうとする。そこが新鮮だったし、世の中って実際はそういうキラキラしていないところのほうがリアル。そこに惹かれたんだと思います。

――その沈殿物の世界の住人になろうとすると、きっと自分自身の濁った部分や他人に見せたくない部分と向き合う作業が必要になりそうです

若いときはやっぱりキラキラした人に対して美しいな、カッコいいなと思っていたんですけど、年を重ねるごとに、いろんなことを経験してきたんだろうなと感じさせる陰の部分が垣間見える人のほうが魅力的だなって感じるようになってきました。そういう意味でも、自分の中にある本当の姿を出せればいいなって自分に期待しているんです。

何をやっても満たされない気持ちがある

――赤堀さんとはすでに何かお話しになりましたか(※取材日は稽古初日)

さっき、「日奈ちゃんはタバコ吸うの?」と聞かれました。たぶん私の演じる<若い女>の参考に聞かれたと思うんですけど、きっとこれからの稽古場での私を見ながら、<若い女>という役を赤堀さんがどんどん肉付けされていくんだろうなと思うとドキドキしますね。

――おそらく樋口さんの言動をヒントにされるところも多いでしょうからね

もし役が膨らまなかったら、私のせいなんだって思うと怖いですよね(笑)。でも、だからと言ってこう見られたいという自意識を持ち込んだらいけないんだろうなという気もします。もちろん緊張はしますけど、変にかしこまったりせず、その場に身を任せるというか。稽古場ではあるけれど、感覚としては家の中にいるときと同じくらいありのままの自分を見ていただけたらなと思います。

――まだ今もらっている台本には樋口さんの台詞はないようですね

私は心配性なので、稽古に入るまでには自分の台詞を全部覚えたいんですね。今まで舞台に参加するときも、常に初日までに台詞を入れて、台本を持たないようにしていたんですけど、それもある意味自分の中で役を完成させすぎちゃっているというか。稽古場で自分のイメージとまったく違うことを言われたときに、そのギャップを埋めたり調整する作業が結構大変だったんです。でも、今回は自分の役が何を発するか、まだわからない状態。こんなことは初めてですし、ある意味、自分の中で固めすぎずに芝居ができるチャンスかもしれないと思うと楽しみです。

――昨年は地上波レギュラードラマが4本、配信ドラマが1本、舞台が2本と芝居漬けの毎日でした。そんな1年を経て、今、芝居に対する気持ちはどうですか

それが自分でもよくわからなくなっていて。自分は何がしたいんだろうと考えたときに、自分の求めるものがちょっとわからなくなってきているのが、最近の悩みなんですね。もちろん千秋楽を終えたあとは楽しかったなと思えるし、いただく役によって、自分にもこんなダークな部分あったんだとか、自分の知らない自分を知れる楽しさはあって。それが自分の中に眠っているものを目覚めさせるきっかけにもなるので、すごく充実してはいるんですけど、でも何をやっても満たされないっていう気持ちがあるのも確かです。

――それは、上澄みではない部分を知ってしまったから?

そうなんだと思います。もちろんキラキラしたものも素敵です。でも今の私はもっとリアルで人間味があるものに興味があるし、演じたいと思っている。13歳のときから11年間、アイドルをやらせてもらって、すごく素敵な思い出だし、ありがたい経験もたくさんさせていただきましたが、一方で無意識のうちにこうありたいとか、こう見られたいという凝り固まった自分がいたんですね。いい子でいなきゃとか、笑顔でいなきゃとか、アイドルはこうあるべきというものに囚われて。それももちろん私自身ではあるんですけど、グループを卒業して、26歳になった今、人からどう見られたいという意識をなくさなくちゃいけないというのを感じています。

――アイドルと役者では、どこを向いてパフォーマンスをするのかが違うのかもしれないですね

これから先のことを考えると、やっぱり私としては、年齢とともにいろんなことを経験してきたんだなと感じてもらえるような人間になっていきたくて。でもこういう満たされない思いって決して私だけが持っているものではなくて、みなさんの中にもあるものだと思います。そして、赤堀さんの作品はそういう沸々としたものを心に抱えている人間が出てくる。今回も、そんな人たちの姿を通して、観に来てくださったみなさんの中にある空洞を少しでも満たせればなと思います。

――そう考えると、赤堀作品と樋口さんの相性ってすごくいいんですね

すごく好きな世界観ではあります。決して劇的な出来事は起こらないけれど、何気ない日常だったり、些細なことや、そこで飛び交う会話に人間のリアルを感じることができる。まだ<若い女>がどういうキャラクターかはわかりませんが、赤堀さんの世界の一員になれることがうれしいです。

自分の弱さを認められるようになった

――この『ボイラーマン』は「暴発」が一つのキーワードになってきそうですが、暴発しそうになったときのガス抜きの方法を教えてください

最近まで私は自分のことを情緒が安定している人間だと思っていたんですね。でも、突然涙が出てくる瞬間とかがあって。私って自分が思っているより強くないかもしれないって、ようやく気づいたんです。
それまではずっと自分のことを幸せだと言い聞かせていました。でも、さっきお話ししたような満たされなさが自分にもあると認められたおかげで気が楽になったというか。ずっと自分は根性があると思い込んで、何があっても大丈夫大丈夫と言い聞かせていたところを、そうでもないなと思えるようになった分、気楽になれた。自分の弱さを認められることが、私にとってのいちばんのガス抜きかもしれません。

――何か落ち込むことがあったら、部屋で一人で泣いたりするんですか

しますし、あと人に言えるようになりました。それまでは言霊ってあるなと思って、前向きなことしか口にしちゃダメだって自分を縛りつけていたんですね。だから、家族にも愚痴を言ったことがなかったんですけど、今はあまり気にせず、お姉ちゃんにいろいろと聞いてもらったりできるようになりました。たぶん今までの私は、前と言ってることが違ったりするのを嫌っていたんですね。でも今は言ってることが矛盾してても別にいいと思えるようになった。前はこうしたいと言っていたのに、今はそれと全然違うことをしていたとしても、そういう矛盾があるのが人間だって許せるようになってからは、いろんなことに柔軟になれました。

――お芝居もそうだと思いますよ。すべての感情に整合性がついている演技なんて面白くないですもん。それよりなんでこんなことをしているのかわからないって矛盾を孕んでいるもののほうが見ていてずっと楽しいです

確かに人ってあれこれ悩んで迷いながら生きてるほうがリアルですもんね。自分が今何を感じているかなんて普段から誰も分析せずに生きてる。だから、整理をしすぎないというのは確かにそうかもしれないです。

――樋口さんの今後の役者生活において、この作品がどんなものになったらいいと思いますか

きっと私の中でターニングポイントになるんだろうなという予感はあります。舞台の上で役を演じることに対して、新しい気づきをたくさん教えてもらえると思うし、自分自身でも見つけられると思う。この舞台が終わったときに、次の自分のお芝居につながる学びを一つでも多く手にすることが今の目標。新しい自分と出会える作品にできるよう、稽古場でみなさんからいっぱい吸収させていただきたいと思います。

取材・文/横川良明
写真/明田川志保