DAZZLE新作公演『NORA』長谷川達也・飯塚浩一郎(DAZZLE)、大舌恭平(BLUE TOKYO)インタビュー

写真左より 飯塚浩一郎(DAZZLE)・長谷川達也(DAZZLE)・大舌恭平(BLUE TOKYO)

結成20年を超えてなお、そのスローガンのとおり「すべてのカテゴリーに属し、属さない」新たな表現を生み出しつづけるダンスカンパニー・DAZZLEが、2020年3月、新作公演を行う。作品の共演には男子新体操をベースとするアクロバットプロパフォーマンスユニット・BLUE TOKYOを迎え、観客がストーリーの行方を左右するマルチストーリー形式をとった公演になるという。どんな経緯で、どんな思いから、新作公演は生まれたのか?DAZZLEの長谷川達也・飯塚浩一郎、BLUE TOKYOの大舌恭平に話を聞いた。

今回、DAZZLEとBLUE TOKYOが共演することになった経緯を教えてください。

長谷川「BLUE TOKYOの発足時から、振付や演出を僕が何度か担当させて頂いておりまして。今回、『NORA』の作品のなかにゲーム世界の設定があるんですが、ゲームの非現実的世界に登場するキャラクターとして、非現実的な動きができるBLUE TOKYOがハマるんじゃないかなと声をかけました。」

大舌さん、声をかけられていかがでしたか。

大舌「BLUE TOKYOが発足して初めてステージに立つときに振付していただいたのが長谷川さんだったので、もう「来たぁ!」くらいの気持ちです!」

DAZZLEから見た、BLUE TOKYOの魅力はどんなところですか。

長谷川「もともと競技者ということもありますけど、まず、身体能力の高さが尋常ではないことですね。重力を感じさせないくらい高く飛びあがるとか、空中で回転するとか、それだけでも驚きなんですが、それを「群舞」として、集団で一糸乱れずやる。ダンスをしている者から見ると、それはもう驚異的な同調性なんです。しかも彼らの演技はただ同調するだけじゃなくて、色々なアイディアが作品の中にこめられている。そこに、「人を高く投げ上げる」とか「ぐるぐる回す」とか驚くような技を入れてくる構成力が素晴らしい。迫力があって、美しいんです。」

BLUE TOKYOのみなさんから見た、DAZZLEの魅力はどんなところですか。

大舌「絶対に欠かせないのは「緻密な構成力」です。信じられないようなノートがあるんですよ。」
長谷川「僕の創作ノートですね。」
大舌「はい。それを写真で送ってもらって「はぁー(ため息)化学の実験か…?」って(笑)。そのくらい緻密な演出が作品の構成として作用しているのは、本当にすごいと思います。それと「抜け感」がかっこ良いです。ぼくたちは「競技」のようにガチッと決まったものをやることが得意なので、逆に抜きを作るのが難しい時があるんですが、DAZZLEのダンスは「なんでそんなに抜いて踊れるんだろう?」っていうくらい、抜けてるんですよね。僕達もふわっとした質感を出して踊ることはありますけど、踊ってみると硬さが見えてしまうというか、若干違うんですよ。そんな「抜け感」はDAZZLEさん唯一無二だと思います。」
長谷川「もともと彼らは競技として「良い得点をとる」ことが最大の目的でしたけれど、ダンスでは「得点を出す」ことより「いかに心に残るか」が重要で。特にDAZZLEの場合、作品にストーリーがあって、ストーリーの中で自分ではない何者かになったりする。そういう部分は(競技としての)新体操とはまた別の感覚だと思うんです。それを表現するにあたって「抜ける」部分や、キャラクターとしてどう表現したらいいかという演技的、精神的な部分が踊りの中に含まれているから、彼らにとっては刺激になっているのかもしれません。」

BLUE TOKYOのみなさんは「競技」「ルール」から離れて、逆に困ったりはしませんか。

大舌「はい、可能性がありすぎるところですかね。新体操で培ったことを使って踊れるのは大事なことですし、まだまだ、新体操に男子種目があることを知らない方が多いです。BLUE TOKYOは「男子新体操」を広めることにも力を入れているので、今回、『NORA』を観に来てBLUE TOKYOを知って頂いて、新体操ってこんなに凄いんだということを魅せられたら嬉しいです。」

唐突なんですが、長谷川さん、今回の作品名の『NORA』とは何なのでしょうか。

長谷川「それ、すごく聞かれるんですけど(苦笑)、物語の重要な部分に関わるので、是非、観て判断していただきたいといいますか、観るとわかる構造になっているんですよ。」

いまはお聞きしないほうがいいということですね!わかりました。では、改めて、今回、どのような作品になりそうですか。

長谷川「未来の東京をイメージした作品になっています。規制が厳しくなった社会構造のなかで、人々が抑圧されながら暮らしている現実の世界と、それとは対極に位置するオンラインゲームの非現実の世界があって、2つの世界を行き来するような展開です。そのオンラインゲームは、いわくつきと言われていまは配信停止になっているもので、そのゲームはどんな目的で、誰が制作したのか?ということを解き明かしながらも翻弄されていく、というようなお話です。そして今回は、マルチストーリーを導入しています。DAZZLEは、物語の途中で主人公が「右の道に行くか、左の道に行くか」の選択をして、選んだ結果が物語に反映していくというような、ゲーム要素を加えた作品が昔からありました。これまでは主人公の選択に対して観客が干渉することはできなかったんですけれど、今回は、観客が選んだ答えをリアルタイムで物語に反映して、物語が変化していく作品にしてみたいと思っています。」

選択肢があると、それだけ作品づくりも大変ではないですか。

飯塚「作るのも演じるのも大変だし、結果的にやらないシーンがいくつか出てくるだろうなという思いはあります。でも、お客さんが観て面白くなるなら、バックグラウンドの努力はあっていいよねという僕らの思いもあります。『鱗人輪舞(リンド・ロンド)』(*1)のときは、「選択」は休憩を挟んで行われていたんですけど、今回は本番中にどんどん選んで、次はこっち、次はこっちをやる!と短い時間で進むので、どう準備するのかは新たな課題です。」

(*1)2016年上演のDAZZLE結成20周年記念公演。

『鱗人輪舞』では、1幕の終わりに観客に対して「選択」が投げかけられ、休憩中に客席で行われた投票結果が出てから、その結果に沿った2幕が始まるという感じでしたね。では今回はもっとスパンが短く、物語の最中に「いま決めて!」という感じになるんでしょうか。

飯塚「そうです。その結果を見て、舞台の上でも「こっちだ!」とその瞬間に判断します。」

観るほうも踊るほうも大変そう!

長谷川「そうなんです。だからスタッフの方にこういうことをやりたいと相談したときは、頭を抱えていました。DAZZLEの作品はポンと音を流して踊るというだけじゃなく、照明や映像がダンスとすべて同期しているので、各セクションが常にリンクしています。ですので、選択が変わった場合、瞬間的に「次、何を出すのか」の判断がすごく難しい。いままで誰もやったことがないものに挑戦することに価値を感じているので、なんとか形にしたいんですが。」

『鱗人輪舞』の選択肢は2パターンでしたが、今回は物語の分岐点がたくさんあるとのことで、さまざまな展開になりそうですね。大舌さん、とっさの対応が求められそうですがいかがですか。

大舌「BLUE TOKYOもマルチストーリー自体が初めてなので、神経を使っていかないといけないですね。でも6公演で毎回違うストーリーになるかもと思うと、それを観られるお客さんが羨ましいな。」

マルチストーリー形式をとるということは、限りなく確率が低いとはいえ、全公演で同じパターンが選ばれる可能性もありますよね。長谷川さんが作品に込めた思いやメッセージがあっても、もし全公演でAパターンが選ばれた場合、Bパターンで伝えたかったことはお客さんに観ていただけない。

長谷川「作品に込めている思いはたくさんあって…ただ、僕自身が「これを伝えたい」って1つ提示するより、「そのときに観客のみなさんがどう感じるか」がすごく大事なことだと思っています。僕が思うこと、僕が感じるものをダンスや舞台作品に変換しているんですけど、それを観る人の人生や精神状態や体調によっても、感じるものって変わりますよね。観て何をキャッチするか、何に気づくか。「気づき」って本人にとってすごく価値のあるものになると思うので、その感覚に従ってくれたら、と思います。もちろん、作ったほうとしてはBパターンもやりたい(笑)。なので、たくさん観に来て、いろいろ選択してほしいという気持ちもありますけどね。」

DAZZLEのみなさんはイマーシブシアタ―(*2)をやっていらっしゃいましたね。その経験を経て、今回の公演に生きてきそうなことはありますか。

(*2)新しい演劇スタイルとして国内外で注目を集めている、体験型演劇。舞台の上・下といった境界をなくし、観客とパフォーマーが同じエリアに立ち、観客は自分の意志でエリア内を動いて作品を鑑賞する。DAZZLEは『Touch the Dark』(2017年)、『SHELTER』(2019年)などイマーシブシアタ―作品を複数制作し、話題となっている。

長谷川「イマーシブシアターは、座席に座って鑑賞するのではなく、施設の中で同時多発的に様々な場所でパフォーマンスが行われるので、観客のみなさんは自分の意志で「どこに行くか」「誰を観るか」を選択できる上演方法です。個人によって得られる情報がまったく変わってしまうのがイマーシブシアターの醍醐味であり、面白さですね。いっぽうで舞台作品は、舞台の上で進行する主人公の人生を、生まれてから死ぬまでの全部を観ることができる。物語に入るか、物語を観るか。その違いがあります。今回はマルチストーリーにして、舞台上で行われている物語が分岐していくことで、「観られること」の一方で「観られないこと」も出てくる。そこは融合といえるかもしれません。」

イマーシブシアタ―、始めるときは大変だったのではないですか。

長谷川「最初、飯塚から「イマーシブシアタ―をやりたいんだ」って提案されたんですけど、それを聞いたとき、僕は非常に懐疑的でして。いろいろなことをトータルで考えると、やるのはとても難しいと。でも、ニューヨークで実際に行われている『Sleep No More』という作品を見て、あ、できるな、しかもDAZZLEの方が面白いことができるんじゃないかって思ったんですよね。それで、日本に帰ってすぐにとりかかったんです。「自分が観たいものを選べる体験」はすごく特別なものになる、という感覚が収獲としてあったので、傍観者じゃなく、お客さん自身の選択が反映されるものが舞台作品の中にあったら面白いかもしれないという可能性を感じました。」

たとえばクラシックバレエなどと違って、ダンス、とくにコンテンポラリーと呼ばれるジャンルでは、お客さんが作品の内容についてまったくわからない状態で劇場に来ることがとても多いですよね。 DAZZLEやBLUE TOKYOの名前は知っているけど公演を観たことのない方、「そういえばイマーシブシアタ―っていうのはどこかで見たけど」というような「気になっているけどまだ観たことがない」方には、DAZZLE作品をどう観ていただくのがよいでしょう。

長谷川「僕は、ストリートダンスを始めてから、かなり早い段階で、ダンスを知らない人にも面白いねと思ってもらえる「共感者」を増やさなければダメだと思ったんです。自分がやっていることが「ダンスわかんないからなあ…ふーん、そうなんだ」って流されて終わってしまうというのが嫌で、どうしたら伝わるものになるだろう、と。DAZZLEの作品は踊ることを中心にしてはいますが、音楽、ファッションといった要素、空間の演出や構成、そして物語がある。ダンスがわからないということが足枷にはならないと思っていて、それは「物語が軸になっているから」というのが大きいと思っています。物語って、小さいときから自分で読んだり読み聞かせられたりするものですよね。まずお話があって、次に「この先どうなるんだろう」という“興味”があって、それを身体表現でつないでいく形にすれば、ダンスがわからない人にも楽しんでもらえるかもしれない、そこに秀でた身体表現があったらそちらにも興味をもってもらえるかもしれない、という考え方で作っています。」

DAZZLE作品にはナレーションが使われることもありますが、みなさんは舞台で「いっそセリフを話したい」と思うことはありますか。

飯塚「どちらかというと、ダンスを100%の力でやる前提で「でも、物語も伝えたい」というときに字幕やナレーションが必要になってきた、という感じですね。たぶん、話すと踊れなくなる。ダンスで表現するというベースがありつつ、どうすればより伝えることができるか?という発想なんです。たとえば、いま上演している『サクラヒメ』(*3)は、せりふを言う人もいます。なので、ぼくらはそういうのを絶対やらない!ということでもないのですが。」

(*3)イマーシブシアター 『サクラヒメ』 ~『桜姫東文章』より~ 2020年2月4日(火)まで南座(京都府)で上演中。DAZZLEは脚本・演出・振付・制作協力で参加している。

長谷川「確かに。まずダンスがあったうえで、ナレーションが聞こえてくるって感じかな。」
飯塚「DAZZLEが(作品内で)言葉を使うことに否定的な人もいますが、言葉にできないことが身体で表現できるからこそ、ダンスをする意味があると思っています。そういう意味では、踊りで表現することで「本当は言葉にできないなにか」を伝えたいし、伝わっていると信じたい。ダンスが持っている魅力はありながら、(字幕やナレーションを使うことで)90分のお話をよりわかりやすく観て頂けたら、という感じですね。」

言葉がない・説明がないと、公演に誘う側はそれがどう面白いのか説明しづらいし、誘われる側もつかみづらい気がしてしまいます。

飯塚「僕は昨年、半年間、ニューヨークに住んでいたのですが、日本人はとくに「頭で理解しないとお金を払わない」という人が多い。世界的にみたらそのほうが珍しいと思いますし、いまより昔のほうがもっと「わからないもの」に対して寛容で、「わからないから面白い」という感覚があった。だからこそ、コンテンポラリー(的な身体表現)が、現代よりもっと隆盛を誇っていた時代があったと思います。いまこの「現代の日本」という環境がちょっと特殊という感じがありますね。テレビで放送される漫才にテロップや字幕が出るのも、「絶対に100%理解したい」っていう気持ちがあるのかなと。マルチストーリーは過去の作品にはなかった形式なので、こういうものだよと映像で見せられるわけではないんです。でも、僕らが一番作りたいのは“常に「新しい体験」を提供する“こと。ぜひ、未知のものに触れることは面白いという冒険心を発揮して、今回の作品に触れていただきたいなと。最近、僕は、「予定調和じゃないもの」を観たい感覚がとくに強いんですけれど(そのうえで)イマーシブシアタ―をやってみて、「DAZZLEは常に新しいことをやっている人たちなんだ」ということをダンスに明るくない人たちにも知ってもらえて、「なにか新しいものを見せてくれるんじゃないか?」と思ってくれる人が増えている感じがするんです。この作品は(マルチストーリーであるがゆえに)もう誰もどうなるかわからない。ぜひ、そこに参加してもらいたいですね。」
長谷川「いまは家から出ずに楽しめるものがたくさんあるので、劇場に足を運ぶことがますます難しくなっている気はするんですが、画面越しでは伝わらない、人間の生のエネルギーや、目に見えない“波動”を感じられるのはすごく大きな価値だと思っているんです。人間が目の前で動いていることに刺激されて、感覚が豊かになっていく。DAZZLEの作品はさらにそこに喜びや悲しみやいろんな感情が詰め込まれた物語があって、感情も豊かになっていく。そんな作品になると思っています。マルチストーリーという新しい体験も含めて、ぜひ劇場に観に来ていただいて、たくさんの刺激を受けてもらいたいと思います。」

★こぼれ話……「ダンサーならでは」「新体操経験者ならでは」の、ついついやっちゃう癖はありますか?

飯塚「ストリートダンスをやり始めると、鏡の前に来るとつい踊っちゃうのは「あるある」じゃないかな。」
長谷川「音楽に対して反応するっていうのはありますね。「この音だとこういう振りだな」とすぐ考えます。」
大舌「ものを拾うとき、ひざを曲げずに取ります。」
飯塚「なにそれ!?」
長谷川「新体操って「直線を作る」のが重要だもんね。ひざがちょっとでも曲がると減点だから。」
大舌「そうなんですよ。もう身体も柔らかいんで、床に落ちたものを拾うときはひざを曲げずに取ります。」
飯塚「なるほど!」
大舌「あとは信号待ちの間に足首回したり、エスカレーターでアキレス腱伸ばしたり…「ストレッチ願望」があるかもしれないですね。」
長谷川「それはダンサーもあるかも。ダンスの審査員をするとき、ステージに呼ばれるまで舞台袖で待ってる間、その日は踊るわけじゃないのになんか…(手首や肩をストレッチするしぐさ)。「あ、今日踊らないんだ」って(笑)。」

インタビュー・文・写真/ローソンチケット