『The Silver Tassie 銀杯』 稽古場レポート

2018.11.08

中山優馬、矢田悠祐、横田栄司、浦浜アリサらが出演する舞台「The Silver Tassie 銀杯」。アイルランドの作家、ショーン・オケイシーによる一筋縄ではいかない反戦悲喜劇を、森新太郎が力強く多彩な演出で描き出す。稽古も佳境に入ってきたと聞き稽古場へとお邪魔してきた。

 

物語の舞台は第一次世界大戦中のアイルランド。優秀なフットボール選手で、軍人として戦地に召集された青年ハリーを中心に描かれる。
反戦劇となれば、鬱々と暗く、恨み言や怒りばかりで気がめいってしまうようなイメージがあるかもしれない。しかし、冒頭からそのイメージは覆されるだろう。中山優馬演じる主人公のハリーはフットボールの花形選手。休暇をもらい故郷ダブリンに帰還中だが、フットボールの試合のあったその日は、まさしく休暇最後の日。戦地へ戻る船の出航時間が刻一刻と近づいてきている。そんな中、ハリーの試合結果、つまり銀杯(優勝カップ)をもって彼が試合から帰ってくるか否か、両親(山本亨、三田和代)や近所の人々(長野里美)は、他愛もない会話をしながら待ち続けていた。そんな日常生活の場面から、この芝居の幕は開く。だがその場面の会話はこれが戦時中の会話?と思うほど、とってもコミカルで楽しい。中でも浦浜アリサは、信心深さゆえにやや周囲から煙たがられる女性スージーをベテラン勢を相手に、堂々と演じ切り、そして時にハリーにむくわれぬ片思いする可愛らしさも見せて印象的だった。そこに群衆と共に、ハリーが銀杯を抱えて帰ってくる。そこからハリーの中山を中心にして出演者全員でうたう、タイトルにもなっている「The Silver Tassie 」はまさに圧巻! ぜひ劇場でもう一度聞きたい!と素直に思ってしまった。親友であり戦友でもあるバーニー(矢田悠祐)や恋人のジェシー(安田聖愛)と出立のぎりぎりまでにぎやかに過ごすハリー。戦地に向かうということがどういうことなのか、おそらく誰もがわかっている。そう考えると、日常を描いているようで、何かを否定したくなる気持ちが湧き上がってくる。勝負事に熱くなる若者たちの血気盛んな姿に、何かを重ねずにはいられないだろう。
次のシーンでは戦地の最前線の様子が描かれるが、まだ稽古の段階ながら、その異色さに圧倒される。文楽人形のように、だが文楽人形よりもっと大きい等身大の人形を操り、戦争という異常性をまざまざと見せつけられた。人形であることでディフォルメされ、よりくっきりと戦地という非日常な空間を映し出していたのである。ここに舞台セットや照明などの効果が加われば、より鮮烈なひと幕になるに違いない。その人形たちの中には、ハリーの隣人のテディ(横田栄司)と思しき兵士もまじっている。一幕のテディはいわゆる亭主関白的な横暴な夫として登場するが、この戦地のシーンでは雨降る塹壕の中で必死に生き抜いている哀れな一兵士。その対比が切なく胸を打った。そして唯一、“人間として”(この意味は舞台をご覧になって頂ければよく分かって頂けるはず!)登場する矢田悠祐演じるバーニーは身動きのとれない状態におかれながらも、次々と魅力的な歌をうたっていく。ミュージカルで彼を見続けてきた観客にとっては矢田の新たな一面にも出会えるはず。必見だ。
後半、負傷したハリーが戦争によって何を失ったのか、まざまざと、静かに見せつけられるシーンが次々と展開していく。中山は限られた動きの中で、身からあふれ出る激情を見事に表現していた。

ハリーをはじめ、戦争を経験した者たちの想いがどこに行きつくのか。そしてそうした人々を傍観しながらも日々の生活をたくましく生き抜かなければならない人々たちもいる。そうした様々な立場にいる人たちの感情が、観る者に、いろいろな想いをおこさせていく中で幕は閉じていく。
ハリーはチームの花形ではあったが戦場の英雄ではないし、数多くいるありふれた軍人のひとりにすぎない。それでも、戦争がなければ約束された幸せがあった。戦争の悲惨さに怒ればいいのか、泣けばいいのか。そんな単純なものではない、戦争という時代を生きた人々の日常が本作では描かれている。日常を生きなければならない人々の、それぞれの事情があり、そこを丁寧に描いているのがこの作品の魅力のひとつだろう。

また、音楽も本作の特筆すべき魅力。決して仰々しく歌い始めるのではなく、まるで語り掛けるように歌唱が入り、歌声がするりと心に染み入ってくる。劇中の折々でいろいろなキャストが歌を披露するが、中山は終盤でウクレレを弾き語りするので要注目だ。
本作は90年前の作品でありながら、古臭さは驚くほど感じられない。それは抽象的に戦争を見せていく第二幕の挑戦的でむしろ新しく感じる表現や、人の生きざまや脆さ、逞しさなど現代に通じる人の本質的な部分を丁寧に描いているところにあるだろう。そして、そうした人間の普遍的な部分を演じることこそ、役者にとって難しいものはない。英雄でも堕落者でもない、ただ人生を全うしようとしたごく普通の人間を丁寧に演じることは、中山をはじめ多くのキャストにとって挑戦となるだろう。彼らが舞台上で見せる“生きざま”を、ぜひその目で見届けてほしい。

 

撮影/細野晋司