舞台『七人ぐらいの兵士』明石家さんま&生瀬勝久 インタビュー

さんま&生瀬の強力タッグ再び!伝説の作品と15年ぶりに向き合う

 

明石家さんまと生瀬勝久。もはや説明するまでもない、お笑い界の大スターと演劇界のクセモノ実力派がタッグを組む超人気シリーズが、3年ぶりに劇場に帰って来る! 気になる作品は、2000年にシリーズの第1弾を飾った「七人ぐらいの兵士」。ほぼ15年の時を経ての原点回帰だ。

さんま「当時は僕が60歳を迎えるまで舞台をやりましょうというところから始まったんで、(それに従うと)これで最後ということになってしまうけど(笑)」

生瀬「そうでしたっけ? どうせまた、さんまさんの頭の中での話でしょ(笑)?ただ、シリーズが始まって15年経ち、ここで一度区切りを付けたいという思いから、『七人ぐらいの兵士』に立ち返ることにしたんです。作品自体もまったく古くなっていないと演出の水田伸生さんとも話していて」

さんま「でも、15年という年月って恐ろしいねぇ。自分ではまだいけると思っていたけど、久しぶりに集まって撮影した写真を見て、『これが若手漫才師に見えるかぁ?』と。お客さんを納得させる表現力が必要だとあらためて思う。かつて僕が感動した杉村春子さんの女子高生や美輪明宏さんの椿姫を目指さなあかん(二人爆笑)」

物語の時代は笑いとは縁遠い戦中、舞台は中国大陸のとある駐屯地だ。ダメ兵士ばかりが集められた分隊に属する兵長の木下(生瀬)は、偶然再会した水嶋(さんま)を隊に引き取る。実は二人は元漫才コンビの間柄。木下のある思惑に反し、水嶋はお得意の“ウソ”で隊員たちの心をつかみ、ますます厳しくなる戦況のなかで希望を与えていく。

生瀬「演芸の世界への憧れと、どんな時代でも生き残っていそうなバイタリティーを持つさんまさんが、戦争という状況下では何を言うだろう? という想像が、この台本を書く時の僕の出発点でした。やっぱり過酷なときほど、こうして勇気づけてくれる人がそばにいてほしいですよね(笑)」

さんま「『戦争という笑えない状況にあえて身を置かせたいんです』と生瀬君は言ってたよね。ウソについては、僕は世の中に必要なものだと思う。ただ、ウソとホラはもっと言葉を使い分けた方がいい。人を傷つけてしまったらそれはウソ、そうでなければホラ。そういえば、昔、『お父さんのは嘘じゃない、あれは脚色や』って幼いIMARUにも言い聞かせてましたけど(二人笑)」

この15年間で5作品を上演。二人それぞれが、このシリーズならではの醍醐味を感じているようだ。

さんま「お笑い芸人と役者さんとでは、笑いの作り方が違うんですよ。例えば何かでズッコケたりすると、お笑い芸人の場合はそこで止まらなあかんけど、役者さんたちはその後のお芝居を続けていかないといけない。僕にはそれがすごく新鮮だし、それをまた次の笑いに利用させてもらってます。生瀬君たちが元の芝居に戻そう戻そうとするのを、僕が引っ張ろう引っ張ろうとして(笑)」

生瀬「セリフをかむとか、こちらが失敗したときのさんまさんの目の光り方といったら(笑)! さんまさんとの舞台に予定調和は絶対にない。ほかの舞台にはないそういった緊張感が僕は面白いんですけど」

笑いの絶えない会話のなかにも、最後のメッセージでは作品に対する真摯な思いも伝わってきた。

生瀬「新しい共演者を迎えますし、僕らも年を重ねているので、次のステージに進んだ新しい『七人ぐらいの兵士』を書き直すくらいの気持ちでいます。この作品は、さんまさんがさんまさんでいてくれたらそれで成立する。そのエネルギーを受け取ったお客さまには、『明日も楽しく過ごせるかな』と思っていただければ」

さんま「『死にたないんちゅうねんや俺は……。生きたいだけじゃ』という水嶋のセリフがあるんです。『ワルシャワの鼻』(2009・10年)では「ワクワクして死にたい」という言葉もあったけど、このところ、死ぬと分かっていながら人は生きてるということについて、僕自身も身に染みて分かってきた。笑いもあるなかで、その辺をうまく表現できたらいいですね」

 

インタビュー・文/大高由子
Photo/東川哲也
構成/月刊ローソンチケット編集部

 

【プロフィール】

明石家さんま
■アカシヤ サンマ ‘55年、和歌山県出身。国民的お笑いスターとして、多くのバラエティ番組でレギュラーを務めるほか、ラジオ、コントライブ、ドラマなどその活動は多岐にわたる。

生瀬勝久
■ナマセ カツヒサ ‘60年、兵庫県出身。個性派俳優として舞台、ドラマ、映画で活躍。バラエティ番組でも抜群のお笑いセンスを発揮している。最近の出演舞台に「万獣こわい」「皆既食」など。