ミュージカル『生きる』鹿賀丈史インタビュー

黒澤明監督の同名映画を原作に、作曲と編曲をジェイソン・ハラウンド、脚本と歌詞を高橋知伽江、そして演出を宮本亞門、が手がけたミュージカル『生きる』。2018年の初演の舞台は“国産ミュージカルの記念碑”と絶賛され、ミュージカルファンはもちろんのこと、ミュージカルを観慣れない観客の心をも掴み、広い層から高く評価された。この名舞台が、2年ぶりに待望の再演を果たす。

主人公は役所勤めの平凡な男、渡辺勘治。彼はある日、自分は胃がんで残りの人生が長くないことを知る。しかし自らの生涯を振り返ると意味のあることを何もしていないことに愕然となり、これからでも何かできることはないかと考え、第二の人生を歩き出そうとする……。

初演と同じく主人公の渡辺勘治には、市村正親と鹿賀丈史がダブルキャストで扮する。今回の再演では勘治のひとり息子をこの作品に初参加となる村井良大が演じるほかは、カンパニーには新納慎也、小西遼生、May’n、唯月ふうか、山西惇といった初演と同じ顔触れが揃った。初演からたった2年とはいえ、演じる側も観る側もガラッと意識が変わってしまった現在。その情勢などを鑑みつつも、ブラッシュアップを重ねていくというこの再演のステージは貴重なものであると同時に、さらに深い感動を呼びそうだ。

そんな時世に再び渡辺勘治を演じることになった鹿賀丈史に、改めて作品への想いを語ってもらった。


――ミュージカル『生きる』、待望の再演です。この再演の話を聞いた時、鹿賀さんはまずどんな風に思われましたか。

創作ミュージカルの場合は特に、やはりある程度いいものでないと再演することは難しいのですが、この作品は初演をやってすぐに再演しましょうという話になったらしいんですよ。ですから、それが実現するという話を聞いた時は非常に嬉しかったです。そして今、この時期に再演をするということに関しては、初演の時と今とでは社会が全然違ってしまいましたからね。そんな時代に上演するんですから、この『生きる』というミュージカルのありかたも変わりますよね。具体的にどこをどう変えるということではなくても。これだけ社会が大きな問題を抱えている中での『生きる』という物語は、みなさんもさまざまなことを感じることになるだろうし、より心に刺さる深いものになるのではないかなという気はしています。

 

――振り返ると、黒澤明監督の映画をミュージカル化するということ自体がとても衝撃的でした。

そうでしょう、普通は考えないですよ、このプロデューサーちょっとおかしいんじゃないか?って思いますよね(笑)。特に『生きる』なんて、言ってみれば黒澤映画でも素晴らしい感動作ではあるけど、派手なものでもなく、ただ平々凡々と暮らしていた渡辺勘治という男が、がんになり、そこから小さなことなんだけれども公園を作ることで生きる力を得るという。そんなシンプルな話を、ミュージカルにするという決断はすごいことだと思う。あと、とにかくジェイソンさんの曲がやっぱりいいんですよ。ジェイソンさんは本当に多才な人で、この『生きる』という作品の本質を理解した上で、僕ら演じる側の意見もちゃんと聞いてくれたり、演じている様子を見て書き直したりもする柔軟性があって。それもあり、このミュージカルは相当レベルの高いものにできたんだと思います。そして亞門さんもそうだし、高橋さんもそうだけれども、新しいものを作るということにものすごく情熱のある人たちがこのカンパニーには揃っていますからね。みんな本当に明るいんですよ、暗い話なのに(笑)。そういうエネルギーを僕らも感じ取れる稽古場だったので、今回もそんなみなさんとまたご一緒できることが嬉しいですし、とても楽しみです。

 

――昭和の時代の物語なので、懐かしい雰囲気に満ちた舞台でもあります。

そうですよね。そういえば、僕は中学校2年の時に東京オリンピックが開催されたんですよ。本当ならこの夏、始まっているはずだったんだけれどね。ついこの前まで、まさかオリンピックが延期になるなんて誰も思っていなかったですよね。しかし、この新型コロナ感染症というものは、もちろん病気としても怖いんだけれども、人の心をずいぶんと痛めつけてくれるな、という思いがあって。

 

――ディスタンスを考えて離れなきゃいけなかったり、触れ合うことが許されなかったり。不思議な病ですよね。

そう、不思議だね。だって人間はやっぱり、近くでしゃべりあったり、一緒にお酒を飲んだり、欧米の人だったら挨拶するのにハグをしたりするのが当たり前なのに、そういったことができない。世界じゅうが混沌として、この先どうなるかもわからない。こうなるとコロナはおさまるのかということよりも、人の心が昔のようにもとに戻るのか、ということのほうが心配になってきますよ。そういう意味では我々、俳優としては、せめていいお芝居やミュージカルを演じることによって、それを観てくださる方に少しでも心の潤いを与えられたらと強く思いますね。

 

――そして、今回も市村さんとのダブルキャストということに関してはいかがでしょう。

そうですねえ。初演では稽古する時に、市村バージョン、鹿賀バージョンと分けていたので、かなり違う形にするのかと思っていたら、台本上はセリフも動きもほとんど一緒で。だけどやっぱり演者が変わると、ニュアンスが変わりますから、そういう意味ではぜひとも両方のバージョンをお楽しみいただけたらと思いますね(笑)。

 

――確かにそうですね(笑)。でも実際、お二人が演じる渡辺勘治はまるで違うキャラクターなので、両方観たらみなさん驚かれると思います。そして、まさにこれは日本人のためのミュージカルという印象ですが、ちょっと珍しい作品でもあって。

あのね、これは相当珍しいと思いますよ(笑)。珍しいのと同時に、日本で作ったミュージカルの新しい形でもある。表現の仕方にしても、いわゆるお芝居お芝居したものではないし、ミュージカルナンバーにしても、いわゆる歌いあげる感じでもない。それぞれの人間の心の機微を丁寧に歌い、繊細に演じるという、非常にリアリティのあるミュージカルですから。その点でも僕はとても新しい作品だと思うし、それがまたお客様の感動にも結びついているように思いますね。

 

――ミュージカルナンバーの中で、特にお好きな曲はありますか。

一幕最後の『二度目の誕生日』と、二幕後半で歌う『最後の願い』ですね。これらもやはり、僕は譜面通り歌ってはいるんですが、歌いあげるというよりも渡辺勘治の心が見えるようにということのほうが大事だと思っているので、この2曲を歌う時はちょっとスリリングな気持ちにもなります。曲の中で勘治の心の動きというものを、繊細に表現するナンバーにしたいですから。

 

――渡辺勘治は平凡な男ではありますが、多くの人が心を寄せやすい、共感しやすい人間でもあって。鹿賀さんがこの役を演じる時、特にどんなことを意識されていますか。

これは、別の人が言うセリフなんだけれども“いるかいないかわからないような男”ということですね(笑)。つまり、生きるということをそんなに深く考えずに平凡に毎日を暮らしているという男なんです。早くに奥さんも亡くしてね。時代は違いますが、そういう人は現代にもいらっしゃることは間違いないですし。そういう人間が死というものを意識した時、たいした行動ではないかもしれないし大きなことをやり遂げるわけではないんだけれども、小さな公園を作るということを実現させる。僕はこれがまたいいと思うんですよ、とても渡辺勘治らしくてね。

 

――では最後に、お客様へ向けてお誘いのメッセージをいただけますか。

こういう時代で、みなさんも耐えに耐えている状態だと思います。この新型コロナには病気としての怖さもありますが、人の心を変えてしまったり、気づくと心がすっかり乾いてしまっていたりするような、そんな怖さもあると思うんです。『生きる』というミュージカルは、そういう人の心に潤いを与えてくれるミュージカルですので、この機会にぜひ、日生劇場に足を運んでいただけたら嬉しいですね。

 

取材・文 田中里津子