PARCO PRODUCE 2024『東京輪舞』山本卓卓&杉原邦生 インタビュー

写真左より 杉原邦生・山本卓卓

オーストリアの劇作家アルトゥル・シュニッツラーが1900年に発行した問題作「輪舞」。男女の情事前後の会話がリレー形式で描かれており、当時の性観念を覆すような描写に、上演をめぐって法廷で争われるほどの論争を巻き起こした。しかしながら、人の普遍的な欲望をつぶさに描いており、3度映画化、オペラ化もされ、また20世紀末の英国に翻案した「ブルールーム」が、ブロードウェイほかで上演されるなど、時代を超えて支持されている。今回は、この「輪舞」の舞台を東京の現代に翻案して上演。髙木雄也と清水くるみが様々な役を演じ分け、10の風景を描く。本作の演出を務める杉原邦生と脚本の山本卓卓は、作品を通して現代の東京に何を見出すのか。話を聞いた。

 

――まずはどのような経緯で今回の作品が立ち上がったんでしょうか。

杉原「実は僕、2001年に内野聖陽さんと秋山菜津子さんでやっていた「ブルールーム」を大学1年生の時に大阪で見ていたんですよ。濃密な作品ですごく印象に残っていたんです。だから、パルコさんから「ブルールーム」はどうでしょうかとご提案いただいたときに、すごく面白そうだと思ったものの、改めて読んでみると時代的な距離を感じて、演出家として掴みにくい感覚があったんです。それで、これを今の作家にお願いして、現代の日本を舞台にリライトしてもらいませんかと提案させてもらったんです。その時に真っ先に浮かんだのが山本卓卓くんでした。もう10年以上前から地味に交流を続けているんですけど、昨年の「バナナの花は食べられる」を観たときに、すごく現代の感覚を感じて、そこに現れてくる言葉の質感とかリズムがすごく面白かったんです。もともと面白い作家だなと思っていたんですけど、それを改めて感じて、コミュニケーションの在り方や人の立ち上がり方がすごく”現在”だったんですね。リライトをするなら、こういう作家にお願いしたいと直感で思って、お願いしたらご快諾いただけたんです。やっと一緒にクリエーションできるな、とすごく嬉しい気持ちでいます。」

山本「僕は最初、前に誰か断ったから自分のところに話が来たのかと思ってました(笑)。スケジュール的にも急だったし、ほんとに自尊心が低くて…。」

杉原「ぜんぜんそんなことないよ!(笑)」

山本「それを聞けただけでも、今日の取材に来て良かった(笑)。邦生さんとは結構付き合いが長いんですけど、一緒にやる機会はなかったし、いつか書かせてほしいと思いながらも僕にあんまり興味が無いのかなと思っていたんです。だから、お話があったときはすごく嬉しくて、もちろんやりますよ!という感じでした。作品としても、すごく運命的なものを感じました。舞台を東京にして書きながら「これを依頼してくれた人、めちゃくちゃ俺のことわかってくれてるじゃん!」ってめちゃくちゃ思いましたから。僕のことを理解してオファーしてくれているというのが、書いていてわかりましたね。」

杉原「そう言ってもらえて良かった。若い作家がこういう大きい企画で作品を作れる機会って、いろいろな巡り合わせがないと実現できないことだったりするんです。日本の舞台芸術界でも、若い世代がどんどんチャレンジできるような場を作っていくべきだと思うし、40歳を過ぎてから僕自身もそういうことを考えていくべき年齢や立場になってきているなと感じるんですよね。卓卓くんとも話をしたんですけど、そういう意味ではPARCO劇場って本当に時代の最先端の施設にあって、象徴的存在だと思うんです。新しい時代の作家が、東京という街を舞台に作品を作る必然性がある場だと思うんですよね。だから、本当に一緒にやれてよかったと思っています。」


――脚本はどのように書き進められたんですか。

山本「まず、原作の「輪舞」で描かれているものの置き換えをしていこうと思いました。パルコさんが「輪舞」と「ブルールーム」の違い、それを現在の東京に置き換えたら、という比較表を作ってくださっていたんです。それがすごく助けになりました。それをガイドラインに、自分なりにどんどん設定を作り込んでいきましたね。例えば、原作では“兵士”が出てくるんですけど、現代の東京に置き換えたときには兵士は居ないわけです。でも、明日食うのにも困る人はきっといる。そういう、生きるか死ぬかの状態にいるようなたくさんの人を考えたときに、10代の子と重ねていったんですね。原作にも「明日生きていられる保証なんてない」というニュアンスのセリフがあるんですけど、それはそのまま10代の子が置かれている過酷さに当てはまるんですね。そういう感じで今の時代にバチっと当てはまる存在を、矛盾の無いように見つけて、2024年の現在の最先端の人たちが出てくるべきだと思いました。」

杉原「僕が卓卓くんにお願いしたことは、基本的に原作「輪舞」の構造を踏襲して書いてほしいということ。そして、男女二元論の話にしたくないんだけど、と提案させてもらいました。最初に伝えたのは、それくらいですね。それで書いてもらったら、想像を超えるものが上がってきた。単なる置き換えとか踏襲じゃない。卓卓くんなりの”ズラし”が随所にあって、最終的に単純な円環構造に収まらないところとか、上手いというかニクいというか。すごく面白かった。そして、演劇的な仕掛けが作品の構造の中にちゃんと組み込まれているんです。人と人とのコミュニケーションにおいて、どちらが正しいとか、どちらが正義とかじゃない部分ってありますよね。それがありのままに描かれている。そこにリアリティがあって、初稿のときから早く続きが読みたいって思ってました。」


――脚本の書かれ方にも独特のリズムがあって、かなり輪舞という音楽性を意識されているのではないかと思いましたが、いかがですか。

山本「台詞の中に相槌を入れ込むこのスタイルは、ここ1~2年くらい挑戦しているスタイルなんですけど、人との会話っていうのは相槌で成り立っているところってありますよね。今、こうやって取材をしていただいていても、頷いてくださっていますけど、演劇でそれを書けないもどかしさが常にあるんです。うまく書けないんですけど、そこをちゃんと書きこめる作家になりたいんですね。戯曲はやっぱり、音を想像して書かれなきゃいけないはずだから、その音、声の音のようなものが入っていないとおかしいんじゃないかと思うんです。読んでいる人が音を感じているというか、視覚で読んで、聴覚に落とし込めるようにしたいとすごく考えていて、そしたらこういう書き方になっちゃうという感じですね。」

杉原「僕も演劇としての音楽性に関してはすごく考えていて、そもそも演劇って、“聞く”芸術だったんです。例えば、ギリシャ劇の古代劇場がすり鉢構造になっていることも、俳優の声が観客にちゃんと聞こえるようにするためですし、シェイクスピア劇が上演されたグローブ座は1階席がスタンディングになっていて、観客は今でいう音楽ライブを聞くようにセリフを聞いていた。卓卓くんはそういう演劇における音楽性というものを持っている、面白い作家の一人だと思いますね。僕は全体を1つの音楽として捉えて作品を作るタイプなので、いつも通り、この台本という名の楽譜でどんな音楽を作ろうかな、といろいろ思いを巡らせています。」


――今回、俳優2人のほかにもステージパフォーマーとされる方々も舞台に立たれるそうですね。どのようなお考えから彼らを出演させるのでしょうか。

杉原「若手の俳優やダンサーにステージパフォーマーという役割を担っていただきます。10ある各場面を空間でもある程度説明したいんです。そのためには、道具の転換も必然的に9回入ってくる。そこをどう見せようかと考えたとき、それこそ輪舞のように、踊るように変化していかないかな、と思ったんです。でも、作業的に転換してしまうと、空間や音楽が途切れてしまうような感覚になるんですよね。今回の作品は、そうなってはいけないと思いました。動く道具にも身体性を感じられるようにすることで、空間が停止することなく、最後まで走り続けることができる。そんなふうに、芝居と共に空間を彩っていく人たちなので、ステージパフォーマーと呼んでいます。」

山本「自分が作演をしてしまうと、書きながらも「これ演出するのやっかいかも」とか、考えてしまう瞬間があるんですよ。本当に良くないんですけど、ふと考えてしまう。そういうことを考えずに、フルスロットルで書かなきゃ、って思うんですよね。でも、今回みたいに戯曲だけに集中する場合は、自分が演出することなんか考えずに書きたいことを書いてしまえばいいんです。もう、何とかしてくれるだろう、とキャッチしてくれる存在がいるから、安心感をもって書けたというのはありますね。」

杉原「やっぱりそのほうがいいよね、楽しい。こちらも作家がおもいっきり書いてくれた方が絶対にいいんです。これどうするんだよ、って思ったとしても、本として面白いと思えるものがやっぱりいいですよ。俺も、仮に作演の両方をやったら、真っ先に演出のことを考えながら書いちゃうもん、きっと。」


――そして、10役をたった2人で演じるのが、髙木雄也さんと、清水くるみさんです。彼らにはどのような期待がありますか?

杉原「2人とも舞台で見ていて、存在感があるなと思いますね。髙木くんは三浦大輔さんの「裏切りの街」に出ていたときにも思ったんですけど、体がとても生々しいんです。舞台上に立っていても気負いがない。先日、ライブを見に行かせてもらったんですけど、歌って踊っているのに、なんていうかいつもの髙木くんの感じて立っているんですよね。その状態で舞台に立てるということ自体が、すごいことなんですよ。潔さというか、飾らなさというか、その感じがすごく生々しい。くるみさんは、逆にそういう立ち方を自分で作れる人。さらに、そこにエネルギーがあるんです。そのエネルギーで舞台上での自分の存在を生々しくできる。そういう意味では、作り方のベクトルは違うけれど、舞台上での生々しさ、リアリティ、現代っぽさの部分で2人は共通しているので、すごく相性がいいんじゃないかと思っています。この前、本読みをしたんですけど、めちゃくちゃその感じがハマっていて、これからの稽古がさらに楽しみになりました。」

山本「僕はまだお2人には2回しかお会いしていなくて、脚本を書いているときは、あえて調べたり見たりしないようにしていたんです。最初に依頼のメールをいただいたときに、たまたま髙木さんの名前が文字化けしていたんですよ。でもノイズを入れたくなかったし、あえてよく知らないままお引き受けして、書き終えました。書き終わってから、お2人のことを調べたり、お会いしたりしたんですけど、それで感じたのは本当にピュア。髙木さんもくるみさんも、休憩中も肩ひじを張らずに、すごく気さくで、その辺にいる感じに接してくれるんです。対等に見てくれていることが伝わってきて、素敵な人ってそうだよな、と思いましたね。くるみさんは、すごくテキストを深く理解してくれているのも伝わってきて、これからの稽古についても多分、アタリがついている。ついているけど、まだ自分はそこに到達できていないっていう、プロ意識が感じられて、すごく意識の高い方だと思いました。髙木さんは割と動物的、感覚的に捉えてやってくださっている感じがしました。そういう意味でも相性がいい気がしましたね。髙木さんの動物っぽい部分と、くるみさんが持っている深掘りしていくような部分のバランスがいいんじゃないかな。」

杉原「今回、俳優2人が複数役を演じるということは自明のことなので、そこをカムフラージュする必要はないと思うんです。演じ分けについて、1回目の本読みの時、2人にはまず、登場人物たちがどういう状況の中、どんな状態でいるのか、というところから作ってみて欲しい、と伝えました。そこから丁寧に構築していければ、きっと演劇として面白いものになっていくと思うので、重点を置いて稽古しようと思っています。ぜひ、期待していてください!」


――楽しみにしています。本日はありがとうございました!

 

取材・文:宮崎新之