連載第5回は、4月にユーロライブで「LOW-KEYED PLAY」を上演したばかりのTHE ROB CARLTONキャプテン、村角太洋が登場。過去2回のテアトロコント出演でも笑いを生んでいた彼らが、7月には三度目のテアトロコント出演を果たす。喜劇を手掛けながら、ずっとコントとの距離を探っていたという村角の語る「コントの様式美」とは?
「コントっぽく」を目指した公演
──村角さん率いるTHE ROB CARLTONがどんな団体かについてはこちらの記事をご参照いただくとして、今回はコントと演劇の境目について伺うという趣旨のインタビューです。THE ROB CARLTONは一貫してコメディを上演してきた団体です。そして、4月に東京で上演された「LOW-KEYED PLAY」はオムニバス形式になっていたこともあり、演劇というよりはかなりコントに近い公演だったと思いますが。
村角 2022年にもユーロライブで2人芝居(「Due deux zwei 2」)を上演しましたが、そのときはお芝居をしようというコンセプトでやっていたので「コントに見えないようにしよう」と思っていました。先日の「LOW-KEYED PLAY」は、内容はともかくとして、照明も、客席との距離感も、演技のテイストをとっても、「コントっぽく見えたらいいな」と思ってやりました。
──それは、具体的にはどのような違いでしょうか?
村角 たとえば演劇をつくるときは、1時間半から2時間観ていただく中で「ここにクライマックスがあるといい」と思いながらつくります。でも、今回はカタルシスを意識しないでおこうと。くだらないことがずっと続いて、パンと終わってもいいだろうというつもりで、クロージングをあまり考えずに作りました。それよりも、中身がどれだけ面白いかの方を重視して。
──なるほど。あの作品は大阪の「中之島春の文化祭」で毎年上演されてきた20分程度のものを4年分合わせて1本にしたものでしたね。その時間のかけ方、4年かけて1作をつくるという時間感覚は演劇的にも思えました。
村角 確かに、プロセスは演劇かもしれません。そのアウトプットをコントっぽくしたことで、我々も今までと違うものができました。ただ、どこまでいってもその「コントに見えるようにする/見えないようにする」というのは結局私側の意識や感覚の問題でしかない気がしていて、難しいですね。
コントを巡るいくつかのフェーズ
村角 今回「コントと演劇のボーダーを考える」の過去の記事を全て拝読してまいりまして。皆さんいろいろと考えてらっしゃるのだなあと思いましたけれども、私も今に至るまでいくつかのフェーズがありまして。
──演劇とコントに対する距離感のフェーズが。ぜひ聞かせてください。
村角 最初のフェーズは、カウンターみたいなところから始まった気がするんです。「俺たちはあえて演劇を選んだんだ、コメディを、喜劇をやるんだ、コントじゃないんだ」というカウンター。当時はもちろんコメディのことだってわかっていない中で、意気込みだけがあったんですよね。そうやってTHE ROB CARLTONで公演を重ねていくうちに、我々関西を拠点にやっておりますもので、ありがたいことに吉本興業の芸人さんとご一緒させていただく機会があったんです。
──おお! お笑いのコントとの接近ですね。
村角 はい。ザ・プラン9のお〜い!久馬さんが主催されている『月刊コント』というライブに呼んでいただきまして。毎回5〜10組の芸人さんに加えて、時によってお芝居のチームがいたり、即席ユニットがいたり。それぞれが持ちネタをやって、それを1本の物語のように繋げていく公演ですね。THE ROB CARLTONが参加したときは、他の皆さんはずっとお笑いの板の上に立ってらっしゃる芸人の方々ばかりだったので、我々の中でいちばんコントっぽいものをやってみたんですが……。やっぱり全然ものが違って、カルチャーショックを受けたんです。
──THE ROB CARLTONのやった「コントっぽいもの」と芸人さんの「コント」が違ったわけですか。
村角 はい。単純に笑いの詰め込まれている数が違いますし、ウケる量も違う。そこで「コントと演劇ってこんなに違うんだ」とはっきりと気付かされました。これは到底勝てないと。それからしばらくは、私の口からはコントという言葉は出さないようになって、意図的にコントを遠ざけるようになったんです。それがセカンドフェーズです。
──THE ROB CARLTONはコントではなく、あくまでも喜劇を、演劇をやる団体であると。
村角 はい。でもやっぱりそこから、コントというものを理解しなければならないと思うようになったんですね。できるかどうかは別として、なぜこれがこんなにウケているのか、こういったものを我々も作れるのか。コントを解析してみようと。意識的にテレビや劇場で芸人さんのコントを観たり、演劇人のコント集のような公演を観てみたり。それによって、コントと演劇の違いがわかるのではないかと。
──何か、答えは見つかりましたか?
村角 それがやはり、ぼんやりとしたことしか出てこないんですよね。ルールがあるわけでもないし、特にその時期からなのか、観たものがたまたまそうだったのか、芸人さんのコント自体、お芝居との垣根が低くなっていったというか、ぐっと広がっていったというか。そんな感覚もあって、なおさらわからなくなって。「演劇は物語を作る意識がある」というご意見も過去にありましたが、でも物語ってなんなんだろう、と。芸人さんがされている5分のコントにも物語はあるわけで。そんな時期が今から3年前くらいまで続きました。解析してもわからなくて、自分がやっているものをコントと呼べる根拠がないので、「小喜劇」と濁してきました。
現時点でのコントと演劇に対するひとつの解
──いよいよ現在につながりますね。
村角 つい最近ですね、ここ1、2年は、もうそれも考えなくていいというフェーズに至りまして。僕がコントっぽいと思えばコント、本公演はまわりからコントっぽいと言われても自分の中では演劇というマインドで作る。だから、ここまで引っ張ってたいへん恐縮ながら、演劇とコントのボーダーというものに対する答えがないんですけれども。本当にこっちの気の持ちようなんじゃないかというのが、最近一周回っての結論です。
──なるほど……。
村角 もちろん、芸人さんから見たら「あんなのコントじゃない」とおっしゃられるかもわかりません。7月の「テアトロコント」には弟(村角ダイチ)と2人で出演することになりますが、僕が思うコントっぽいことをしようかなと思っています。もう、5分くらいのものが6本というのをやろうかと。できるかわからないですが。
──5分×6本! それはとても観たいです。
村角 最初に『テアトロコント』に呼んでいただいたときはあえてコントを遠ざけている時期だったので30分尺のものを1本やりました。2回目は10〜15分のものを2本、「小喜劇」というニュアンスで、演劇に近い感覚で作っていたので、今回は完全にコントっぽいものをやるか、と。
──THE ROB CARLTONの考える「コントっぽさ」の極地を観られるわけですね。
村角 これももちろん、あくまでも自分たちの中で、ですけれども。どうしても明確な答えは出ませんね。とある芸人さんがおっしゃっていたのは、「コントはぱっと宇宙人が出てきたときに『うわ、宇宙人やで』で始まってもいい。でも演劇はまず宇宙人が来る理由がいるやろ?」と。その、提示するもののいい意味での雑さ、背景を深追いしない潔さという点はあるのかなと思いますね。このたとえは今のコントにフィットするかはわかりませんが、でもコントには何らかの様式美がある。……そうですね、僕はその様式美におびえているのかもしれません。
──様式美に怯える?
村角 自分が演劇を始めたときは、僕らラグビー部で。演劇なんて何も知らないのに、ラグビー部員を集めて劇場を借りて公演をやりまして。今思えばナメた話なんですが、演劇って間口が広かったんですよね。何をやっても演劇といっていい、と。でもコントは、何かしら限られたものがあるというか、様式がある気がするんです。その様式美に、ちゃんと怯えたいという気持ちもあるんですよ。着物を雑に着たくないような感覚と言いますか。それも僕が勝手に思っているだけのことかもしれませんが。
──THE ROB CARLTONの公演では「らしさ」がとても丁寧に表現されている気がします。たとえば「ハードボイルドらしさ」や「平安貴族っぽさ」の上に物語が進んでいく。そのことと、様式美とは近い部分がありませんか?
村角 たしかに、たとえば平安貴族をやるときは「この衣装はここで着るもの」だとか、「ここでは烏帽子はつけない」とか、最低限のことは一通り納得しておかないと作れないという面はありますね。知らない状態で作るのは気持ち悪い。
──それと同様に、コントのいわゆる様式的なものを押さえたうえで作りたいけれども、その様式が人によってバラバラだから難しい……?
村角 そうですね。解析できなかったという部分はまさにそこかもしれないです。様式がつかめなかった。そこから振り切って、先日「LOW-KEYED PLAY」で「コントっぽさ」を追求したわけです。客席の皆さんからしたらコントでもなけりゃ演劇でもない、謎の75分だったかもしれません。それはそれでいいことだと思っています。もしかしたらあれが、僕らが現時点で出せるコントと演劇に対するひとつの解だったのかもしれない。自分たちとしては手応えがありましたし、今後も年に1回くらいやっていきたいなと思いました。
──テアトロコントも、年1度の軽やかな「コントっぽい」公演も楽しみです!
村角 本公演はしっかりとした物語とセットで、演劇をやるというのは変わらず、軽く観に来ていただけるような公演もできればいいなと。ライトなね。iPhoneで言えばSEのような。いいですね、SE公演。そういう公演を重ねることで、少なくとも自分たちの中では、演劇のコントとお笑いのコントの垣根を少しでも払いのけられたらと思います。
取材・文/釣木文恵
写真/明田川志保