DRUM TAO 30周年記念作品「CLUB TAO2」|岸野央明×江良拓哉インタビュー

世界観客動員数1000万人に迫る、和太鼓によるエンタテインメント集団「DRUM TAO」の結成30周年記念作品となる「CLUB TAO2」が9月に東京・新宿LUMINE 0にて行われる。トップパフォーマーとして長年、DRUM TAOを支えてきた岸野央明と江良拓哉に「CLUB TAO2」の魅力から、DRUM TAOが長く愛され続けてきた理由についてまでたっぷりと話を聞いた。

――昨年の「CLUB TAO」に続く「CLUB TAO2」ですが、どのような公演となるのでしょうか?

江良 EDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)と和楽器のコラボをやってみたら面白いんじゃないかということで試験的にやってみて、その後、実際にクラブでやって、ようやく昨年の新宿公演になったわけですけど、その続編として進化して帰ってきます。半分くらいは新曲で、既存曲もアレンジした形でお届けします。

――昨年の「CLUB TAO」を経験されてみて、いかがでしたか?

岸野 新鮮でしたし、単純に気持ちがアガりますよね。クラブにいるような感じで。

江良 重低音がズッズッズッ…とくる感じが太鼓と合うんですよね。パフォーマンスが音楽にマッチしている感覚がありましたね。

岸野 曲を作っていて通じる部分があって、決して共通言語があるわけじゃないんですけど「これってこういうことなんだな」と僕らなりに解釈ができる瞬間があるんですよね。EDMの盛り上がっていく部分は、和楽器でも自然とやっている部分があって、自然とマッチするというか、意外性がありそうで、実は相性がいいなと感じました。

江良 リズムで言うと、これから盛り上げる時のリズムってわりと決まってて、それとEDMのビルドアップってマッチするのでスーッとなじみましたよね。

―そもそも「CLUB TAO」という試みは、新しい挑戦をしたいという部分と、既存のファン以外の新しい層にDRUM TAOを知ってもらいたいという思いがあったのでしょうか?

岸野 まさにその通りで、いままでアプローチしてこなかったお客様に広げたいというのもあるし、新しいことをして自分たちの経験値をアップさせたいという思いもありました。

コロナ禍の間に、各自でレベルアップしようということを話してて、新しい楽器にチャレンジしたり、いろんなことをしてました。そのひとつとしてEDMとコラボしてみようというのがあって、それが意外なほどマッチしたこともあって発展して、ついに「2」まで来たという感じですが、正直、驚いています。

江良 和太鼓のそもそもの印象ってトラディショナル(伝統芸)じゃないですか。若い人たちにもなじみやすいEDMと和太鼓でやるというのは、聞いたこともなかったし「本当にできるのか?」くらいの感じで、ちょっとずつ探りながらやっていきましたけど、若い人にも太鼓ってすごいんだぞと感じてもらえたら嬉しいですね。

――普段から制作の過程において、メンバー同士で話し合い、アイディアを出し合うということですが「CLUB TAO」に関してはどのようなプロセスで作られていったのでしょうか?

岸野 毎年、それぞれのアイディアを持ち寄って新作を作ってるんですけど、「CLUB TAO」に関しては特に若いメンバーの意見が採用されている気がしますね。

江良 和楽器だとどうしても限界があって、ストリングス系の伸びる音があんまりないので、なかなか音楽の幅を広げるのが難しいところがあったんですけど、EDMや電子系の音楽が入ってくることで和楽器の良さもが活かされたし、制作の過程もすごく楽しくて、可能性を感じながら作ることができましたね。

――実際にEDMを研究したり、クラブに足を運んだりもしたんでしょうか?

岸野 聴きまくりましたね。いままでダウンロードしたこともないようなジャンルの音楽でした(笑)。若いメンバーは、この企画以前からクラブにも行ってたし、なじみもあったみたいだけど、僕らは“クラブ”と聞いたら、キレイなおねえさんがいるようなイメージで…(笑)。

江良 悪いことをしてるようなイメージでね(笑)。「お前、クラブなんて行ってるのか!」って。

岸野 「ちょっと勉強のためにクラブに行ってみます」と(笑)。“調査”に行くような感じでしたけど、いままで聴かなかったジャンルを聴くようにもなりましたね。

――「CLUB TAO」でEDMに行き着く以前から、和太鼓と新しいものを掛け合わると試みの可能性を探っていたのですか?

江良 常に探っていますね、新作のたびに音楽性もパフォーマンスに関しても。

岸野 DRUM TAO自体、常にスタイルが“自由”なんですよね。だから「これいいな」と思ったら、すぐに手を出すクセがあって、これまでもツアーで海外に行ったら、現地の音楽を聴いたり、アーティストとコラボして新しいものを取り入れることはありましたね。
だからこそ変化もできるし「これはちょっと違うな」とシンプルな方向に戻ったとしても、その試みを経ていることで、やっぱりどこかで元のものとは違うものになってたりするんだと思います。

――岸野さんは2002年、江良さんは2005年の入団ですが、DRUM TAOが30年続いているということをどのように受け止めていますか? これだけ長く愛され続けてきた理由はどこにあるんでしょうか?

江良 根本的にメンバーはみんなDRUM TAOが「好き」なんですよね。子どもの頃から太鼓をやってきたメンバーが多いんですけど、当時から僕は思ってましたけど、太鼓ってイメージとして「ダサい」んですよ(苦笑)。ふんどしでお祭りの太鼓を叩いて…というのが、若い頃は「カッコ悪いな」と思ってて…。それでも地元の太鼓チームに入って、気づいたら自分の特技が太鼓になってたんですよね。

どうせやるなら、もっとカッコよくできないか? 「TVでカッコよく太鼓を叩けないか?」とか「太鼓でCDをリリースできないか?」、「カッコいい照明を当てられながら叩けないかな?」といった思いを夢物語みたいな感じで抱いてたんですけど、DRUM TAOに入ってみたら、(夢に描いていた)その通りで「俺はこれがやりたかったんだ!」と思いました。

DRUM TAOに入ってから、いろんな変化や進化もあったけど、根底にそれ(=「これがやりたかった」という思い)があるんですよね。その上で、常に新しいものを探して、可能性を探りながらやっていきたいなと。日本で生まれた日本らしい楽器をどこまで進化させられるか? トラディショナルな部分も含めて未来につなげてやっていきたいなと思っています。

岸野 僕が入る前のことも含めて考えると、作品を作り続けてきた――クリエーションを続けてきたということが大きいのかなと思いますね。

1年に1作品を作ることをずっと続けているんですけど、「できた!」と思えるタイミングというのがないんですよね。今日(※この日の取材は六本木での公演終了後に行われた)もきっと、キツーいダメ出しのメールが回ってきて、それを修正して、また明日、本番に臨むという感じで、もしかしたら朝5時に集合するかもしれない(苦笑)。

そしてまた、次の作品をつくって…ということを繰り返してきて、その都度、苦しいことはあるけど、どこかで楽しさを感じていて、やみつきになっちゃうんですよね。変態だなと思います(笑)。

そういう意味で極端な話、太鼓じゃなくてもよかったのかもしれないですね。僕も含めて、もともとスペシャリストではない人間が集まって「こんなことしたい」という夢だけを持って、好きなことをやり続けてきた。そうやって何もないところから始まって、いまじゃこうやって東京のど真ん中でたくさんのお客さんの前でパフォーマンスをしているって、ちょっと信じられないな…という思いもあります。

ただ、うちの社長(藤高郁夫)は初期の頃から、絶対にこうなるって言ってたんですよね。もっと言うと、さらに先のことも、ずっと前から言い続けていることがあるんですけど、きっと実現するんだろうなと思います。

――この先のことというのは具体的にどんなプランを?

岸野 いまの段階で見えていることで言うと、世界中の都市に専用の劇場をつくって、何チームものDRUM TAOが公演を行なうというのは想像していますね。

――30年の中でも、この数年はコロナ禍があり、かなり特殊な時間だったかと思います

江良 僕らの生活って本当に特殊で、みんな一緒に住んでるんです。もちろん、それぞれの部屋はありますけど、生活を共にしているので、普段は朝食も昼食も夕食も一緒なんですよ。

それがコロナ禍ではみんな隔離して、練習もままならなくなって、なかなか活動もできず、半ば病んでました。実際に(チーム内での)感染もあったし、そういう苦しい時間を過ごしつつ、限られた時間で練習して…。辞めていく人間もいたし、それでも残ったメンバーがいま、やっているわけですけど、ようやく久しぶりに名古屋で公演を行なった時は、本当に感動しましたね。

お客さんから手紙ももらったし、大量のマスクをいただいたりもして、本当にいろんな支援をいただいて、「ここでくじけるわけにはいかない」とも思いました。

ただ、2019年まではずっと右肩上がりで、トントン拍子だったのがコロナで一度、落ち着いて、いろんなことを立ち止まって考えることができたのは、結果的にDRUM TAOにとっても良かったんじゃないかと思います。

岸野 これも社長のアイディアですが、時間ができたから、そこで「何かつくろう」となって勉強することもできたし、いままで人と一緒に練習してモチベーションを保てていたところもあったけど、ひとりでやるって結構つらくて、そこで気づきもありました。

18歳で入って20年くらいやり続けてきて、朝、みんなで集まって、稽古して、本番をやってというのをずっとやってきたので、まず「朝、集合しない」というのがメッチャ新鮮でしたね(笑)。

2019年まで、連日公演でずっと満席で…そのタイミングで入ってきた若いメンバーはお客さんが少ない時期も、公演がない練習だけの時間も経験してないんですよね。新人がいろんなことを任されて、いきなり海外公演に行くことになって、初めての本番がボリショイ劇場でとか(笑)、「どうかしてるぜ!」と思ってたけど…。

逆に2020年に入った子たちは、入った3日後に隔離になって、練習を一緒にすることもままならなくて、満席の観客から歓声を浴びるという経験も最近ようやくできるようになったくらいで、ある意味、3年も下積みをやって来たので強いなと思いますね。

――いまさらですが、お互いの印象やこれまでの思い出深いエピソードなどもお伺いできれば…

江良 出た(笑)。

岸野 本当にいまさらですが(笑)。僕のほうが先に入って、2~3年して江良くんが入ってきたんですけど、最初はひたすら棒の練習をやってましたね。みんなそうなんですけど、最初はケチョンケチョンに…(笑)。

江良 棒と寝たことありますよ。「ボールはともだち」みたいな感じで(笑)。

――江良さんから見た岸野さんは?

江良 目立つ努力をしないんですよね。

岸野 渋いね(笑)。

江良 意外にコツコツとやって、みんなができないことをやるんですよね。昔は海外公演で一緒の部屋になることが多かったんですけど、当時、DSが流行ってたんですよ。

岸野 大義名分として「えいご漬け」というソフトがあって、みんなで英語をしゃべれるようになりましょうと(笑)。

江良 と言いつつ「FF3」のリメイク版をこっそり買って、プレイしてたんですけど、実は岸野さんも昔プレイしてたことがあったらしく、夜に「ちょっとやらせて」と言うから貸したんですよ。そうして翌朝、見たらレベル50くらいになってた(笑)。一晩で? って。

そういうことは、仕事でもよくありますね。「え?いつのまに?」という感じでみんなができないことができるようになってるんです。

――最後に改めて「CLUB TAO2」に向けて意気込みとメッセージをお願いします

岸野 和太鼓の魅力はもちろん、EDMと融合したことで生まれる新しい要素もあり、和太鼓のファンもEDMが好きな人も楽しめるし、どちらもよく知らない人も楽しめる作品になっているのでぜひ! 食わず嫌いせずに見に来ていただきたいし、一度見てもらったら「いいな」と思ってもらえる自信があります!

江良 最近、いろんなコラボをやってますが、DRUM TAOを知らない人にこそ見てほしいです。和太鼓の新しさや可能性――いまの時代に合った音楽とコラボするとこうなるということをエンタメを見る感覚で楽しんでいただけたらと思います。

インタビュー・文/黒豆直樹