
歌舞伎座など、年間を通して歌舞伎を上演している大劇場での公演とは別に、中村勘九郎と中村七之助が中村屋一門と共に全国各地の会場で行っているのが恒例となっている巡業公演。今年の春も『新緑歌舞伎特別公演2025』と題した舞台を、全国16カ所で開催することになっている。昨年は、彼ら兄弟の父である十八世中村勘三郎の十三回忌追善公演の一環として中村屋にゆかりの深い演目を披露したが、この春はまた趣向を変えて『高尾懺悔(たかおさんげ)』という少し珍しい舞踊を七之助が踊り、『太刀盗人(たちぬすびと)』という中村屋の面々で上演するのは初めてのコミカルな舞踊劇を勘九郎らで上演する。さらにこの二演目に加え、冒頭には『トーク&ミニ歌舞伎塾』として各地のローカルな話題から、今回の演目の解説はもちろんのこと、“歌舞伎塾”のコーナーでは舞台の裏方、後見(こうけん・舞台上で演技を補助する係)の仕事を紹介、たとえば衣裳の早替り“引抜(ひきぬき)”の秘密などが語られる予定だ。
1月下旬、都内にて勘九郎と七之助が顔を揃えた取材会が行われ、上演する演目の魅力や面白さ、今年で21年目となるこの巡業公演への想いなどが語られた。
――まずは、お二人からご挨拶をお願いいたします。
勘九郎 毎年恒例となりましたこの巡業公演ですが、そもそものきっかけは地方の学生の方からのお手紙でした。「歌舞伎を観たいのですが、チケット代に加えて宿泊代や交通費などもかかるので、学生の私には東京まで行くのが無理なのです」と書いてありまして、「だったらこちらから赴こうではないか!」という気持ちになったことから始めた公演なんですね。それから21年が経ち、全都道府県の制覇も達成して、今や2週目に入ったことも嬉しい限りです。それでも、毎年トークコーナーで「生まれて初めてナマで歌舞伎をご覧になる方はいらっしゃいますか?」と質問をしますと、かなり多くの方々がお手を挙げられるので、いまだに歌舞伎を観たことのない方はまだまだたくさんいるな、という印象です。そういう方たちにもぜひ、私たちの愛する歌舞伎を楽しんでいただきたいと思って毎回、演目立てから工夫を凝らしております。今回も、『高尾懺悔』は珍しい踊りでございますし、そして『太刀盗人』は中村屋にはそれほど縁のなかった演目なのですが、これは踊りだけではなく台詞が入っている舞踊劇になっているので、よりお客様を物語の中に誘えるのではないかと思い、この二つを選びました。ぜひ大勢の方に楽しんでいただける公演にしようという気概で溢れております、どうぞよろしくお願いいたします。
七之助 恒例となったこの巡業公演がまた今年も行えることを、私も本当に嬉しく思っております。昨年は春に春暁歌舞伎特別公演と陽春歌舞伎特別公演、そして秋には錦秋歌舞伎特別公演を行いました。十八世中村勘三郎十三回忌追善という冠もついておりましたことから、お客様もたくさんの方がいらしてくださいました。今年もまた、さらに数多くのお客様が足を運んでくださることを切に願っております。
――今回は恒例のトークコーナーに加え、ミニ歌舞伎塾もあります。
勘九郎 最初にこのトークコーナーやミニ歌舞伎塾をつけることによって、初めて歌舞伎をご覧になる方の「敷居が高いんじゃないか」とか「難しくて、何を言っているのかわからないのかもしれない」という不安や、舞台と客席の間にある壁を取り払うことができるので、演目をより気軽に楽しんでいただけていると思っております。前半は私や七之助も一緒になってトークをし、本当ならずっと舞台にいてお話をしていたいのですが、次の演目のための準備が間に合わなくなりますので途中で退席させていただき、後半はミニ歌舞伎塾という舞台の裏側をお見せする趣向にして、後見(舞台上で演技を補助する係)のお仕事を紹介したり、女方の踊りの中で行われる“引抜”を詳しくご覧いただこうと思っています。“引抜”を一から説明してお見せするという企画は、初めての試みじゃないかな。
七之助 なかなかお金もかかりますし、いろいろ用意していただくことになる衣裳さんは大変だなと思いますけれどもね(笑)。みなさまがいつも見ている華やかな面、つまり衣裳を引き抜いてパッと違う着物になって出てきて、また踊りを繋げていく後ろには、果たしてどんな苦労があるかというところをじっくりと見ていただきたいと思います。これは演者と後見がいかに息を合わせてやっているかはもちろんなのですが、後見は存在を消しているようで実は消していないんです。まさに空気のような状況でやっているからこそ、見事にマッチしてああいうものができるんだというところを、この機会にご覧いただけたらと思っております。
――続いて、演目についてそれぞれから解説していただきたく思います。まずは『高尾懺悔』から。
七之助 『高尾懺悔』は、先ほど兄も話した通り、すごく珍しい踊りだと思います。僕も、ナマでは観たことがありません。映像資料でいろいろな方で上演されている舞台を三つほど拝見しましたが、使っている道具も演出方法もそれぞれ違いましたし、私がやる今回のバージョンも巡業公演ですので使える舞台装置も限界がありますし。そんな中で一番しっくりくる、今回の舞台に合う道具を今はまず考えているところです。さらに、これは私がこの巡業公演を20年以上やってきた中で最も渋いというか、ちょっとネガティブな言い方をすると暗い踊りでございます。“高尾”というのは、代々続く、その時代の吉原で一番の遊女が受け継ぐ名前です。この踊りに登場する高尾は、これは諸説あるらしいのですが、伊達騒動のきっかけとなった“仙台高尾”と呼ばれる二代目の方のことらしいんですね。そしてこの踊りで描かれる、一番のミソの部分は遊女の苦悩なんです。遊女というのは華々しい世界に生きているようで、最初は口減らしなど家の事情で売られてきたという悲しみがあって。四季折々の情景も描きながらちょっと救いのない踊りでもあるんです。そこをしっとりともの悲しく踊ることで、吉原の裏の部分を覗いていただけたらと思っています。
勘九郎 その次に披露する『太刀盗人』は、ガラッと雰囲気が変わります。これが歌舞伎の面白いところ、魅力でもありますね。いろんな演目があって、その組み合わせ、順番によっても見え方が違ってくるんです。『高尾懺悔』という、渋くてしっとりとした演目の後に、コミカルでカラッとした『太刀盗人』をご覧いただけるというのは、かなり面白いことになるだろうと思いますね。こちらもタイトルのままの物語で、田舎者が持っている太刀を盗み、途中でバレてしまうのですが、そこにやってきた目代がどちらが本物の太刀の所有者かを問うという、とてもシンプルで楽しい作品でございます。田舎者万兵衛役の鶴松と、すっぱの九郎兵衛という盗人を演じる僕とで、うまく息を合わせてやれたらいいなと思っております。
――一緒に巡業を回られる鶴松さんのここ数年の成長ぶりは、お二人にとって大変嬉しいことかとも思いますが。地方の歌舞伎ファンの方、初めてご覧になる方はまだあまりご存知ないかもしれませんので、ここでぜひお二人から鶴松さんをご紹介していただけないでしょうか。
勘九郎 そうですねえ、鶴松さんは童顔で、背が小さくて……。
七之助 そういう外見のことではないでしょう?(笑)
勘九郎 若手と言われていますけれど、今年30歳ですから(笑)。彼が、中村屋の部屋子になったのは10歳だったかな。
七之助 小学校の高学年でしたね。
勘九郎 そこから、父のもとで僕らと共に修行してきましたけれども、僕らよりも幼い時に父のような存在を亡くしてしまったわけなので、悩んだ時期もあったと思います。それでも自主公演で『鏡獅子』を踊ったあたりから自覚も生まれ、今まで貯めていたパワーを発揮してどんどん力をつけ、この巡業公演においても彼一人で踊る演目も増えてきました。今回の『太刀盗人』みたいに、僕らの相方を演じることもますます増えていますから、戦力としても本当に力をつけてきてくれているとしみじみ思いますね。しかも今回の田舎者という役は、比較的女方を多く演じてきた彼にとってはあまり手掛けて来なかったキャラクターでもありますので、新たな彼の一面を見せてくれるのではないかと期待しています。
七之助 兄が申しました通り、本当にここのところめきめきと力をつけてきていますね。もともと歌舞伎が好きで、力もある人間だったんですけれども、私の父(勘三郎)を亡くしたり、コロナ禍があったことで、僕たちはありがたいことにすぐ舞台に立たせていただけたのですが、三部制で入れ替えだったり一演目だけしか出られなかったりだと、どうしても出演できる俳優は少人数で決まってきてしまうし、それをせめて近くで見たくても楽屋に入ることすらできなかった。そんな時期と、ちょうど俳優として一番伸びしろがある、どんな役でも舞台に出て肌で感じることで成長できる大事な時期が重なってしまった。鶴松を始め若手たちはそういう舞台に出られない苦しい思いに耐えてきたので、「いつか!」というその時の気持ちが今、爆発しているんだと思います。その爆発を今こそ思う存分、いろんな舞台にぶつけてほしいなと思っています。
――では最後に、改めてお客様へ向けて一言ずついただけますか。
勘九郎 トークとミニ歌舞伎塾、そして『高尾懺悔』、『太刀盗人』という今回の流れは、まさに歌舞伎の魅力がぎっしり詰まった演目立てになっていると思います。初めて歌舞伎をご覧になる方はもちろんのこと、何回も歌舞伎に足を運んでくださっているお客様も一緒になって楽しんでいただける公演にしていきたいと思いますので、ぜひご参加のほど、よろしくお願いいたします。
七之助 初めての方も、まずはトークやミニ歌舞伎塾でいろいろとお話させていただきますので、安心してご来場賜りたいと思います。いつも歌舞伎に足を運んでくださるお客様でも、おそらくほとんどの方が観たことのない『高尾懺悔』ですし、そして中村屋にはあまりゆかりがない『太刀盗人』を上演するということは、もしかしたらこの巡業を見逃したらもう観ることはできない演目、かもしれませんからね。ぜひとも、この機会にみなさまお足を運んでくださいませ。
取材・文:田中里津子
ヘアメイク:中村優希子
スタイリスト:作山直紀
衣装クレジット
Y’s for men/ワイズフォーメン
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