白鳥雄介が作・演出を務める演劇ユニット・ストスパの第4回公演『エゴイズムでつくる本当の弟』が、本日7月19日(水)より、東京の下北沢・小劇場B1で上演される。開幕が迫る7月半ば、その稽古場を取材した。
ストスパは、2018年に「Stokes/Park(ストークスパーク)」という名前で旗揚げした。名前には「Stokes=火をくべる」「Park=公園」というふたつの単語を掛け合わせ、「劇場にいる誰もが情熱を燃やす場所」という想いを込めているそう。誰もが馴染みやすいようにと、2023年に改名した。”ストスパ”として初の公演を迎える今作は、白鳥自身の家族関係をモチーフとしたコメディを描く。白鳥の家族の、約30年にわたる歴史だ。結婚や子どもの誕生を通して人生が大きく変化している今、家族の在り方を見つめ直そうと感じたのだという。
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家族のことを考える機会が増えました。
結婚し、子を育て、久々に会う母親の身長が妙に縮まっているのに気付いたのは最近のことです。
4回目の本公演は、我が家をモチーフにしたお話です。
僕には大切な弟がいます。血は繋がってません、でも弟です。
弟と僕、それぞれの視点を通して、家族の在り方を見つめ直そうと思っています。
とはいえ!コメディです!!!!
34歳にもなってまだ夢を追って、自由気ままに生活している僕と、同じ話を何回も楽しそうにする母親、ゲーム廃人の兄、すぐ実家に帰ろうとする兄の嫁、勉強ヲタクの親父に、ミネラルウォーターの事業に大失敗した弟の実の父親っぽい人も出てきます!あの時、人が膝から崩れるのを初めて見ました!
まともそうな登場人物は僕の奥さんっぽい人だけです!!
僕含めどうしようもない家族ですが、大好きな家族ですから、笑っていくことに決めました!
弟を家族として迎え入れるまでの、笑いたいんだけど、泣くことが多かった頃のお話です。
(白鳥の上演コメントより抜粋)
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白鳥のコメントにもある通り、劇中では賑やかな家族が登場し、離婚や借金、連れ子、引きこもりといった言葉に関連するエピソードが次々と展開される。ひとつの家庭のなかで起きる出来事にしては、あまりにも劇的で、家族をモチーフにした”つくり話”だと感じる人が多いだろう。しかしこれらは、ほぼ、白鳥の家族の”実話”なのであるーー
稽古は林ミツオ(秦健豪)のシーンから始まった。劇中、白鳥の家庭は「青嶋家」として描かれる。青嶋ユウスケ(丸山港都)は、青嶋家の次男であり、白鳥雄介“本人”の役だ。兄にダイスケ(青地洋)をもち、ミツオは彼らの弟にあたる。しかし、”林”ミツオという名の通り、2人の兄とは血縁関係が無い。ユウスケ・ダイスケの父、ケンスケ(大内厚雄)と母のセツコ(森下ひさえ)は離婚しており、ミツオは、セツコの後の夫、林シゲオ(賢茂エイジ)の息子なのだ。ミツオとふたりの兄の関係性は、作中の軸として描かれていく。
ミツオは寡黙な性格だ。彼を演じる秦は、役の落ち着いた雰囲気と同様に、白鳥の演出に対して冷静にうなずいていた。一方で、ユウスケと会話をするシーンの稽古へ移ったとき、ふと、「迷っていることがあって……」と口をひらく。物語の終盤、ミツオがユウスケに向ける視線によって、話の展開が大きく動く場面であった。どの台詞をきっかけに、どのように視線を動かすと自然なのか、白鳥へ丁寧に確認をする。秦が実直に重ねたブラッシュアップは、稽古場の引力を高め、前のめりで観劇したくなる芝居をつくりあげていた。
ユウスケ、つまり白鳥自身を演じる丸山は、本人を目の前にして芝居をするという、何とも珍しい状況である。しかし緊張する様子はなく、真摯にユウスケの性格と向き合っていた。ユウスケがどういう感情でこの言葉を発しているのかーー気持ちの動きに対して不安が残る箇所がでてきた際、丸山は白鳥へ「台詞が、まだ自分の身体に馴染めていないからかも」と前置きをしながらその不安を打ち明ける。すると白鳥は「私が台本を書くときに選んだ言葉が、分かりづらかったかもしれない」と応え、自身の”実話”の経験を辿りながら、演劇にするうえでの最適解を模索していく。俳優も演出家も謙虚に、ただ気になるところはしかっりと伝え、細やかな対話を行なっている様子が、心地の良い創作環境であった。
その後も、複数のシーンを取り出して、きっかけや動線を確認する作業が続いた。なかでも面白かったシーンを3つ紹介したい。
一つ目は、「スーパーでの買い物」。シゲオを次の夫として迎えた後、青嶋家の”団らん”は、夜遅くに全員で夕飯を買いに行く時間だった。勉強熱心でしっかりとした前の父のケンスケと異なり、シゲオは言動に荒さが目立つ。買い物で惣菜を選んでいるシーンの最中で彼は、周囲から冷たい視線を浴びるような行動を繰り返すのだ。例えば、安い惣菜を手に入れるべく、半額シールを貼る店員の目の前に立ち、その作業が終わるのを目の前でじっと待機していたりーー日常で時おり見かける「ちょっと嫌な人」だ。よく言えば、買い物上手でもあるのだが……。シゲオを演じる賢茂は、アドリブも呼吸をするように出てくる。彼の荒さを見事に演じていて見どころのある場面だった。
二つ目は、「ニュースキャスター×レポーター浅倉」。劇中ではニュースの中継シーンが描かれる。ニュースキャスターを大内厚雄、レポーター浅倉を、シゲオと同じ賢茂が演じる。青嶋家にとって衝撃のニュースが報じられる場面ではあるが、キャスターとレポーターのやり取りが、まるでコントのようなので、笑わずにはいられない。俳優経験の豊富な大内と賢茂による絶妙な間のコント劇は、ぜひ注目してほしい。
三つ目は、「タマコとチエ」。彼女たちは、ユウスケとダイスケのそれぞれの嫁である。落ち着いた性格のタマコ(飛世早哉香)に対して、チエ(小山百代・木村友美)は明るくて無邪気。そんなふたりの共通点は、異なる家庭から青嶋家の一員になっていること。このシーンでは、チエがタマコに心の内を語るのだが、そこには、同じ過程を経て青嶋家で出会ったふたりの間だからこそ交わせる会話が生まれていた。とても美しい時間だと感じた。
ここまでで、内田めぐみと株元英彰が演じる役について触れていないのだが、敢えて伏せておきたい。内田の柔らかい表情や、株元のキリっとした声のひびきは、様々な感情が交差する青嶋家の環境に優しく寄り添う、貴重な存在だ。劇場で目撃してほしい。
最後、一連の流れを通しで確認し、その日の稽古は終了した。
「えぐられますね。」
稽古の合間で、白鳥がこぼしていた言葉だ。家族の実話を作品にしているので、これを演出するという行為には、自身の過去の経験を鏡写しのように見つめるという試練が伴う。身近なところで例えると、録音された自分の声を聞き返すときに受ける感覚、とも似ているだろうか。恥ずかしいし、とても聞き続けてはいられない。しかしこれはもっとスケールの大きい話、自分の”人生”を振り返っている。さらにそれを「実話である」と明かしながら、他者である観客に見せるのだ。非常に勇気のいる挑戦だと思う。
最後の通しを見学していたとき、青嶋家の言動の端々に親近感を覚え、家族を懐かしく想う瞬間があった。ミツオが兄に対して感じている気持ちや、母のセツコが子どもたちに繰り返す台詞などだ。あまりに劇的な話が続くので、実話だと明かされなければ、演劇の“つくり話”として、ただ受け流して観ていたかもしれない。「実話です」と明示しながら上演していたことで、この出来事が現実で起きていたのだと心にフィルターをかけて観劇をする。各キャラクターをよりじっくりと見つめたくなるのだ。そのおかげで観客は、自身の家族の経験と結びつく瞬間に多く出逢う。新たな考え方を見つけて心が軽くなったり、自分の家族に想いを馳せて幸せな気持ちになる人もいるかもしれない。エゴイズムと銘打たれたこの“実話”は、演劇を通して最高のオルトルイズムな話に生まれ変わっているように感じた。観客のことも想ってつくられた丁寧な作品だ。
「えぐられる」と語りながらも白鳥は、「どんなことも笑って終わりにしたいんです。」と笑顔で話す様子が晴れやかで印象的だった。観劇する我々も、観劇後はきっと笑顔になっているのだろう。開幕がとても楽しみだ。
取材・文/臼田菜南
写真/金子裕美