「昭和のまま、令和のいまに蘇る方法はある」│モチロンプロデュース 「阿修羅のごとく」木野花インタビュー

昭和を代表する脚本家・向田邦子の傑作を、木野花の演出で舞台化する、モチロンプロデュース『阿修羅のごとく』が9月9日に東京・シアタートラムにて開幕。10月8日(土)からは兵庫県立芸術文化センターでも上演される。

向田邦子の代表作でもある『阿修羅のごとく』は、1979年にテレビドラマとして放送され、視聴者に鮮烈な印象を残し、その後も再放送の度にファンを増やしていった名作で、これまでも映画へのリメイク(2003年森田芳光監督)、商業演劇としての舞台化(2004年、2013年)などさまざまなカタチで上演されている。

木野花が演出を手掛けるモチロンプロデュース版は、向田の台詞はほぼそのままに、シーンと登場人物を大幅にカットし、“四姉妹(を演じる女優)のバトル”に焦点を当てるというもの。脚色を手掛けるのは倉持裕。四姉妹を演じるのは、小泉今日子(長女)、小林聡美(次女)、安藤玉恵(三女)、夏帆(四女)。さらに岩井秀人、山崎一が加わった六人芝居で届ける。演出の木野に話を聞いた。

キャスティングしたのは、“自分に正直な人たち”

――大人計画の社長・長坂まき子さん主催のプロデュース公演「モチロンプロデュース」での上演となる『阿修羅のごとく』に、いま、どのような意気込みがありますか?

「この作品は、まず長坂さんから『やらないか』と声をかけていただいて、そのときは『いやいや!』と思いました。それはもうプレッシャーが大きくて。なぜかというと、すごいドラマを私は観てしまったと思っているから。あれから何十年も経っていても、その記憶は決して消えません。そのくらい衝撃だったんです。それは、ドラマでここまで表現するんだっていう。お茶の間のドラマの答えの出し方じゃない気がしたんです。向田邦子さんの筆力、脚本もすごかったけど、役者陣も本気でその役に挑んでいた。当時のキャスティングもベストだなと思いました。佐分利信さんのお父さん役なんて、ああいう人もういないよねと思う。本当に、皆さんお一人お一人すごかった。だから『やっぱり超えられない』っていうのがあった」

――それが「いやいや!」に

「はい。その後で、なんでだめなんだろう?と思いました。そして逆になぜそんなに『阿修羅のごとく』がよかったのかと思い返したんです。それで脚本を読んでみました。やっぱり名作でした。作品の持つ力強さ、向田邦子さんの台詞そのものの鋭さ、深さ。そしてあの役者陣のインパクト。たしかに『あれ以上のキャスティングはない』と思い込んでいたというのはあると思います。でも、あれは昭和のお茶の間のドラマとしてベストのキャスティングだとしたらどうだろう。今ならどういうキャスティングになるんだろう考えてみたんです」

――「いま上演する」ということを考えられたということですね

「読むとやっぱり昭和のドラマなんです。典型的な昭和のお茶の間が描かれている。だからといってそれを現代に書き換えるのはもったいない。『昭和のまま、令和のいまに蘇る方法はないだろうか』と考えました。そのうえで、やはりキャスティングが大事だと思いましたし、もうひとつ、私がこだわったのは、あのドラマで、“阿修羅”というものをお茶の間に持ち込んだこと。『そこは踏み込んじゃいけない領域なんじゃないか』という衝撃がありました。お茶の間では『寺内貫太郎一家』(1974年/向田作品の一つ)のような……例えば怒鳴るとしても、阿修羅一歩手前で“頑固親父”の大暴れとして笑にしていたはず。『誰の中にもあるかもしれない“阿修羅”というもの』を、お茶の間に持ち込んで見事に成立させたというのが革新的だったんじゃないでしょうか」

――確かにそうですね

「でもこの“阿修羅”は、令和の時代でもなくなってはいないわけで。阿修羅は、どの時代にもそこにいて、誰の中にも棲みついて、時々暴れたり静まったりしてるんじゃないかと思いました。だから今回、この時代に、どんな阿修羅が棲みついているのか掘り起こしたい、覗いてみたいと。令和のいまに、どこまで引きずり出せるか、やってみる意味があるんじゃないかと思ったんですね。キャスティングにあたっては、“自分に正直な人たち”というのを念頭に選ばせていただきました」

――ああ、なるほど

「皆さん癖がありながら、自分に正直に生きようとしている方たちだと思っています。お互い信頼できるところで共に戦える人をと探したら、このキャスティングになりました。そしてお見せする場所はお茶の間じゃなくて劇場なので、『阿修羅のごとく』をドラマから演劇に開いていくために、倉持さんに脚色をお願いしました。そしたら倉持さんが見事に演劇的に書いてくださった。あとは私が腹を括って演出する番です。まず、この“阿修羅”が大手を振って暴れる場所をつくろうと思っています」

――舞台も四方から観られるものになるそうですね

「はい、四方に客席をつくって、逃げ場のないところで、このドラマを展開していこうという狙いです。役者は大変だと思いますが、逆に逃げ場のないところで阿修羅と向き合うという覚悟がつくかと思っています。今回は、そういう挑戦を面白がってくださる役者さんたちが集まったと思っています。脚本もキャスティングも、ここまでこぎつけて、ようやくスタートラインに立った気分です。あとはもう稽古をやるだけなんですけど、今回ばかりはやってみないとわからない、そのわからなさ加減にワクワクしています」

“言わずに戦う女たち”が古く見えるのか

――キャストに関しては、父親役も母親役もいない。この6人だけでやるというのも、ひとつの覚悟なのかなと思うのですが…

「そうですね。向田さんのドラマは人間の描き方も鋭いので、深く掘り下げていきたいと思ってます。向田さんの台詞を、どんなふうに役者が、言葉にしていくか、どんなふうに舞台に載せるのか、全てが挑戦です。向田さんの脚本で、そういう冒険ができるのは贅沢だなぁと思いつつ、決して『ありきたりにしたくない』と肝に銘じています。普通にやっても完成度の高い作品ですから、油断したら“いいお話”で終わってしまう。いや、いいお話はいいんですけど、 “よくある話”で終わりたくない。この面子でそうはさせない、という覚悟はあります」

――脚本を手掛けた倉持さんとは、「令和の阿修羅」というところも含めてどんなお話をされましたか?

「プロデューサーの長坂さんが本当に『阿修羅のごとく』が好きでして。とにかくいい作品だから『このシーンもやりたい、あのセリフも入れたい』と欲が出るけど全部やるわけないはいかないから、じゃあどこをカットするかでまた頭抱えて。でも妥協したくないという暗黙の了解があって、二人納得できたところでシーンやセリフの希望箇所を倉持さんに提出しました。倉持さんもそれを取り入れつつ、どういう流れで演劇的にするか、そこは倉持さんに委ねた部分があります」

――そこに「令和」はどう入ってくるのでしょうか?

「でも令和ってまだ始まったばかりですからね(笑)。真っ先に浮かぶのは、まず“コロナ”です。コロナで演劇の在り様もずいぶん変わりました。今回この芝居をやるにあたっても(コロナによって)束縛に次ぐ束縛、規制に次ぐ規制です。前回のモチロンプロデュースの公演『クラウドナイン』(2017年)に比べたら、まず“規制された舞台”という印象があります。世の中そのものが窮屈になっていて、そういう中での演劇はどうなるのか。そのくせ、いままでやったことのない舞台に挑戦しようとしているわけですよ(笑)」

――そうですよね

「ほんとにもうね、大変です!としか言いようがない。(舞台と客席の距離を)2メートルあけなきゃいけないとなると、舞台も狭くなるし、客席もせまくなる。でも、それを逆手に楽しみたい。『狭い』と思ってつくるのも、『面白い』と思ってつくるのも、作り手次第だから。今回腹を括るのは、そこかなと思っています。これだけ制約がある中で、それでもやりたいことはやる、妥協しない。それをどこまで押し通せるか、大変だけど、成立させたいです。情け容赦なくいろんな規制が出てくるけど、今はそういう時代です。でも芝居ができるだけでもありがたいので、限りなくそれを面白がれたらいいという覚悟はしています」

――「令和に」というところでもうひとつ、昭和の女性と令和の女性ではだいぶ状況も変わってきていると思います。女性の社会的立場の変化による、この『阿修羅のごとく』の見え方の差はどう思われますか?

「脚本を読んで最初に気になったのは、ハラスメント的な内容ですね。“男と女”“家族”が描かれているけど、やっぱり昭和だなと思いました。夫の浮気の仕方とか。父親としての佇まいもそうです。女性たちは、いろんな不満はありつつも、そういう男たちとうまく付き合うことを求められる。昭和の女だと思わせられたセリフに『言っちゃ負けよ』というのがある。浮気した夫に対して『言ったら負けだ』という母親の言葉は、非常に象徴的だなと思いました。言わずに飲み込んで、こらえて、どこで勝つのか。阿修羅ですよね。昭和の女の戦い方は底が深くてきつい。でも令和は、“ハラスメント”として表に出しましょうとなった。でも、言うのも楽じゃない。表に出して戦うのも相当の覚悟が要ります。言うのか、言わずに戦うのか、阿修羅の見え方も変わってきます」

――そうですね

「“言わずに戦う女たち”がじゃあ古く見えるのかというと、そう単純なことでもない。決して黙って飲み込んで堪えているだけじゃないよっていうのが、向田邦子さんのもうひとつの描き方なんだと思う。 “阿修羅”という言葉を発掘したことで、このドラマが昭和という時代を力強く超えたと思う。阿修羅の普遍性。私たちは、阿修羅がどの時代にも棲みついていることを知らされたんだと思う。言葉にしないで飲み込んでも、そこには阿修羅が棲んでいて、いつ顔を出すかわからない怖さがある。決して黙って引き下がっちゃいない。表に出そうと出すまいと、女は阿修羅のごとく戦うよ、という宣戦布告にも思えました」

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――キャストの皆さんとはなにかお話しされましたか?

「撮影のときにお会いしたのは小林聡美さんと小泉今日子さんで、『こわい』って言ってました(笑)。でも『やらなきゃなって気持ちになった』ともおっしゃってましたね。安藤玉恵さんは以前から一緒にやりたいと言っていて、今回すごく喜んでいました。夏帆ちゃんも前にKERAさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)の舞台でご一緒したことがあるし、女性4人に関しては懐かしいのと、ようやく舞台でご一緒できるのがうれしいですね。男性キャストの山崎さん、岩井さんは初めてですけど、期待しています。自由に舞台に乗ってほしいですね」

――男性キャストはそれぞれ二役やられますが、どんなところを期待されているのでしょうか?

「岩井さんは、(三女の恋人になる)私立探偵の役と(四女の恋人である)ボクサーの役をやっていただくんですが、この二人はけっこう真逆なんです。私は岩井さんのちょっと変態なところが好きで、役のつくり方が一歩突き抜けてくるというか、はみ出してくる驚きがあるんです。私立探偵にしろボクサーにしろ、少し社会からはみ出した人物なので、どんなはみ出し方をするか楽しみです。山崎さんは、どんな役でも安心して観ていられるところがあって、さいきん富にいろんな表情を見せ始めて。キャパの広さを感じています。今回は(長女の不倫相手と次女の夫という)どちらも浮気する夫の役です。でも二人のキャラクターが違っていて、片や(次女の夫は)働く男の頼もしさとずるさをあわせ持ち、片や(長女の不倫相手で)女房の尻に敷かれている男と違う役どころを演じ分けてもらうのが楽しみなんです。山崎さんって現実では浮気してない人に見えるところが曲者ですね。そういう山崎さんに浮気する夫を演じさせるとどうなるんだろう?っていう期待なんでしょうね。でも、浮気しそうにない人も浮気するじゃないですか(笑)」

――この作品は発表されたときから反響が大きいですが、木野さんとしてはお客様はどんなところに期待を持たれていると思われますか?

「やっぱり向田邦子さんの作品をこの六人でやるということでしょうね。この顔合わせはありそうでなかった。特にドラマのキャストとは、大きく違うと思います。ドラマのキャストは皆さん、昭和の大人の女たちでした。加藤治子さん、八千草薫さん、いしだあゆみさん、風吹ジュンさん。四人とも成熟した大人の女性だなと思います。じゃあ今回は大人の女じゃないかというと、そんなことはありません。でも“女らしい”というよりは“自分らしく”生きている女性たちだと思うんです。自分に正直に、マイペースに我が道を歩いている。そういう四人が舞台に乗って、阿修羅とどう向き合うか楽しみなんです。やはり見どころは“四人の女”対“二人の男”と、阿修羅との戦いですね。ご期待下さい」

インタビュー・文/中川實穗