「第31回 奉納 靖國神社 夜桜能」「夜桜能 桜の宴」田崎甫インタビュー

桜咲く靖国神社境内で開催される「夜桜能」が今年も開催される。今年で31回目を迎え、今年は4月2日、3日の2日間にわたって行われ、田崎隆三、野村萬斎、野村万作らによる能と狂言を上演。さらに、日中には若手による「桜の宴」が文京シビックホールにて催されるという。両公演に出演する田崎隆三の養嗣子・田崎甫に話を聞いた。


――今年も靖国神社での「夜桜能」が開催されることになりました。コロナ禍もあり、公演に向けてさまざまなご苦労などもあったかと思いますが、いかがでしょうか。

もともとこの「夜桜能」をはじめたのは、私の師匠・田崎隆三でして、私自身が苦労したというよりも、苦労しているところを見てきたというのが正しいと思います。いわゆる子役のことを”子方”と言うのですが、私は子方として舞台に立たせていただいていて、それをずっと見てきました。それは今もあまり変わらなくて、いつまでもこの人たちは大変そうだ、という感じです。コロナ禍や東日本大震災のときなど、2年ほどお休みさせていただいたことがありましたが、それらを乗り越えるために何か新しいチャレンジをしたというよりも辞めないということでした。能と言うのは、公演を続けていくことが非常に難しいものなんです。というのも能は単発公演を主とせざるを得ない。例えば、歌舞伎は連続興行ですよね。ですが能楽は、その成立過程、成立精神から”繰り返さない、1回のもの”という考えがあるんです。現代においてそこがそのままなのはどうなのか、と言う考えはあると思うんですが、少なくとも現時点では連続興行をすることは難しいんですね。そういう中で、31回続いている「夜桜能」の催しは、能楽史上、唯一無二と言っていいのではないかと考えております。周囲からもそういうお声をいただいておりまして、そのような催しを続けていくことが大切なのではないかと思っております。


――若い方など、能をまだ知らない方にも広げられる機会ではないかと思いますが、いかがでしょうか。

夜桜能の公演が非常に特殊だなと思うのは、既存の能楽ファンではないお客さまが非常に多いんです。逆の言い方をすると、ほとんどの能公演は、半分以上が既存の能楽ファン…私たちの言い方をすれば、能を習っていらっしゃるような”お弟子さん”になります。もちろん、習っていなくても純粋に能を見るのが好きな方もいらっしゃいますが、だいたいそういう方で占められているんですね。そういう方が1人2人とご友人やお知り合いを連れてきてくださったら、ほぼお席は埋まってしまうんです。能楽堂のキャパシティは400や500くらいですから。そういう意味では、普段の能公演では新規のお客さまは多くないんですね。ですが、夜桜能だけは、新規のお客さまが極めて多い。そこはとても特殊な公演だと感じています。それは、能楽がお好きというよりも、靖国神社で能楽をやっているという景色そのものがお好きだという方が多いのではないでしょうか。それだけ、夜桜というものが魅力的なんです。桜が咲いていて、屋外で能の景色が観られるというのは、きっと何百年前の日本にもある光景だったと思うんですね。そういうすごく長い時間を感じていただけるような、本来の能楽を感じていただけるような空間なのではないかと思います。


――初めての方でも楽しめるような工夫にも取り組まれているんですよね。

そうですね。イヤホンガイドを導入しておりまして、日本語版のほうでは武蔵野大学の三浦裕子先生にお話しいただいています。三浦先生はすごくゆったりとお話しくださっていて、解説しすぎないんですね。能というものは、無音の場面も非常に多くあります。そこでおしゃべりが入ってしまうと台無しなわけです。そういうことも理解してお話くださって、演目の邪魔をしない解説と非常に好評を得ております。また、英語版のイヤホンガイドも導入しておりまして、こちらは我々宝生流の女流能楽師・武田伊左が務めております。彼女は非常に英語が堪能で、私自身は聴いてもよくわからないんですが(笑)、演者が英語で解説しているということはある種の魅力のひとつではないかと考えております。外国の方に聴いていただく補助だけでなく、日本の方でも英語を話される方は多いですし、学習中の方にもお勧めしたいですね。


――若い方と言えば、今回から「夜桜能」の開演前のお昼の時間帯に、文京シビックホールにて「桜の宴」を開催されます。こちらには若い世代の演者が多くご出演されますが、どのような趣向の催しなのでしょうか。

まず、万一の場合の雨天会場として必ず代替会場を用意しておりまして、そちらでも公演ができるよう山から桜の木を持ってきているんですよ。もちろん靖国神社と比較はできませんが、なかなか立派な桜でして、使わないことがいいことなんですけど、使わないのも忍びないと思いまして、このような催しを行うことにしました。11時開場と非常に変わった時間ではあるのですが、「夜桜能」の公演に差し障りのない時間ということで、このようにさせていただいております。「桜の宴」というタイトルは、もともと「夜桜能」で使っていたものでもありました。かなり昔、昼間に公演をしていたこともあったんですが、いろいろな事情があって靖国神社での昼公演はなくなったんです。そのタイトルを引き継ぐことと、せっかく用意している桜の木と雨天会場を活用したい、という2点から企画したものです。

中身は、とにかく若手でやろうと思いました。能の中でも能面や能装束を用いない素の状態の舞については、私自身とても重んじている形式なので、それをご覧いただきたいと思っています。加えて、邦楽とのコラボレーションをしたいと思っておりまして、今回は長唄とご一緒しています。見ていただきたいのはこういう若手の演奏家がいるということなんです。私と同世代以下なので30代以下の面々でやっております。フレッシュな邦楽、芸能をやっている若い世代の人たちがたくさんいることを、ぜひ知っていただきたいですね。そして今後も続けていきたいですし、長唄だけではなく、例えば筝曲ですとか、いろいろな方とコラボレーションしていきたいですね。ゆくゆくは邦楽じゃなくてもいいかもしれません。


――「夜桜能」で上演する演目についても少しご解説いただければと思います。

今年から2日間の開催となりまして、能の演目も2番となりました。初日は「井筒 物着」で2日目は「土蜘」です。演目を決める際は、なるべくポピュラーなものから選ぶようにしておりまして、上演する機会の多い演目ですが、何度見ても飽きないという傑作でもあるんですね。そして2日間あるので、なるべく趣向の違うものを選びました。「土蜘」はどちらかと言えばエンタメ性を追求しているような作品。「井筒 物着」は極めて特殊な演出のある作品です。

「井筒 物着」に関しては秋から冬にかけてのお話でススキの作り物もあるし、桜の季節にやる演目じゃないんじゃないの?と思われるかもしれません。ですが、そこが私の好きなところなんです。今の季節、時間、気温などとまったく異なるものが舞台上で行われることの差が、非常に面白いところなんですね。桜の季節にススキなんて、と思われている方も、きっと見ているうちに違和感なく溶け込んでいくと思うんですよ。能楽はそういう季節感を排除しているものが多く、能装束などは桜も紅葉もといろいろな季節のものが織り交ぜられているんです。そういう意味でも、季節が異なる演目を桜の中で見ることも、非常に能らしい体験をしていただけるんじゃないかと考えております。「土蜘」は視覚的に楽しむタイプの作品で、土蜘蛛の巣を投げてブワッと糸を飛ばしたりするような演出があるんですね。それを屋外で観られる楽しさをぜひ味わっていただきたいです。


――能楽を外でやることの意義について、どのようにお考えなのでしょうか。

能は本来、成立過程においては外で行われていたものなんです。それを明治維新後に屋内に閉じ込めてしまった。これは数ある能楽の失敗の中でも大失敗だと私は感じています。やはり能楽は外で観るものであるし、外で演じるもの。能楽が持つ本来の魅力は外でこそ感じていただけるんじゃないかと思っています。もちろん屋内でやる能を悲観しているわけでもないんですが、自然とともに成立した芸能ではあるので、風にたなびく装束や薪によって揺らぐ能面の表情など、能面や能装束の持つ本来の力を感じていただけるんじゃないかと思うんですね。何百年も伝わってきた能本来の形を見ていただけるということで、私は外での能公演…薪能と言うのですが、それを非常に推しています。

今回に限らず、初めて能をご覧になる方へご紹介する場合は必ず、外でやっている能をお勧めするんですよ。薪能じゃなくても、昼間でもいいので、外の能で観ていただきたい。学校などで能に触れる機会でも、できれば外で観ていただけるようにしたいんですよね。例えば盆踊りを体育館でずっとやっていたら、きっと嫌になるんじゃないかと思うんです。能も自然の中でやるということ、自然を感じていただきながら観ることをお勧めしていきたいですね。夏になったら花火や盆踊りに出かけるように、春になったら能を観に行こう、というような、文化として残していくことができたらいいなと思います。能は場所を問いませんから。あまりデコボコしていると困るけど、公園の芝生でも、美術館の石畳の上でも上演できます。あとはお天気ですよね。最近は、演者にもなるべく晴男・晴女を呼ぶようにしています。最初にお尋ねするのが「あなたは晴男?晴女?」ですね(笑)


――外での公演ならではのお声掛けですね(笑)。能と言う文化は非常に長い歴史がありますが、その歴史を今後どのように紡いでいくのでしょうか。

今回の「夜桜能」のように、新しい世代の方に見ていただけるような機会があればと思うんですが、そこでどういうことが伝わっていく必要があるのかということも大切だと思っています。能が続いていくためには、能の持つ考えをちゃんと伝えなくてはいけない。そう考えたときに、あまり新しいことをやる必要はないと思っています。現状維持が最もダメなことですが、微弱に頑張ること…ちょっとだけ頑張ることを続けていくことが大事だと思っているんです。例えば今回から若手で「桜の宴」をやりますが、若手だからと言って新曲をやろうとしたり、すごく難しい曲に挑んだりする必要はなくて、普通の曲を普通にやること、それを見ていただくこと、そしてそれを続けていくことが大事だと思っているんですね。単発で終わらずに継続していくことが大事だと考えています。やっぱり、志が強すぎるものは長く続けることが難しいですから。私は、微弱に頑張ることを何十年と続けていきたいと思います。少し抵抗することを続けていけば、きっと芸能というものはずっと続いていくのではないかと思います。


――今年の公演も楽しみにしています! 本日はありがとうございました。

 

インタビュー・文/宮崎新之