宮崎駿初監督アニメ『未来少年コナン』が初舞台化される。先導を担うのは、日本ではミュージカル『100万回生きたねこ』や村上春樹原作の『ねじまき鳥クロニクル』などを手掛け、その唯一無二の空間演出で観客を魅了し続けているインバル・ピント。『未来少年コナン』とインバル・ピントが掛け合わさり、どんな作品が誕生するのか期待が高まる。その舞台上で中心を担うのは加藤清史郎だ。超人的な運動神経をもつ素直で正義感の強いコナンを演じる。1歳から芸能活動をはじめ、留学を経て22歳となった現在も映像作品からミュージカルまで様々な話題作で活躍している加藤に、作品への思いや、舞台の魅力など話を聞いた。
――舞台『未来少年コナン』でコナン役のお話を受けて、第一印象はいかがでしたか?
「うわぁ……」ですね。驚きというか、衝撃を食らった感じです。原作を見たことはなかったのですが、知っている名前ばかりだなと。コナンも、宮崎駿さんも、インバル・ピントさんも、東京芸術劇場 プレイハウスも。いつか叶うかな、いつか叶えたいという、自分にとってすごく大きいお名前ばかりだったので、ここか、と。ここで、この作品で、この方たちなのか、という「うわぁ~……」です。単純に喜びがなかったわけではなくて、喜んでいますが、重いんです。喜びがそれらすべての、中のほう過ぎるんです。
――周りに重みや驚き、衝撃が合わさってしまっている。ドンとすごいものを手に置かれた感じでしょうか
はい。そこに自分の名前も、というのが、想像もつきませんでしたし、これはすごいことになってきたぞ、というところです。
――日にちが経ってきた今はいかがですか?
錚々たる諸先輩方のいる中で主演というところも含めて、そういう要素は今も変わらず持っているんですが、『未来少年コナン』を見て大ファンになったので、これを舞台化するのであれば、やってやるぞという気持ちももちろんあります。実写化や舞台化は、観たけれど納得がいかないということがあると思うんです。もちろん原作がある以上、100人いて100人が納得するというのは難しいと思います。ただ、舞台化する上での最適解が絶対にあると思うんです。その最適解というのは、「この作品を、この劇場で、この演出で、このキャストでやるなら」という点があると思うんです。その点を書くためのインクを作らなければ、という感じですね。皆さんいろんな色のインクを持っていて、最終的にそれが混ざって、黒の点にしなきゃいけないけれど、僕が出さなければいけない色を出せなかったら、それは黒じゃなくなってしまうと思うんです。それは僕に限らずなんですけど。
――黒にもいろんな黒がありますよね
黒は300色あると言いますが、その300色の中で「この色」というのを作っていく作業だと思います。そのために、まだインクが足りない感覚がすごくあります。
――自分が出さなければいけないインクが足りないですか?
はい。量も素材も足りないので、そこを培いながらインクを出すことになっていくと思っていますし、時間がないなと正直なところ思います。何年あってもこういう場合は足りないんじゃないかと思いますが、その限られた時間の中でこの作品にどう向き合っていくかが、今の自分にとってはすごく大事なことで、きっとこの先のいろんなことにつながっていくと思います。
――そのために今準備していることはありますか?
身体的な準備も、心の準備も、いろんなことをやっていますが、かなりタフな作品で、しんどいだろうなと。でも、そこに立ち向かえるだけの食料は絶対に必要です。ワークショップが少しずつ始まっていて、今日も受けてきたんですが、まだまだ「自分はタンクトップを着られないぞ」と思いました(笑)。
――どんなワークショップですか?
身体表現について学ぶというものです。ジャンルで言うならば、コンテンポラリーダンスに近いのかなと思います。今は技術的なことというよりも、もっと基本的なところからやっています。やっぱりインバル・ピントさんの作品は、舞台上に立っている人が人に見えなくなるというか、人も含めてその物に見えるというのが最大の魅力だと思うんです。そうなるためには、まだ基礎が全然足りていなくて、体の柔軟性や、細かいところで言うと可動域も。そこにどう形作って、色をつけていく上で、やることがたくさんあるなと痛感する毎日です。具体的な形はまだまだ分からないですが、ただ逆に言えば、どういう球が来ても返せるように、ラリーできるように、動けるようにならないと、ラナを抱えたまま壁は登れないぞと思います。
――コナンがラナを抱えている姿は印象的ですよね
コナンは基本抱えているんです。サメを抱えるところから始まって、確かダイスとかモンスリーも抱えるかな。「早く行くぞ!」みたいに抱えちゃう感じがあって、何でも抱えたがりなんだと思います。実際に抱える時もあるでしょうし、どうやら飛び降りるみたいですし。だから他人事みたいに言うのであれば、これは大変だなって。
――「大ファンになった」とおっしゃっていましたが、原作の印象はいかがでしたか?
なぜもっと早く見ておかなかったんだろうと思いました。もしかしたら、今見たからよかったのかもしれませんね。僕がコナンをやることになってから、周りの友達や知り合いの方からも「子供の頃に見ていて、大好きなんだ」という人と、「子供の頃見ていたけど、あんまり覚えていない。でも好きなんだよ」という人がいるんです。冒険が楽しいとか、コナンがすごいとか、格好いいということだけじゃなく見られたのは、今見たからなのかなと、ものすごく感じました。
70年代にテレビで放送されたアニメであるにも関わらず、今を生きる僕でさえも刺してくる感じ、すごく抽象的な言葉ですけど、すごいなと思いました。ものすごく直球を投げてくる。冒頭に地球が滅びる描写から始まって、ボロボロなところがまっすぐに映ってきています。そこに残されたおじいとコナンがどう生きていて、同時に、別の島インダストリアでも人々が生きていて、別々に生きている人たちが出会って……という描写がものすごくリアルですし、この世の摂理みたいなものを暗示するんじゃなくて、すごくストレートに描いている作品だなと思うんです。ちゃんと津波も地震も起こっていて。アニメの元になった原作小説の英題が『大津波』ですもんね。
だから環境問題も、時代によって環境がどう変化して、その環境によって人がどう変化して、人々がどういう風に分かれていって、というメッセージ性の深みがあるからこそ、今でも色褪せないんだろうなと。それでいて、コナンの存在が周りを変えていくのが、僕はすごく好きで。話し合いを重ねてとか、勝ち負けを経てではなくて、コナンの中の燃えている部分は動かないので、それを知った大人たちが勝手に変わっていく。それがあるべき姿な感じがして。
――歪みが正されていく感じでしょうか
でもコナン自身は正そうとしていないというか。自分が思うことをまっすぐにやっている。人を思って飛び込んでみたり。でもそれが周りを変えて、周りが周りを変えて、環境を変えて、状況を変えてというのが本当に素敵だし、そんなうまくいくかと思う部分もあるんですが、多分今必要なのは、そういうことだよなと思います。
――今必要なことが描かれている
でもコナン自体はそれにすら気づいてないというか。それがいいんでしょうね。痛いところをついてくるのは、彼が賢いからとかではなく、彼が自然に育ったからだと思うんですよ。でも、そんなふうに育つことって簡単なことではないじゃないですか。だからこそ、そのコナンから得られるものがすごく大きいと思うんですよね。僕も作品を見て、見る前と比べて、自分がちょっと変わった気がします。
――演じたらまたさらに変わるかもしれないですね
そうですね!親指だけで飛行機を捕まえられるかもしれないし、モリも数十メートル飛ばせるかもしれないし(笑)。
――それはすごいですね(笑)!インパル・ピントさんとの創作になりますが、これまでにインバル・ピントさんが創られた作品は何かご覧になりましたか?
劇場では観られていないのですが、映像で少し見せていただきました。不思議なことに、もちろん画面ですが、画面が自分のすぐ目の前にまである感じがするというか。多分劇場だったらもっとそう感じるんだろうなって。僕の想像でしかないですが、本当にそこに空間を生み出して、存在させるのがすごい。その存在のさせ方がとてもまっすぐで、何か技術や新しいデジタル的なものに頼るのではなく、使えるもの全部を使ってやる。そして、それを体現していらっしゃる役者の方々が本当にすごいなと思います。何か物に扮してとか、他の生き物に扮して出てくるのが、扮してじゃなくて「そこにその生き物がいる」というか。『100万回生きたねこ』を見たときは、「猫やん」って思いましたし。『羅生門』も「蜘蛛じゃん」と思いました。それでいて、役者がなるものが生き物だけじゃないことがすごい。人じゃなく見えるんです。猫は猫だったということは、コナンはコナンじゃなきゃ駄目なんだなと。でも、いち『未来少年コナン』のファンとしてはすごく楽しみですよね。どのシーンのどれがどうなるんだろうとか楽しみだなと思う一方、ちょっと待てよ、その中に僕もいるんだよな、これはまずいぞっていう感じですね。
――その気持ちが行ったり来たりするわけですね
本当にそうです。だから楽しみですが、楽しんでる場合じゃないというか、それでも頑張って楽しもうと思います。でも、「楽しむ余裕はありますか?」と言われたら、「あります!」とは言えずに終わっていくと思うのですが、それでいいというか、そうでなきゃ、きっと超えられないんだろうなって今は思っています。
――コナン役への思いで言い残したことはありますか?
彼みたいになりたいです。やっぱり、人を動かす力って、特に役者は必要だと思うんですよ。動かそうとして動かせることもすごく大事なんですが、動かそうとしてなくても動かせるなんて最強じゃないかって。でも、なぜそうなれたかと考えると、僕が今からコナンみたいになるのはすごく難しいなと思うんですが、なりたいし、なろうとするべき姿だなと思います。
――コナンに動かされる周りの人物たちがいますね
今回の稽古場は、僕は動かされてばかりでしょうね。僕が動かさなくちゃいけないんでしょうけれど。
――皆さんと共演することについてはいかがですか
大先輩方で、久しぶりに共演する方もいらっしゃいます。宮尾俊太郎さんとは13年ぶりぐらいで『ヤマトナデシコ七変化』というドラマでご一緒したのが最後でした。椎名桔平さんは三度目ですが、高校生のときが最後なので、もう7年前くらい。成河さん、門脇麦さん、今井朋彦さんはインバル・ピントさんの作品に携わったことがある先輩方ですので、すごい刺激になるだろうなと思います。ラナ役の影山優佳ちゃんは同い年です。
――影山さんとはサッカー話でも盛り上がれそうですね?
めっちゃラフな話をしていいのであれば、すごく楽しみです!そういう面では単純に加藤清史郎として楽しみな部分もありますが、特にラナという存在なので、役者としても彼女から受ける刺激もかなり大きいだろうなと。コナンにとってラナは全てみたいな存在で、ラナのことを思って全部動くわけです。だから僕も彼女のことを思って過ごすんだろうなとは思います。そういう面では楽しみなこともすごくあるんですけれど、それでも「けどね」なんです。まだ楽しむところまで頭が追いついていないんですよね。
――舞台へのご出演も続いていますが、舞台の魅力についてどう感じていますか?
やっぱり伝わり方じゃないでしょうか。僕が舞台上に立っている立場から客席に伝わるものもそうですが、お客さんからもそうで。本当に文字の通り「生」なんです。映像越しで見ることによって得られるものもありますが、映像じゃ絶対に味わえないものがあるのが劇場で観ることだと思うんです。観たもの聴いたものが、体で感じられるので、やっぱり行かないと難しいものがある。それはやっぱり舞台の一番の醍醐味なのかなとは思います。
そして、生だからこそ、同じことをやっていてもきっと違うというか、例えば、その日の相手の顔によっても全然違うと思うんですよ。表情とかじゃなくて、ちょっとだけ僕の二重幅が狭いとか。例えばラナと会話をしてても、コナンの目がちょっと違ったら、ラナの目も多分ちょっと変わって、それを見た(お客様の)目も変わると思うんです。やっている人たちも生だからこそ楽しいですし、見ている人たちもその場にいることが感じられる。それも魅力ですよね。でも、一番は響くことだと思います。空間で響くというか、体が揺れる感覚というか。スピーカーで大音量で聞いたら、ズンズンって感じるじゃないですか。あれを音だけじゃなく感じられるのが、舞台かなと思います。
――その舞台を『未来少年コナン』で体感していただく皆様にお伝えしたいことを、お願いします
きっと皆さんは、ビシビシ、ズシズシと響かせられて帰ることになると思います。僕は皆様が来てくださっている劇場の舞台のほうで、コナンとしてその空間に存在し続けようと思いますので、人を変えて世界を変えるコナンを観に来ていただけたら嬉しいです。と大口を叩くことで自分の尻を叩くことにします!
※宮崎駿の「崎」の字は、(タツサキ)が正式表記
インタビュー・文/岩村美佳