ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下、KERA)の最新舞台作品となる、3年ぶりのKERA・MAP#010『しびれ雲』。今作は2016年に初演し、2019年に再演した『キネマと恋人』の舞台背景となった架空の島“梟島(ふくろうじま)”に生きる人々が描かれる群像劇だ。キャストに井上芳雄、緒川たまき、ともさかりえ、松尾諭、安澤千草、菅原永二、清水葉月、富田望生、尾方宣久、森準人、石住昭彦、三宅弘城、三上市朗、萩原聖人という、魅力的な顔ぶれが揃うことにも注目と期待が集まっている。
本格的な稽古を前に、いまだベールに包まれているこの新作について、『キネマと恋人』にも主要な登場人物である<森口ハルコ>役で出演していた緒川たまきに、どんな作品になりそうか、また今作での自身の役柄についてもヒントを語ってもらった。
―KERAさんは稽古をしながら台本を書き進めるスタイルとのことで、まだわからないことも多い時期かと思いますが、現時点でお話を頂ける作品のヒントなどはございますか?
これはお話して構わないと思いますが、今回は<ハルコ>さん(前作『キネマと恋人』で緒川が演じた役)は出てきません(笑)。この『しびれ雲』というのは『キネマと恋人』の物語の背景となった梟島(ふくろうじま)の、島の人々の日常のスケッチを書いてみたいというKERAさんの発想から生まれたものです。もともとのプランでは『キネマと恋人』に出演していたキャスト、わたしを含め、ともさかりえさん、尾方宣久さん、三上市朗さん、この面々は同じ役で考えていると聞いていました。
でも、いよいよ今作を具体的に考えるにあたって、KERAさんは悩みます。『キネマと恋人』を観てくださった方はおわかりかと思いますがハルコさんのだんなさんである三上さん演じる<電二郎>さんは、家庭内暴力的な人物で、前作ではハルコと洒落にならない別れ方をしているんです。ですから『しびれ雲』の物語の時代を、前作の前にしても後にしても、あの二人の夫婦関係を知っている方はどうしてもそういう目で見ることになる。また、初めてご覧になる方にとっては、この人たちをどう見たらいいのかという材料が足りないことにもなりかねない。KERAさんはこのことを“電二郎さん問題”と言っていました(笑)
今回、『しびれ雲』で描こうとしているのは軽やかで明るさを持った日常のスケッチだということを考えると、”電二郎さん問題”が首をもたげたら、作劇上むずかしいということになったんです。
――電二郎さんのキャラクターが重なってくると、その影響が大きいと。
はい。ハルコさん含め、人物造形に制約があるだろうと。それならばいっそ、すべて新しい人物にしようというところに着地しました。たとえば小津安二郎監督の作品では、同じキャストで同じような設定だけれど別の人物というのもありますし、KERAさんとしてはそういう感覚で、前回<ミチル>を演じたともさかりえさん、そしてハルコを演じた緒川は、前作同様に姉妹の関係になります。
――なるほど。名前は違うけれども。
そうですね。名前も、置かれている背景も違う、でも同じ梟島で生きている、どこか似たような姉妹。あとはすべて新しい人物相関図。これが今日の時点で私が把握できている最新情報です(笑)。
――それをもとに、KERAさんが台本を書き進めているところなんですね。
日常のスケッチですので、家族関係であるとか、隣人や友人関係がとても重要な意味を持ってくるのでしょうね。今はそこを丁寧に作っている最中です。私が演じる女性は未亡人で、亡くした夫の七回忌のために、みんなが集まるところから始まります。
――そこから先は、まだこれからだと。全体的な狙いとしては、どんな作品になりそうだと思われますか。
現時点で聞いているキーワードは、小津安二郎監督作品と岸田國士の戯曲。誰が嫁に行くだの、誰が誰をちょっと好きなんじゃないかとか、本当に他愛もないことを軽やかに描写したいと。誰かと誰かがケンカをしても見ている人が「そんなことでケンカして」って言いながら、安心して見守れるようなケンカ。KERAさんは岸田國士幕劇コレクションというのを過去に二本上演していまして、その時にもあった岸田作品の持つ飄々とした感じも、大いに参考にしたいそうです。同じ日常でも、岸田國士さんの書かれたものはモダンだったり、ちょっとヘンテコリンだったりするんですけど、そういう明るい空気感があるかもしれないとのことでした。きっと、ホッとする作品になるんじゃないかと思っています。
――設定は同じ梟島ですが、作品としては『キネマと恋人』はエンターテインメントで、今回は日常のスケッチとなると、雰囲気的にはかなり変わって来そうですね。
そうなると思います。『キネマと恋人』はファンタジー要素が核になっていましたが、そういう現実にあり得ないような出来事は今回は出て来ないだろうと思われますので。今作は群像劇という点でも違います。でも、共通する魅力もあると思います。梟島の人たちの持ち味である、のんきな感じ。戦争の影がまだない、戦前の日本人が持っていたおおらかさ、明るさみたいなもの。それと、梟島の方言はまた使うことになると思います。
――あの方言は独特でしたから、きっとそうなんだろうなと思いました(笑)。
初めてご覧になる方はきっと「なんなんだ、この方言は?」とお思いになるかもしれませんけど、きっとすぐ慣れていただけるはずです(笑)。
――難しい言葉遣いではないですし。ちょっとクセのあるイントネーションの、この作品ならではのオリジナルの話し方。
ええ。聞いていて意味がわからない、ということはほぼないと思います。でも、どの土地でもそうでしょうけれど、訛りというか、話す言葉というものはどこか人格形成に関わるところがあると思うんです。あの方言が、梟島の人たちの通奏低音になっていることを感じ取ってもらえそうです。
――緒川さんは、あの訛りは今も……。
忘れていないですね、いつでも変換できそうです(笑)。『キネマと恋人』の時は、セリフ以外の普段の言葉もあの方言のイントネーションでついつい言ってしまったり、あるいは意識的にそのように話していましたから。なぜかというと最初から台本が全部あるのではなく、稽古をしながら少しずつ手元に来ますので(笑)、それをすぐさまその土地の言葉として話せるように身体に染み込ませていたんです。おそらく今度も稽古が始まれば私だけじゃなく、みんなあの言葉遣いになっていくんじゃないでしょうか。
――KERA作品としては、今年上演されていた『世界は笑う』に続いてまたも群像劇ということになりますね。
そうですね。『世界は笑う』は、新宿という都会が舞台で、登場人物それぞれが地元から離れ、勝負に出てきている物語というものでした。同じ群像劇でも、この『しびれ雲』の梟島の人々というのは、そこで生まれ育って、この先もずっとそこにいるであろう人々。この土着感によって、両者の風合いは全くちがうものになると感じています。『世界は笑う』は、生きる上で危険を伴う感じに惹きつけられましたが、こちらは柔らかなものに包まれることになりそうです。
――真逆の世界観になるのかもしれませんね。
はい。すごく安穏な世界という感じがします。
――同じ群像劇とはいえ、場所が違うだけでもそれだけ変わって見えるという面白さが味わえるかも。
ええ。誰も勝負には出ない世界で(笑)。
――もし勝負に出ても誰も相手にしないというか(笑)。
まさしくそうですね(笑)。『世界は笑う』で私が演じた<トリコ>は、みっともなかろうがどうだろうが、勝負に出ることが自分の生きざまだ、というような人物でした。でも『しびれ雲』では、まったくそういう要素のない役になると思われます。今回は私、梟島に癒されに帰ってきたという感覚もあるんです。それから、梟島のハルコさんがミチルを想う時の、妹を心配しているんだけど、その妹に自分も慰められているところもあるという、あの姉妹ならではの感覚も恋しいような、懐かしいような気持ちがあって。今回はミチルという名前ではないけれど、ともさかさん演じる妹とまた姉妹役ができるのが、とてもうれしいんです。
――微笑ましい姉妹でしたね。とても仲良しで、でもケンカもするんだけれど。
私、姉妹というものに憧れがあるんです。本当にミチルみたいな妹がいたら、なんでもしてあげたくなってしまう。妹がちょっとすねたり、わがまま言ってくれたりすることが可愛くて。あの感情を再び味わえるのかと思うと、うれしくてなりません。
――ともさかさんと、またご一緒できることに関しては。
他の作品でご一緒していないせいかもしれませんが、私の中ではともさかさんとご一緒する、イコール、ミチル、なのです(笑)。
――では、久しぶりに妹に会える感覚ですか。
そうなんです。別の機会にともさかさんが出演されている舞台を拝見する度、ともさかさんの別の魅力の素晴らしさに感銘を受けて尊敬しています。でも、共演となるとやっぱり、ミチルとして見ちゃいそうです(笑)。
――改めて、KERAさんの書かれたもの、特に群像劇の魅力については。
「くだらないことでケンカしたね」とか、「くだらないことで笑ったね」とか、そういうことを共有し合える者同士が描かれるとき、KERAさん独自の魅力が注ぎ込まれると思います。登場人物が相手を怒らせたり、おっちょこちょいなことをやってしまったとしても、それがその人の魅力にいつのまにか昇華されるような、そういうところ。きっと今度も、完璧な人物など誰ひとりいなくて、どこか欠けている人々が出て来るお話になると思います。でも観た後に「自分も少し欠けた人間でいたいな」と思えるような、そんな価値観が生まれる作品になるのではないでしょうか。ただ、昨日KERAさんから「ハルコとミチルほど子供っぽいと、他の人もそれに合わせないといけなくなるから、あそこまでにはしないつもり」みたいな発言がありました。
――では、もう少し抑えめに?(笑)
抑えないといけないかもしれません(笑)。特にミチルは、ちょっと突っ走り過ぎるから。
――世間知らず過ぎる?(笑)
危険な恋に走り過ぎる(笑)。なので、あそこまで危険な姉妹にはしないと言っていました。
――確かに、素晴らしいスーパーマンのような人はいないけれど、本当に悪い人も出て来ない気がしますね。
少しくらい悪いところがあっても、「なんだか許せちゃうね」というところに着地する人って、魅力的ですものね。「この人のこういうところイヤだなあ」って思っていたはずなのに、だんだんと素敵に見えてしまうような。そういう目が養えるような作品になると、観てくれる人にとっても私たち出演者にとっても平和だなあと思います。
――観劇することが、癒しにつながりそうです。
きっと今作は、リラックスした心が手に入るようなものになるんじゃないでしょうか。
――梟島に、ちょっと遊びに行った気分になれるかも。
そうです、ぜひ来てください、梟島に! 梟島はどこにあるかわかりませんが、きっと誰でも遊びに来られる場所にあるんです。
――では、お客様へ向けてお誘いのお言葉をいただけますか。
『キネマと恋人』という作品を上演後、ご覧になった方からよく「梟島の人たちにまた会いたいな」なんて言っていただいていました。それが『しびれ雲』の誕生につながったと思います。『キネマと恋人』をご覧になってない方にも、“会いたかった人たちがそこにいる”という感覚をきっと味わってもらえるタイプの作品です。事件を目撃しているような強烈な刺激はないけれど、その場で島の人々と一緒に楽しく過ごし、観終わった後に「ああ、また皆に会いたいな」と思ってもらえるような。そんな感じの観劇体験になることをお約束します!さらに言うと、里帰り気分も味わっていただけそうですし、あるいは、梟島が最適な旅先にもなります。本当に、そうなんですよ!
――本気でそう思われていることが伝わってきます(笑)。島の人たちと現地で交流できるような、その生活を少し覗き見るような。
そうですね。戦前の日本人が持っていたおおらかさは、今を生きている私たちには眩しいくらいですが、私たちの奥底にも実はまだあるんじゃないでしょうか、力強いおおらかさが。それを思い出させてくれるような作品になると期待しています。心がふさぎがちな時にもいい処方箋になると思います。
――最近は嫌な出来事が続いていて、ギスギスした心持ちになっている方も多そうですが。
なかなか日本人として胸を張れないようなニュースも多いですしね。「でも大丈夫、奥底にいますよ、力強いのが!」ということを、この作品で感じていただければうれしいです!!
取材・文/田中里津子