生きること、愛することを渇望する兄弟を描いたフィリップ・リドリーの衝撃作
新キャストにて待望の再演決定!
『マーキュリー・ファー』は、イギリスの劇作家フィリップ・リドリーが2005年に書き下ろし、日本では2015年に白井晃の演出によりシアタートラムで初めて上演した作品。
これまで白井が世田谷パブリックシアターで演出を手掛けたリドリーの作品は5作に上り、いずれも斬新な劇場空間と、衝撃的な演出で高い評価と話題を呼びました。リドリーは白井が最も触発される劇作家だと言っても過言ではない。
その中でも『マーキュリー・ファー』はその他の作品と比べ、より過激な表現、より挑発的なセリフが次々と繰り出される作風で、極限状態に置かれた人間の残酷さが描かれている。暴力と略奪がはびこる荒れ果てた世界であぶりだされる人間の本質を世の中に鋭く突きつけるとともに、生きること、愛することを渇望する人間の美しさが描かれた『マーキュリー・ファー』。初演時には観客に大きな衝撃を与えた。
今回は劇場をシアタートラムから世田谷パブリックシアターへと移し、およそ7年ぶりに再演する。
過酷な状況下で生きる兄弟役に挑む、吉沢亮・北村匠海を含め魅力的な俳優陣の共演に、期待は十分だ。
ストーリー
ボロボロの部屋にエリオット(吉沢亮)とダレン(北村匠海)の兄弟がやって来る。ふたりは急いでパーティの準備にとりかかる。そこに青年がひとり偶然顔を出し、「バタフライ」が欲しいので手伝うと言う。しばらくするとローラと呼ばれる美しい人物と、パーティの首謀者らしき男が謎の婦人を連れてやって来る。彼らの関係は…? そして彼らの会話の中で語られる、バタフライの秘密とは…?やがて、きょうのパーティゲストが到着するが、用意した「パーティプレゼント」に異変が起きて、事態は思わぬ展開に…
【演出】白井晃 コメント
世田谷パブリックシアターのレパートリーとして、この作品が再演できることに大きな喜びを感じています。
演劇作品の場合、劇作家が意図したことが、上演される場所や時期によって思いがけない広がりを見せることがあります。演劇がコンテンポラリーな表現である所以でしょう。この作品がシアタートラムで初演された時がまさにそうでした。2001年以降の不安定な世界情勢を反映して生まれたこの作品は、不安感が拡まる初演時の社会状況とシンクロして、とてつもない臨場感を呼ぶことになりました。まさに劇場で起こっていることと、劇場の外の世界の境目が無くなる感触がありました。
あれから6年が経ちましたが、世界は危機感がなくなるどころか、不安は益々増幅し恐怖はいたるところで慢性化してしまったようです。それだけに、今回の再演で、作品にどのような意味が加わるのか、正直、予想がつきません。
再演にあたり、すべてのキャストが変わり、新しいプロダクションがスタートします。劇場もシアタートラムからパブリックシアターに移ります。表現者や空間が変われば、自ずと作品から見えるものも変わっていくでしょう。
荒れ果てた世界で、生を繋ぐために懸命に支え合う兄弟。その愛情を呑み込むほどに、この「マーキュリー・ファー」の世界は厳しいです。
創作のスタートが恐ろしいほどに楽しみです。
吉沢亮 コメント
今まで色々な舞台を観させていただきましたが、6年前にマーキュリー・ファーを見た時の衝撃、圧倒的興奮と疲労感は、今でも特別なものとして残ってます。それからずっとマネージャーさんに、マーキュリー・ファーのような舞台をやりたい!と言い続けていたら、まさかのご本人登場で軽くパニックです。
自分が見たシアタートラムの密閉された臨場感のある空間から、パブリックシアターに劇場が変わり、キャストも変わり、見え方もまた違うものになると思いますが、椅子から立てなくなるほどのあの衝撃を、今回観に来てくださる方々にも是非体感して頂きたい。
エリオットと共に僕自身もとことん追い詰められる時間になりそうですが、とても不安で、楽しみです。
北村匠海 コメント
マーキュリー・ファーにて、ダレン役を演じさせて頂きます。
舞台は、昔から観る事が好きで色んな劇場に足を運んでいました。
でもどうしても、音楽のライブと舞台の“2つのナマモノ”を両方とも大切だからこそ、掛け持つことに勇気が出ず、挑戦する事ができずにいました。
しかし、このマーキュリー・ファーと言う濃密な作品、そして信頼し合える吉沢亮くん、巨匠 白井晃さんと、ストイックに芝居だけの事を考えることの出来るチャンスを逃してはいけないと思い、初舞台に挑みます。
自分の中に構築されている芝居をぶち壊して、素っ裸で戦います。
僕も楽しみです。皆さんもぜひ楽しみにしていてください。