2月21日(土)より、シアタートラムにて範宙遊泳『われらの血がしょうたい』が開幕する。2015年に横浜で初演、その後インドツアーを行った作品を、新キャスト・新演出でリクリエーションする本作。岸田國士戯曲賞作家の山本卓卓と、読売演劇大賞演出家賞・額田大志(ヌトミック)が初めてタッグを組むことでも注目を集める。開幕直前の2月上旬、批評家・佐々木敦を交えて3名でのオンライン鼎談を実施。10年以上の時を経て再演される本作で、いま何が描かれるのか――
10年越しの再起動 ━ AIの時代に“人間”をどう描くか
佐々木 お二人一緒に話を聞くのは当然ながら初めてなので、楽しみにしていました。まず今回の公演の成り立ちから伺いますが、そもそも『われらの血がしょうたい』を再演し演出を額田さんに依頼することは、どういう流れで決まっていったのでしょうか?
山本 トラムでやらせてもらうことが決まって、ももちゃん(プロデューサーの坂本もも)が再演を言い出しました。初演は観客との関係性の築き方をもうちょっと考えられたはずだけど、僕がいっぱいいっぱいになってしまって、個人的にはけっこう悔いが残った公演だったんですよね。インターネットは今タイムリーだし、再演ではかなり伝わる部分があるんじゃないかなと思いました。僕が劇団公演では演出を退いているので、観客の聴覚に訴えかけられるような設計ができる演出家を探して、額田さんしかいないとなりました。額田さんが範宙遊泳を観てくれていたり、メンバーのかんちゃん(福原冠)と交流があることも知っていたので。
佐々木 初演を自分がどう思っていたかなとツイッターを検索してみたら、めちゃくちゃ絶賛して褒めまくっていた(笑) 範宙遊泳の作品としては、2013年に『幼女X』、2014年に『うまれてないからまだしねない』があって、映像や文字を使う演出方針で新しい成果を出していく過程の作品でしたよね。人工知能やインターネットの世界がかなり全面的に出ていて、今、過去作を再演するとしたらこれだなという感じが、坂本さんの中にあったのでしょうか?
坂本 今こそ伝わる物語としてやるべき、ということともうひとつ。今作はこれまでで唯一、客演を呼ばず当時の劇団員5人が出演した作品なんです。範宙遊泳は今年結成19年目で、離れた人もいながら、昨年メンバーが3人増えました。20周年を見据えてリスタートを切ろうとしているなかで、劇団員だけで作ったこの作品を新しい劇団員で更新して、前に進んで行きたいという思いが強くありました。
山本 人工知能が身近になってきた今から振り返ると、予言の書的な作品だった気がしています。べつに「ほらね」って言いたいわけではないけど、やっぱり当時の観客は、ピンときてない部分があったと思うんです。家電がしゃべるとか意思を持ってしまうとか、人工知能の中にいろんな人間の痕跡がデータとして蓄積されていって、それがバグを起こしたりとか、人格が作り上がっていっちゃうみたいなこととか。たぶんわかるけど身近には感じないよな、という状況だったと思います。
佐々木 SF演劇って感じですよね、当時は。
山本 そうですね。当時は自分たちも新しい演劇の手法を開発しようと思っていたし、作品の評価も映像や絵文字を使った手法にフォーカスされていた気がします。だけどもうちょっと地に足ついてきたというか、僕らも映像を捨て去った公演をこの10年の間に上演してきたし、そういう流れの中で今、観客にとって新鮮な体験を提供できればと。SFがいよいよ現実になってきて、人工知能を描くことによって10年越しに、より人間が見えてくるんじゃないかな。実際僕も昨日の通し稽古を、「人間がいるな」と思いながら観ていました。
佐々木 額田くんは依頼されて、どう感じましたか?
額田 僕は偶然初演を観ていて、率直に嬉しかったですね。返事をする前に戯曲を読んだりもして、頼んでくれた理由がわかったというか、言葉が詩的に響き合うことを大事にしている作品なんだなと思って。最近の範宙遊泳はわりと物語・ストーリーテリーがしっかりしている印象があるんですが、この作品はもっと詩的なダイナミズムによって上演が進んでいく感じがしたので、自分の経験を活かせそうと思いました。物語に共感したというよりは、やっぱり手法的な部分とか、これまで自分が観てきた範宙遊泳に関わる嬉しさみたいな、そんなことが大きかったです。
佐々木 偶然ではありますが、この作品が初演された2015年に、額田くんはデビュー作『それからの街』を初演していますよね。ある意味では額田くんが演劇の世界に登場した年でもあったと。当時は、作曲家・音楽家のトレーニングを受けていながらも演劇に目覚め、めっちゃ観ていましたよね。まだヌトミックを名乗るよりも前だよね?
額田 そうですね、まだ大学生でした。
佐々木 卒業制作で『それからの街』を発表して、その後も演劇を作っていくことになるわけですけど、それから10年以上経って今こうなっているとはもちろん思ってもいないわけじゃないですか。当時、『われらの血がしょうたい』という作品、範宙遊泳という劇団に、どんなインパクトがありましたか?
額田 『演劇最強論』を読んだり、「快快」や「ままごと」を観たりして、いわゆる物語じゃない部分で進んでいき、演劇的な効果や見せ物として構成していくようなところが、演劇ってすごく面白いなと思いました。そういう意味では範宙遊泳のやっていた、今もやっている、映像表現というよりは映画でもできない、俳優と字幕や絵文字が喋るような、ちょっとキッチュさやチープさを取り込みながら想像力を掻き立てる部分が、すごく面白いなと当時は思っていました。
佐々木 2010年に『わが星』が上演されて岸田國士戯曲賞を獲ったあたりから、従来の演劇とは違うジャンルから来た映像や音楽の方法論をどんどん演劇の中に入れていく人たちが次々と出てきました。日本の現代演劇の新しいナラティブを開発していった時代だと思うんですね。範宙遊泳の『幼女X』もその流れのなかにあり、今から振り返ってもすごく画期的な作品だったと思うんですけど、そこで何が語られようとしているのか、ということよりも、手法の斬新さにどうしても目がいってしまう。僕も含めて、どうしても方法論やテクノロジーで語られてしまう。でもむしろ卓卓くんが2015年の時点でなぜ『われらの血がしょうたい』を作ったのかが重要なことだったと今は思います。AIがどうこうっていうのは、ある意味ではひとつのアイデアというかガジェットだったわけじゃないですか。でもそれによって曝け出される「2010年代半ばの人間性」があったはずで、それから10年が経って、「2020年代半ばの人間性」をどうやって照射するかの作業を今はしているということだと思うんです。
山本 僕から見ると、額田さんはこの作品に初めて向き合うから、今の額田さんの興味で作ってくれていると感じます。この10年の重みというか人間の様変わりを勝手に感じているのは、初演に関わった僕とかんちゃん、さちろうさん(埜本幸良)、ももちゃんだけかな。
額田 確かに僕は、あんまり新しいなとか古いなとか、つまり当時これが新しかったのかどうかは、そんなに感じてないかもしれません。むしろ今読むとわかりすぎるし、AIが人格を持つようなことがものすごく理解できてしまう。たぶん比較的想像ができる世界観に生きているなと思っていて、そこから先をどうやって上演で立ち上げていくかを考えています。
佐々木 AIやChatGPTは、この数年でめちゃくちゃ普及したし今後も加速していくだろうから、単に「10年前に既にこういうことを予言していました」と見せるだけでは現在のものにならない。過去の上演の記憶と記録を踏まえて現在を描き、現在を追い越さなきゃならないわけで、そこがたぶん勝負どころですよね。

範宙遊泳『われらの血がしょうたい』(2015) 撮影:金子愛帆

額田大志『それからの街』(2015)
言葉と音の再構築
佐々木 額田くんは最近外部公演の演出が増えていますよね。ヌトミックと、演出家として外部公演に取り組むのは、気持ちのあり方に違いがありますか?
額田 そこまで大きな違いがあるわけではないですが、自分の劇団は音楽を使ってどういう表現ができるか、あくまで音楽ベースで物事を考えたり、やっぱり手法や方法論に一番関心があるんだなと思います。演出の依頼が増えて最近、戯曲がすごく好きになってきました。単純に戯曲を書くのも読むのもそうだし、物語を上演する喜びといいますか、演劇の根源的でシンプルなことをあまり通ってこなかったので、そういうことにすごく面白みを感じています。戯曲をトップに置くというか、そこにある戯曲からどう立ち上げていくかという点では、けっこう違うかもしれないですね。
佐々木 声がかかるようになったこと自体、外側から見た時の演出家・演劇作家としての額田大志の評価だなと思うんですが。
額田 これまでヌトミックでは感嘆詞だけで作るとか、非言語で上演するとか、非演劇的テキストをいっぱい演出してきたので(笑) わりとどんなテキストでもシーン化する技術がついてきた気がします。そうした未知な部分を面白がってくれているのが、演出依頼が増えた理由なのかなと、個人的には思います。
佐々木 初演は2面の映像の使い方も含めて、きっちりとスタイリッシュに完成されている印象でした。舞台のルックと俳優の演技の相乗作用から出てくるエモーションが、僕の記憶にもすごく残っています。今回あらためて戯曲に焦点をあてるということで、演出の方向性はどう定めましたか?
額田 プレ稽古で読み合わせをした時に、初演に出ていたメンバーもわりと内容を忘れていたのが面白くて(笑) 戯曲の読み込み以上に、出演者の感覚的な処理で演じることへ、重きが置かれていたのかもしれないと思いました。そのため2026年版は、シーンにとって言葉がどう響くのか、きっちり整理をすることが、結果的に新しいものになるんじゃないかという感覚があって、戯曲をまず一言一句全部ちゃんと意味づけるところから始めました。とにかく上演時間の100分ほどを投じた、感覚的な体験のような作品になるといいなと思いました。登場人物がたくさん入れ替わっていく中で、ある種の演技的な、人物像的な積み上がりを求めて観るというよりかは、上演時間を音楽のように体験する、体験した先に、何かが見えてくるようにしたいなと。
佐々木 すごい観たくなる。面白いですね!卓卓くんは、新たな演出家を迎えて自分の過去作が再生していくのを観て、どんな感覚ですか?
山本 自分にとっては心地の良いもので、喜びにあふれるような感覚があります。やっぱり僕はこういう交流をしたかった。もともと演出を手放したのは、自分が作品を独占するということに対して疑いを持ったんです。演劇はコミュニケーションをかなり大切にしないと作れない芸術だと僕は思っているんですけど、断絶や孤立じゃなくて、いろんな人と、自分の狭い範囲じゃない作品の関わり方を展開していきたいです。自分が知らない領域に引っ張っていってくれるような演出家や、自分の言葉をまったく知らない響き方で届かせてくれる演出家と、もっと出会っていきたいと思っています。同時に、10年前の自分はなんて下手だったんだろう、みたいな気持ちにもちょっとなるというか。佐々木さんが初演を完成されてるって言ってくれて嬉しいですけど、やっぱり当時の僕は人との関係性がうまく築けていなかった。演劇がコミュニケーションの芸術であるとすら、あんまり思っていなかったから、尖り散らしていたんでしょうね(笑) 今は僕もだいぶ考え方が変わってきて、つまり今回は、コラボレーションということがしっかり作品化されています。僕が独占していないということは、観客にも開かれているということです。「範宙遊泳を観て立てなくなりました」と言ってくれるお客さんがたまにいるんですが、僕も昨日の通しを観て、初めてその感覚がわかった気がしました。2026年の範宙遊泳ができる最高のもの、最良のものをお見せできるんじゃないかと思います。
佐々木 演出を他者に託すということは、すごく大きな変化であり決断ですよね。プロデュース公演ではなく、範宙遊泳の作品として発表する劇団公演だということは、主催の名前に過ぎないとはいえ、すごく重要なことだと思います。戯曲を書いた本人の感覚としては、たとえば小説家がけっこう昔に書いた小説が映画化されて、試写に招かれてなんかドキドキするみたいな(笑)。でも新鮮な発見が原作者にとってもある、みたいな感覚ですか?
山本 その側面ももちろんありつつ、今回は映像製作とオペレーションも担当していて、一緒に作っている感じもありますね。
佐々木 どうして映像もやることにしたんですか?
山本 戯曲のリライトだけじゃ物足りないというか、演劇をやっている感じがちょっとしなくて。どうしても創作の過程にも関わっていきたいなと思った時に、映像は自分の中でこだわりがあるので、こだわりを発揮しながら俳優と一緒の時間を経験したい。やっぱり僕は、俳優と交流していきたいんです。
佐々木 確かに、座組の一員でもあるのは、単純な原作者とは違いますね。
尖りから成熟へ
佐々木 初演の音楽はサンガツの千葉広樹さんが作られていて、僕、すごい好きだったんですよね。額田さんはヌトミックでも音楽を兼任されていますが、今回の音楽的な取り組みはいかがですか?
額田 滋企画の『ガラスの動物園』や、Qの市原佐都子さんと協働していた時もそうですけど、自分の作品じゃない時は、戯曲からどういう音楽を必要とされているかを考えるのが好きです。作曲家であり演劇作家だからこそ、自分が得意としてできることかなと思っています。そもそも音が電気信号になって発生されているので、音楽もデータですよね。例えば自分の声がマイクに乗るとか、それが収録されて出てくるとか、音がデータになって集積されたものの何が引っ張り出されていくのか、戯曲から考えていく作業をしています。もっとシンプルな話をすると“時をかける”作品なので、ちょっといつもよりも気持ちが大きく壮大なイメージを持っていますね。
佐々木 すごい楽しみですね。今回は3人が新しいキャステイングで、井神さんや植田さんは劇団メンバーですけど、南極の端さんは完全に初ですよね。今注目の劇団・俳優さんで、まだかなり若いと思いますが、初演組が10年歳を取った変化も含め、稽古はどういう雰囲気でしょうか?
山本 やっぱり10年前って若くて邪念が多いというか、いろんなノイズが多かったですよね。そのノイズが若者の特権だと言えなくもないんですけど、僕も俳優も、そのノイズのせいで聞こえるはずのない声が聞こえてしまっていたみたいな…ちょっと抽象的な話になるんですけど、そういう反省点がありました。10年越しにさちろうさんとかんちゃんの姿を見ていると、そういうノイズがもう本当になくなって、シンプルになっています。成長を感じるって言うとあれですけど、すごく良い作用をもたらしているなと個人的には思っています。どっしりしてきているというか、落ち着いてきているというか。
端さんは、多分10年前の僕らの年齢よりもっと若いはずなんですけど、ノイズがないというわけではなく、それが悪い方に作用していないというか…
佐々木 なんかちょっと健やかな感じというか?
山本 そうですそうです。呪われてないみたいな。
佐々木 時代や世代の変化みたいなことは、どうしても感じちゃいますよね。
山本 感じますね。だから多分当時の僕たち、少なくとも僕は、自分で自分に呪いをかけていたようなところがあったんじゃないかなと(笑)
佐々木 まだ正当な評価を受けていない頃だから、自分たちがやっていることへの確信を得たい気持ちと、ちょっと得つつあってもまだまだ足りないみたいな気持ちが、すごくある時期だったと思うんですよね。“尖り”と“もがき”ってほぼ同じ意味だから。もがいているのが尖っても見えるし、尖っているようでもがいているみたいな。経年と加齢と成熟ってある意味同じことで、10年経って今がある。額田さんはどうですか?
額田 ちょうど主宰が5歳ずつ違うこともあり、範宙遊泳とヌトミックと南極のコラボレーションだなと勝手に思っています。明確な主人公はいないけど、やっぱり端さんが話の核になるシーンが多くて、ちょっとこれ言葉にするのが難しいんですが、テクニカルな部分はもちろんありつつ、それよりも端さん自身の南極での演技とか、いろんなところで演じてきた熱量というか、20代の俳優の勢いや、ある種の世代を超えたパワーみたいなものとか…そういうものが、全部うまく乗っかっていけるといいなぁと思います。一方で、範宙メンバーのサポート力みたいなものも感じて、すごく良い劇団だなと思いながら見ています。ものすごく引き出しの多い人たちが、勝手にいろんなアイデアを試していくので、そんなこともやっていいんだ、みたいにこっちが気づくことがたくさんあって、10年という積み重ねをすごく感じる瞬間があります。
佐々木 僕も南極は何回か観ていて、端さんの個人公演(端栞里と高熱)も観たことがあるんですが、いろんなタイプの演技ができる、相当ポテンシャルのある役者だと思います。今後ますます注目されそうだし、今回がひとつのスプリングボードになるんじゃないかな。

唯一の客演・端栞里(南極) 撮影:粂野泰祐
冷笑の先にあるもの
佐々木 卓卓くんは、ヌトミックの『彼方の島たちの話』は観ましたか。感想を聞かせてもらえますか?
山本 僕の中では彼方って、彼岸とか此岸の解釈なんですけど、なんかその間というか、彼岸でも此岸でもない宙ぶらりんの時が感じられて、そこが新しかったなと思いました。中間というか、あっちでもこっちでもない場所の描き方が、不思議な体験だったから、残る……感覚として残る上演でした。あと、字幕の使い方がすごく面白かった! アクセシビリティの字幕の使い方が発明で、刺激的な上演体験でした。
佐々木 僕はヌトミックはここ最近の2作で、すごく変わったと思うんです。額田くんは音楽家だから、音楽として演劇を考えることが根に、出発点にあるし、それを求められている部分もあると思うんです。演劇を形式的に捉えるのは最初からそうだったと思うんですが、何ていうのかな、そこから滲み出るものというか、人間の持っているある種の悲哀とか、ひとの生と死に対する切実な想いがあって、それを何とかして描きたいんだけど、でもそのまま描くことはできないし、するべきでもない、みたいな感じがあって、ずっとそれが潜在していたのが、最近の2作で浮上してきたイメージが僕にはあります。そこが、人間の弱さとかダメさとかヤバさとか、弱さのせいで強さみたいに見えるものとかが、最終的に舞台に上がってくる雰囲気はもちろん違うんだけども、卓卓くんがやってきたことと、どこか似ている、と思うんです。同じ時代で、同じ社会で、同じ日本で生きているので、よく考える人間が突き詰めて考えていけば似た雰囲気が生まれて来るのだとは思いますが、それだけではない、特定の時代とは関わりのない、もっと根源的な人間への眼差しが、共通しているところがあると僕には思える。もちろん上演を観てみないとわからないけど、『われらの血がしょうたい』という戯曲と、最近のヌトミックに出てくる人間のあり様が、そもそもどこか似ている気がしています。10年振りに観る人も初めて観る人もいるだろうけど、そこで立ち上がるものがどう観客の目に映るのか。2026年の2月という激ヤバの時代、激ヤバの状況下で、この演劇が上演されて、誰かに観られる、そのこと自体がすごく重要。その感覚で僕も観に行きたい。
額田 僕と山本さんがちょっと似ているということは、稽古を通じて分かるなと思いました。僕も山本さんも、わりと物事を引いて俯瞰的に捉えるというか、冷めてる、少しだけ冷笑的な部分がある気がします。でも、人が死ぬとかどうして生きているのかとか、やっぱり日々考えちゃって、わざわざ大変だけど演劇にしてしまうようなところが、どこか通じる部分だなと思います。
山本 額田さんが藝大に行けなかったとしたら哲学を専攻していた、っていうところが、似ているポイントなのかもしれないです。僕も哲学が好きで、影響を受けている部分がすごくあります。額田さんがさっき冷笑って言ってましたけど、僕の場合は自分の中にある冷笑とどう折り合いをつけていくかが、20代のテーマでした。今は冷笑ではない見方になってきて、作風もだいぶ変わりました。
いま演劇を観るということ
佐々木 最後に、上演に向けて観客へのメッセージをお願いします。
額田 この作品はインターネットやAIがテーマだけど、もっとこう、人間がなぜ生まれて死ぬのか、自分が生きてきた証がどういうふうに刻まれるのか、みたいなことを描いています。見終わったあとに、とてもたくさんのことを話したくなる作品です。稽古場はもう本当に楽しいので、三つの劇団がコラボレーションしている感じも含めて、ぜひ観に来てもらえたら嬉しいです。
山本 演劇を観るお客さんは、やっぱりすごくセンスがある人だと僕は思っています。みんな楽をしたいし損をしないように生きているこの時代に、演劇はその場所に物理的に行かなきゃいけないとか、例えば2時間、体が一つの場所にいなきゃいけないとか、いろんな損をしなきゃいけない。客席に座る人たちは、それをしてまで体験を得たい、自分の心が豊かになるかもしれないという直感を持っている人たちで、それはすごくカッコイイこと。プレイヤー側から尊いことだと言っちゃうのは当然なんですけど、でも本当に、今演劇を観られるって素晴らしいことだと思います。10年前にはまだ届かなかったものが、いまなら皮膚感覚で届くと思っています。だからこそ、今回の作品にはとても自信があります。
佐々木 僕の勝手な受け取り方ですが、これまでずっと観てきた卓卓くんも、額田くんのここ2作も、「人が死なないでいるためにはどうしたらいいのか」と「人はどっちにしろ死ぬ」の両極の中で何を言うことができるのか、をやっていると思うんです。僕はそういう感じで、ふたりの今後に強い関心を抱いています。ともかくも、「とても自信がある」と言っていたので、僕も観るのをとにかく楽しみにしたいと思います。本番に向けて皆さん頑張ってください!
山本・額田 ありがとうございます!

稽古中のワンシーン
