明治座創業百五十周年記念『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』│市川猿之助×中村隼人 合同取材会レポート

昼の部は市川猿之助が宙乗りを披露する歌舞伎スペクタクル「不死鳥よ 波濤を越えて」を、夜の部は猿之助が宙乗りに加え6役の早替りも見どころの三代猿之助四十八撰の内「御贔屓繁馬」を上演する。また、千穐楽は花形公演として猿之助と中村隼人が役を入れ替え、昼夜ともに「御贔屓繁馬」を上演するという。公演に臨む市川猿之助、中村隼人の2人に話を聞いた。

――今回は、どのような経緯での上演となったのでしょうか?

猿之助 明治座150周年ということでご指名をいただきました。最初は歌舞伎でも古典をやるかどうかを考えました。ただ、明治座さんの座付きのお客さんを考えると、特別な機会にしか歌舞伎はやらないので、古典だけでは厳しいかと思って、今回の演目になりました。明治座は杉良太郎さんの公演みたいな部分で、本当に商業的に業界を支えていたところがあるので、「不死鳥よ 波濤を越えて」という宝塚歌劇みたいな芝居をやってみようかと。これができるのは、明治座くらいじゃないかな。40年ぶりくらいの上演になるし、出たことのないものなので。

そして、夜の公演では明治座から生まれた「御贔屓繁馬」。最後には派手なのと、尖ってるのと、もうやったことがないことをやろう、と決まりました。「不死鳥よ 波濤を越えて」は、もう本当に男版宝塚ですよ。歌舞伎っぽさが微塵もない作品です(笑)。夜の「御贔屓繁馬」は鶴屋南北のこってりとした歌舞伎ですね。どちらも観ていて飽きないものになると思いますし、多彩な顔触れでお送りしますから。そして、5月28日(日)には「花形公演」で私と隼人くんが役を替えて上演します。昔、伯父の猿翁が明治座の千穐楽には勉強会をやっていたんですよ。ご馳走大会みたいなね。それをやらせていただきたいとお伝えしたら、ご快諾をいただけました。そこは見どころになると思います。

――隼人さんはご出演にあたりどのようなお気持ちでいらっしゃいますか?

隼人 「不死鳥よ 波濤を越えて」については資料映像を見たんですが、本当に猿之助兄さんがおっしゃるように男版の宝塚歌劇でした。ミュージカルのように、歌があったり、踊があったりで、どちらかというとスーパー歌舞伎のような作品です。なおかつ、平知盛が実は助かっていて異国の地に行ってもう一花羽ばたけるように…というお話なんですが、本当に見どころが満載です。これを新たに、猿之助兄さんと藤間勘十郎先生が演出されるということで、40年の時を越えてどう変わっていくのかがとても楽しみですね。楊乾竜というお役は、前回は段四郎のおじ様が演じられておられました。僕は日本人以外の役を歌舞伎でやるのは初めて。とはいえ芝居の性質上、日本語をしゃべるので安心はしています(笑)。台本を読んでいると、知盛とはある種、心の中で意思疎通ができていて、この人をもうひと花と考えているお役です。すごく大人な役だと思いますので、お芝居の核となる知盛を支えていけるように演じられたら。自分自身も今年30歳になりますので、大人の役者として勤められるように作って行けたらと思います。

「御贔屓繫馬」は、以前猿之助兄さんが「蜘蛛の絲宿直噺」をやられた時に源頼光を勤めさせていただきました。まさか、自分が千穐楽の日に兄さんのお役を昼夜させていただけるとは夢にも思っていませんでした。公演中、猿之助兄さんの舞台をよく見て勉強させていただき、一生懸命勤めさせていただけるよう全力を尽くします。今年、明治座の舞台には2月「巌流島」で初めて歌舞伎以外の舞台に立たせていただきました。今公演は歌舞伎役者として立派に勤めていきたいです。

――明治座150周年の記念公演となっていますが、明治座の印象や想い出をお聞かせください

猿之助 昔の明治座はもう、隼人くんの世代は知らないんじゃないかな。前の明治座は、楽屋に行くのに両側から階段があって、すごく不思議な楽屋だったのをよく覚えています。窓を開けると浜町公園の桜が見えてね。隼人のお父さんとかの世代にとってはホームグラウンドだったと思います。稽古は明治座の裏に建っていた日本家屋でやっていて、そこで朝まで稽古。猿之助歌舞伎って呼ばれるものは、そこで生み出されました。

隼人 明治座のお客様って、また違うんですよね。演舞場とも違うし、歌舞伎座とも違うし。明治座はミュージカルのような作品もあれば、ガッツリとしたお芝居もやったり、時代物もやったりしますし、ある種、流行に敏感なお客様がいらっしゃるのかな、という印象です。「巌流島」のときには大変お世話になりました。その時は花道が無くて客席になっていたので、花道ができるだけでもぜんぜん雰囲気が変わりますよね。大きさとしてもすごく使いやすいですし、すごくちょうどいい劇場だと思っています。

――今回は猿之助さんが演出もされますが、今はどのような演出をイメージしていらっしゃいますか?

猿之助 「御贔屓繁馬」については、猿翁のおじの演出がありますから、それを手を入れるくらい。そう変えることはしないです。「不死鳥よ 波濤を越えて」は、40年前は二代目鴈治郎のおじ様まで出ていて、宝塚といいながらも誰一人歌わないレビューっていうね。歌舞伎役者は歌えないから。今回は武完役の下村青さんとか、彼は歌えますからね。武完は敵役なんだけども、下村さんのためにいい曲を先生が書いてくれたりしていますし、ようやく宝塚になってきていると思います。ミュージカルの経験者もいますからね。

――「不死鳥よ 波濤を越えて」は、宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」などで知られている植田紳爾さんの作品です。歌舞伎でありながら、まるで宝塚のようなレビューとなっているのが非常に珍しく挑戦も多いかと存じますが、どのようにお考えでしょうか?

猿之助 歌入りの芝居は「三国志III」がありましたけど、最初からコーラスも入っているようなものではありませんでした。初演の時は、知盛が若狭といい時代を過ごして、戦乱になって水底へ沈むまではセリフがないんですよ。すべてレビューでやる。そういう意味で、舞踊的な要素には早期に演出に入ってもらっているし、自信っていうものでもないけど、不安もないですね。植田紳爾先生に曲の許可もいただいて、やっぱり曲は流行り廃りがありますから、時代を映し出すからこそちょっと新調していただいています。でも、流行りの曲にすればいいかっていうと、そうすると宝塚っぽさがなくなる。そこは一番悩んでいるところかもしれないですね。

――植田先生とは何かお話はされましたか?

猿之助 直接のお話はしていないんですが、人を介してお話をいただきました。一番大切にしてほしいのは、中国に渡った知盛だが、日本というものを大事にしてほしい。日本の魂で散っていく。そこだけは大事にしてほしいということをいただきましたね。あとは自由にやってください、と。大和魂っていうのかな、中国の武将としてではなく、日本の魂をもって進んでいくことを大事に、と言われました。

――千穐楽の猿之助さんと隼人さんの役柄を入れ替える花形公演は、まるで宝塚の新人公演のような印象もあります。歌舞伎界においての世代交代や、後進の育成なども意識されているんでしょうか?

猿之助 世代交代をするつもりはないけれども、やっぱり自分が一番いい状態の時に、下の人に教えていかないと、いずれ自分の体が言うことをきかなくなるから。枯れた芸を教えたって、しょうがないと僕は思うんですよ。或る程度できる人が、枯れた芸を見て真似をするのはいいんだけどね。今盛りの人に、そんな芸ができるわけもないから、やっぱり一番自分が勢いづいているときに、それを何ともなしに見ておいてもらえたえら、ってくらいですね。後輩を育てると、すぐに世代交代とかって話が出てくるけど、別に引退するわけじゃない。伝統芸っていうものは1年単位で教えられるようなものでもないし、長年かかって教えるから、僕はこれがスタートだと思っています。

――隼人さんは花形公演への意気込みはいかがでしょうか?

隼人 猿之助兄さんの奮闘歌舞伎公演には、8年くらい前にはじめて猿之助兄さんとご一緒させていただいて。その後に「スーパー歌舞伎II ワンピース」があるんですけど。そのころは正直、自分のことで精いっぱいで、周りがどういう芝居をしているか、というところまで観る余裕がなかった。それは今もかもしれないですけど、それでも、今のお話をうかがっていると、あの頃の自分よりは視野を広く、猿之助兄さんのやっていることの意味を理解しながらできるんじゃないかと思っています。そうすると、また次の課題にぶち当たるのかもしれないですが、そこで自分がどう感じるのか、それを見て猿之助兄さんがどう思うのか…怖くはありますけど、楽しみでもあります。機会をいただけることがとてもありがたいので、精一杯、ぶつかっていきたいと思います。

――猿之助さんは、隼人さんにどのような期待をされていますか?

猿之助 黒澤明の「蝦蟇の油」という本を読んでいたら、何かの話の中で“いい家を作るには、いい材料がないとダメだ”というようなことを言っていたんですよ。だから、やっぱりいい材料になってくれないと、こっちがいくら演出してもね、という話で。主役が良くたって、脇が良くないと芝居って言うのは成り立たない。脇がしっかり支えているから、主役が好き勝手もできるわけでね。そういう意味では、2番手が一番難しい。本来ならね、2番手はもうちょっと僕の年齢に近い人で支えてくれなきゃいけないんだけど、彼らに期待しています。いい家を建てたいから、いい材料になってもらうしかない。もう、それだけですよ。

隼人 ちょうど先月「新・陰陽師」は猿之助兄さんの脚本・演出で、同年代の役者がスポットライトを浴びています。自分たちも、若いけれども、でも若くないという認識を持っているので、どうやったら先輩たちのような役者になれるのか、ここからが本当に勝負だと思っています。猿之助兄さんのいい材料になれるように、いろいろと研究しながらやっていきたいです。私世代は1歳2歳差で10人くらいいて、以前は冗談で“烏合の衆”なんて言われたこともあります。でも、今はそれぞれに映像や他の舞台も、もちろん歌舞伎公演でも活躍をしているし、みんなそれぞれ頑張っている姿があって、刺激を受けています。でも、馴れ合いにはならないように。ずっと刺激し合って、お互いに高みへといけるようにできるのが、この世代が多いことのメリットだと思っています。その長所を存分に活かして、これからの時代に臨んでいきたいと思います。

――隼人さんの課題はどのようなところになるでしょうか?

隼人 どうなんでしょうか、やっぱり…。

猿之助 女形です。

隼人 はい。女形は、僕は7年ぶりにやらせていただきます。

猿之助 やっぱり蜘蛛の絲をやるには、女形ができないと。今の錦之助兄さんも若いころにやられているし。萬屋錦之介さんはね、若いころは女形をおやりになっていた。鏡山のお初なんかは天下一品だったと聞いています。やっぱり女形はできなきゃいけない。隼人くんがどんな女形になるのか、でくの坊か、ちゃんとした女形になるのか。そこが課題(笑)。

隼人 今回の女形は踊りなので、特に難しいですけども、稽古していただきつつ、この7~8年で得たものがあるのではないか、ということにも期待しつつ、頑張っていきたいです。

――お2人をはじめ、みなさんが“奮闘”される姿を大いに楽しみにしております!本日はありがとうございました

取材・文/宮崎新之