村上さんの小説は、ギリシャ悲劇の大きな物語と
現代的なディテールがくっついている。
去る2月、公演先の香港で緊急入院し、「蜷川幸雄80周年」と冠された今年のスケジュールが危ぶまれた蜷川幸雄。だが奇跡的な復活を遂げ、車椅子と酸素吸入器を新たな相棒に加え、怒濤のスケジュールを遂行中だ。今回のインタビューは、夏から秋に手がける3作に股がった。内訳は、寺山修司28歳の時の戯曲で、亀梨和也が主演する8月の『青い種子は太陽の中にある』、6月のロンドン公演で現地メディアから高い評価を得て日本の凱旋公演が9月に始まる『海辺のカフカ』、シェイクスピアの演出家としてその名を世界に刻み、やはり9月に幕を開ける『NINAGAWAマクベス』。インタビューは、その日ちょうど、世界5都市ツアーの口火を切るロンドン公演に向けた稽古を進めていた『海辺のカフカ』のことから始まった。
──キャストもスタッフも前回と同じということもあって、2年ぶりの稽古は順調そうですね。
「うん、おもしろいよ、うぬぼれて言っちゃうけど(笑)」
──2012年に初演、キャストを大幅に変更して14年に再演、いずれも高い評価を得て、3演目の今回、一気にワールドワイドに上演が拡大されることになりました。ただやはり最初は、世界的人気作家である村上春樹さんの小説を舞台化することに、少なからずプレッシャーがあったのではと想像しますが。
「村上さんが、自分の書いたもの(の二次創作)を誰にでも許可しているんじゃないことは知っていたから、やっていいという返事がもらえたのはちょっと驚いたね。後で知ったんだけど、村上さんは僕がギリシャで『王女メディア』(83年)を上演した当時、ギリシャに住んでいて、観ていたって。だからある程度、演出家としての僕についての知識は持ってくれていたんじゃないかな」
──戯曲はほぼ原作通りですが、蜷川さんの演出でとにかく斬新だったのは、さまざまなサイズのアクリルケースの中に俳優や舞台装置を入れてステージ上を縦横無尽に移動させ、イメージビジュアルと場面転換を兼ねて見せたアイデアです。
「以前、NYの自然史博物館で、これまでの地球の自然史を再現した模型を大きなウィンドウに収めて展示しているのを観て、いつか仕事に使いたいなと温めていたの。歴史の全部を閉じ込めて見せてやろうという狂気みたいなものを感じて、すごく印象に残っているんだよね。村上さんの文体は、細かいディテールと大きな物語がくっついているから、ディテールは中に入れるものに受け持たせ、大きな物語はウインドウの動きに託せば繋げられるなと。それとギリシャ悲劇ね。初めて自分がギリシャに行って、デルフィ(アポロン宮殿がある世界遺跡の都市)に行った記憶を手繰り寄せ、それと自然史博物館をつなぎ合わせれば、何とかあの作品を捕まえられるかなと思ったんだよ」
──村上春樹とギリシャ悲劇ですか?
「村上さんの小説は、全部その要素が入っているような気がする。父殺しとか古典的な物語と、現代のディテールがくっついているんだよ。ギリシャでアクロポリスの坂をのぼって、パルテノン神殿に行ったんだけど、そこで観た光景なんかが僕の中で村上さんの世界とくっつき始めた。古典的な壮大な物語と現在の物語を、アクリルのケースでくっつけてやれるんじゃないかと思ったのね」
──美術セットが入ったアクリルケースを観て、私は小説の段落をイメージしました。段落の中に描かれた景色がそこにあると。それが舞台の上をなめらかに移動するのは、小説のページがめくられて動いているようだとも感じました。
「段落だとは思っていなかったけど、ページがめくられるって感じを舞台で出したかった。セットの移動によって、村上さんの文体の表現も含めて、ふわりとした空気が入るといいなと思ったんだよね」
──ふわりとした空気を出すために統制された移動が重要になりますが、キャストも参加して、すべて人力で動かしているんですよね。
「そう。稽古もそこはかなり入念にやっているよ」
世界と自分は相容れないという違和感はいつもある。
──アクリルのケースは、蜷川さんがお好きなモチーフのひとつです。『海辺のカフカ』ほどの大きさのものは前例がありませんが、人がひとり膝を抱えて入れる大きさの水槽は、繰り返し使っていらっしゃいます。惹かれる理由をご自分ではどう分析されますか?
「さいたまゴールド・シアターの舞台でも何度か使ったし、二宮(和也)くんの映画(『青の炎』02年)でも使ったね。何だろう、たぶん俺は実際の風景の中にいるのはあまり好きじゃなくて、ガラス越しに見る風景が大好きなんだと思う。新宿にあった風月堂とかね、大きな窓がある喫茶店の中側から歩道を行く人を眺めるのが昔から好きだったんだ。そういう指向が自分の体質の中にあって(演出として)出てくるのかもね」
──そういう蜷川さんの気質は、世界と馴染むことより孤独を選んで家出する主人公のカフカ少年と重なるような気がしますが。
「ある部分は重なっていると、小説を読みながら思っていたね。彼は奇妙に真面目でストイックでしょ? 人生に対して後ろめたいと思っているところがあるようにも感じたし。俺も川越の洋服屋の息子なのに、なんでこんなインテリっぽい仕事をしているのという気恥ずかしさがずっとあって、それは今も消えない」
──蜷川さんのパブリックイメージは、強い信念を持って前に進む、というものだと思いますし、動員やさまざまな演劇賞という形で結果も出されているので、そういう言葉を意外だと受け取る方は多いかもしれません。
「いや、世界と自分は相容れないという違和感はいつもある。一方で、演劇をやっている人間は自分を優れていると思いがちだけど、職人さん達のほうがよっぽど世の中というものをわかっていて、その人達が芸術家に合わせてくれているとも思うんだ。だから、本当は物事を真正面から見たいんだけど、自分からちょっと身を潜めてしまうんだよね。演劇をやっている自分がおこがましいという感覚なんだな」
──キャストですが、初演版が素晴らしかったので、再演の大幅な変更がどんな結果をもたらすのか、密かに心配でした。ところが、再演の新キャストがまた素晴らしかった。特に、カフカ少年と深い交歓を結ぶ佐伯さん役は、初演の田中裕子さんが高い完成度で演じられていたので、そこに宮沢りえさんが入られたことに驚きましたし、新しい佐伯さん像に感動しました。
「大スターと呼ばれる人は、本人よりも先にバカな取り巻きが、せりふが少ないとか出番が少ないってことで作品を判断してしまうことがあるんだよ。でも『海辺のカフカ』は、野田(秀樹)がりえちゃんに“あの作品はおもしろいんだよ、蜷川さんの傑作だよ”って強く薦めてくれたらしい。野田もたまには役立つんだ(笑)」
──野田さんが主演された『おのれナポレオン』で、ジョセフィーヌ役の天海祐希さんの代役を急遽、宮沢さんが引き受けられた時は、蜷川さんが「やりなさい」と背中を押したと伺っています。
「うん。野田は、陰では俺のことを師匠と呼んでいるらしいよ。でも公では言わないんだ、頭に来るね(笑)」
──『海辺のカフカ』の中身に戻りますが、先ほどおっしゃっていたように、父殺しや通過儀礼としての性体験など、神話的なエピソードが描かれているのと同時に、具体的な第二次世界大戦中の話が、非常に不思議な形で現在のカフカ少年の人生に入り込んできます。舞台ではその構造が立体的に見えたと思いました。
「そう。『1Q84』ではノモンハンについて書いていたり、村上さんの小説には、戦争への眼差しみたいなものが常にあるんだよ。そういうことも少し感じさせるものにしたいなと思った。あの人、早稲田大学の演劇科だからね、ギリシャ悲劇はもちろんわかっているはずだし、作品の構造的なことも全部意識的に書いていると思う」
──少し気が早いですけど、日本での凱旋公演が楽しみです。
「はい、期待していてください」
取材・文:徳永京子