お笑いコンビ・インパルスの板倉俊之によるアウトローサバイバル小説を、板倉自身の脚本・演出により舞台化する舞台「蟻地獄」。その初日を目前に控えた5月末、通し稽古が行われると聞き稽古場の見学をさせてもらった。
稽古が始まる数分前、少しずつキャストやスタッフが稽古場入りする。キャスト同士でにこやかに談笑していたり、すみっこで筋トレをしている人がいたりと和やかな空気が漂っていた。おおむね揃ったところで、スタッフからとある事件の報告が――休憩エリアに置いてあるコミックの1巻だけが見当たらないとのこと。「怒らないので、そっと返しておいてください(笑)」と全員に通達されると、稽古場に笑い声がこぼれた。芝居は張りつめた雰囲気の作品だが、稽古場には穏やかで心地よい空気が流れているようだ。
そして、通し稽古に入る前には、実際に舞台で使用される小道具などの確認もされていた。子細な部分まで、入念に演出の板倉がチェック。いくつかの確認を済ませた後、通し稽古が始まった。
物語は、裏カジノに足を踏み入れる若者2人の会話から始まる。
二村孝次郎(髙橋祐理)は、親友と2人で裏カジノの扉を開けた。ある男の助言を受けてド素人を装いつつも、カードすり替えのイカサマをして一攫千金を狙うためだ。見事に早業を成功させ、大金を手にしたと思ったのも束の間。イカサマを見破られていた2人は裏カジノのオーナー・カシワギ(山口大地)によって地獄へと引きずり込まれていく――。
通し稽古が始まると、稽古場の空気は一変。舞台稽古ならではの緊張感のある空気に一気に変わった。金銀髪姿で軽口を叩きながらカジノに乗り込んでいく孝次郎は、言動も振る舞いも、見るからに危なっかしい。そんな軽薄で浮足立っている若者を、髙橋はさらりとこなしながら登場した。ただ、イカサマをするときの度胸や親友のために苦しい決断をする男気など、時折ただ者ではない雰囲気を纏わせる。そんな孝次郎という男の絶妙なバランス感を髙橋は迷いなく、うまく体現しているように見えた。
そして、孝次郎らを地獄へと引きずり込むカシワギは、冒頭から観客に地獄を実感させるキーマン。カシワギを演じる山口の怒号は、舞台の空気を一変させるだけのパワーがあった。空気が張りつめ、若者を決して這い上がれない絶望へと叩き落す。山口が言葉を発するたびにじりじりと追い詰められ、突然むき出しになる狂気にこちらも体が委縮する。山口のそんな振る舞いが、見る者に地獄の入り口に立たされていることを強く認識させているように思えた。
親友を人質に取られ、カシワギとの取引で5日間で300万円を用意しなければならなくなった孝次郎。しかし有効な手立てもなく窮地に立たされる中、1個40万円で取引されるという人間の眼球を集めることにしたが、そう簡単には手に入らず残された時間はあと僅かとなってしまう。最後の望みをかけ、孝次郎は自殺志願者が集う廃墟にたどり着いた。そこには、集団自殺の発起人・宮内(天野浩成)や影のある少女・マフユ(向井葉月)ら4人が集まっていた。彼らの眼球を手に入れれば、親友はもちろん孝次郎自身も救われる。だがこの廃墟もまた、さらなる地獄の門にすぎなかった。
時間が迫るにつれ、孝次郎は自分の中にある正しさと避けられぬ現実とに、葛藤と焦燥を覚えながら、己の内面をむき出しにされていく。場面が進むごとに少しずつ変化していく孝次郎を、髙橋は繊細に捉えていた。そして集団自殺の発起人である宮内を、天野は魅力的かつミステリアスに演じており、言動のひとつひとつに妙な説得力を感じさせる。また、マフユを演じている向井の表情は、乃木坂46で見せている顔とはまったく別モノ。マフユを通して、新たな向井に出会えることは間違いない。
物語は最後まで幾度もどんでん返しが繰り返され、掴みかけた希望が砂のように何度も何度も崩れていくさまは、まさに蟻地獄。通し稽古が始まってからは、見ているこちらも口が渇いてくるような緊迫感が終始放たれていた。昨年の公演中止を経て、満を持しての開幕もう間もなく。足を踏み入れたら後は沈むだけという、蟻地獄の口はもうすでに開いている。そう感じさせるには十分なほどの稽古を、しっかりと見せつけられた。
舞台「蟻地獄」は2021年6月4日(金)から10日(木)まで、東京・よみうり大手町ホールにて上演される。
取材・文/宮崎新之