Bunkamura Production 2024『ハザカイキ』|丸山隆平 インタビュー

丸山隆平が主演を務め、三浦大輔が作・演出を手がけるBunkamura Production 2024『ハザカイキ』が3月31日(日)に開幕する。

三浦にとって3年ぶりの新作となる本作は、自身が長年温めてきたという、時代の価値観の変容に踊らされる人々を描く作品。芸能界を舞台に、マスコミとタレントという特殊な関係の中、現代に振り回されながら葛藤し続ける人間たちの揺らぎを、三浦独自の視点で浮き彫りにする会話劇になるという。

本作で芸能記者・菅原裕一を演じる丸山隆平の取材会が行われた。

“ガワ”じゃなく“内面”が描かれる

――丸山さんは三浦大輔さんの作品をこれまでもご覧になっているそうですが、三浦さんがつくる世界のどのようなところに魅力を感じていらっしゃいますか?

三浦さんの戯曲の魅力は、出てくる登場人物がみなさん“ろくでなし”というところです。ろくでなし達が現代という檻の中で必死にもがいて、自分の中の小さな革命を起こそうとしている。そんな人物が描かれることが多いところが魅力的だなと感じています。今回、その世界に入れることは光栄ですし、入れるなんて思ってもみなかったので、オファーをいただけてとてもうれしかったです。

――台本を読んだ率直なご感想や、主人公・菅原をどう演じていきたいかお聞かせください

台本、めっちゃおもしろいです。エンタメに富んでいて、群像劇でもあって、お客様にも楽しんでいただけるんじゃないかと思います。菅原へのアプローチは、これから三浦さんと飯とか飲みとかを重ねる中で変わっていくと思うのですが、現時点では、つかみどころのない人物ではあります。でも人ってみんなそうだと思うんですよね。自分のことでさえも、“こう”と定義できないところがあると思うので。そういった曖昧な部分も表現に落とし込めたらいいなと。つかみどころのないところを表現できれば、この演劇は成功なんじゃないでしょうか。

――菅原は芸能記者ですが、普段抱いている芸能記者への印象や、菅原を演じるうえで取り入れたいエッセンスはありますか?

芸能記者といっても、どこからどこまでが芸能記者なのかわからないでしょう?なので職業としては雲を掴むというか、霧の中を探るような感じです。ただ、今回はたまたま題材が“マスコミと芸能界”だったりするので、撮る側の心情、事情、撮られる側の心情、事情、そういうものが欠かせない要素だと思うのですが、それ以上に大事なのは、その人物が、自分がアクションを起こしたことで、人にどのような影響を及ぼし、その影響を受けた人物も、それによってどんなメンタルになり、どんな選択をしていくのかというところです。その中で記者も、自分がスキャンダルを撮った時、世にさらした時の責任の有無だったり、人間としてはどんなことを感じるのかだったり、そこからどうラストに向かっていくのか、その人は最後まで逃げるのか、なにかを選択して乗り越えていくのか、それともきっかけだけで終わるのか、三浦さん独特の“ガワ”じゃなく“内面”をライブ感と共に楽しんでいただければいいなと思います。

――丸山さんは普段どんな役づくりをして作品に臨まれるのでしょうか?今回もなにか考えていらっしゃることはありますか?

普段の役づくりは、例えば前作『パラダイス』(’22年)では詐欺団体のリーダーの役をやらせてもらったのですが、その時は世に情報が出ている詐欺団体の仕組みや、そこでの人間関係などから、(自身の社会生活との)共通点みたいなものを見つけて役に落とし込んでいきました。役の構築のために詐欺をやってみるわけにいかないので(笑)、実体験はなくとも、自分の中で違和感がないように、役を表現できるように、日常から探して取り入れていくというか、馴染ませていくみたいな作業をしています。そういう意味では今回の役は芸能記者なので、“(スクープを)撮られる側”の気持ちはめちゃくちゃわかるのですが、“撮る側”の心情というのがわからない。なのでそこを、事と次第によっては、繋がることができる人がいればお話を聞いてみたいです。でも中心軸は“職業”ということではどうやらない気がしています。

身近な人を大事にできるような舞台に

――タイトル『ハザカイキ(=端境期)』は「物事の入れ替わりの時期を表す言葉」ですが、近年は芸能界含めさまざまな価値観が変わっていっています。その状況を丸山さんはどんなふうに見ていらっしゃいますか?

三浦さんとの対談でお話ししたのは、時代がどんどんどんどん変化していって、みんな追いつけてもいないのに情報を詰め込んでいる、ということで。あまりにも情報過多だから、ジャーナリズムと一般の人の誹謗中傷との境界線や、なにが本当でなにが嘘かの狭間もなくなっている。それに今はニュースも、SNSやネットニュースなどでめっちゃポップに入ってくるので、どこまでが嘘で本当なのかわからなくなったりもして。だから、そういう時代の大きな何かに惑わされない自分を持っておかなければいけないというような、時代の転機になってきているのかなと思います。ほんまに転機だと思うんですよ。自分の目で見て体感したことを信じる努力とかをしなきゃいけないんじゃないかなって。だから『ハザカイキ』から連想していくと、『そろそろピンチですよ、みなさん』『やばいんじゃないですか?』『気付いていますか?』みたいな、そんな警鐘を鳴らされているような気になります。

――現時点で作品をこうしていこうと三浦さんとお話しされていることはありますか?

ここ最近のいろいろな出来事の中でこの作品の内容となると、そっちが派手に色濃くなって、“社会派”とか“メッセージ性が”というふうに取られるかもしれないのですが、それよりはもうちょっとエンタメで、そういう設定の中で揺れ動いたりする人たちの葛藤だったり想いだったりを人間ドラマとして見ていただけるような、その方向で僕たちはつくっていきたいと思っています。別に今の世の中に対しての辛辣な舞台とかそういうことではないということだけは持っておきたいよね、みたいな気持ちは三浦さんと共通していたので。観に来てくださった方は、リアリティを体感しながらも身近な人を大事にできるような、そんな舞台になるんじゃないかなと思います。

――三浦さんはコメントで「“問題作”と銘打った本作は、人が人に謝り、人が人を赦すことに関しての物語です」と書かれていましたが、丸山さんは「人を赦すこと」をどう捉えていらっしゃいますか?

人間は、感情や思い出の7割が“苦しい”で、残りの2~3割が“いいこと”というバランスで生きているらしくて。だから嫌なことがバーンときたら、その7割の嫌なことの中から1つ2つ忘れるようにできている。要は、新しいことが起きたらそれを入れる空間が必要になるんですよね。それで誰かを赦せない人が謝られて赦せた時、赦す側も謝る側も、それまで埋まっていた部分が空間として空く。その空間に次のいいことなのか、赦せた自分に対して誇らしくなれる気持ちなのかが入ってくる。そうやって一歩踏み出す。だから“赦し”というのは、人の成長のひとつの方法だったりするのかなと思います。

――役者として舞台の経験で得てきたもの、これからもっと得たいものをお聞かせください

今まで得てきたものは場数です。今後得たいものも場数です。僕は演劇人としては場数が全然足りないんです。キャリアとしても出演本数でも。恵まれていたのか不幸なのか、演劇では主演しかやらせてもらえていないので、“受け(の芝居)”しか知らないんですよね。共演者の方が(台詞を)言わせてくれて、僕は言える。言わせる側をやったことがないんですよ。そういう意味でも場数です。あと、これは映像でもなんでもそうですが、お芝居って演出家さんだったり演目によって毎回ゼロからなんですよね。つまり、こないだこれがうまくいったから今回もうまくいく、なんて生ぬるいものじゃない。だからとにかく場数と経験がほしいです。今回もそれをいただけるので、なにができてなにができないかということを再確認しながら、自分を拡張していきたいなと思っています。

取材・文/中川實穂
ヘアメイク/高 千沙都
スタイリスト/釘宮一彰