『ピローマン』成河&亀田佳明インタビュー

映画監督としても活躍する、イギリスの劇作家マーティン・マクドナーの代表作の一つ『ピローマン』が、新国立劇場2024/2025シーズンのオープニングとして上演される。翻訳・演出は新国立劇場演劇芸術監督の小川絵梨子。架空の”独裁国家”で生活する兄弟を演じる成河と亀田佳明にインタビューを行った。

実現したことが嬉しい公演

――まずはこの公演が決まった時の思いや意気込みから教えてください。

成河:コロナ禍に絵梨子さんの呼びかけで何人かの俳優たちと戯曲を持ち寄り、オンラインの本読み会をしていました。『ピローマン』はそこで扱った演目で、絵梨子さんを含め、みんなで「これ、どっかでやりたいよね」と上演できるところを模索する中で、新国立劇場が名乗りを上げてくれました。

――脚本からはどんな印象を受けましたか?

亀田:かなり凄惨というか、絶望に落とし込む言葉の羅列だなと感じました。やりとりは軽妙で笑えるけど、振り幅がすごいですよね。本読み会は演出も入らないし、俳優も演じるわけじゃなくてただ読むという。つか(こうへい)さん、別役(実)さん、野田(秀樹)さんやシェイクスピアの戯曲を読みました。

成河:わかるためにみんなで読む時間でしたね。それぞれ、自分は好きだけどみんなは普段読まないだろうなという作品を持ち寄りました。そこから公演に繋がったと考えると感慨深いです。

――役柄について教えてください。

成河:まだ分析はできていないんだけど、僕が演じるのは作家のカトゥリアン。 物語っていく人間の狂気というのは普遍的なものがあるのかなと感じます。

亀田:兄のミハエルは深みがあるのかないのか。暴力性もあるし残虐性もある役ですよね。どの役も一面的じゃないので、僕の役も「知恵遅れ」と描写されているけど本当にそうなのか怪しいところもある。一筋縄では行かないのが人間らしさでもあるなと感じます。

――凄惨な物語ですが、コミカルな部分もあります。

成河:イギリスの作家にとって、ユーモアは知性。この状況をいかにクレバーに笑えるかというのはとてもイギリス的だと思います。それを日本語で変換してウケを狙うと幼稚になってしまうけど、絵梨子さんはしっかり手綱を引いてくれる。戯曲の力でちゃんと笑えるものになると思います。

亀田:翻訳の時点でそういうリズムになっている。狙って作らなくても、関係性と言葉のやり取りで笑えるテキストです。

――改めて、本作の魅力はどこにあると感じますか?

亀田:やり取りは軽妙なのに描かれていることは相当凄惨。人間の中にある生々しいものを突きつけられる感じと、ちょっと馬鹿馬鹿しいところのアンバランスさがウケている理由の一つだと思います。

成河:僕がマクドナーの作品に出演するのは今回が三本目で、映画も好きです。笑いに関してはすごくイギリス的で、理性=知性というメッセージを感じます。人間の本能的な世界に、いかに知性を持って対峙できるかというのが、すごくかっこいいなと。恐ろしい世界に入っていく時に、理性の武器を渡してくれる。没入せず、理性を持ってやるとすごく豊かな体験になるというのがマクドナーのサジェスチョンなんじゃないかなと感じて、すごく好きですね。

確かな信頼をもってものづくりができる相手

――お二人は『タージマハルの衛兵』でも小川さんとご一緒していますが、小川さんの演出の魅力や稽古の楽しさはどんなところに感じますか?

成河:これを話し出すと尽きないね(笑)。

亀田:最も大事にするのが俳優同士、役と役との関係性。俳優同士が繋がっていることで目指すべきところが近づいていくのかなと。

成河:なるほど。

亀田:そうじゃない見せ方や演劇ももちろんあるけど、小川さんに関してはそこが重要なポイントなのかなと思いますね。『タージマハルの衛兵』もそういう作品で、そういう時に手を離さないでいてくれる方だったのが新鮮で嬉しい経験でした。

成河:俳優って嘘をつく商売だけど、一方で我々はいかに嘘なくそこにいるかを考えるわけです。「嘘なくいる」ってどういうことで、どうしたらできるのかという方法を日本では教われないし、なんなら考え方がみんなバラバラ。絵梨子さんは、僕が知る限り、「嘘なく俳優が存在する」ことに対して桁違いのこだわりと情熱を持っている方です。ただの情熱じゃなく、理論化されたメソッドとして鍛え続けている。その一つに戯曲の読み方も含まれていて、今の日本ではとても異質な人。でも、ある世界では当たり前のようにスタンダードであるべき存在を目指していると思います。情熱とこだわりが強すぎるので簡単について行けないし、僕も何度も落ちかけました。その度に亀ちゃんに掴まって(笑)。『タージマハルの衛兵』は僕にとってそういう経験で、とても大切なものです。

――お互いの印象も伺いたいです。

亀田:二人芝居である『タージマハルの衛兵』の時に感じましたが、向き合うことから逃げず、ずっと一緒にクリエイションしてくれる人と出会えたのは、僕に取って財産に近いです。とっても好きな俳優ですし、ボーダーをこれだけの跳躍力で飛び越える俳優はなかなかいない。柔軟性もあるし、ずっと一緒にやっていきたい大事な人ですね。

成河:もちろん仲が良い俳優さんや信頼している俳優さんはたくさんいますが、飛び抜けて信頼できる方です。それは『タージマハルの衛兵』の苦闘の中で生まれた確信でもある。大切な人です。

二人:(笑)。

成河:補足すると、すごく出自が違うのが興味を惹かれたところ。僕はつかこうへいさんが演劇の師匠で、比較的テキストを置き去りにして「面白いことやれ!」みたいな世界の中でいろいろな方法論を学びました。30代で(亀田と)知り合って、演劇創作に対する骨格がしっかりある人を目の当たりにした。骨格があってしかも面白い、稀有な存在です。作ってきたものは違うけど、同じことを考えてやってきたと感じて、夢中でいろいろなことを交換しあっている感じです。

マクドナーがちょっと苦手という方にも見てほしい

――「物語」が存在する意義を問いかける作品と紹介されている本作。お二人がこれまでに物語の意義や力を強く感じたことはありますか?

成河:絶対あるよね。そうじゃなきゃこの仕事をしてない。

亀田:でも意義って言うとちょっと硬いよね。演劇でも映画でも、自分の人生を通して見ていくから、照らし合わせていくことで、何か呼応するものがある。当たり前のことですが、物語を通して自分を知る・見つめるということになっていくと思います。

成河:ただ、物語を信じている人なんていないだろうなと感じますよね。根っこでは信じてないけど、信じるゲームが流行っているだけ。そうではなく、「ものがたる」という行為を人がどこまで信じられるのか。

亀田:楽しみ方が変わってるんだろうね。

成河:信じないことを前提に遊んでいるのは安全な行為だけど、演劇はもう少し安全じゃないところに行くのかなという気がします。

亀田:作り手も、お客さんの状況や現実を理解した上で意図的に作ることもあるだろうし。

成河:演じ手は自分の持っている物語から自分をもう一度見つけ直したり掘り起こしたりしなきゃいけないと思う。自分の物語と提示された物語を格闘させている姿がないと、受け取る側はゲームにしかならないと思う。本当に大変ですが、絵梨子さんは逃がしてくれない(笑)。

――最後に、楽しみにしている皆さんへのメッセージをお願いします。

亀田:重複しますが、軽妙さと残酷さが妙な生々しさを持って届く作品だと思います。このメンバーが小川さんの思いに乗って、揺るぎないものを立ち上げられたら。日本でも何度も上演されている作品なので、「なぜ今やるのか」という問いを突き破るような立ち上げ方をしたいです。

成河:マクドナー作品って実は演出家の個性が出やすくて、絵梨子さんのマクドナーを形容すると非常に「純正」。絵梨子さんはいい意味で自身の個性に固執しない方。マクドナー好きな方には「こういうことが書かれていたんだ」と再発見していただく良い機会になると思います。絵梨子さんは決して露悪的にはしないと思うので、マクドナーの気持ち悪さが苦手な方も、戯曲に集中できるのでむしろ大丈夫なんじゃないかな。苦手な方もぜひリベンジしてみてください。

取材・文:吉田 沙奈

撮影:田中亜紀