佐藤隆太インタビュー │舞台「GOOD-善き人-」

英国の劇作家C.Pテイラーの戯曲を、長塚圭史が演出する舞台「GOOD-善き人-」が東京・世田谷パブリックシアターにて上演される。1930年代のドイツで善良な人物がナチスに染められていくさまを描いたポリティカルスリラーで、ミュージシャンによる生演奏で上演されるという。本作の主人公に挑むのは、俳優のみならずMCなど多彩な活躍を続けている佐藤隆太。彼はどのように物語に身を投じるのか。話を聞いた。


――作品の第一印象をお聞かせください。

1度読んだだけでは、なかなか掴み切ることをできなかったというのが正直な感想です。そして、ここ数年では、オファーをいただいてからお返事するまでに1番長く時間がかかった作品でした。僕にとっては非常にチャレンジングな作品に呼んでいただけたことが嬉しくて、なんとかそれに応えたいと思いながらも、理解できていない人間が「やらせてください」なんて言っていいものかと思ったんです。でもどの作品も1回読んですべてがわかるわけじゃないし、何回も何回も読んで、稽古を重ねて作っていくもの。そういうもの作りが舞台の魅力でもありますからね。


――台本をお読みになった時に感じた難しさは、どのような難しさでしょうか。

普通に会話をしていて、おそらく返って来るであろうセリフが返ってこないような感じで、一瞬戸惑うんですよね。もしかしたら1つずつセリフをずらしていったら成立するトリックがあるんじゃないかと考えてしまったほどです。違いましたけど(笑)でも、逆にこれがリアルなのかも、とも思えてきています。例えば、今みたいな取材の場だと、ちゃんと受け答えできているか考えますけど、仲間内の会話だとそこまで丁寧なキャッチボールはしていないというか…繋がっていると言えば繋がってるか?みたいなことって無くはない。もしかしたらすごくリアルなのかもと思うと、面白いセリフだなと感じるようになりました。


――演じられる主人公は善良で知的な学者でありながら、本人の意思とは関係のないところでナチスに取り込まれていく人物です。現時点で、役柄をどのように捉えていらっしゃいますか。

いわゆる善良な人、特別いい人というよりは、周囲から「いい人だよね」と言われるくらいの本当に普通の人間です。だから、時代も状況も違いますが、共感出来る部分が多いと思いました。革命家でもなく、英雄的でもなく、時代のうねりに巻き込まれていってしまう。こういった過酷な環境に身を置いたときに、何を一番大切に考えて、誰を守ろうとして、自分にとっての正義を貫くことができるのか。そういう部分に共感できるからこそ、作品にどんどん入り込めていくような感覚があります。それと同時に、いろんなことを訴えかけられて怖くなる。そういう怖い話ではあるんだけれども、その中に人間のおかしさが見えたりするんです。完璧じゃないからこそ面白いですよね。


――誰にとっての善き人なのか、善き人とは何なのか、と、つい自分にあてはめて考えてしまいそうですね。

そうですね。僕も他人事とは思えないというか、簡単に彼を責めることはできない。そういう感覚は強いです。善良な人間であるからこそ、善き夫、善き妻であるということはどういうことなのか、善き友とはなんなのか…それが選択の1つ1つに繋がっているような気がしています。自分に置き換えてみても、家族のためとか、友人のためとか、自分以外のみんなのことが気になってしまうんですよね。ただ、その人のためになるならとか色々考え過ぎると”自分自身がブレてしまう”瞬間があったりして。そんなことを色々考えさせられる作品だと思います。


――演出の長塚圭史さんのご印象はいかがでしょうか。

昨年、一人舞台「エブリ・ブリリアント・シング ~ありとあらゆるステキなこと~」を再演したんですが、長塚さんは初演の時に観に来てくださっていたんです。お客さんとの垣根を越えたやりとりがあるお芝居だったんですけど、それを観てくださって今回のお話があったんですね。今回の作品でも要所要所にお客さんと向き合うところがあるので、ぜひやっていただけないかと言ってくださっているとのことでした。それならば飛び込ませていただこう、と思いました。長塚さんのことはもちろん昔から存じ上げていますが、ご一緒する機会はなかなか無くて。なので、今回お話いただいてとても嬉しかったです。オファーにあたって、わざわざお手紙もくださいました。長塚さんがこの作品をどう受け止めているか、僕のお芝居を観てくださったときの感想など。その中で、長塚さんがものづくりをする時に、キャストや演出家、スタッフさんなどが、時に垣根を越えて、一緒に作品作りをしたいと思っていて、そのパートの一つになってくれたら心強いと書いてくださっていました。お会いしてちゃんとお話したことは無かったんですが、僕の目指すところとすごく通じるところがありました。


――作品作りの方向性として、共感できるところが大きかったんですね。

いろいろなタイプの方がいらっしゃるので、僕の場合は、ということではあるのですが、僕はお芝居に関して、例えば照明さんとか音響さんと衣裳さんとかからも、気付いたことがあればぜひ何でも言ってほしいと思っているんです。スタッフのみなさんの場合、気を遣ってくださってなかなか言えないこともあるし、キャストの方も自分とは違うタイプの方もいらっしゃるだろうから、どの現場でもそういう感じで出来るわけではないんですけどね。でも、ひとり芝居の時は他に演者が居なかったので、どんどん言ってください!ってお願いしたら、それぞれに気付いたことを伝えてくださって、それが作品に対する理解を広げたり、芝居の細かい部分を高められたり、色々な自分自身の気付きに繋がったんです。大きなカンパニーになった時に、それがどれくらい実現できるのかはわからないですが、長塚さんの言葉やものづくりへの姿勢が凄く素敵で、僕の目指すべきところにもすごく近いんじゃないかと感じて、ぜひ参加してみたいと思いました。


――共演のみなさんの印象もお聞かせください。

萩原聖人さんの存在はすごく大きいですね。何度かご一緒させていただいたことがあるんですが、本当にカッコよくて優しい先輩です。キャスティングで萩原さんのお名前が上がっていると聞いたときに、「ぜひお願いします!」って祈ってました(笑)。親友役でご一緒できるのですごく嬉しいです。萩原さんをはじめ、キャストのみなさんのコメントが発表されたとき、みなさん難しい本だとおっしゃられていて、だからこそみんなで一緒に、丁寧に作りあげていけるような気がして、稽古がすごく楽しみになりました。きっとあったかいカンパニーになるんじゃないかな。


――作品のご出演にあたって寄せられたコメントでは、お芝居をはじめて25年という節目も感じていらっしゃるように思いました。お芝居を志したころと今とでは、どんな違いがあるでしょうか。

恥ずかしい気もしますが、自分では全然変わっていない気がしています。自分が不器用だからかもしれないですが、本当にちょっとずつしか前進できないんだな、と思いますね。


――もともと、どんなきっかけで役者を志したんですか?

テレビが大好きで、幼い頃に漠然と画面の中の人になりたいって憧れたんです。その頃は、演出の人がいるとか、カメラマンが居て、照明を当ててくれる人や音を拾ってくれる人がいて…っていう奥行きは全然見えてなくて、とにかく出てる人にならないと!って思ったんですよね。中学ぐらいの頃に映画がすごく好きになって、大学も映画学科に進みました。そうした中でご縁があって舞台でデビューさせていただいて、それまで舞台は学校の鑑賞会とか親に連れて行ってもらって観たこと位しかなかったんですけど、舞台に立ってみて、こんなに面白い世界なのかとその素晴らしさに気付きました。そこからは勢いで突っ走っていった感じですね。あの頃の僕に教えてあげたいですよ。いずれこんな作品の舞台に立つことができるんだよ、ってね。


――根幹の部分では変わっていないとのことですが、ここ数年んで感じている変化などはありますか。

舞台に対する欲は強くなってきているかもしれません。舞台だけをやりたいとかそういう訳じゃないですけど、1人芝居がお客さんとコミュニケーションを取るタイプの作品だったので、これまでに増してお客様と直接繋がる喜びをダイレクトに感じたんですよね。コロナ禍を経て、人と繋がれることの喜び、劇場に広がる幸せな空間を改めて実感しました。映像などそのほかのお仕事ももちろんですが、25年役者をやらせていただいて、いろいろなことを経験させてもらえたからこそ、舞台の醍醐味をより一層感じるようになりました。


――公演を楽しみにしていらっしゃる方にメッセージをお願いします。

極限の状況を描いた作品ではありますが、音楽や歌の乗せ方などの面白いアプローチで、シリアスになりすぎずに観ていただける作品になると思っています。ごくシンプルに、人間として1つ1つの行動をどうするべきなのかと、それぞれに想像できる作品なので、ぜひ楽しんでいただければと思います。あと、僕もちょっと歌うんですよ。語るように歌い上げるとか、いつもとは違う歌唱法をやらせてもらえるそうで、僕自身も初めてなので、そこもちょっと楽しみです。

 

インタビュー・文/宮崎新之