KAAT×サンプル『グッド・デス・バイブレーション考』 松井周 インタビュー

昨年6月、主宰するサンプルを劇団から個人ユニットへと移行した松井周。「役を演じるのはコスプレ」など独自の演劇観、大胆な性描写、生活感とケミカル感の不思議な同居はそのままに、より自由に自身の関心を掘り下げていくという。『グッド・デス・バイブレーション考』は、自身のルーツと語る『楢山節考』をベースに、新鮮さと一層の強さで、老い、家族、死を考える作品になりそうだ。

 

──新作は“近未来版『楢山節考』”だそうですが、『楢山節考』は松井さんのこれまでの複数の作品に渡ってインスピレーションのもとになってきましたよね。今回、てらいなく前面に出している理由があるのでしょうか?

松井「確かにルーツみたいなものですね。それは僕がおばあちゃん子というところから始まっているんだと思います。同居している祖母に育ててもらった感じで、親より距離が近かった。その祖母がどんどん年を取って、できないことが増えて、家の中での居場所がなくなっていくのを見ていたわけです。なくなるというか、家族の中で役割が変わっていく。そういう老いに伴う変化みたいなことはずっと頭にありました。実際に『楢山節考』を読んだのは大学に入ってからです。その前に木下恵介さんが監督した映画のイメージがずっとあって、ちょっと避けていたんですよ。昔の日本の、貧しさゆえに仕方なく母親を山に捨てにいく、家族愛というかヒューマニズムの話だと思っていて。でも原作の深沢七郎さんの小説を読んだら全然違った。もちろん親を捨てにいく家族の葛藤はあるんだけど、もっと違う部分がメインで……」

 

──ある地域の風土記みたいな感じですよね。四季だったり、人間の生と死のサイクルがわりと淡々と描かれていて。

松井「そうなんですよね。人間、ある環境の中で暮らしていたら、こうなっていくのは当たり前という距離感で書かれている。たとえば、おばあさんが年を取っても全部の歯が揃っていて、(それが年齢に似合わない食欲を象徴するようで)恥ずかしいから自分で石で叩いて歯を抜こうとしたら血だらけになって、子供たちから「鬼ばばあ」と囃し立てられるとか(笑)、ちょっとふざけた話も出て来る。びっくりして夢中になりました。それで、老いるということを、人間的に捉えるのでなく、生き物の生死として考えるようになりました。人間の命を人間の尺度で考えないという意味では、僕はずっと『楢山節考』をやっているのかもしれません」

 

──言うなれば、すべての松井作品は『楢山節考』の変奏曲であると。すごくわかる気がします。ある時は和楽器で奏で、ある時は電子楽器で演奏する。

松井「そうそうそう(笑)」

 

──とすると、『グッド・デス・バイブレーション考』はどんなアレンジ、あるいはストレート加減で行こうと?

松井「今までのサンプルは、もちろん僕の妄想が最初にあるんですけど、美術や照明などスタッフの方にもアイデアを出してもらって、物語の核の部分を広げてたり、まったく違う視点を入れたりして、フォーカスが増えたものを、また僕がまとめるというやり方でした。それで、ちょっとカオスみたいになった作品が多かったんですけど、もう1度、創作そのものを自分の手の感覚に戻すというか、なるべくミニマムにつくりたいという気持ちが、まず最初にあります。もちろん一緒にやる人たちが、それぞれ腑に落ちる形にはしてもらうんですけど。それが今までとの違いですね」

 

──リスタートを切るという点から考えるとスタッフを一新する気持ちはわかりますが、ミニマムな体制で創作するという点からするとスタッフとのコミュニケーションはスムーズなほうがいい。初めてのスタッフと1度に何人も組むのはリスキーとも言えるのではないですか?

松井「そこは洗脳するしかないですね(笑)。これまでは「僕が権力の1番上ではありませんよ」という感じでやっていたんですけど、今度は教祖──という言葉を使うと誤解されるかもしれませんが──が僕で、持っているイメージをなるべく強く周囲に刷り込んでいくつもりです。ただし洗脳と言っても、ヒエラルキーをつくるというより、僕の中であるビジョンやテーマがブレないものになってきて、それに染まってもらえたらいいなという程度ではあるんですけれども。でもきっと、集まってくれた人にはおもしろがってもらえると思います」

──では『グッド・デス・バイブレーション考』の内容について具体的にお聞きしていきます。

松井「50年くらい先の近未来の話です。貧困層と富裕層が今よりはっきり分かれていて、その中で抜け道を探すように、潰れた集落に住みついてしまった人たちの共同体があって、その中のひとつの家族の話です。彼らの隣人と、もうひとり外からやってくる人物が出てきますが。その家の父親が高齢で、子供に介護されている」

 

──介護を受ける元ポップスターの父親はどなたが?

松井「戸川純さんです。父親なんですけどメス化しているんです。その時代には一部でメス化する男性が出始めて、彼がそのひとりという。父親はかつてかなり人気のある歌手だったんですが、この時代には歌そのものが禁止されていて、暮らしはかなり困窮しています」

 

──お話を伺っていてふと思ったんですが、松井さんが書いてきた未来は、安楽死が奨励されたり、死そのものは軽いのに、そこに暮す人間は、むしろなんとか生き延びようとしていていますよね

松井「それは僕が、ひとつのものの見方に囚われ過ぎるのが気持ち悪いからだと思います。死が軽くなったら「いや、そうじゃないでしょ」と言いたいし、「死はやっぱり重いよ」と言われたら、反対の立場を取りたい。わりと昔から、これが絶対だということに対する嫌悪感がありますね。だから並立させる。死は重いものでもあり軽いものでもあると見せたいし。生きてさえいけばそれ以外は不真面目でいいという気持ちが強くあります」

 

──サンプルのキーワードである“変態”も、生き延びるために自らの形を変えていくと捉えると、腑に落ちます。

松井「ええ、まさに」

──作品の詳細に戻りますが、「生演奏によって語られていく」と宣伝にありますが、これは?

松井「いつもサンプルの音楽を担当してくれている宇波拓さんの生演奏を、以前から劇中でやりたかったんです。ただ、伴奏ではなくて、琵琶法師が『平家物語』を語るみたいな感じを想像しています。目の前で進んでいく物語は未来の話なんですけど、過ぎ去ったこととしても語られるようにしたい。ただし音はチープな器械音とか、ちょっとインチキ臭い音を鳴らしてもらうつもりです」

 

──戸川純さんのキャスティングについても教えてください。

松井「完全に僕がファンだからです(笑)。戸川さんがマルチに活躍されていた80年代を、僕はリアルタイムでは知らないんですけど、すごいインパクトでもって活動されていたと思うんですよ。音楽は今聞いてもまったく色あせないですし。でも僕は戸川さんに、自分をおもしろがる人とどこか同調していないようなパンクな印象を持っていて、ずっと俳優をやっていたいんじゃないかと感じていた。その存在そのものを舞台に乗せられたらいいなと考えています。そういう人はあまりいないので。結局、以前のサンプルはずっとバンド形態だった気がしているんです。それも、すごく技術のある人たちが集まってくれていた。でも最近の僕は、技術じゃない部分、弱さやわからなさなど、その人丸ごとを舞台上でどう見せるかに興味が出てきたんですね。戸川さんはもちろん技術をお持ちなんですけど、それが一緒にできたらいいなと思います」

 

──最初におっしゃっていた。集団の中で役割を失った人の居場所というテーマともつながってきそうなお話ですね。

松井「例えば、老いてきて昔と同じ役割を担えない、あるいは事故や病気で何かの能力を失ってしまう。それに対して「またできるようになるよう頑張りましょう」みたいな言い方がありますけど、元に戻ることだけが幸福じゃないだろうと思うんです。違うものになってしまった、変身、変態してしまっても、その状態を受け入れて、新しい関係を築いていくことがこれからの価値観にならないかと考えていて、それをおもしろく提示できればと思います」

 

インタビュー・文/徳永京子

 

【プロフィール】
松井周
■まついしゅう 劇作家、演出家、小説家、俳優。1972年生まれ、東京都出身。劇団青年団俳優部に入団したのちに戯曲を書き始め、2007年、自身の劇団となるサンプルを旗揚げ。以降、全作の作・演出を務める。日本の土着的な共同体に、うっすらとケミカルな空気が漂う世界観が注目を集め、プロデュース公演への戯曲の依頼も多い。2011年、第55回岸田國士戯曲賞受賞。2018年4月、7年ぶりの小説を「月刊文藝 夏季号」に発表。7月には『レインマン』(藤原竜也、椎名桔平出演)の演出が控える。