スペインの伝説的戯曲「血の婚礼」が、栗山民也の演出で2024年12月に東京・兵庫で上演される。主演を務めるのは、舞台をはじめドラマやバラエティなどでも活躍する中山優馬。実際に起きた事件を基に描かれた作品で、それぞれの家族の期待を背負いながら結婚式を迎えようとしている一組の男女のもとに花嫁の元恋人が現れて、悲劇的な結末へと向かっていく剝き出しの愛の物語だ。この重厚な舞台に、中山はどのように挑むのか。話を聞いた。
――台本を読まれて、どのような印象を持たれましたか。
シンプルなお話ではあると思うので、起こっていく事件などは分かりやすいのですが、そこに渦巻いている感情や情熱みたいな、台本からは得られない情報がたくさん詰まっているんですよね。読んでいて面白い台本ではあるけど、台本を読んでいるだけではわからないものがたくさん渦巻いている印象でした。作家の方の引き算の美学というか、役者に任せられている部分が多いように思います。
――今回演じられるレオナルドはどのような男だと捉えていますか。
すごく人間らしい男だと思います。もちろん、時代背景や文化、風習というところが作品に落とし込まれているので、そこの違いはありますが、現代人でもこういう風に生きられたら楽しいだろうな、と思わされる一面もあります。葛藤のもとにずっと人生を生きてきたんだろうし、守るべきことや許されざることをわかっていながら、あの結末にむかっていくというのは、現代では絶対に出しちゃいけない部分なので。でもきっと、みんなそれぞれにそういう部分は抱えていると思うし、自分にもあるかもしれない。人を傷つけたり、法に触れたりすることはもちろんやってはいけないけれど、人生で一度くらい、理性を脱ぎ捨てて何かしらの行動を起こす瞬間があってもいいんじゃないかと、そう思わされるようなキャラクターです。ちょっとだけ憧れもありますし、強さと弱さの両方を持っているキャラクターなんじゃないかな。
――役に入っていくために、どのようなことを考えていらっしゃいますか。
まずは、僕がレオナルドのことを理解して、好きになって、愛して…そして恋人役を愛していくことが1歩になると思います。小細工がまるで通用しない役だと思うんです。そんな小細工ができるような能力も無いんですけど、セリフをこうしてやろうとか、こんなキャラクターにしてしまおうとかは、何も持っていなくて。ただただ、生きているということ、そこへのアプローチの仕方がよくわからない。激動すぎるので。きっと、今の僕がリアルに生きている世界よりも、圧倒的に情報や物が少ないと思うんです。食べるものも、飲みものも、娯楽も。感情が100あるとして、それをちょっとずついろいろなものに割り振っているとしたら、割り当てるものが少なければ、現代なら少しの喜びでも、きっと感じ方が違うと思うんです。文化や風習を裏切るって、その世界では絶対にやってはいけないことだし、血がそうさせるとか、あいつらの血が、みたいなセリフが良く出てきますが、きっと拠り所がそこしかないんですよ。生まれ持った業のようなものがずっとあるんだろうな、という部分は頭で理解して組み立てなければならないと考えています。
――今の価値観で解釈しちゃいけないキャラクターということですね。
最終的には、結婚しようとしている元カノを連れ去るわけじゃないですか。それは絶対にやっちゃいけないことだけど、それを自分はレオナルドとして正当化したいな、と思うんです。レオナルドも馬鹿じゃないので、そんなことは理解しているし、そうする気もなかったはず。何かが違っていれば絶対にこうはならなかった。多分ですけどね。そこは論理的に解明できないんじゃないかな。解明できるなら、きっとやっていない。説明がつかないそれを愛と呼んでいいのか、美しいと捉えていいのか、それとも下劣なものなのか。それすらも判断がつかない。その情熱、心の在り方をどう表現したらいいのか…表現しよう、と思っている時点で、きっと追いつかないんですよ。台本にも書かれていない部分なんです。
――以前、論理的に役を捉えるタイプとお話されていたかと思うんですが、今の時点で共感できているところや、まだ理解できていないところなどを教えてください。
自分と似ているとかは思わないですけど、わかる気はします。単純に言えば、そう思うくらいに好きだったんだな、という感情はわかる。やっちゃいけないことだと理解しているのもわかる。愛ってそういうものなんだろうな、という感覚はあるんです。お国柄とか文化、時代背景はありながらも、普遍的なテーマとして現代の演劇にも残るくらいですからね。そこに生きてきた人たちが、自分と同じような感情のもとに生まれ、生きてきたんだろうなと思うし。現代でも、身分差があって一緒にはなれないとしたら、嫌だなって思うから。そういう感情の部分ではわかるような気がしています。わからないところもたくさんあるけど、感情としては分かり得る余地がありますね。
――映像作品にもたくさん出演されていますが、映像と舞台でお気持ちの違いなどはありますか。
気持ちの面ではあまり違いはないかもしれません。ただ、舞台はノンストップ。台本があって、台本通りに進めていくんですけど、前のシーンを引きずるし、前の日の芝居も引きずったりもする。結末は同じでも、そこに至るまでのルートが違うんですよね。作品の2時間とか3時間の集中力は絶対的に必要になるので、舞台では継続する力が必要になる気がします。映像の場合は一瞬でカメラの画角内でできるベストな表現を選んでいかなきゃならないですが、舞台は全身を使うし、そのステージに立っていることも表現のひとつになってしまうので、そういう部分ではスリリングですね。舞台では、顔だけ作っていても伝わらないですから。存在をまとうというか、人生を投影して立つというのは、難しさでもあるし、魅力でもあります。
――舞台に臨む際に楽しみにしていることや、個人的なこだわりなどはありますか。
こだわりは全然ないんですよ。楽屋も誰かと一緒ということも多いですし、そうなると譲り合いですからね。誰の暖簾にする?とか。ストレートプレイだと、その日のテンション感とかがすごく伝わってしまうので、自分のテンションによって他の演者さんも左右されるだろうし、自分もみんなのテンションに左右されてしまう。それで生まれる変化はすごく楽しみです。毎回、理想とするところがみんなにあって、そこに行けるようにみんなでやっていくんですけど、どうしても越えられない時もある。だからって、1人で勝手に行こうとすると、それは嘘つきというか、偽物になっちゃうんですよね。理想と違っても、みんなで行けるベストに出合っていくしかないんです。だから、終わってみると昨日の公演と何か違ったね、っていうことが多々あるんですけど、それが良いか悪いかは僕らが決めることじゃないんですよね。ただただ、嘘をつかないということだけに一生懸命にやる。それで起こる変化がすごく楽しみで、だから舞台ってずっとやっていられるのかも知れません。
――栗山民也さん演出作品に出演されるのは3度目になるかと思います。栗山さんの印象についてもお聞かせください。
栗山さんの中ではもう、出来上がっているものがあると思うんですよね。あとは役者にヒントを与えながら、出てくるものを引き出してくださるような感じがします。何か、見抜かれているような感じなんですよね。稽古時間もそんなに長くないですし、怒られるようなことは無いんですけど、ヒントを貰ってそれが次の日に体現できているかどうか、みたいな厳しさは感じます。前にご一緒したのは『ゲルニカ』だったんですが、「全身に電気が走るように」「ちょっとここでブレイクダンスっぽい動きを入れてみて」っていう独特な演出がありましたね。稽古は結構早く終わるんですが、終わってからブレイクダンスを練習していました(笑)。
――栗山さんは今回レオナルドの役をお願いするにあたって、言葉を体現することの後ろに舞台に立ってヒリヒリするような感覚を持っていて、それを共感できる人がいいと考えて、中山さんの名前を挙げられたそうです。
そうなんですか? めちゃくちゃ嬉しいです。舞台に立つときは毎回、怖いですしヒリヒリした感覚があるんですよ。でもそれが毎回楽しみでもあります。そこは、観ている人にも伝わるもののはず。そういうヒリヒリに挑戦したいと思うし、そういう俳優でありたいと思っています。
――中山さんにとって栗山さんとの仕事はどのように感じていらっしゃいますか。
栗山さんは素晴らしい作品をたくさん残していらっしゃるんですけど、照明とか演出、俳優の動きなど、そのひとつひとつは舞台上でもすごくシンプルな構造が多いんですよ。自力が試されていると言うか。舞台に立つということがどういうことなのか、そこが原点なんですよね。戦いが始まっているという感じが、楽しみでもあるし、怖くもあります。でも、栗山さんのディレクションを受けて何かを表現すること、もがけばもがくほど、より良い表現に近づいているという実感もあって、それはすごく楽しいです。
――栗山さんから受け取った言葉や一緒に仕事をする中で感じ取ったことで、印象に残っているものはありますか。
自分に対しての言葉で、何か革新的なものがあったかと言われると、そうでもないんですけど。ディレクションは、自分以外のものも含めてみんなで一緒に聞いているんですけど、すごく良くわかるんですよね。例えば、栗山さんから「ここからここまでのセリフを半分の時間で言ってみて」って言われて、栗山さんの中にはそれで何を起こしたいかはハッキリとあるんです。でも、それを説明したりはしない。合ってるかどうかは分からないですけど、半分に短くなった限られた時間の中で、それだけの情報量を交換できるということは、その2人にはそれだけの絆がそのシーンで生まれている、ということだと思うんですね。そういう感じで、栗山さんのディレクションで、この作品ってこういう方向性に変わっていくかもしれないとか、このシーンにはこういう意味があるのかもしれない、という感覚が自分に入ってくるんです。
――具体的な言葉で言われたわけじゃないけど、栗山さんの意図は理解できるし、栗山さんも自分たちのことを見てくれて、理解してくれているような自信もある、という感じでしょうか。
自信、とも違うんですけど、そうであれば嬉しい、という感じですね。だからこそ、今回こうやって声をかけていただいたことが嬉しいですし、しかも「血の婚礼」という作品で名前を挙げてくださるって、こんなに光栄なことはありません。
――稽古場でみなさんと仲良くなっていくのも楽しみですね。
稽古はわりと早く終わってしまうので、みんなで話をすることが多いんですよ。台本の意味とかを話したりして。これまでもそういう時間は多かったので、今回も先輩方もいらっしゃいますし、いろんな話を聞いて、話して、みんなとの密度が濃くなっていくんじゃないかな。やっぱり、一人だと限界があるんです。だから、みんなの意見が聞きたい。男女でも考え方に違いがあるだろうし、そこは台本にもあるので。男が考える愛とか、好きな人が欲しいという感情と、女性から見る男の人を手に入れたいという感情って、同じようで全然違う。一緒に居たいという結果は一緒なんだけど、そこにたどり着くまでの考え方が違ったりするので、そういう部分はやっぱり知りたいですよね。
――今回の「血の婚礼」をどのようにみなさんに届けたいですか。
正直なところ、受け取る人のことはそこまで考えていないんです。今回に限らず、お芝居に関してはいつもそうですね。これを見て、こう思ってほしいとかじゃないんです。単純に、こういう人間が存在したとか、こういう愛の形があった、それをただお芝居で届けただけというか。「血の婚礼」も事実を基に描かれていますし、こういう文化があった、風習があった、そこには戦争が大きく影響していて、風化させちゃいけないことがたくさんある。これを観て、もしかしたら憧れたりする人がいるかもしれない。現代でよかった、って思う人もいるだろうし、どうせ散るなら派手に!って考える人もいるかもしれない。お芝居の中にリアルな命が存在していればいるほど、そうやっていろんな感情になってもらえるんじゃないか。そういうことをやれるのが、演劇ですから。こんなことはあり得ないよね、と思われたら負けなんで。今回も、頑張りたいと思います。
インタビュー・文/宮崎新之
ヘアメイク/二宮紀代子
スタイリスト/柴田拡美(Creative GUILD)
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