『ノラ-あるいは、人形の家-』夏川椎菜+深作健太インタビュー

写真左より 夏川椎菜・深作健太

ドイツ戯曲を立て続けに6作品上演してきた深作組が、新たに〈ドイツ・ヒロイン三部作〉を始動。声優・アーティストとして活躍する夏川椎菜を主演に『ノラ-あるいは、人形の家‐』を上演する。ヘンリック・イプセンの傑作「人形の家」のドイツ語訳をもとに、第16回小田島雄志翻訳戯曲賞を受賞した大川珠季が翻訳し、現代を舞台に翻案。深作健太の演出で、現代社会が抱える問題を鋭くえぐり出していく。大きなテーマに挑む夏川椎菜と深作健太の2人に、話を聞いた。


――深作健太さんの舞台には3度目の出演となりますが、今の率直なお気持ちはいかがですか。

夏川 今は、とてもワクワクしています! 初めての舞台はアクションシーンもあって、自分にできるのか、体力が持つのか、最後まで怪我無くできるのか…と心配や緊張の方が大きかったんです。でも、だんだんと回を重ねて、2回目の舞台も経験していく中で、楽しさに気付いていきました。準備はすごく大変だけど、完成すると楽しいっていう気持ちがやっぱり勝つので、今はワクワクでいっぱいです。私は、お客さんが目の前にいる状態での表現が、根本的に好きなんだと思います。ライブも大好きですから。舞台も、目の前にお客さんがいてお芝居ができるので、私にとっては理想的な表現の場なのかもしれません。


――深作さんにとってのミューズを主演に迎えての3度目の舞台となります。夏川さんのどのようなところが魅力的だと感じていらっしゃるのでしょうか。

深作 まずはシンプルに、ファンなんです(笑)。ナンちゃんは可愛いだけじゃなくて、同世代の中でもいま一番パワーのある女優さんだと思っています。声優さん達との朗読公演でも長くご一緒して来ましたし、今後も是非いろんな作品でご一緒してゆきたいと思わせるのは、ナンちゃんの役者としての魅力とパワーがあるからこそ。アーティストとしてのステージを客席から参加させていただくと、パフォーマンスがポップじゃなくて、もうロックなんですよ。彼女の作詞も非常に鋭く、時代や、男の子の苦しいところや弱いところを突き刺してくる。そんな直接的な表現力を持っている人なので、毎作品、たくさんのインスピレーションを与えてくれるんですね。だから、僕にとってのミューズと呼んでいます。


――今回は、前回に引き続き能楽の舞台での公演となります。一般的な劇場とも雰囲気が違うかと思うのですが、舞台に立つ側としてはどのような印象ですか。

夏川 最初の頃は、能舞台へのプレッシャーの方が大きかったんです。伝統的な舞台だし、見学させていただいた時も、入った瞬間から空気が違っていたので。何かを上演しているわけでも、特に光とかを当てているわけでもないのに、何か吸引されるような感覚があったんです。そんな場所に立って、お芝居をするんだ、この舞台に合うお芝居が自分に出せるのかというのは、その時にすごく思いました。でも実際に立ってみると、自分が想像していた以上に舞台が私たちの味方になってくれたんです。一般的な舞台とは違って、お客さんの目線が前からだけじゃなくて脇からもあるので、意識しなければいけない部分や、本来なら気にしなくていいところも気にしなきゃいけない部分がたくさんあるんです。上手下手だけじゃなく、切戸口や揚幕の奥とか、そこから出てくるだけでも意味があるように思えるようなところや、立つ場所によっても想像以上に強く見える場所があったりするので。けど、そういう難しい部分を踏まえたとしても、この舞台であることがすごく心強く思えました。味方になってくれた瞬間がわかるんですよ。味方につけるまでは大変なんですけど、味方になった時が肌でわかるから、ノリノリになれちゃうんです。だから、今回はあまり能舞台であることには心配していません。

『未婚の女』(2023)銕仙会能楽研修所


――能舞台でドイツ演劇を上演する面白さや演出的な効果は、どのようなところにあるのでしょうか。

深作 能舞台はあちこちにありますが、今回の舞台となる銕仙会能楽研修所という場所は、昔からずっと憧れてきた特別な劇場。東京の表参道のど真ん中にあって、コンクリで囲われた近代的な建物の中に、伝統的な能舞台がポツンとあって、すごくモダンな構造なんです。お客さんも、表参道に出かけるところから非日常が始まって、劇場の中に入ると能舞台の雰囲気に飲み込まれて、しかもそこで何故かドイツ演劇を見せられるという(笑)。幾重にも日常からかけ離れた変化があって、いま自分がどこにいるのかわからなくなる。そういう効果も狙いたいんです。僕自身、古典演劇を現代に取り戻すことをひとつの目標としてやっていますが、そういう意味でも、今回の劇場はピッタリな場所だと思っています。


――舞台のお仕事を経験されて、変化したことはありますか。

夏川 舞台に立つ心構えは、結構変わったかもしれないです。舞台では、立ち位置によって見え方が違うとか、どう動くかで感じられ方が違うということが、当たり前に存在しているんですね。そこは、ライブでも活かすことが出来ている気がします。2階のステージから1階に降りるとどう見えるのかとか、移動の1歩の大きさでどう見え方が変わるのかとか、そういうことを感覚的につかめたと思ってます。それは大きな変化というか、得られたものですね。ライブは歌ですから、歌よりも大きく派手に動かないと伝わらないんですよ。その感覚を得られたことは、舞台をやって本当によかったことですね。


――舞台のお仕事が、他のジャンルのお仕事にも影響しているんですね。

夏川 舞台って、稽古期間が1カ月くらいあって、その期間同じお芝居をやり続けるんですが、それは声優のお仕事やアーティストのお仕事では経験したことのない時間なんです。舞台をやるまで、そこまで突き詰めていくお仕事をしたことがなかったので、自分の細かい変化にきっと鈍感でした。今は、そこにすごく敏感になれたと思うんです。同じセットリストでも、同じ台本でも、アプローチの仕方を変えてみると無限にいろいろな正解を見つけることができる。そこから選ぶことを考えるだけなんだ、と捉え方が変わったんです。定点カメラのような主観視点だけでなく、いろいろな視点のカメラが置けるようになった。それを頭で考えられるようになったと思います。


――演出家の立場から夏川さんをご覧になっていて、成長や変化を感じられたところはありますか。

深作 初舞台の『オルレアンの少女』からご一緒させていただいているんですけど、深作組って家族みたいな座組なんですよ。僕がずっとご一緒したかった方だったり、旧知の役者さんが揃っている中で、ナンちゃんはいま座長として、稽古初日からグイグイとみんなを引っ張っていってくれている。そこは演出家として、すごく心強いし、ありがたいですね。もともとライブのステージで観客を引っ張る姿を見てきたわけですが、この座組においても、ナンちゃんらしさを発揮して座組の一番先頭に立って、攻めの姿勢で走ってくれる女優さんに成長したというのは、すごく頼もしく感じています。

夏川 なんか、照れちゃいますね(笑)


――今回の「ノラ‐あるいは、人形の家‐」はヘンリック・イプセンの傑作社会劇を翻訳して上演されます。物語の印象はいかがですか。

夏川 一読しただけでは、自分がどこに向かってノラを演じるべきなのかは掴めなかったです。なんだかいろんな正解があるような気がしました。…今、”正解”という言葉を使いましたけど、どれも違っているような気もするんですね。やっぱり、自分ひとりじゃ全く答えが出せないんです。深作組のお芝居は毎回そうなんですけど、いろんな役者さんの考えとか、作り方とかを融合して、ようやくみんなで”なんとなくこっちだよね”の方向に持っていくようなイメージなんですね。それに、物語そのものの難しさも感じています。現代の私が当事者として意識できる問題…例えば男性と女性の扱いの違いとか、夫婦とは何かとか、そういう問題も含まれていると思いました。もしかしたら、作品を通して自分の考えも変わってしまいそうな気もしています。


――今の自分が感じている課題や問題が、役を手繰り寄せるヒントになりそう、ということでしょうか。

夏川 役として生きる前に、自分がノラの立場だったらどう思うのか、どう動くのか。自分の感じ方が、もし台本の中では否定されていたとしても、その考えは1つ持っておくべきだと思うんですね。それが許されている稽古場が深作組だと思っています。役者としての考えや思想を持ち込んでいくことは、今回も大事なんじゃないかな。もともとこの戯曲自体、ドイツでも日本でもいろいろな方がやっていますし、その数だけいろいろな方がノラを作ってきています。そのどれかを私がトレースするのでは意味がない。じゃあ、私のオリジナリティをどう出すのかを考えたときに、必要なのは単純に自分の考えを持つことだと思っています。直面している問題に対して、自分だったらこう解決するな、というのを持っておく。その上で台本をなぞっていくと、自然にそれが出てくると思うんですよね。


――深作さんはどのような経緯でこの「人形の家」を上演しようとお考えになったんでしょうか。

深作 僕はもともと映画監督として『バトル・ロワイアル』のような暴力衝動を描く作品を好んでやって来て、ドイツ演劇もまたバイオレンスやセックスといった社会的にタブーとされるテーマを直接的に切り込んでゆく部分が好きだったんです。それが近い感性を持つ翻訳の大川さんや、音楽の西川ちゃんと出会って、今ようやく心から作りたい作品が作れるようになっている。そこへコロナや戦争、格差、そしてジェンダーを見直す時代になって、100年前に書かれたイプセンの言葉が、大きくまた意味を持つようになったと感じているんです。まだ女性に参政権も無かった時代と比べて、僕たちの社会は何が変わって、何が変わらないんだろうか?今回はそこをしっかり問い詰めてゆきたいと思っています。


――今のこの時代だからこそ、100年前の本の中の言葉がより刺さるようになるのではないかと考えられたんですね。

深作 ナンちゃんには、フランスを救うジャンヌ・ダルクから、ナチスの加担者のビッチな孫娘まで、これまでも難しい役を演じてきてもらいましたが、ここへきて今回は既婚者で初めての母親役。このノラという役は、沢山のレジェンド女優さん達が演じきた大役なんですが、そんな役を今まさに声優やアーティストといった枠を飛び出して、活躍の場を広げている夏川椎菜という一人の女性が演じることで、誰も見たことのない、まったく新しい”現代のノラ”を作ることが出来ると思っています。僕自身、いろいろな演出の『人形の家』を観てきましたが、今回は最も突き刺さる、この10年で最も意義のある公演に仕上げたいと思っています。


――本作は〈ドイツ・ヒロイン三部作〉の第一弾と銘打たれています。どのようなシリーズにしていくのでしょうか。

深作 『ノラ』を皮切りに、三作品すべて女性の名前を冠した戯曲をやってゆきたいと考えています。自分が男性だからでしょうか、今でもまだ女性の生き方がこんなに大変な社会であることに責任を感じてしまうんです。だからこそ信頼する女優さんたちの力を借りて、三者三様の違う女性の生き方を提示して、現代の女性の在り方や悩みなどを、いろいろな側面から描いてゆきたいですね。そのトップバッターであるナンちゃんのノラ――彼女の旅立ちから何が始まるのか、どんな地平線へ彼女は旅立ってゆくのかを、大切に描きたいと思います。


――夏川さんは現時点でノラをどのような女性だと感じていらっしゃいますか。

夏川 やっぱり100年前に書かれたものなので、ノラの人物像は現代を生きている私からするとすごく愚か。何て考えが浅はかなんだろうと思ってしまって…。今も残っているところもあるとは思うんですが、100年で考え方や女性の立場そのものが大きく変わったということを実感しています。そのギャップを埋めるのか埋めないのかも、どうしようと今考えているところですね。ノラを愚かだと思ってしまったことはもう拭えないですし、その上で今後ノラとどう向き合っていくのかは大きな課題です。だからといって、ノラを愚かな女にしてしまうのも良くないと思うので、一旦フラットにしたいですね。なぜ私はノラを愚かだと思ったのか、そう見える理由は何なのか、そういうところを細かく稽古の中で紐解いていきたいです。単純に役を肯定したり、愛したりするのではなく、ちゃんと理解してあげたいとすごく思っています。

深作 ノラが愚かに感じたというのは、ひとつの大切な取っ掛かりです。一人の女性を愚かだと思わせてしまうシステムが何千年も続いてきて、それが今になってようやく少しずつ変化している。それはこの100年、たくさんの女性たちが声をあげて、自分たちの権利を勝ち取ってきた成果だと思うんです。例えばセクハラにしても、それが当たり前だとされてきた時代から、いけないことなんだと認識されるようになるまで何十年もかかっていますよね。不適切な時代は、今もまだ過渡期にあると思います。ノラはそういう”かつての世界”に居て、家の中で愚かな女を演じて生きてきた。そんな女性が家族も何もかも捨てて外へ飛び出ることで、やっとすべてが始まるんです。出て行く側にも、残される側にもそれは辛い選択ですが。イプセンの想いを受け継いで、現代の演劇として問いかけることは、とても意味のあることだと考えています。


――稽古場の雰囲気はいかがですか?

夏川 とてもいい雰囲気で進められていると思います。まだ始まったばかりで、探り探りなところもあるんですけど、みなさんすごく真面目で、セリフのひとつひとつに対して深く考えるクセがついている方ばかりだと思いました。見習わなきゃいけないことがたくさんありそうです。あと、子役の寺戸花ちゃんの存在は、劇中でもそうなんですけど、稽古場にもいい意味での異質さ、違う雰囲気を持ってきてくれている感じがします。今はそれがすごくいい方向に働いていて。大人たちが積み上げたものを、花ちゃんが入ることでごちゃごちゃにしてくれるんです。いい意味で一度壊されてしまう感覚で、それが子どもの恐ろしさであり、素晴らしさだと思いました。その感覚はノラを演じる上でもすごくいい経験になっていますね。


――深作さんは稽古場の雰囲気作りで意識されていることはありますか?

深作 なるべくみんなが自由に発言できる場にしてゆきたいですね。本当は人見知りさんなのに、いつもナンちゃんが口火を切ってアイデアを出してくれるんです。それでちゃんと課題をクリアしていって。最年少のノラの娘役の花ちゃんも含めて、みんなが自分の意見を交わしているのを見ると嬉しくなります。みんな違う感性が響き合って、ひとつの演劇を作る過程が大好きなんです。


――最後に、公演を楽しみにしているみなさんにメッセージをお願いします。

深作 今回、ナンちゃんが舞台上で歌います!しかも何曲も。これってすごいですよね。そして日替わり演出もあります。3日間のクリスマスのお話なんですが、そのアトラクション、イベントを、ナンちゃんと日替わりで作ってゆきます。そういう意味では今まで以上に、贅沢に夏川椎菜のいろいろな顔を見せたいですし、『人形の家』の解釈に、こんな側面もあったんだと突き刺さる公演に仕上げたい。女性にもたくさん見ていただきたいです。楽しみにしていてください。

夏川 今まで経験してきた舞台は学ぶことの方が多くて、声優としてアーティストとして自分が今までにやってきたことをどうにか舞台に活かせないかと模索していました。でも今回は歌もありますし、舞台の中でたくさん自分が培ってきたものを活かせる場がありそうなので、すごく楽しみ。歌うことも、声優として言葉で感情や状況を伝えることもとっても大切にしてきた仕事なので、それができる場面があることが嬉しいですね。すごく大事な話し合いのシーンがあって、そこはとても長いんですが、飽きさせずに食い入るように見てもらうためには、声優として培ってきたものが活かせるはずだと思っています。私が持っているすべての表現方法を活かしてノラを作って行けたらと思うので、ぜひ楽しみにしていてください。

 

取材・文:宮崎新之