大北栄人が主宰する「明日のアー」が3月28~30日に浅草木馬亭で「明日のアーの新喜劇『親切な寿司屋が信じた「3000万あるんですけど会ってもらえますか?」』」を上演する。
手付かずのコントの方法論を模索してきた結果、明日のアーの中に「新喜劇性」を発見したという大北。新喜劇を大真面目に考察し、その枠組みから明日のアーの可能性を拡張しようという試みだが、いかんせん新喜劇のことはわからない。
ということで、「熱海五郎一座」で喜劇を創り続けている三宅裕司に素朴な疑問を投げかけてみることとなった。
2時間の喜劇には人情が必要
大北「僕らがやっている「明日のアー」は、おこがましい言い方ですけどラディカルなコメディをやっています。新しい笑いはないかと常に探しているような団体なんですが、去年やった公演(明日のアーvol.8 本人コント公演『カニカマの自己喪失』)が「どんどん異形のものがやってきて去っていく」という形式になりまして。やっていくうちに「これって新喜劇なんじゃないか?」と気付いたんですね。そこで、今回は新喜劇という枠組みでやってみようということになったんです」
三宅「ここでいう新喜劇って何を指してんの?」
大北「結果的にはよしもと新喜劇のことですね。よしもと新喜劇って、変な人が出てきて一発かまして帰っていくじゃないですか」
三宅「みんな一発ギャグを持ってるからね」
大北「そうですそうです。一方で松竹新喜劇もありますよね。不勉強で松竹新喜劇を見たことがなくて。藤山寛美さんの時代の公演をはじめて見てみたら、もう尋常じゃない量の親切が溢れていてびっくりしたんです。藤山寛美さんはもちろん、脇の人も全員が親切という人情喜劇で、一周回って今っぽいとも思ったんですね。「人には優しくありたい」という姿勢がインターネット上の主流になっているので。
この「新喜劇・人情喜劇とは何なのか?」ということをちゃんと考えたいと思いまして。三宅さんは「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」(SET)を設立する前に「大江戸新喜劇」という劇団に所属されていて、現在は「熱海五郎一座」で人情喜劇をやってらっしゃるので、お話を伺いたいなと」
三宅「「熱海五郎一座」を人情喜劇と銘打って公演したことはないんだけど……。まず、新喜劇に定義はないんだよね。その時代の新しい喜劇っていうことで。昔はお茶の間に1台のテレビがあって、それを子供からおじいちゃんおばあちゃんまでが見てた。ということは、その番組が面白いかどうかの判断は子供がしてもいいし、おじいちゃんがしてもいいんだよね。じゃあ、視聴率を取るために1番いいのは、誰が見ても面白いものを流すことだから。それが大衆喜劇だと思うんだよ。
若い人が何かを作るには、それに勝っていかないといけないから「大衆演劇は古い。僕らがやっていることは新しいですよ」とアピールする必要があるわけですよ。さらに次の世代が出てくるとそれすらも古いものになる。
どんどん時代が流れていって今は一人一人がスマホを持ってるから、もう大衆である必要もない。その人が好きな笑いを選べばいいんです。ただ、視聴率は取れないよね。
音楽もそうで、「THE夜もヒッパレ」っていう番組をやってましたけど、あれは大衆的なヒット曲があるから成り立つんで。全員が知っているヒット曲だから、カラオケ的に違う人が歌っていると興味深く見れるけど、今の時代だとああいう番組はできないですよ」
大北「なるほどまず、テレビがあったことで大衆がいたんですね」
三宅「さっき「一周回って今っぽい」って言ったじゃない。子供から大人まで笑わすとなると、とにかくわかりやすい説明が必要で、それが大衆ギャグだと思うんですよね。それが「優しい」ってことでもあると思うんだけど、古く見えるところでもある。でも、そこが新しく見える場合もあるわけだ」
大北「三宅さんは若いころはモンティ・パイソンとかが好きだったんですよね?」
三宅「そういう笑いがかっこいいと思ってた。若いころはツッパってたから(笑)」
大北「何歳のころですか?」
三宅「20〜25歳くらいだね。ジェリー・ルイスとかマルクス兄弟とかも好きで。もちろんクレージーキャッツも好きだった。ジャズができて笑いもできるっていうかっこよさだよね。ドリフよりもクレージーだったのよ」
大北「クレージーキャッツ映画の印象ですけど、かっこよさがありますよね」
三宅「「かっこよさ」は東京の人間にとって大きくて、その分振り切った笑いができなくて関西に負けてる部分があると思う。吉本新喜劇はとにかく面白ければいいわけじゃない。かっこ悪いとか関係ない。東京は「ここまでやっちゃうと野暮なんじゃないか」とか考えちゃう。上手くいけば音楽ネタなんかはかっこよくて面白い。
おれが好きなギャグで、サミー・デイビスJr.がビッグバンドの伴奏で歌い出そうとするんだけど止めるんだよ。ドラマーに向かって「違う!今のところはタタタカタタタカでやってくれ」って言って、ドラマーはその通りに叩くんだけど、また止められる。何回もやって最後に「違う違う!おれみたいに口でやれって言ってるんだ!」って。バークリー音楽大学とか出てるようなジャズミュージシャンを何人も連れてきて何回も演奏させて、オチがせこいギャグだから(笑)」
大北「ビッグバンドの他の人ら全員無駄ですもんね(笑)」
三宅「めちゃくちゃかっこいいんだよ」
大北「かっこよさがベースにある東京の笑いがあって、今は泥臭く笑いに徹する関西の笑いがかっこいいという逆転が起こっている感じもありますよね。それをまた逆転させようという空気を持った人たちもいますし」
三宅「笑いだけを比べるとそうなんだけど、じゃあ舞台で2〜3時間の喜劇をやるってなったらお客さんを引っ張るために当然ストーリーが必要になるんだよね。ストーリーがあったら、最後は感動が欲しいじゃない。そうすると、人情が必ず出てきちゃう。爆笑に次ぐ爆笑で、ストーリーがあって、人情があって最後は感動するっていうものを今やろうとしてるんです」
大北「それが熱海五郎一座ですか」
三宅「そうですね。SETもそうだし。ストレートプレイというか、シリアスな芝居よりも、爆笑でお客さんの脳をぐにゃぐにゃにしたほうが最後の感動が大きいんだよ。ドンっと涙が出る。お客さんの満足度も高くて、エンターテイメントとしてはそっちの方がいいんじゃないかと思うんだよね」
YMOとサザンから花が届いた
大北「大江戸新喜劇に参加したのはどういった経緯ですか?」
三宅「まず「東京新喜劇」という劇団がオーディションしてるっていうからそこに行っったんだよね。自分の目指してるものがあるかも知れないと思って。ただ「浅草の灯を消すな」と書いてあったのがちょっとまずいなと思ったけど・・・」
大北「当時の浅草はどういう状況だったんですか?」
三宅「もう誰も歩いていないような。シャッター商店街みたいだったんですよ。もう完全に浅草の火は消えてたんだよね(笑)。で、オーディションに受かったんだけど、「東京新喜劇」という名前はすでにポール牧さんがやってるから使えないってことになったの。それで「大江戸新喜劇」に改名したんだけど、東京と大江戸じゃなんか意味合いが違ってくるじゃない。「なんか違うなあ」と思いはじめちゃって。「少年探偵団」というコントグループにも参加したんだけど、そこも主宰者の創る笑いと方向性が違うのでもう自分でやるしかないと思って大江戸新喜劇から15人引き連れてSETを作ったの」
大北「15人引き連れたらあきませんね!(笑)」
三宅「みんなが来たいって言うから(笑)。SETを一緒に立ち上げた作家が社会派で先見的な脚本を書く人で。2作目に書いたのが「コリゴリ博士の華麗なる冒険」っていうんだけど」
大北「カリガリ博士をもじってるんですね」
三宅「コリゴリ博士が発明した異種交配の仕方の書かれた巻物を4本足の鶏を作ろうとするフライドチキンの会社と6本足の牛を作ろうとする牛丼チェーンの会社が奪い合うんだけど、実は博士は腕が4本の人間を作りたかった。腕が4本あれば、機関銃を打ちながら手榴弾を投げられる最強の兵隊になって、その軍事力で世界を制服できるから。薬が完成して、博士がまず自分で飲んでみると本当に腕が生えてきたんだけど、その腕に首を絞められて博士は死んじゃう。
こういうストーリーの中にめちゃくちゃギャグを放り込んだのよ。これだけ強いストーリーだと、どんなにくだらないギャグを入れても壊れない。ストーリーが持つ力に、ここで目覚めたっていう感じかな」
大北「それはおいくつの時ですか?」
三宅「28歳くらいかな」
大北「テレビとかに出はじめたのもそれくらいなんですか?」
三宅「ラジオがちょっと話題になったのが30歳くらいだったと思う。ニッポン放送の大きいスタジオで公演を打ったんだよね。それがディレクターの目に止まって「SET劇場」という5分のコーナーをやらせてもらうことになったの。それを「オールナイトニッポン」を担当してたYMOの高橋幸宏さんが面白がってくれて、オールナイトに呼んでくれてレギュラーになったんだよ。それで「ヤングパラダイス」のパーソナリティになるわけ」
大北「きっかけは高橋幸宏さんだったんですか!」
三宅「あと、アミューズに所属することになって、同じ事務所のサザンオールスターズがひと肌脱いでくれたんだよ。一緒に深夜番組をやることになって、桑田佳祐さんも原坊(原由子)もおれとコントやってくれたんだよね」
大北「サザンも踏み台に!(笑)」
三宅「当時はまだSETは小さい劇場で公演やっててさ、劇場のスタッフもあんまりいい態度じゃないわけ。そこにYMOとサザンからお花が届くのよ。ガラッと態度が変わったよね(笑)」
大北「「浅草の灯を消すな」という劇団からはじまったのに、いつの間にか時代の最先端にいたと」
三宅「生まれ育った環境もあると思う。神田神保町で生まれて、母親が日舞の師匠で、叔母がSKD(松竹歌劇団)で踊ってた。叔父は芸者の置屋をやってたから、周りには芸者さんがたくさんいたしね。落語好きな叔父と西部劇大好きな叔父もいて、うちの親父は8ミリカメラ持ってたから、親戚集めて映画撮ってたりしたから。近くに映画館も4軒あったし、田舎で育った小倉(久寛)とは情報量が違うわけよ(笑)。その環境だったから、高校から落語やってバンドやって、そういう流れが全部あって大江戸新喜劇、SETなんだよ。いろんな運が味方してくれてるよね」
自己犠牲?そんなんじゃねえよ!
三宅「舞台を続けていくと、日本人は人情が好きだよなって気付くんだよね。寅さんとか見ててもそうだし、藤山寛美さんもそうだし。寛美さんは人情が多すぎると思ったりもするけど」
大北「やっぱり親切が多すぎますよね(笑)」
三宅「俺はあそこまではできないなと思うけど、全部をカットする必要はないなっていう。ストーリーには人間のいろんな要素が入ってくるから、当然人情も必要だし。それの出し方によってくさくなるか、かっこよくなるかっていう一線があるということがだんだんわかってきたんだよね」
大北「熱海五郎一座は「東京喜劇」と名乗ってますよね。その人情のバランスをギリギリで保っているのが「東京喜劇」?」
三宅「萩本欽一さんに「大将、東京喜劇ってなんですかね?」って聞いたら、「定義なんてないよ」と。「昔からの東京の軽演劇を知ってる人はもうほとんど死んじゃってるんだから、三宅ちゃんが東京喜劇だって言えばそれが東京喜劇になるから」って言われたんだよね。だから、熱海五郎一座は東京喜劇ってどんどん言っていこうと」
大北「人情好きって日本特有のものなんですかね?世界共通ですか?」
三宅「みんな好きだと思うよ。スピルバーグだってそうじゃない。「E.T.」なんて宇宙人との人情だよ(笑)」
大北「身も蓋もなくなる(笑)」
三宅「「人情」って言っちゃうから古臭くてかっこ悪いイメージになっちゃうけど、感動する要素はどんなものにも必要だと思う」
大北「明日のアーで話した仮説なんですが、昔の松竹新喜劇にあんなに親切があるのは、世の中が荒れていたからなんじゃないかと。みんな優しさを見に行ってたんじゃないかと想像したんですが」
三宅「戦後の混乱期を乗り越えてきた人たち、うちのお袋なんかもそうだけど、食糧事情が悪くて子供を亡くしたりしてるんですよ。そういう世代は泣いちゃうわけよ、舞台で子供ががんばってたりすると。やりすぎてる人情は、無理やりその感情を引っ張り出そうとしてるから許せないんだと思う」
大北「「こんな悲しいことありましたよね」みたいなストーリーで泣かせるなよ、という」
三宅「映画でも「余命何年」みたいなやつよくあるじゃない。これタイトルのまんまだったら殴るぞ!っていう気持ちで観に行って、ストレートにそのまんまだと本当に腹立つよね(笑)。そりゃ楽(らく)しすぎだろって」
大北「人が死んだら泣きますもんね」
三宅「助かっても泣くしね」
大北「昔の小説だと、列車で隣り合わせた人と何気なく話してタバコをあげたりする描写があるじゃないですか。だけど、我々はそういう体験をしたことがない。おばあちゃんに飴玉もらうぐらいはありますけど。そういうちょっとした親切も失われたってことなんですかね」
三宅「物がなかった時代と、溢れている現代では、何かをもらうことの意味も違うんじゃないかな。優しさとして感じるかも変わってくると思う」
大北「三宅さんの体感としては、昔の方が親切な人が多かったですか?」
三宅「うーん、昔の方が多かったかなあ。困ってる人の気持ちがわかるわけだもんね、困難を体験してる人が多いから。なんとかしてあげなくちゃって思うはずだよね。今みたいに電車に優先席を作っちゃったりすると、本当の親切が見えなくなることもあるというか」
大北「不便な世の中だと困っている人が多いから親切も増える。便利になっていくと、困っている人が減るから親切も減る、とも考えられますかね」
三宅「体験してる人が多いか少ないかだと思うな。相手の気持ちをわかってあげられるから。先輩後輩の関係も今と全然違うしね。今でも覚えてるのは、おれの叔父が町内の人たちでお花見をやると。千鳥ヶ淵で若いやつが場所取りするんだけど、他の町のやつも同じように場所取りしてるから喧嘩になるんだよ。もう殴り合いだから。みんなが行くと、血だらけのやつが「場所とっておきました!」って笑ってるんだよね。そこまでしてくれたら感動するじゃない」
大北「そうかなあ!(笑)」
三宅「今だったら「そこまでやることない」って思うよね。「とにかく腕の1本くらい折れても先輩のためにこの場所を取る!」という気持ちが理解できるかどうかで感動の仕方も変わるっていうことで」
大北「自己犠牲が美徳な時代だったのかなあ」
三宅「そんな言葉使ったら血だらけのやつは怒ると思うよ。「そんなんじゃねえ!」って(笑)。笑いも人情も、その時代の背景があるっていうことなんだと思う」
首を吊ろうとするおばあちゃんが……
大北「熱海五郎一座は現代の人情喜劇ということだと思うんですが、そうすると全年齢に向けてやっているということですか?」
三宅「そうですね。メンバーは全員、お茶の間で年齢問わず腹抱えて笑っている場面を体験してるから。ある世代にしかウケない笑いは笑いじゃないっていう考えはあるかもしれない。笑いを説明しすぎちゃうと古臭くなっちゃうかもしれないけど、わかりやすさにも繋がる。どこまでやるかっていうのがセンスの問題で、今の時代にあっているかの基準になってくるのかもしれない」
大北「「わかりやすいギャグとは何か」と考えたときに、「見たことがあるもの」かなと思うんです。「これに似たものを私は知っている」という状態。今までに見たことがないっていうものはわかりずらいですよね」
三宅「これは難しいな。人がやったことがない新しいものって、下手すると回転寿司で悪戯してる奴らの勘違いしてる感覚に似てるかもしれないと思うんだ。誰もやらないことをやって目立ちたいという。人間としての一線を越えて新しいことをやっても、それは新しいとは言えないと思う。ギャグも「そんなことやる人間はいないだろ」っていうようなものは新しいギャグじゃないよね。「そういう人間がいてもいい時代ですよ」と思ってる若い人にはウケるかもしれないけど。どこかで人間として成立していないと、ギャグとして認められないって思っちゃうんだよな」
大北「一方で、笑いには「飽きる」ということありますよね。同じものを何度もみると飽きちゃう。そうすると「ちょっと新しい」という状態が持て囃されると思うんです。テレビの世界はまさにそれですよね」
三宅「でも、ちょっと新しくても消えていった芸人さんはたくさんいるから。残っている人は、新しい中に人間を納得させる要素があるんだと思うんだよ」
大北「三宅さんの中には、普遍的な笑いの核みたいなものがあるんですかね?」
三宅「人間としてのリアリティがあった上でぶっ飛んでるっていうことだと思う。もう誰がやってたのか忘れちゃったんだけど、おばあさんが着物の帯を梁に引っ掛けて首を吊って死のうとしてる。でも、全然帯が引っかからない。それを延々30分やってるんだよ」
大北「ええ!?」
三宅「ぶっ飛んでるけど、人間があるでしょ?(笑)30分のうちに何回か笑いが起こるんです。「いつまでやるんだよ」っていう笑いと、「まだやるのか」っていう笑いと」
大北「確かにすごいギャグだ……。明日のアーの新喜劇公演に、何かアドバイスもらえませんか?」
三宅「もう亡くなっちゃったけど、よしもと新喜劇では木村進さんが大好きだったのね。吉本にいながらスマートだし、面白い顔しないし。くだらないんだけど、表現はスマートにやるのがいいんじゃないかな」
大北「ですよね、そうなるように仕上げます。今日はありがとうございました…!!」
構成・文:張江浩司
写真:明田川志保
【公演情報】
明日のアーの新喜劇『親切な寿司屋が信じた「3000万あるんですけど会ってもらえますか?」』
作・演出:大北栄人
出演:八木光太郎、高木珠里(劇団宝船)、よシまるシン、山村麻由美(青年団)、7A、藤原浩一、金井球、警備員(ハチカイ)
スタッフ兼出演:栗田ばね、張江浩司、トチアキタイヨウ
公演日:2023/3/28(火)~3/30(木)
会場:東京・浅草 木馬亭
詳細・チケットのお申し込みはこちら⇒https://l-tike.com/play/mevent/?mid=683260