ロロ新作本公演『ウルトラソウルメイト』│三浦直之 インタビュー

5月15日(金)から24日(日)まで東京芸術劇場 シアターイーストで上演される『ウルトラソウルメイト』は、ロロにとってなんと4年ぶりのフルスケールでの新作となる。キャストにはロロの亀島一徳と篠崎大悟に加え、荒木知佳、大場みなみ、門田宗大、新名基浩、野口詩央とチャーミングな俳優が並ぶ。「平成史」を掲げ、二人の少年が辿った30年を辿る本作はロロの転機と言える作品になりそうだ。ロロ主宰で脚本・演出を担当する三浦直之にその背景を聞いた。

平成史・男性性・サッカー

——4年ぶりのフルスケールでの新作本公演ということですが、ロロ自体はコンスタントに活動をしていたので、そんなに久しぶりなのかと驚きました。

三浦 数年前から自分の書くセリフがしっくり来なくなって、脚本を書いたり演劇を作ったりするのが苦しい時期があったんです。それで、ここしばらくはそれまでとは違ったやり方で演劇を作ってみるということをやってきました。2023年の『オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト』ではスケッチのように短い場面をたくさん書いてみたり、2024年の『飽きてから』では歌人の上坂あゆみさんの言葉とコラボレーションするようなかたちで作品を作ってみたり。そうやっていくうちにまた書くことのモチベーションも戻ってきて、2025年の『まれな人』では今の自分の年齢や環境にしっくりくるものを書けたなという手応えがあったんです。そこから次の作品を、と考えたときに、ここ数作はこぢんまりとした会話劇を続けて書いてきたので、もう少しスケールの大きなもの、時間的にも空間的にも広がりのあるものを作りたいと思いました。僕は10代の頃からずっと小説が大好きで、ジョン・アーヴィングやガルシア・マルケスのような、とにかくスケールが大きい物語に感動してきた。だから、そういうものをもう一回目指して描いてみようと思ったんです。最終的には100年くらいのスケールのものを描きたいとも思ってるんですけど、今回は90年代の終わりから平成の終わりくらいまでの「平成史」を描くことにしました。

—— 「平成」という時代がはっきりと示されているという点だけでも、これまでのロロ作品との違いを強く感じます。どのようなところから作品は書きはじめられたのでしょうか?

三浦 時代を描くということはその時々の社会を描くということです。でも、僕が社会派みたいなものやってもたぶんあまりうまくいかないと思うんです。それで、時代と結びつけられるモチーフみたいなものが何かないかということをずっと考えてきたんですね。たとえば、今後の作品でやるかもしれないアイディアとしては、食べることと時代を結びつけてやれないかということを制作の奥山くんとは以前から話していました。僕はグルメマンガとかグルメドラマとかがめちゃめちゃ好きで、グルメ演劇というのもどうにかやれないかと。今回、作品を書くために読んだユーゴスラビア関連の資料のなかに山崎佳代子さんの『パンと野いちご:戦火のセルビア、食物の記憶』という本があったんですけど、他にも斎藤美奈子さんの『戦下のレシピ――太平洋戦争下の食を知る』とかヴィトルト・シャブウォフスキさんの『独裁者の料理人』(芝田文乃訳)とか、時代や社会、あるいはある国の文化について、食に着目して書いた本というのはたくさんある。そういうかたちで時代とうまく接続するやり方があるんじゃないかということをずっと考えているんですけど、食べることを演出的に面白く見せるアイディアというのがなかなか思いつかなくて……。

一方で、『飽きてから』と『まれな人』を経て、男性同士の関係について描きたいということも考えていたんです。男同士の友情いいよねということだけではなく、そこにある有害性や加害性、暴力性みたいなものも含めて、男性間のケアや男性同士の連帯、あるいはその失敗について描きたかった。そう思ったのは、生きていくなかで自分の価値観が変わってきたということもありますし、過去に自分がそういう男性性による加害をしてしまったことに対する反省もあったからです。それで、今回は男の子2人の人生の物語を書くことにしたんです。そこに、これも前々から奥山くんとやりたいねと話していたサッカーの物語が合流して、今回の『ウルトラソウルメイト』が生まれました。文化系と体育会系という分け方も雑だなとは思うんですけど、僕はどちらかというと文化系で育ってきて、奥山くんはずっと体育会系でサッカーをやってきた。学生時代には全然別の体験をしてきた二人が、今はこうやって一緒に演劇をやっている。そういうことを作品に昇華できないかなという気持ちもありました。

——ロロとサッカーという組み合わせも意外でした。

三浦 実は僕はスポーツ観戦もすごく好きで、中学生の頃からバルセロナというチームをずっと応援してるんです。でも、最近はスポーツを観戦に対して引き裂かれた気持ちがあって。たとえば、日本代表ということで個人が国を代表することに対する違和感みたいなものは年々大きくなってきていて、昔みたいに純粋に日本代表を応援することができなくなっている自分がいる。国だけでなく、地元愛・郷土愛みたいなものについても、自分がそれとどう付き合っていいかわからなくなってしまっているところがあるんです。でも同時に、僕はバルセロナというチームを通してスペインという国に関心を持つようになったんですね。まだ一回も行ったことはないんですけど、たとえばバルセロナがオーバーツーリズムで大変だと聞くと心配になってしまったりもする。スポーツは自分にとって、行ったことのない外の世界に対して想像力を開いてくれるものでもあり、一方でナショナリズム的なものに対する居心地の悪さみたいなものを感じるものである。そういう引き裂かれた二つの思いについて考えたいと思ったのが、サッカーを題材にしたいと思った出発点でした。

「なくなってしまったもの」を見つめるために

——作中には、サッカー日本代表の監督も務めたイビチャ・オシムさんの名前が繰り返し登場するのも印象的です。

三浦 オシムさんは旧ユーゴスラビア代表の最後の監督でもあるんですよね。実はここ数年、ユーゴスラビア関連の本を読んでいるんです。それは今、あちこちで戦争が起きていて、でも、今起きていることにリアルタイムで反応し続けていると、精神的に耐えられなくなってしまうことがある。それでも戦争について考えることはやめたくないというときに、過去のことについて考えることを通して今について考えることはできないかと思って読みはじめたのがきっかけでした。最初に読んだのは角田光代さんが翻訳をしている『ぼくたちは戦場で育った:サラエボ1992-1995』という本で、これは著者のヤスミンコ・ハリロビッチさんがSNSでサラエボの人たちに「あなたの子ども時代の思い出(戦争体験)を160字以内で語ってください」と呼びかけて集まったメッセージをまとめたものです。実はハリロビッチさんは僕とほぼ同世代なんです。自分の記憶にある90年代に、同じ年代の人が遠くでこんな経験をしていたんだということが改めてすごい衝撃で、そこから関心を持ってユーゴスラビア関連の本を読むようになりました。それで今回、「平成史」をやろうと思ったときに、ユーゴスラビアの解体を物語の起点の一つに置くことにしたんです。

——ユーゴスラビアもそうですが、「なくなってしまったもの」というのは『ウルトラソウルメイト』の一つのキーワードになっています。

三浦 それには個人的な理由もあって、実は2022年に僕の弟が突然、心不全で亡くなってしまったんです。これまでの作品でも死や亡くなった人についての物語は書いてきましたけど、それ以降、全部ウソじゃないかみたいな感じになってしまって、死に関することを言葉にできなくなっていたんです。それでしばらくはそういうモチーフも扱ってこなかった。ちょうどそれが演劇が苦しくなっていた時期とも重なっていたんですけど、段々と演劇に対して前向きな気持ちになっていくなかで、もう一回弟のことを考えたいというのが一つの大きなモチベーションとしてあった。でも作品としては個人的なことを書きたいわけじゃない。そうやって考えていくうちに、これまでもずっと考えてきた震災のこととか、ユーゴスラビアのこととか、そういうものをつなげていくことで「なくなってしまったもの」について改めて考えられるんじゃないかと思ったんです。

残り続けるものへ

——「なくなってしまったもの」の話は歴史の話ともつながっていて、今作では土地と結びついた記憶が語られていることも印象に残りました。

三浦 震災以降、福島や宮城を回って色々な方にお話しを聞かせていただくなかで、戦時中にいわきから風船爆弾が飛ばされていたということを知りました。その風船は、風に流されて民間の方を殺してしまったこともあるそうです。全く別の話ではあるんですけど、福島第一原発の事故があったときも、当時の風向きによって後の帰宅困難地域が決まってしまったということを思い出しました。見えないもの、通り過ぎていくものとしての風と、対になるイメージとして、かつてそこで何かがあったということを示してその場所に残り続ける石碑のようなものがある。そういう連想から、主人公であるリリーと祝祭の人生を通して、ある意味ではダークツーリズムのように土地をめぐる物語が膨らんでいきました。自分にとって「なくなってしまったもの」を見つめるというのはずっと大事なことで、それこそが演劇の力だと信じてるんだろうなと思います。

——書いていて、これまでと変わったなと思うことはありましたか。

三浦 誰に気持ちを寄せるかということは大きく変わってきています。これは高校を舞台にした「いつ高シリーズ」を2025年に新キャストで再演したときに感じたことにも近いかもしれません。「いつ高」初演のときは自分も生徒寄りだったというか、そこで描かれる生徒たちに気持ちを寄せてやっていたと思うんです。でも再演のときは、出てくれた俳優たちに対する「これからの俳優人生にとってこれがいい経験になりますように」という気持ちが強かった。今作では、リリーの「師匠」にあたる時計台が、リリーと祝祭にあるメッセージを残す場面を書いたときに、同じようなことを感じました。この場面ではリリーと祝祭は中学生なんですけど、これまでだったら自分の気持ちはリリーと祝祭の方にもう少し寄ってたと思うんです。でも、今回はリリーと祝祭に対して「どうか幸福な人生を送れますよう」と願う、時計台に近い気持ちで書いていた。それはやっぱり大きな変化だなと思います。

インタビュー・文/山﨑健太
写真/石神俊大