お囃子プロジェクト×民謡|望月秀幸&望月左太寿郎インタビュー

【左】望月左太寿郎 【右】望月秀幸

2010年、「邦楽囃子の魅力を大勢の人に伝えたい!」との想いを込めてスタートした「お囃子プロジェクト」。邦楽囃子演奏家の望月秀幸と望月左太寿郎の藝大同級生を主宰に、邦楽の若手演奏家や、パーカッション、ギター、チェロといった洋楽器の演奏家がコラボし、とびきりのお囃子エンターテインメントを展開。「興味はあるけど敷居が高い」と思われがちな伝統芸能のイメージを払拭し、気軽に!純粋に!喜びと発見に満ちた本公演も回を重ね、最新の2022年版は初めて歌が入るという。お囃子プロジェクト初の民謡とのコラボについて、秀幸、左太寿郎、2人の掛け合いで聞いた。

 

古典邦楽だって音楽。音楽というものは人を楽しませてナンボ!

――今回の『お囃子プロジェクト』について教えてください。お囃子とはなにか?の入門編も語っていただけるとうれしいです。

秀幸「まず、お囃子とは歌舞伎音楽における囃子のことです。私も左太寿郎も普段は歌舞伎音楽のお囃子を生業としています。一口にお囃子といっても担当楽器が決まっているわけではないんです。上演演目やメンバーによって今日は小鼓(こつづみ)、今日は大鼓(大つづみ)、今日は太鼓と、いろいろやります。」

左太寿郎「歌舞伎をご覧になる方はお気づきでしょうが、出囃子(でばやし)といって舞台上の後方で演奏したり、黒御簾(くろみす)という小屋の中で陰に隠れて演奏する蔭囃子(かげばやし)が、お囃子の通常のスタイルです。ですが、この「お囃子プロジェクト」はまったく別物で、邦楽囃子の枠を超えていろいろなジャンルの音楽と一緒にやろうという企画です。」


――普段の後方や陰ではなく、お囃子が前面にでるわけですね。

秀幸「そうです。この企画自体は2010年から始まりました。当時、我々はまだ20代。若いとはいえ、古典邦楽の世界で生きてきた人間というのは古典の舞台にしか出たことがないんです。我々もずっと古典の舞台にしか知らない。藝大に通っていた時も、「10年後には五線譜をメインとした仕事環境になるよ」と言われましたが、「嘘つけ」とか言って信じていませんでした。ぜんぜん五線譜の勉強をしなかったんですが、どうもそういうわけにはいかなくなった、将来のためにすこしでも邦楽を普及する活動を自分たちでやんなきゃいけないんだろうな、という意識が芽生え始め、左太寿郎と一緒に立ち上げたのが2010年でした。そうはいってもなにをやってよいかは皆目わからず、とにかく手探りでとりあえず公演をやってみようということになりました。」


――そうした意識が芽生えたきっかけはどんなことでしたか?

秀幸「仙波清彦(せんばきよひこ)さんという有名なパーカッショニストがいらして、私も「仙波清彦&カルガモーズ」のメンバーですが、ある時、大鼓を持って来てリハーサル見においでよと言われて行くと、本番はいついつだからとそのままご一緒することになりました。びっくりですよね(笑)。そこで清彦さんから教わりました、音楽というのは人を楽しませるものなんだ、ライブなんだ、と。古典邦楽の世界って演目と向き合っちゃうんです。お客様に喜んでもらうというよりいい演奏をしなきゃならないと、そういう指導を受けてきました。でも、ライブで演奏すると、目前のお客様を満足させなきゃいけないんだって気づくんです。ちょっと脱線になるかもですが、演劇と芝居という言い方がありますよね。演劇は読んで字のごとしで劇を演じること、一方、芝居は、お客様が芝に座って居らしてその前でおもしろいことをやって楽しませることで、そのようなスタイルであった歌舞伎が発祥とされます。つまり、古典とされる歌舞伎自体が、芝にいるお客様を楽しませるためのものである。来てくださるお客様を喜ばせることが1番の目的なんだと再認識し、だんだん形が決まってきました。なんかしゃべりすぎちゃいましたね。」

左太寿郎「ぜんぶ言ってくれました、もうじゅうぶんに(笑)。」

秀幸「トータルすると20回近くやってきました。ですが、何回か中止をね。コロナ禍というやむを得ない状況ではあるんですが。」

 

民謡とのコラボは嘘から出た真?2022年はかねてからの念願が叶う

――あえて高いハードルを飛び越えて突き進む使命を帯びておられるのかも。ところで今回はなぜ民謡とコラボすることになったのですか?

秀幸「ゲスト出演してくださる三味線の﨑秀五郎(さきしゅうごろう)さんとは以前からお仕事は一緒にさせてもらっています。それで、ある時、父(田中佐幸)から、秀五郎さんがお前とコラボしたいそうだから連絡してみろと言われ、そうですかと電話すると、話は逆で、父から秀五郎さんに息子(秀幸)と機会があったらコラボしてやってほしいと言われていたそうです。なんだそれ?と思いつつ(笑)、これはタイミングなのだろうと。嘘から出た真ではないですが、お話を進めることになりました。それが、2018年頃でしたか。」

左太寿郎「民謡に限らず歌と組みたいねという話はずいぶん前からあったんですよね。」

秀幸「お囃子プロジェクトでは我々がフロントに立ちますが、なんというのでしょう、やっぱり打楽器がフロントのバンドは演奏方法が限られてきちゃうんです。特に歌舞伎のお囃子はフレーズなどのルールの縛りがかなり強い。たとえば、歌舞伎でこういう登場人物が出る時はこのお囃子をやる、という能楽由来のものが決まっています。」

左太寿郎「いつものお囃子プロジェクトでコラボするのは、昭和歌謡、ポップス、クラシックとさまざまなジャンルで、それぞれ難しさはありますが、歌唱が入るとなるとまたある種の縛りが増えるので、もっと難しくなりそうとは思いましたけど。」

秀幸「そこをね、一度は歌にチャレンジしようというところに行きつきました。」


――歌が入ると違いますか?

秀幸「だいぶ違います。特に我々がゲストでお呼びする洋楽器の方はどんなものにも対応してくれます。が、ゲストの方々の洋楽と我々の邦楽とのもっとも違う点は、我々邦楽はインテンポ(一定の演奏速度)ではないところです。基本的に歌の節にテンポを合わせるんですよ。なのでノリが非常に独特になる。この独特のノリへの対応は難しいんですが、我々のゲストの方々は対応してくれる。すごいことです。今回もそういうすごい方々がゲストで出てくださいます。それで民謡が入るわけですが、民謡って、この歌は〇〇県の〇〇の意味の歌だからとか、もうたくさんの縛りがあって。」

左太寿郎「アレンジ中なのでまだわかり切っていない点が私たちにありますが、たとえば、この民謡のここの歌詞は変えてはならないとか、歌詞の流れの主旨を変えてはならないとか、本当にいっぱい縛られるので、お互いの歩み寄り方が今までと違っているように感じますね。」

秀幸「気持ちはわかるんですよ、お囃子プロジェクトのコラボでは、洋楽器の方々に我々お囃子のベースを守ってもらってコラボしてきましたから。自分とは違う音楽に合わせる難しさ、それを、今回は逆パターンで我々が体験することになります。お囃子プロジェクトのゲストに呼ばれたらこういうやりづらさがあったのか!と改めて思いました(笑)。」

左太寿郎「お互いに守るべきベースは守りつつ、とはいえ、多くの方に楽しんでもらいたいお囃子プロジェクトですから、自由にやりますけれど(笑)。」

秀幸「古典だけをやっていたら、邦楽の古典に興味ある人しかお客様として来られないじゃないですか。それじゃ普及はできない。新しいことにいっぱいチャレンジする中で、すこしでも邦楽や古典に興味を持ってくださる人が増えていけばいいなと思います。」

 

ステージビジュアルは想像以上にカッコよく、演奏は純粋に楽しい!

――動画を拝見しましたが予想外にかっこよかったです。

秀幸「予想外ですか(笑)。」


――お囃子を知らない方にも満足してもらえると思いました。以前、「Queen」に挑戦したいとおっしゃっていましたが、今回の予告演目にある「黒田節」と「We will rock you」をミックスした「黒田節ロックユー」として実現するのですか?

秀幸「実は一度Queenはやったんです。その時は長唄の「元禄花見踊り」とミックスしました。そうしたらみんなが「花見踊りをやるとQueenが思い浮かぶ」と言って後遺症が出たらしいです(笑)。」

左太寿郎「ハマりはいいんですが、シュールですね(笑)。」

秀幸「「佃」という邦楽と「Born to Be Wild」をミックスしたのもありますが、これもかっこよくできたと思います。」


――今回の予告演目のみならず、過去の楽曲も度肝を抜く感じです。ぜひ一度ライブで体験していただかないとこの凄さはわからないのではないかと。ベートーヴェンの「運命」から暴れん坊将軍のテーマ曲につながるとか、西城秀樹とか、想像を越えるアイデアはどこから来るのですか?

秀幸「楽曲は私が担当していますが、西城秀樹はですね、私が20代の頃にパチスロに明け暮れておりまして、藝大に通いつつ上野あたりに住んでいた当時、学校帰りに週5で行っていました。その頃に西城秀樹のスロットがあったんですよ。当たりが出ると曲が流れるから、すごくいい曲に聞こえてきて(笑)。」


――西城秀樹の歌は、歌手とファンのコール&レスポンスが効いています。そういうお客様を楽しませる要素もお囃子プロジェクトに向いていたのでしょうか。

秀幸「偶然ですけれど、「ギャランドゥ」とのコラボ曲では、我々も演奏家同士でパーカショニストと掛け合うパースを作りました。コール&レスポンスを初めてやったのが「ギャランドゥ」でしたよ。」

左太寿郎「ところが、西城秀樹ばかりを選曲していると邦楽囃子演奏家の先輩のお姉さま方から「郷ひろみはやらないの?」なんてプレッシャーが来たりするんです(笑)。」


――もう一つビジュアル的に気づいたのは、洋楽器の演奏者はノッてくると体が動きますね。ところがお2人は微動だにしない。そこがまたシュールで。

秀幸「そこはジレンマなんですよ。私たちもノッたら動きたい、でも、動けない。太鼓には中央に撥皮(ばちかわ)というものが貼ってあり、ここを外したら音が出ないんです。」

左太寿郎「小鼓なら立って演奏もできるかもですが。まあ、そうした洋楽器と違う点も、もしかしたらお客様が見て楽しめる点かもしれないですね。実は鼓の音を出すのは、世界でもトップクラス的に難しいんです。あまり知られていませんが。世界に打楽器多しといえど、鼓は一番難しいと思います。」


――今回のセットリストを可能な範囲で教えていただけますか?歌はどのくらい入るのでしょう?

秀幸「10曲くらいのうち8曲が歌入りです。「黒田節ロックユー」のほかに、美空ひばりの「お祭りマンボ」と熊本県民謡の「おてもやん」をミックスした曲、武田信玄のことを歌った「武田節」。プロレスラー鈴木みのる選手の入場曲を民謡歌手の水野さんに歌っていただくとか、凝らせるだけ凝らした趣向です。」

 

ムチャブリから始まった縁でお囃子プロジェクトがどんどん育つ!

――ところで、お2人はどういう組み合わせでしょう?

秀幸「そうですね、一言でいうとビジネスカップル(笑)。」

左太寿郎「藝大の同級生です。秀幸は、いろいろな人を巻き込んでいろいろなことをやろう、というタイプ。私はどちらかというと前面に出ることはなくて。」

秀幸「曲はすべて私が決めてアレンジしますが、左太寿郎は一度も文句を付けたことがないんですよ。普通、やっていくうちに音楽性がどうのと議論になったりするじゃないですか。それが一度もない。」

左太寿郎「見せてもらって、はい、わかった、とだけ。」

秀幸「なんかホッとするんですよね。」

左太寿郎「最初はムチャブリから始まった仲なんですが(笑)。」

秀幸「そうそう。お囃子プロジェクト第1回を計画し始めた頃、せっかくなら区の助成金に応募しようという話になり、左太寿郎を代表にしてプレゼンテーションに行ってもらったんです。」

左太寿郎「私は主旨をなにも知らないのに、審査員がずらーっいる中で20分30分しゃべろと言われて、まあしゃべりました。」

秀幸「それで無事に受かりまして(笑)。」


――その時のお気持ちが、邦楽をもっと広く浸透させたい、絶やしたくない、というものだった。

秀幸「どの世界でもそうかもしれませんが、邦楽、古典の世界も、私たちの先輩方世代は新しいものをなかなか受け入れない。受け入れる体制なく来ているんだと思うんです。だから我々の世代が頭になって変えていかなきゃいけないと思って、やるしかないんですよ。もちろん先輩方がやってきてくれたことは決して間違っていないし、その時代にはあっていたはずです。団塊の世代ってバブル絶頂期で、ただただ忙しく、普及のために何か新しいことをする時間がなかった。子どもたちに教えるとか、チャリティー教室をする暇もなく、私の父も1日に何件も掛け持ちで演奏していました。それが当時の最善だった。子どもの習い事といえばピアノや日本舞踊が1位だった時代です。最近はラップ、レゲエ、ポップス、ジャズとワールドミュージック入ってきて、邦楽に固執しているわけにいかなくなりました。このままではいずれすたれてしまいます。私たちの世代がなんとかしなきゃならない、後輩に一つでも多く現場を作ってやりたい。そんな想いもあるんです。」

左太寿郎「邦楽、歌舞伎をよくご存知の方も、私たちの企画で初めて触れるという方も、どんな状況であれ劇場にいらしていただけたなら、楽しかった!といっていただける舞台にします。お気楽なプロジェクトだと思ってください。ともあれ劇場にお越しいただけることを切に願うばかりです。」

 

インタビュー・文/丸古玲子