能狂言『鬼滅の刃』│大槻裕一&野村裕基 インタビュー

炭治郎と善逸として呼吸を合わせ、濃く絡める経験ができた挑戦作

昨年、野村萬斎の演出で、東京と大阪で上演し原作ファンの心も古典芸能好きの心も鷲づかみにして好評を博した、能狂言『鬼滅の刃』。その追加公演が決定し今年は京都、福岡、愛知、神奈川で公演がおこなわれる。主人公・炭治郎役は大槻裕一、その仲間・善逸役は野村裕基が引き続き演じるが、まさに能狂言の現在、そして未来へと眼差しを向けている彼らによると、画期的かつ歴史的な挑戦となった昨年の舞台からはどちらも確かな手応えを感じた様子。

裕一 特に東京公演の初日は、作品をお客様に初めて観ていただく日だったので怖くもありました。インターネットでエゴサーチしたり、アンケートも端から端までくまなく読ませていただきました。

裕基 原作が好きで来られた方が大半で、能 狂言化すると聞いて最後までちゃんと起きて見ていられるだろうかと不安だったけれどすごく楽しめた、という反応がほとんどでした。再現性にも注目されていたと思うのですが、能狂言の表現方法、型を駆使して『鬼滅の刃』をお好きな方にも愛されるような工夫がなされていたからこそ、皆さんに楽しんでいただけたんだと思います。

裕一 古典作品でもたとえば源義経とか有名な人物を演じることはありますが、炭治郎の場合はお客様全員がどういう性格で、どういう見た目で、どういう喋り方かをわかっている状態ですから、確かに最初はプレッシャーでした。だけど単なるモノマネでは面白くならないですし。伝統をどこまで守ってどこから崩すのか、紙一重の境目が本当に難しかったです。

裕基 その点、善逸は本筋のストーリーとは別に、ある程度外す部分がある役なので。それをどこまで能舞台でやっていいのかということはすごく考えました。黄色の頭で能舞台に立てないのであれば、能でも使う鉢巻きを黄色にしてみよう、とか。そういう意味では炭治郎よりは善逸のほうが能より狂言に近い存在と思えるので、僕も本職の狂言役者として善逸を演じたつもりです。炭治郎はやらないような、浮かれながら登場するという仕草もやらせていただきましたが、何しろ善逸なのでお客様にはスキップで出て来たように見えたかもしれません(笑)。張り詰めた空気感が流れている場でも、善逸が舞台上にピョンピョン出て来るだけで笑いが起こったときは嬉しかった。物語の本質が能として語られている中での緩衝材的なことができるキャラクターでしたから、能と狂言の本来の役割と似た表現ができたように思います。

そもそも二人は同世代。小さい頃から同じ舞台に立つこともあったそう。

裕基 何せ僕がシャイなもので(笑)。もともと友達が多くなくて。だから本当に仲良くなったのは大学生になってからかも。

裕一 僕も友達が少ないので、唯一の友達かも(笑)。やはり目指すところが同じ人と話すのは楽しいです。しかもこういう挑戦的な新作で、ここまで濃く絡める経験が今できたことは本当にありがたくて。

裕基 役柄としても“呼吸”を合わせ互いに共鳴しているものを感じつつ演じました。まさに『鬼滅の刃』みたいですけど(笑)。若いうちにこの作品で経験できたことは、ふだん演じる古典の中にも大いに生かせるように感じています。


インタビュー&文/田中里津子
Photo/植田真紗美

※構成/月刊ローチケ編集部 5月15日号より転載
※写真は誌面と異なります

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【プロフィール】

大槻裕一
■オオツキユウイチ 
’00年に「老松」で初舞台。師父は人間国宝 大槻文藏。

野村裕基
■ノムラユウキ 
’03年に「靭猿」で初舞台。父は野村萬斎。