撮影:山崎伸康
これまで数々のブレヒト作品を手掛けた白井晃が、
満を持して代表作『セツアンの善人』の演出に挑む
世田谷パブリックシアターでは、10-11 月に、芸術監督・白井晃演出による『セツアンの善人』を上演する。
『セツアンの善人』は、第二次世界大戦中、ナチスにより市民権を剥奪されたドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトが亡命先で執筆し、1943 年にスイスのチューリッヒで初演された。
神様が地上に降りてきて善人を探すという本作は、ブレヒト作品を代表する寓意劇として、今も多くの人々に愛され、世界各地で上演を重ねている。ブレヒトは、第一次世界大戦への徴兵経験から、反戦を訴える作品や、資本主義を風刺した作品など、社会性の強い戯曲を多く世に送り出しましたが、それと同時に叙事的演劇や異化効果といったメソッドも提唱し、その偉大な功績から20世紀最大の劇作家と称されている。そうしたブレヒトならではのエッセンスが『セツアンの善人』には、ふんだんにちりばめられ、舞台ならではの醍醐味が堪能できる一作となっている。
ブレヒトから大きな影響を受けているという演出の白井晃は、これまで『三文オペラ』(2007 年演出、18 年出演)、『マハゴニー市の興亡』(16 年、演出・上演台本・訳詞)、『Mann ist Mann』(19 年、企画監修)、『アルトゥロ・ウイの興隆』(20 年、21~22 年再演、演出)と、数々のブレヒト作品に取り組んできた。ブレヒト作品が持つ社会への批評性にフォーカスし、現代社会を照射する作品づくりを目指してきた白井が、魅力的な総勢 17 名のキャストを得て、この度、満を持して『セツアンの善人』の演出に挑む。
また今回の上演に際しては、ドイツ文学者の酒寄進一が新訳を手がけ、ミュージカルやストレートプレイまで数々の音楽を作曲し、『ある馬の物語』(23 年)でも白井とタッグを組んだ国広和毅が音楽監督を務め、パウル・デッサウの楽曲を基に、歌ありライブ演奏ありの臨場感のあふれる舞台を、強力なスタッフ陣と共に創出していく。
タイトルロール・葵わかなが、二役を演じ分ける!
善人とは? 幸福とは? 現代社会を照射する寓意劇
『セツアンの善人』は、畏怖すべき神様たちが、人間臭い立ち居振る舞いで下界に現れ「善人探し」をするという奇想天外な設定からスタートする。貧民窟に暮らす心優しき娼婦のシェン・テ(葵わかな)は、神々から「善人である」と認められ、褒美として与えられた大金を元手に商売をはじめますが、「善人であること」と「生きること」の両立は矛盾することだらけで、さまざまな困難が立ちはだかる。元来がお人好しのシェン・テの家には居候が増え続け、しまいには自分の財産まで分け与えてしまう始末。このままではいけない、我が身が滅びるだけだと気付いたシェン・テはある計画を思いつく。それは、冷酷にビジネスに徹する架空の従兄(いとこ)シュイ・タ(葵わかな・二役)を作り出し、自らがその従兄に変装をして、邪魔者を一掃するというものだった。
「人はどこまで善人でいられるのか」「人はお金で幸せになれるのか」という現代社会に生きる我々にも通じる痛切な問いかけが、葵わかなが一人二役で演じ分ける、心優しき女性シェン・テと、ビジネスに徹する冷酷な青年シュイ・タという真逆な人物を通して描き出されていく。この葵わかな扮するシェン・テを中心に、アジアの都市とおぼしき「セツアン」に棲息する人々の息遣いを、演出の白井が今日的な視点からすくい取り、繊細にしてダイナミックな舞台を構築していく。
葵わかな、木村達成など 若手からベテランまで
総勢 17 名の個性あふれるキャストが集結
シェン・テと、シェン・テの分身である架空の従兄シュイ・タを演じるのは、テレビドラマや映画、CM、ナレーション、そしてミュージカルからストレートプレイまであらゆるジャンルで躍進目覚ましい葵わかな。シリアスからコメディーまで確かな演技力で役の幅を広げてきた彼女が、相反する性質を持ったシェン・テとシュイ・タをどのように演じ分けるのか注目が集まる。
シェン・テが恋に落ちる失職中のパイロット、ヤン・スンには、ミュージカルからストレートプレイまで多くの舞台作品への出演で着実にキャリアを積み重ね、映像作品にも活躍の場を広げる木村達成が扮する。
また、神様と交信する水売りのワンには、映像から舞台まで幅広く活躍しダンスなどの身体表現も得意とする渡部豪太、息子を溺愛するヤン・スンの母親のヤン夫人には七瀬なつみ、シェン・テが買い取ったタバコ屋の元オーナーである未亡人のシンをあめくみちこ、シェン・テのタバコ屋に居座る大家族の祖父を小林勝也、そして下界で善人探しをする人間臭い 3 人の神様を、ラサール石井・小宮孝泰・松澤一之が演じる。
このほか、栗田桃子・粟野史浩・枝元萌・斉藤悠・小柳友・大場みなみ・小日向春平・佐々木春香という、若手からベテランまで、信頼できる実力派の総勢 17 名の個性豊かな出演者が集結し、百年近く前に書かれた本作を現代社会にも深く通ずる普遍的な作品として立ち上げていく。
『セツアンの善人』は、今までの人生の価値観をちょっと見直すきっかけになる、そんな作品になるかもしれない。
歌あり、ライブ演奏あり 音楽劇としての『セツアンの善人』
相反する女性と男性の二役を、葵がどのように演じ分けるのか? 興味はつきないが、さらなる楽しみは劇中に出てくる数々の楽曲だ。ブレヒトの作品には歌がつきものだが、本作にも、ブレヒト自身が委託した音楽家パウル・デッサウによる楽曲が並ぶ。バイオリン・チェロ・パーカッションによるライブ演奏を交えて、音楽劇としても存分に楽しめる作品になる予定である。葵わかな・木村達成をはじめミュージカルでも活躍するキャスト陣の歌唱も本作の魅力の一つ。見どころ、聞きどころ満載の舞台に、是非ご期待下さい。
あらすじ
善人を探し出すという目的でアジアの都市とおぼしきセツアンの貧民窟に降り立った3人の神様(ラサール石井、小宮孝泰、松澤一之)たちは、水売りのワン(渡部豪太)に一夜の宿を提供してほしいと頼む。家がないワンは街中を走り回って宿の提供者を求めたが、その日暮らしの街の人々は、そんな余裕はないと断る。ようやく部屋を用意したのは、貧しい娼婦シェン・テ(葵わかな)だった。その心根に感動した神様たちは彼女を善人と認め、大金を与えて去っていった。それを元手にシェン・テは娼婦を辞めてタバコ屋を始めるが、店には知人たちが居座り始め、元来お人好しの彼女は彼らの世話までやくことになってしまう。ある日、シェン・テは偶々通りかかった公園で、首を括ろうとしていたヤン・スン(木村達成)という失業中の元パイロットの青年を救い出すが、彼に一目惚れをしてしまう。その日からシェン・テはヤンが復職できるように奔走し、挙げ句の果てに彼の子どもまで身籠もってしまう。だがその一方で、このまま人助けを続けることは自滅への道だと悟った彼女は、冷酷にビジネスに徹する架空の従兄、シュイ・タ(葵わかな・二役)を作り出し、自らその従兄に変装をして、邪魔者を一掃するという計画を思いつくのだったが……
▼演出家・白井晃 コメント
私にとって長年の念願であったブレヒトの名作『セツアンの善人』を、世田谷パブリックシアターで上演できることを大変嬉しく思っています。本作は、貧困と不正義に満ちた社会で善良であり続けることの難しさを描いた作品です。現代社会にも通じる人間の葛藤や社会の矛盾を描いたブレヒトのメッセージは、今の時代でも強い共鳴を呼び起こす力を持っていると思います。セツアンは架空の都市ではありますが、そこにあるのは、私たちを取り巻く今の世界の宿図に他なりません。「金は本当に人を幸せにするのか」という命題を浮き彫りにし、現代の問題として接続できるような作品にしたいと思います。葵わかなさん、木村達成さんの清新で豊かな感性と、集結してくださった魅力的な俳優の皆さんの力強い表現力によって、新たな『セツアンの善人』を示してくれると確信しています。私たちがこの作品を通して、現代社会の在り方や自分自身の生き方について考えるきっかけになればと願っています。