宮崎駿が描いた長編漫画「風の谷のナウシカ」。映画も含め世界中で愛されているこの名作は、2019年に新作歌舞伎として上演された。映画では描かれなかった部分も含め、全7巻を昼夜通しで上演し、大きな話題を呼んだ。あれから3年を経た2022年、皇女クシャナに焦点を当てて7月4日から29日まで歌舞伎座にて上演されている。
周囲に命を狙われる修羅のような道を、凛と美しく歩くクシャナを演じるのは、前回ナウシカを演じた尾上菊之助。菊之助は今回、G2とともに演出も手掛ける。そしてナウシカ役を託したのは、若手女形として大きな期待を集めている中村米吉だ。
初日を翌日に控えた7月3日、最後の通し稽古に臨む尾上菊之助と中村米吉の2人がメディアの取材に応えた。
――いよいよ明日が初日ですね。今のご心境は?
菊之助 令和元年に初演をいたしまして、再演をしたいと願っておりましたが、ようやく叶うことになりました。約10日間の稽古だったんですけれども、みんな気持ちをひとつにして、初日に向かって全力で稽古をしてまいりました。昨日にも通し稽古をしたんですが、今日の通しが初めての止めずに稽古できる機会になります。今日の稽古を経て、明日の初日に向けて頑張っていきたいと思っております。
米吉 こうやって皆さまに「明日が初日ですが、ご心境は」と聞かれて、本当に始まるんだなという気持ちがしてきております。この10日間、菊之助兄さんにもいろいろなことを教えていただきました。教えて戴けたことが、何よりも僕はうれしく、糧になっております。それをいかに、このナウシカという役に落とし込み、これから先はお客さまに観ていただくという段階に入りますので、まずは今日の通し稽古で教えていただいたことを自分の中で消化して、しっかりと体に落とし込んで、明日の初日をどうにか迎えられたらと思っております。
――楽しみな想いと、不安なお気持ち、どちらが大きいですか
菊之助 緊張感が多いですね。今回は、前回の3文政の中の1つということで、昼の部を主にまとめさせていただいております。この長いストーリーを凝縮するにあたって、今回は「上の巻―白き魔女の戦記―」ということでまとめさせていただいています。とはいえ、一幕目はほぼナウシカ中心のお話、二幕目からはクシャナの母への想いの回想から始まる戦記になってまいります。前半はナウシカのキレイな世界、後半は血みどろの道をゆくクシャナのテーマとなっております。立ち回りやスペクタクルな舞台もございますし、最後には米吉さんがメーヴェに乗って飛び立ちますので、ぜひ楽しみにしていただきたいと思っております。
米吉 前回の昼の部を中心にしているということなんですけれど、演出ですとかそういったところは変わっている部分もあります。少しコンパクトになっておりますので、コンパクトになった分、薄まっていないのかというところも気になります。もちろん、演出の菊之介さん、G2さん、脚本家の丹羽圭子さんなどと相談しながら作り上げてまいりましたし、宮崎駿監督が作られた世界を壊さずに、歌舞伎と融合させてお客さまにお届けしたいという強い想いで、今はいっぱいでございます
――緊張はされていますか?
米吉 不安と緊張しかないですよ、本当は。私はすっぽんから上がってくるのが最初の登場になります。その時に持っている銃が震えないか、銃に頼って立たなきゃいけないんじゃないか、と思っているほどです(笑)。本当にこんなに大きなお役を歌舞伎座でやらせていただけるとは、思いもよらないことでした。ただ不安と緊張ばかりになってしまうと、それがお芝居のほうにも影響しますし、お客さまにも伝わってしまいます。宙乗りもございますし、ご覧いただいた方が楽しい気持ちで帰っていただけるように、自分も楽しむ心を忘れずに。アニメを観ながらワクワクドキドキ楽しんだ頃の心を思い出しまして、努めていきたいと思っております。
――宙乗りは初めてとのことですが、いかがですか
米吉 思ったより高いな、というのが率直なところ。メーヴェという乗り物に乗っていますが、結構バランスが取れないので、うまく恐怖と闘いながらも楽しみたいと思います。
――前回はナウシカを菊之助さんが演じられました。役を引き継ぐにあたり、教わったことや学んだことはありますか
米吉 先月も博多座でご一緒していたので、そちらで一度、お稽古をしていただきました。お互いに台本を持ち、読み合わせをいたしました。そのときに、いろいろなセリフの言い方、ここで息を吸おう、など、そういうところから教えていただきました。古典歌舞伎の女形には、お姫様ですとか、腰元ですとか、パターンや型がありまして、その中で芝居を積み上げていくんですが、このお役にはそのパターンがありません。新たにお役を作っていく、そういう作業が必要なんだよ、ということをお兄さんに教えていただきました。稽古で積み上げたもの、初日が明けてからもどんどんと磨いていきたいと思います。
――菊之助さんにお聞きします。今回は、漫画原作が歌舞伎座で上演されるという珍しい例になりますが、上演する意義をどのように感じていらっしゃいますか
菊之助 特に漫画原作を歌舞伎座で、というところは意識していません。1980年代に宮崎駿監督がお描きになったこと…日本の未来を少し心配しているようなテーマが、2020年代になって、当てはまってしまっています。今、世界にはコロナウイルスが広がっていますが、ナウシカの世界は、腐海が広がり、マスクをしなければ肺が腐ってしまう世界です。戦争も起こっていて、狭い土地を人間が譲り合うのではなく、争っています。そこにナウシカが現れて、それぞれの価値観を変えていく、というところがこの世界の中で大切にしなければいけないことです。歌舞伎的な様式は使いつつも、監督が大事にされていた世界観をいかにこの現代にお伝えできるか。そこをテーマに脚本家の皆さん、出演者のみなさんで考えてまいりました。今、この「風の谷のナウシカ」をさせて戴くことが非常に意義のあることだと思って、明日の初日を迎えたいと思っております。
――ナウシカ役を託した米吉さんをどのようにご覧になっていますか
菊之助 初演の時にはケチャという役をおやりになっていたんですけれど、その時の姿勢がもう素晴らしくって。役にかける情熱や、ケチャというとても強い女性の部分をしっかりと捉えてやってくださっていたので、もし再演があるとしたら、と考えました。もちろんその時は、中村七之助さんがクシャナをおやりになっていましたので、再演でも、という想いもありましたが、歌舞伎は主演や役柄、演じる人が変わることによって芝居を深めてまいりました。なので、今回はクシャナを私が演じさせていただき、前回素晴らしかった米吉さんをナウシカに演じていただきます。若い力を借りながら、またこの作品を深めていきたいと思います。
――米吉さんはナウシカ役をお聴きになった時どう思いましたか?
米吉 間違い電話だと思いました(笑)。前回、ケチャというお役で携わっておりましたので、このナウシカというお役がどれだけ大変で、どのように作られていったのかを、肌で感じて知っておりましたから、エイプリルフールじゃないだろうか、という想いでした。ちょうど、4月ごろだったんです。
菊之助 一番はじめのポスター撮りの前段階の時も、米吉さんは苦しまれていました。何度も何度もメイクテストを繰り返して、役柄に近づかれていく姿を見ておりました。ですので、ポスター撮影の際に衣装を着けられて、ナウシカが誕生したときに、もう本当に可愛らしくて…。素晴らしいナウシカが出来上がったなと思いました。お芝居は生ものですから、日に日に変わっていくと思います。役も深まってまいりますし、我々のお化粧も微妙に変化していきます。これでスタートさせていただいて、千穐楽までにどんどん深めていきたいと思っております。
――米吉さんからみた、菊之助さんのクシャナのお姿はいかがですか
米吉 先輩に向かって何かを申し上げるのは恐縮してしまいますが…。本当に原作にあるクシャナの雰囲気そのままです。お兄さんがもともとお持ちである威厳といいますか、その雰囲気がすごくぴったりと、クシャナに合っているような感じがしました。クシャナは立派な血を引く将軍です。それだけ大きな存在に、ナウシカは純真無垢に向き合います。そこがすごく大事なことなんだと、お兄さんの存在そのものからおしえていただけているような感じがしています。
――今回、菊之助さんのお子さん、尾上丑之助さんと、寺嶋知世さんもご出演され、親子共演となります。お気持ちはいかがです
菊之助 丑之助は何度も舞台に立たせていただいていて、今回の王蟲の精役は初めから考えておりました。ナウシカの幼少期も、再演ではもしかして長女の知世ができたら、という想いがあったんですが、こればかりは強制するわけにはいきません。いろいろ気持ちを聞きまして、本人もだいぶ考えました。私が歌舞伎役者であり、両祖父も歌舞伎役者、お兄ちゃんも歌舞伎役者ということで、何か歌舞伎がとても身近な存在だというふうに本人も感じていたようです。それで本人から、やりたいと言いまして、このような流れになりました。学校にも通いながら大変かと思うんですが、何よりも楽しんで。稽古は厳しく、舞台は楽しく、ということでいい経験をさせていただいて、楽しく舞台に立ってもらえればと思っております。
――役者としての期待はいかがでしょうか
菊之助 まあ、これからです。本人たちが役を考えるということがとても大事だと思っていまして、教えたものをそのままやるのではなく、役の気持ちになって、舞台に立ってもらえればと思っております。
大抜擢ともいえる大役を引き受けた米吉は、やや緊張の面持ち。初日に向けての緊張感を滲ませながら、歌舞伎にかける思いを丁寧に、熱心に語っていた。そんな米吉の姿を、菊之助は時に頷いたり、時に微笑んだりしながら見守っていたのが印象的だった。
「七月大歌舞伎」は7月4日から29日まで歌舞伎座にて上演、「風の谷のナウシカ 上の巻―白き魔女の戦記―」は第三部にて上演中。
ライター:宮崎新之
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