舞台「月を抱く人魚」 岡本圭人&鈴木アツト&生田みゆき インタビュー

撮影:山崎伸康

俳優の岡本圭人が主演を務める舞台「月を抱く人魚」が、東京・シアタートラムにて上演される。本作は世田谷パブリックシアターの「あたらしい国際交流プログラム」の一環として上演されるもの。脚本を鈴木アツト、演出を生田みゆきが務め、「雨月物語」をモチーフに、現実と幻想が交錯する現代の物語を紡いでいく。彼らはどのような想いで本作に臨むのか。話を聞いた。

――岡本さんは今回のご出演が決まった時、どのようなお気持ちになられましたか。

岡本 世田谷パブリックシアターが「あたらしい国際交流プログラム」として日本から世界に発信するプロジェクトをやっているとプロデューサーさんから話を聞いて、すごく興味を持ったんです。そのワークショップが行われると聞いて、ぜひに、と参加させていただきました。自分自身、イギリスに住んでいたこともあって、お芝居で日本と世界の架け橋になれたら、という想いがあるんです。その流れの中で、昨年はシアタートラムで上演されたリーディング公演『不可能の限りにおいて』に出演させていただき、さらに今回、『月を抱く人魚』のお話もいただきました。ワークショップから始まった「あたらしい国際交流プログラム」という一つの大きな流れの中で、こうして作品に関わり続けられていることをとても嬉しく感じていますし、自分としては、この企画のためなら、なんでもやらせていただきたい、という気持ちです。

――本作は江戸時代の怪異読本「雨月物語」をモチーフとした物語ですが、物語の印象はいかがですか。

岡本 ギリシャ悲劇やシェイクスピア作品にも出させていただいたことがありますが、日本の古典にも興味があります。語られるべきもの、この時代にまでもまだ受け継がれている何かが、その中にはあるような気がしていますね。『雨月物語』も原作を読んでみました。幼少期を海外で過ごしていたので、海外の古典には触れてはいたんですけれども、逆にあまり日本の古典に触れる機会がなかったんですが、読んでみたら思った以上に、自分のDNAに働きかけるものがありました。日本ならではの怪談的な要素や、ドキドキではなく「ゾクゾク」するような感覚が『雨月物語』の中にあって…そういう部分を舞台で感じられることは少ないと思うので、そこを表現できたらと思います。

――今回の企画は、どのような経緯で制作されることになったのでしょうか。

生田 『雨月物語』はどうでしょうか、というのは私から鈴木さんに提案させていただきました。と言っても、私1人の意見ではなくて、世田谷パブリックシアターの「あたらしい国際交流プログラム」の一環として上演される題材として何がふさわしいか、いろいろな方と対話する中で『雨月物語』に決まっていきました。私は昔、塾で古文をおしえていたくらい古典が好きなんですが、国際交流プログラムとして、「日本から発信する」という時に、私自身も自分のルーツというか、大元にどういう世界が広がっていて、それが今の自分とどう繋がっているのかを感じられるような作品が作りたいと思っています。

鈴木 生田みゆきさんの演出で『雨月物語』の現代版を、という形で脚本のお話をいただいたんですが、たまたまその時期に、別のお仕事で日本初の女性映画監督・坂根田鶴子さんの物語を書いているところだったんです。彼女は映画版の『雨月物語』を監督した溝口健二さんの弟子で、溝口さんがどのように『雨月物語』に興味を持って映画化したのかを調べたばかりの時でした。自分の中に『雨月物語』に関するデータベースが出来上がっていた時期に今回のオファーがあったので、何か呼ばれているような感覚もあって…。すぐに生田さんにお会いして、お話が進んでいきました。

――古典の魅力をどのように考えていらっしゃいますか?

生田 生活様式は今と随分違うように感じるのに、実際に話を読んでいくと、今と通じ合うものがたくさんあるところですね。私は『更級日記』が本当に大好きで。特に平安時代は女性文学が非常に豊穣な時代でしたが、当時の女性たちの生き方が今よりずっと窮屈だった中で、想像力を羽ばたかせて物語を紡いでいく、その作家の姿勢に尊敬の念を抱きます。『雨月物語』は江戸時代に書かれた作品ですが、私にとっては、そうした“古典文学が持つ想像力の豊かさ”という点で、平安文学とも地続きに感じられる部分があります。現在の世界への広がり方とはまた違う、異世界との交信のような感覚や、想像力の羽ばたかせ方は、今でも本当に魅力的だと感じています。

鈴木 意外と現代に繋がる部分がたくさんあるなと感じています。生田さんがおっしゃった『更級日記』も、現代語訳で読むと、自分の感じた気持ちを歌に詠むというのは、今の人がインスタに投稿する感覚に近いんじゃないかな、なんて思ったりして。もちろんそこには高い教養が必要なのですが、自分の気持ちを形にしていくという行為自体は、とても近い世界があるなと感じます。『雨月物語』に関して言えば、江戸時代も「成功」や「出世」といったものが重視されていたと思うのですが、それとは別の価値観である「義理を何よりも大切にする心」や、「誰かを待ち続ける愛」を描いている点が非常に面白いなと感じます。

生田 『雨月物語』に登場する人たちは、基本的に「弱者側」というか、いわゆる「成功者」じゃない人たちがたくさん出てきますよね。その中にうごめいている人間の情念だったり、死生観だったりが、すごく面白いと思います。

岡本 僕が『雨月物語』を読んだ時に感じたのが、美しさや男女の愛がある一方で、嫉妬とか憎悪とか、ちょっと奥歯を噛むようなものも散りばめられているような気がしていて。きっと生田さんは、美しさに比例して浮かび上がる、美しくない、醜いものをいいバランスで届けるのではないのかなと想像しています。個人的にも、そういう作品は好きです。中高生ぐらいの時に、よく蜷川幸雄さんの稽古場を見学していたんですが、蜷川さんの演出はやっぱり「美しさ」があるんですよ。どれだけ醜いことをしていても、美しさがある。音楽、美術、照明、そういったものがいろいろ混ざって最終的に浄化されるような印象でした。今回の作品も、美しければ美しいほど、醜いものというのが同時に見えてくるような気がしています。

――現代版として書き進める中で、どのようなことを意識されていましたか?

鈴木 まだこれから改稿を重ねていく段階ですが…『雨月物語』を原作そのままの感覚で、幽霊や妖怪を出すと、下手をしたら「B級ホラー」のようになってしまう難しさがあります。ホラー映画のような「ありえないこととして楽しむ」のではなく、今回の舞台では、幽霊や妖怪というものを「あり得る人物像」として信じさせなきゃいけない。そのバランスをどう取るかは意識しています。お客さんの妖怪や怨霊といったものに対する前提知識も個人差がありますし、どうやってリアルな感覚でスッと入れるものにするか。「説明的にするところ」と「リアルに感じさせるところ」の繊細な書き分けが課題ですね。個人的に、お化けモノを書くのって苦手なんですよ(笑)。でも、お化けになってしまうような「弱者」の描かれ方が、原作は本当に素晴らしく、共感できます。今回の翻案でもそこに挑戦したいと思います。

岡本 脚本、すごく面白かったです。多分、ここからさらにブラッシュアップされていくと思うんですが、現代を舞台に描かれているのに、現代だけでなく、過去や夢といったところを行き来しているような印象があって、そこに映像的ではない、演劇的な要素がたくさん詰まっているように思いました。それに、原作の『雨月物語』が好きな方々にも届くような、原作の雰囲気をちょっと感じさせるような出来事や、人と人の関係性というのが台本の中に現れているんですよね。だから、ただ『雨月物語』をやるのでもないし、ただ現代劇をやるのでもない。その両方が絡み合って、倍増して面白くなる。台本から、そんな印象を受けました。もしかしたら、古典ということで少し距離を感じているお客さんもいるかもしれません。でも、台本には“今”のことがたくさん詰まっていて、今の人と人との関係性がしっかり描かれています。シリアスなものをシリアスに見せない工夫をされている感じもしますし、きっとスムーズに作品に入ってきていただけるんじゃないかな。

――今回の役作りに関しては、どのように取り組まれるのでしょうか。

岡本 まだ、何にもわからないです(笑)。やっぱり脚本を読んで読んで、誰よりも理解しなきゃいけないですよね。それで、たくさんの「どうして?」をずっと考える。いろいろやってみて、正解をつくらない。いろんな可能性を考えて、練習して…。「ちょっと違うな、こっちだとしっくりくるな」みたいな感覚でやっています。でも、舞台は1人で立つわけじゃないし、1人で考えても出来上がらないんですよ。演出家さんやキャストのみなさんと波長が合わないと意味がないので。稽古場でちょっとずつなじませていく感じですね。でも、台本に限らず、どんな場合でも「相手は何を考えてるんだろう?」と、ああでもない、こうでもないと考えるのが好きなんですよね。普段、生きていてそんな感じなので(笑)、役作りもその延長線上ではあります。

――演出面では、どのようなことを意識されていますか。

生田 さっきのお化けの話もそうですが、今目に見えているもの以外にも世界は広がりうる、という感覚を大切にしたい。それは想像の世界でもあり、時代が積み重なってきている感覚でもあります。「色々な時代に色々な人が生きていて、実は今の自分と繋がっているんじゃないか」という感覚が、お化けという形で可視化される。これは演劇という表現と非常に相性がいいと思うんです。そもそも演劇は「作り物」であることを前提にしていますが、その中で人の思い、執念、愛、あるいは憎しみといったものが、ある形を持って現れてくる。それはきっと、皆さんに信じてもらえるものになると演出家としては思っています。どこまで深く、広く探っていけるか、今からとても楽しみです。

――生田さんの演出について、岡本さんはどのような個性を感じられていますか。

岡本 生田さんの演出の印象は、いろいろ浮かんでくるんですが、最初に浮かぶのは「愛」。作品をより良くしようという、作品への愛と役者に対しての愛、スタッフに対しての愛がとても強い方だなと感じました。伝え方がものすごく上手なんですよ。演出を受けたりすると、どうしても自分の「コンフォートゾーン」というか、安心するような状態で演技してしまうことが多くて、そこを抜け出すのがすごく難しいんです。それを生田さんは、純粋な探求心と言葉で、コンフォートゾーンをパッと開けてくれる。自分が考えもしないようなことを「こういう感じでやってみて」と言ってくれて、やると「それそれ!」と言ってくださって、視界がパッと開けるんです。

――役者の“心地よく収まってしまうところ”から、パッと連れ出してくれるような優しい力があるんですね。

岡本 まさにそうです。あともう一つ、生田さんの中で魅力的な部分があって。それが、今の世界情勢や日本の中で起きていることなどの「問題」に対しての視点です。安全な日本にいる僕たちにはなかなか届かないことを、演劇を通して届けたいという思い。他の生田さんの作品からも、そういったものを感じています。愛だけじゃなくて、愛に比例して生まれる人の苦しみや汚れ、それでもどうにかして生きたい…。そういったものにすごく目を向けている方ですね。だから『雨月物語』を題材にされると聞いた時も、「生田さんが演出するからには、もうただの古典を現代にしているだけの作品にはならないな」というのは直感的に思いました。

――お2人から見た岡本圭人さんの印象をお聞かせください。

生田 リーディング公演『不可能の限りにおいて』でもご一緒しているんですが、その時は「演じないでください」と特殊なリクエストをしていたので、「他者を演じる役者」として向き合うのは今回が初めてかもしれません。ただ、前作でご本人とご一緒した時の印象でいうと、びっくりするぐらい純粋ですね。前作は紛争地域の支援者の言葉を届ける作品だったのですが、現実の重さや凄惨な状況に触れ続けると、私なんかは「これを上演した先に平和が来るとは到底信じられない」と打ちのめされそうになる瞬間がありました。でも圭人さんは、そこにずっと希望を持ち続けられる。これは一つの才能だと思いました。その「信じる力」がないと、作品は推進力を持っていけない。前回、圭人さんとご一緒できたことで、私自身もすごいエネルギーをもらったなと今振り返っても思います。今回演じてもらう役どころは、決してヒーローではなく、どちらかというと情けない、敗者の側の人。そんな男が、出会いを経て、生きる実感を獲得していく。その姿を、圭人さんならきっと素敵に、説得力を持って立ち上げてくださるだろうなと思います。今日、ビジュアル撮影があってお姿を拝見しましたが、ますます楽しみになりました。

鈴木 ずっと諦めが漂っているというか、「こういう生き方をしてきたから、こうなっても仕方ないよね」という諦念がある主人公ですよね。この役は、美しい方にやっていただきたいという思いはありました。現代において、美しい男性というのは尊ばれる存在ですが、主人公は、誰もが羨む美しさを持っていながら、どこにも「居場所」がない人なんです。家庭の中でも受け身だった彼が、今回の事件と関わる中で、自分自身の行動と、本質的な生きる場所を獲得していく。表面的な美しさだけではなく、「本当の美とは何か」「人生の価値とは何か」を彼がどう見つけていくのか。それを「追い求め、もがき苦しんでいる姿」が、岡本さんにはとても似合うのではないかと思っています。

――国際交流プログラムの一環として上演されますが、演劇だからこそできること、伝えられることはどのようなことでしょうか。

岡本 どの舞台をやっていても…結局は「伝わらないんだろうな」とも、思っていて。それでも、それ以上に届けたい、わかってほしいとも思っています。届かないかもしれないけれど、その中で一つのセリフでも、わずかなシーンでもいいし、一人の役者さんでもいい。何かが一つでも残ってくれたら嬉しいです。それがその人の財産や知識となって、劇場を出た後の世界がちょっと変わるきっかけになれば。そのために、一生懸命やるだけですね。あと自分が海外に住んでいた時、日本とは違う報道や事実を目にしたりして、それを日本に帰ってきて人に話しても、届かないんですよ。言葉だけでは、他人事に感じてしまう。そういう、ちょっと苦い思いがあったんですが、それが演劇だったら、その時に自分の感じていた孤独感とか孤立感、絶望とかが演劇を通じて届けられるような気がしています。だからこそ、今回の生田さんの演出でそういう部分を届けられるというのには自分も興味がありますし、すごくワクワクしています。

生田  演劇には「言葉」があるからこそ、逆に超えられない壁がある。でも、その「輸出しにくさ」こそが、逆にその国の芸術を充実させている要因でもあるとも考えられます。日本語の作品を海外へ、となった時に、確かに言葉の壁はあります。でも演劇の良さは、一つの場所に集まって、その空気を一緒に体感することです。コロナ禍を経て、目の前にいる人たちが集中して何かを作り、それをお互いに共有できる空間の尊さを改めて感じています。今回のプログラムも、まずは私たちが「日本語」という言葉や、「江戸時代の文学」にしっかりと向き合う。その上で、自分たちに通じるものを徹底的に考える。そこを充実させることが、結果的に国際的な繋がりにもなっていくのではないかと思います。

鈴木 そこは僕も生田さんとほぼ同じ意見です。以前、韓国やタイの演劇人と作品を作ったことがあるのですが、韓国には「恨(ハン)」という、受けた仕打ちへの恨みを表す言葉があり、タイには「サバーイ(快適・心地よさ)」という、タイ人が最も大事にしたい価値観を表す言葉がありました。では日本は何かと考えた時、僕は「もののあはれ」がキーワードになると思っています。外国の方に分かりやすくする工夫も必要ですが、それ以上に、日本伝統の「もののあはれ」という概念――無常であり、はかなさの中に美しさを感じる感性――を、説明的ではなく結晶化してぶつけたい。それが外国のお客さんにどう届くのか、それを見てみたいという思いがありますし、そういう作品を目指していきたいです。

――最後に岡本さんに、公演を楽しみにしているみなさんにメッセージをいただきたいと思います。

岡本 この記事を読んで少しでも興味を持ったり、何か一つでも引っかかったりしていただいたら、これを縁に劇場に足を運んでいただきたいです。必ず“何か”を届けたいと思っています。それを見た後に、世界が変わるのを感じていただけたら嬉しいです。頑張ります!

取材・文:宮崎新之